動き出しそうな寺役人
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尾島を行けば歴史にあたる、というくらい見所の多い町
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水溶性の紙に願い事を書いて流す「縁切り縁結び厠」くれぐれも用を足さぬよ
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ここから駆け込んできた?
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唯一の縁切り寺研究者館長
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群馬県の南部、県の形を鶴に例えるならちょうど喉仏のあたりに、”徳川”という地名の場所がある。ご存知、江戸幕府の将軍を代々務めた、あの”徳川”発祥の地である。
文明とは切り離された風景。
広がる大和芋畑。
この頃よく思うのだが、時代のついた街並みというのはどこか安心感を覚える。
国道17号を西に入り、通称”芋街道”を少し行くと満徳寺はある。江戸の女性の避難所であった駆け込み寺。縁切寺は、世界中を探しても二つしかないのだとか。
1つが鎌倉の東慶寺。
そしてもう1つが、この世良田の満徳寺ということになる。
ここには当時の三くだり半、今でいう離婚届が数多く残されている。まるで時代を越えて、人間はそう変わるもんじゃないよと説いているかのように。
縁切りというと悪いイメージを持つのは日本でも東の人間らしい。西へ行けば、悪縁を切って良縁を結ぶ、といってめでたい意味に使われるのだとか。
「だからね、良いことと縁を結びたい、好きな人と縁を結びたいという時に来ていいんですよ。」と資料館の高木館長。
江戸の女性のタクマシサ?に学びながら愛する人を思うのもまた、一興かもしれない。
(文: 堀澤 宏之) |