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2025年03月29日

 昨日は終日、第38回高崎映画祭に参加していた。映画祭も終盤、この日は「中之条町スペシャルデー」ともいえる一日。僕が実行委員長を務める伊参スタジオ映画祭がはじまるきっかけとなった『眠る男』(昨年完成したばかりの4Kレストア版)、中之条町で撮影された『水の中で深呼吸』(脚本は、伊参シナリオ大賞歴代受賞者の上原三由樹さん)、同じく町の四万温泉で撮影された『兎姉妹』(シナ大歴代受賞者の外山文治監督が関わっている)、そしてシナ大の最も新しい作品である上野詩織監督の『生きているんだ友達なんだ』。伊参スタッフが僕以外2人しか参加できなかったのが残念だが、高崎芸術劇場という最高の映画環境でこれら作品を見直して、実に充実した一日となった。

 それら上映の後は『ひかりさす』の上映。これは桜川市の観光映画として制作されたもので、監督も俳優も映画関係者が努めた(俳優の斉藤陽一郎さんと根矢涼香さんがこの日来場したのも良かった)。上映後には、僕も登壇者となり「このまちで生きる喜び」というテーマでトークを行った。地域のPRとして映画やドラマが効果を生むということは、その作品のファンが現地を訪れる聖地巡礼などという言葉と共に知っている人も多いと思う。僕個人の意見としては、映画を作れば人が来る、などということは稀で、むしろすぐに反応がないことに意味があると思っている。上記したように中之条町では昔も今もたくさんの映画がつくられているが、その映画に映る町の景色は少し違って見える。それによって、場所と鑑賞者の間に<親密さ>が生まれる。その程度で良いのではないか、それが大切なのではないか。

 それ以上の効果を生むこともある。例えば、映画『眠る男』が作られた。映画内で出てくる絵画を描いたのは平松礼二氏。氏が映画拠点となった廃校(現在の伊参スタジオ)で絵画教室を開いた時に中之条町に来たのが山重徹夫氏。彼は後に「中之条ビエンナーレ」を町と共に立ち上げ、その芸術祭は県内外に知られる国際芸術祭となった。つまりは、『眠る男』が作られなければ、伊参スタジオ映画祭はもちろんだが中之条ビエンナーレも多分ない。それくらい物事は偶然と必然をはらんでおり、だからこそ1本の映画が作られるということは、尊いことなのだと思う。