日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5313声 腹を括る

2024年03月18日

今朝の高崎は強風だった。

花粉がたくさん飛んでいたらしい。花粉症の人は大変だとおもう。

仕事のほうは、定例会の最終日。始まって、少ししたとき、トラブルが発生している知らせが届く。わたしが居る位置からは、ほぼどんな状況かは判断できないが、腹を括ることにする。というか、括らざるを得ない。

部屋の外で体起きていることは、後で考えることにする。

今、いろいろ考えてもなるようにしかならない。目の前で進行していることに集中する。

終了後、素早く事実を確認。取り返しはつかないが、致命傷にはねらない確信を得る。1分くらいだったか。その後は、予定通りに進行。現在の状況を説明し、なんとか凌ぐ。ということで、本日は終了。

5312声 伯爵邸

2024年03月17日

本日は、ゆっくり起きて、家族で仙台うみの杜水族館へ。

海鞘とか牡蠣の養殖の様子が展示されていたのが印象的。イワシトルネードはずっと観ていられる。

仙台駅に戻り、帰路につく。

途中、大宮の伯爵邸で夕食。なぜか沖縄そばとさんぴん茶。ということで、本日は終了。

明日は、定例会最終日。令和5年度も、もうすぐ終わりである。

5311声 靺鞨三千里の多賀城

2024年03月16日

本日は、仙台駅から仙石線で多賀城を目指す。

なかなかの人数が、乗車する。満員とまではいかないが、半分くらいの人は座れない。例によって見回すと、同じ車両の乗客の半数がスマホ。紙の新聞の人ひとり。紙の参考書の人は、開いたたまま、友人との会話に夢中。

土曜日ということもあり、会話をしている人が多い。

多賀城まで座れなかったが、20分ほどで到着。

結構な人数が降りる。ホームで写真を撮っていたらひとり取り残される。エスカレーターを降りると、さっきの人たちはどこに?というくらい人がいない。

改札を出て、最初の目的地、多賀城市立図書館へ。

駅の北口すぐだった。

TSUTAYAとスタバという定番の組み合わせに、公立図書館が付属している。

逆か。

図書館エリアの閲覧コーナーは、「本とコーヒーをお楽しみください」とあった。スタバから、持ち込んでいいということなのだろう。

係の人に写真撮影をしてよいか尋ねたら、館内撮影禁止とのこと。図書館エリアを三階まで探索。多賀城の郷土コーナーで数冊目をとおす。多賀城碑の「去靺鞨国界三千里」の文字を確認。

今朝の新聞で、多賀城碑が国宝になるとの記事が出ていた。同じ棚の本には、金印や多賀城碑は偽物ではないかという類のもあって、懐の深さを感じる。

その後、TSUTAYAエリアをさくっと眺め、末の松山を目指す。徒歩15分くらいだったかな。

近くの沖の井(沖の石、興井)も見学。どちらも歌枕の地で、西行、芭蕉、子規、鉄幹らが訪れたとのこと。その場に佇んでみたものの、一句もつくれず。宿題とする。

その後、砂押川沿いの土手を歩き、再び図書館を目指す。途中、白鳥やその他の水鳥が佇んでいる場所を発見。土手を降り始めたら、水鳥だけでなく鳩も寄り集まって来て、一瞬恐怖を覚える。白鳥までの距離を測りながら近づこうと試みたが、あまりにも鳩や小さな水鳥が寄って来るので、途中で断念。きっとここで、餌をまく人がいるのだろう。

その後は再び図書館へ。

なるほど、入口におしゃれなサインで撮影禁止をうたっている。

三階にあるPUBLIC HOUSEで、昼食がわりのビール。QRコードでの注文。暗証番号付きははじめて。

ビールといちごのカプレーゼをいただく。

食後は、Ten coffee and bakeを目指すも満席。

多賀城碑を目指すことにする。

途中、多賀城史遊館に寄り情報収集。多賀城廃寺跡を抜けて東北歴史博物館へ。

博物館は休館中。今野家住宅だけ見学し、いよいよ多賀城跡へ。

多賀城跡はとても広大である。

南門跡のすぐ東にあるという多賀城碑を目指すが、南門、絶賛建設中ということで、立ち入り制限がそこかしこにあって、右往左往しながらやっとたどり着く。

国宝のことが新聞に載ったせいだろうか、あきらかに散歩中という地元の方が4組ほど。観光らしき人はわたし以外では2組。

ここでも、去靺鞨国界三千里の本物を確認。

「去下野國界二百七十四里」も確認。

続いて、政庁跡を目指す。登山かよ!というくらい登り。振り返るとなかなかよい眺め。

政庁跡の少し北には、多賀城管理事務所という名の小屋が(とう見ても、地元の集会所)。

どうやら百名城の印が置いてあるらしく、政庁跡あたりから一緒の二組3人は真っ直ぐに向かう。

わたしは、東門跡を目指し坂道を登るも、急に鬱蒼としてきて、くじけて引き返す。

すると、先程の管理事務所から、いかにも地元の人らしいおじさんが出てくる。

百名城印目当てだったらしき人たちはすでに見当たらない。客はわたし一人である。必然的に話しかけられる。

百名城印を案内され、断ると、今度はパンフレットを勧められる。

見ると史遊館でもらったものと同じだったので、またまた断ることに。すると今度は、どこを見てきたのかとなり、時間的に間に合わないかもしれないけどと、史遊館を勧められる。すでに行ってきた旨を伝える。

では、多賀城跡はどこに行ったかとなり、南門跡から政庁跡まで登って来て、東門跡に行きかけて断念したことを伝えると、東門は絶対に見たほうがいいと力説される。親切にショートカットの方法も教えてくれるので、御礼を言って、東門跡を目指すことに。

途中、ショートカットらしきところもちゃんとわかったが、民家をつっきるため、道を進む。

結果的に、行ってよかった。政庁跡まででも、多賀城の広大さは実感できたのだが、東門跡から北東の端まで行ってみたら、実感としてであるが、実感する広大さが二倍になった。

とてつもなく広い。尾瀬ヶ原がすっぽり入るんじゃなかろうか。

少し大げさか…そこまでではないか。

おかげで、陸奥総社宮にも寄れた。兜太の句碑も見られた。

で、多賀城跡をくだり、国府多賀城駅まで戻る。

お腹が空いたので、ガレットの美味しいという、カフェ、OLD TIMEへ。

唯一のアルコール、秋保ワイナリーのクラフトシードルとサラダガレットをオーダー。満足。

ラストオーダーの声をかけられたので、カフェアフォガードを注文。

そのアフォガードをいただいたとき、いし田珈琲のママさんのことを思い出した。

いし田珈琲ではよく、食事のセットにデザートとしてつけてくれるアイスクリームに、珈琲をスプーンで掬って掛けながら食べていた。

勝手にやっていたのだが、あるときママさんがほかのお客さんに、「珈琲をちょっとずつ掛けて食べても美味しよ」と言っているのを聞いた。これで公認となったとおもったのだった、

そのいし田珈琲のママさんが亡くなったという知らせを聞いたのは先月のこと。

多賀城に来てすこししんみりしてしまった。

さて、その次は、Ten coffee and bakeに再チャレンジ。

お客さんゼロ。

ダブルチョコスコーンとチョコバナナマフィン、そしてホットのブレンドコーヒーを注文。

席に持って来てくれたとき、ここのコーヒー、浅煎りで酸味が強いということを聞く。

旅先では、普段とは違ったものも楽しむということで良しとする。

ナチュールのワインだとおもえば、おもえなくもない。味覚の幅が拡がったことを嬉しくおもう。その後、仙石線に乗り仙台に戻って、本日は終了。

5310声 矢印の方向

2024年03月15日

『姫野ノート「弱さ」と闘う53の言葉』という本の中に自分自身を理解するための方法を述べている箇所があって、矢印を自分の方向に向ける、というような記述があった。

期待されても伸び悩む選手は、だいたい矢印が自分ではなく、外に向いていて、うまくいかないことや失敗を人のせいにしたり、環境のせいにしたりしているというようなことが書いてあった。

若かりし頃、中学生時代の姫野は、矢印の方向が外に向いていて、失敗を人のせいにしていたらしい。

今の姫野は、矢印を自分の方向に向けているのだという。

でも、これって矢印の方向を意識し、コントロールすることが大切という事なんだとおもう。

もちろん、矢印を自分の方向に向けられなければ、自分自身を理解できないし、とても大切なことなんだとはおもうが、そもそも矢印がどこに向いているのかわからないことには話にならない。

矢印が向いている方向を意識し、方向をコントロールできるようになって、はじめて矢印を自分の方向に向けることができるような気もする。

しかし、ノートを通して、自分自身と常に真剣に向き合ってきた姫野は、自然と矢印を自分の方向に向ける術を身につけたのかもしれない。

矢印の方向、意識してみたい。

5309声 仕事の流儀

2024年03月14日

わたしが仕事をするうえで心がけているのは、自分が居なくなっても組織が停滞しないようにすることだ。そのためには、日ごろから情報を共有しておくこと、それも考え方の本質を共有しておくことが大切だとおもっている。

決して抱え込まない。

かつて、仕事を自分だけで抱え込んで、まったく情報共有しない人物と仕事をしたこともある。その人がいないと大変なときもあるにはあるが、そういう人物は、たいてい・・以下自粛。

それはそれとして、今は、情報機器が発達したおかげで、情報の共有は大変便利になった。

おかげで、わたしが現場にいなくても、組織が停滞することはまずない。

これが、「もともと、いなくてもよい」ということでないとよいのだが。

5308声 引継書

2024年03月13日

わたしの現在の仕事は、一年を4回のクールに分けて、同じようなことの繰り返しなのだが、意外と毎回いろいろなことが起る。

一昨日のインシデントもそうだが、実に様々なことが起きる。

本質を捉えていれば、そう間違うこともないのだが、関与者が増えたり、階級上位の人物がきっかけだったりすると対応に苦慮することもある。

わたしの今のポストは、正直、誰でも務まるとおもう。そして誰でも務まるように、引継書を日々更新しながら仕事をしている。

いつの頃からか、職場にパソコンが導入されてからだとおもうが、引継書をつくりながら仕事している。だから、いつ異動となっても、自分の仕事を引き継いてもらうのは簡単である。

5307声 負の連鎖を断つ

2024年03月12日

昨日は、仕事で危うく重大事故が発生するところであった。担当者の作成した書類の不備が原因だ。

関係者のとっさの対応でなんとか事なきを得る。

関係各位には謝罪したが、無事に切り抜けたことから、笑い話となる。本当によかった。

ちょっと判断を間違えば、もっと大人数の関係者に迷惑をかけるところであった。

わたしが担当者だった時代なら大目玉を食らうような案件だが、時代は変わった。

不備のある書類作成した担当者を叱ったところで、おそらく良い未来にはならないだろう。良い結果が、想像できない。

本人が自覚するより仕方がない。この失敗を糧として成長してほしい。

こう考えると、昔はずいぶん不合理だったなあとあもう。その不合理の積み重ねの未来に現在があるのだが・・・。

負の連鎖は、断ち切らなくてはいけないし、そのほうが生産的であるとおもう。

5306声 装い

2024年03月11日

東日本大震災から13年が経った。

震災当時のことではっきり覚えているいくつかのニュースの一つに、当時の与党の女性国会議員が、避難所に大量のおしゃれな白い靴を支援したというものがある。

津波の被害で靴が不足していることを受けての支援だったらしいが、同じ型、同じ色の大量の靴を持て余している避難所の様子が忘れられない。

さて、話は変わるが、最近の数多くの自治体で「服装の軽装化」が進んでいる。わたしの所属する組織でも「ノーネクタイの通年化」が取り入れられた。

服装について、とやかくルールやガイドラインがあるのもどうかとおもうが、「ノーネクタイの通年化」というガイドラインというルールのようなものがある。

ノーネクタイがルール化されると、天邪鬼なものでスーツにネクタイスタイルで勤務したくなる。

なかでも「ネイビーのスーツは最強」とかおもって調べてみたら、ネイビーは英国海軍由来なのだとか。道理で心強い訳だ。

仕事中の服装にこだわらない人が増えた今だからこそ、仕事中の装いにこだわろうとおもっている。

5305声 山車を持つ町内

2024年03月10日

本日のNHK杯将棋トーナメントは、藤井聡太NHK杯 対 羽生善治九段。

結果は、藤井さんの勝ち。

途中からAIの判定が97%藤井さん有利で、羽生さんが連続王手をかけるも途切れたところで投了。

将棋界は完全に藤井聡太一強。

囲碁のほうは、藤沢さんをはじめとする女性棋士や一力さん、虎丸さんもいて結構盛り上がっている様子。

一力 対 虎丸の決勝戦を見たかったが、町内の山車会議があるため出かける。

今年の山車祭についての話し合い。

わが町は、町内会と山車保存会を別組織にして2年が経とうとしている。

課題もたくさんあるが、別組織にたからこその2年間だったようにおもう。今となっては穏やかに振り返ることができるが、2年前 (というか、準備も含めると4年前かもしれないが) なにもしなかったならとおもうと寒気がする。少子高齢社会を現場で体感している。

町内会が山車など持っていなければ、もっとゆっくりできるのに、などとおもうこともあるが、山車を持っているからこそのまとまり、つながりみたいなものもあり、町内で山車を持つことのメリットは小さくない。

5304声 今宵幸せになりたかったら

2024年03月09日

これ、ほんとに談志が言ったのかどうか。談慶さんの本に書いてあった。

《人間一日だけ幸せになりたければ、床屋に行くといい。

一週間幸せになりたければ、結婚するといい。

一年幸せになりたければ、家を建てるといい。

一生幸せでいたければ、自分に正直であるといい。

今宵、幸せになりたかったら…

談志を聴くがいい。》

まあ、談志の噺を聴くと、そのときは幸せになる。

続いて、談慶さんの噺を聴くと現実に引き戻される。

なぜ、師匠の噺に続けて自分の噺を放送するのか?

頑張れ、談慶!

無理して落語はしないで、談志の悪口を言っているほうが面白いぞ!

5303号 談志の超訳

2024年03月08日

本日の帰り道は、小雨が降っていたが、空は明るく夕日が建物を朱に染めていて美しかった。

さて最近は、HOPのマスターから借りている『不器用なまま、踊りきれ。超訳立川談志』を読んでいる。

著者は、立川談慶。

落語は下手だが、談志を語らせると面白い人だ。

この本も、ごたぶんに漏れず、談志の超訳部分はいまいちだが、「談志の言葉そのもの」や談志にまつわるエピソードは面白い。

5302声 後生畏るべし

2024年03月07日

今更ながら、2023年の紅白歌合戦でのAdoの『唱』の熱唱を観た。

舞台は、東本願寺の能舞台だという。

プロジェクションマッピングの鏡松が消えてAdoのシルエットが現れる。

とても日本らしい、素晴らしい映像美とAdoの圧巻の歌唱力。

ただし、この曲の歌詞を理解するには、時間がかかりそうである。

最近の人はすぐわかるのかな。

後生畏るべし。

5301声 うら庭

2024年03月06日

昨日の夕食はうら庭へ。

お通しはアサリの素麺。

豚の粕漬け焼き、だし巻き玉子、ポテトサラダなどの食事をいただきながら、俳句や連句や劇団誘致の話をする。

この劇団が高崎に来てくれたら楽しいのになぁ、とおもう。200坪くらいの土地を3か月間借りる算段をつけなくてはいけない。心当たりのある人は連絡ください。

その合間に連句の続きを付ける。

連句は、先に進めるのが大事。ようやく名残の裏に入る。

その後、鮪、鯵、目張、槍烏賊の握りと鉄火巻でご飯とし、デザートの鯛焼で〆。

帰るころにはすっかり雪になっていた。

倉さんを自宅まで送って、昨日は終了。

5300声 断食あけ

2024年03月05日

断食あけの火曜日。

先月から週一日の断食を始めてみた。まあ、そんなにストイックでもないので、お昼は軽めに食べたり、夜もスープは良しとしていて、ゆるゆるとやっている。

それでも、寝るときには胃が空っぽになっているのが分かる程度には食を絶っている。気のせいかもしれないが、胃が空だと寝つきがいいように感じる。

今日の朝食は引き続き抜いて、お昼は久しぶりの恵比寿へ。

W夫妻と一緒になる。なかなか充実した会話ができてよかった。

食事のほうは、胃が気持ち小さくなっているので、かき玉そば軽めをゆっくりいただく。途中、食べきれないかとおもったが、なんとか食べきる。多少は断食の効果が出ているのかもしれない。

5299声 贅沢

2024年03月04日

昨日は、久しぶりに映画館で映画を観た。

『身代わり忠臣蔵』を観たかったのだが、午前中の時間帯しか上映されていなかったので、代わりに『アーガイル』を観る。

言ってみれば、『身代わり忠臣蔵』の身代わりだったのだが、結構面白く観ることができた。

最初から最後まで、騙されっぱなしで、よくできていた。

観客はわたしを入れて、4人。

よくよく考えるとなんと贅沢なことか。

5298声 一瞬を大事に

2024年03月03日

昨夜のBOCCAのカウンターでのこと。

饒舌なゴロウさんは、四六時中駄洒落を言って周りを和ませていた。

そのゴロウさんが、一瞬の隙をついて隣り合わせた女性の分も含めお会計を終える。

女性「一瞬の隙に・・・」

ゴロウ「一瞬を大事にして生きているから」

というようなやり取りがあったか、なかったか。

素晴らしい呑みっぷり。何時までも元気に呑んでいてほしい。

5297声 広告恐るべし

2024年03月02日

陽射しは温かなのに、肌寒い春の日。

お昼は、市内全域に広告が入ったらしいお弁当屋さんのお弁当を、おつきあいで食すことに。

お店に予約時間の15分前に着いてしまい、駐車場で待つ。次々とお客さんが入っていく。広告恐るべし。

わたしは車で待っていたのだが、お店はなかなか大変だったようだ。駐車場も少ないし、周辺も少し大変なことになっている。頑張ってほしい。

夕食は、麻婆豆腐が食べたくて駅前の中華居酒屋へ。おもったより辛くて、汗だくになる。

その後、BOCCAへ行き、一日が終了。

5296声 高崎の広さ

2024年03月01日

榛名山が薄っすらと雪化粧していて美しい朝だった。高崎も山沿いは雪だったようだ。

フロントガラスの隅に雪を蓄えた車を数台目撃した。うちのまわりは雪の欠片もなく、雪を蓄えた車は自然と目につく。高崎ナンバーである。

そういえば、雪化粧している榛名山も見えている部分の三分の二くらいは高崎だ。

高崎の広さを実感した3月のはじまりである。