日刊鶴のひとこえ

この負け犬の遠吠…ではなく、鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさんと、わたくし抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成29年後半は、10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)4月(す)の順です。

3564声 フライフィッシング⑤

2016年08月12日

疑似餌なので、喰った瞬間に食べ物出ないと魚は判断してはき出す。ハムと喰ってはき出すまでのコンマ何秒の絶妙なタイミングで合わせると、フッキングする。このタイミングが非常に難しい。特に私のような素人は早合わせが多い。ピッと合わせてもフライが飛んでくるだけである。

3563声 フライフィッシング④

2016年08月11日

上手にキャスティングできた時は、ラインがまっすぐ伸びていき、最後にふわっとフライが水面着水する。そのフライをめがけて下からトラウトが、時にはジャンプ(ライズ)して喰いついてくる。

3562声 フライフィッシング③

2016年08月10日

水面に浮かせるフライをドライフライと言う。沈ませるフライをウエットフライと言う。ウエットフライは水生昆虫を模しており、まぁ目に見えない魚をつるので、従来の釣りと似ている。ドライフライは、見えている魚を疑似餌で釣るという、言わば目の前で魚がだまされるて、ぱくっと食べるのを見ていられる。故に釣れた瞬間の興奮が大きい。

3561声 フライフィッシング②

2016年08月09日

フライフィッシングとは、何メートルものラインを鞭のようにしならせ、わずか数グラムのフライ(毛針)を川面にキャスティングする。

3560声 フライフィッシング①

2016年08月08日

幼き頃見た映画リバーランズスルーイットで、ブラッドピットが、フライラインで美しい放物線を描き、大きな渓流魚を釣り上げるシーン。夕もや(朝もやだったかな)の美しい風景の中に溶け込んでいた。上野村で釣りをするなら、あれをやりたいと思った。

3559声 上野村⑥

2016年08月07日

あの魚達を釣り上げたい。純粋に心の底から思った。より深く上野村と交わりたいと。

3558声 上野村④

2016年08月05日

上野村の運動会やバレーボール大会といった行事は、地区の名誉をかけて驚くほどガチの勝負。足が速くてバレーボールの上手な移住者は大歓迎される。おてんまや地域の行事を通じて、移住者が地域に溶け込んでいく。

3557声 上野村③

2016年08月04日

上野村が他の自治体と大きく違うとことは昔ながらのコミュニティーが強固に残っていることである。昔ながらというのは、コミュニティーで食いっぱぐれないことと、死んだときしっかり送ることを保証していることである。これが今でも残っている。もちろん、地域の行事は多く、おてんまと言われるお手伝いもあり、土日はきっちりプライベートという訳にはいかないけど。

3556声 上野村②

2016年08月03日

上野村は人口1200人と県内で最少の自治体であるが、Iターン者が増え続け今では人口の2割に達している。その定着率はすごいことである。消滅可能性自治体などと騒がれる20年も前から、戦略的に村づくりを行ってきた結果である。

3555声 上野村①

2016年08月02日

今年の夏は何度も上野村に通った。上野村は谷合の深奥にあるのに、不思議と空が広く明るく感じる。村の真ん中を清流神流川が流れ、広葉樹林の自然林が人間界の際まで迫っている。というか、川と山に挟まれた猫の額みたいなところで、人々は集落を作っていると言った方が近いかもしれない。

3554声 最後の夏

2016年08月01日

気づけば30代最後の夏。夏は一番好きな季節だが、今年は例年になくはしゃいでいる自分に気づく。心身健康な証拠だ。今年は、名一杯太陽の光を浴び、川のせせらぎを聞きながら魚と戯れ、高原の空気で胸を満たすと決めたんですよ。はい。

3553声 ビール界隈

2016年07月31日

「ザブン」の売上も好調げな堀澤さんが、この度高崎市若松町に「シンキチ醸造所」なるクラフトビールの醸造所を立ち上げてしまうそうです。ビール作りはまだ先だけど、店はオープンさせてよそのクラフトビールを飲むことができるようにするそう。その行動力と酒に捧げる覚悟、流石ですね。

 

抜井さんもきっと猛暑の7・8月、毎晩のようにビールを飲んでは言葉を探していることでしょう。そんでもって次にバトンタッチするすーさんには、先日「ザブン」で(会ったのはその界隈だけど)バッタリ。余すことなくビールを愛でられているようです。

 

つまりは、めっかった群馬。僕以外の3人皆がビール界隈で生きているのです。オセロ的に言えば、僕ももう毎日浴びるようにビールを飲むしかないのだろうね。仕方なくね。

 

それでは、ビール界隈にいるすーさんにバトンタッチします。皆さんまたいつか!

 

シンキチ醸造所
https://www.facebook.com/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%81%E9%86%B8%E9%80%A0%E6%89%80-1705574396327041/home

3552声 夏休みの宿題

2016年07月30日

わかる人にはわかってしまうのだが、めっかった群馬。7月を担当させてもらい、7月中に書き終えることが全くできなかった。このコラムは1日1つ、が基本である。本来はそれを毎日更新すべきなのだけれど、書かずに日が経ってしまい、7月の僕は特にひどかった。

 

そんな時でも、他の書き手の皆さんが僕を責めるわけではなく、顔が見えない読者さんではあるけれど「やれやれまたこの書き手は更新をさぼっているな」という程度の寛大な心で待ってくれている・・のかなと思い、期限過ぎてからバーッと書きました、はい。

 

このギリギリ感、むしろ今回のようなアウト感ってのは、恐ろしいことに「小学校の時の夏休みの宿題」から変わらないことなんだな。ほんと恐ろしい。夏休み中、日々何があったかの記述は最終日、いい加減にでも無理やり書くことができたけど、日々の天気はいい加減に書けないからね・・最終日にして友人宅へ駆け込み「天気写させて」とお願いしたことは、今なお覚えております。

 

仕事においては死活問題なので、どうにかせねばと思ってます。以上、反省終わり。

3551声 夏が来れば⑥

2016年07月29日

親父は、渋川の魚屋が経営不振でなくなったあと、中之条のゴルフ場の簡易宿泊所の用務員をやっていた。親父が亡くなった直後、一度も行ったことがなかったその仕事先へ挨拶をしに行った。皆さん口々に言うのは

 

「君のお父さんは優しい人だった。色々面倒みてもらったよ」

 

だった。それは、葬儀の際も変わらなかった。単に調子を合わせた挨拶ということでもなく、しみじみと言っている人が多かったように思うから、実際そういう人だったのだと思う。確かに、不機嫌そうな時はあっても怒る人ではなかった。

 

地域のために率先して何かをやるという事もなく、休日は丸1日でも自分の庭の手入れをやり続けられる人だった。結構早いけど、いい人生だったんじゃないかな、とも思う。

 

夏が来れば思い出す。

3550声 岩櫃(いわびつ)

2016年07月28日

NHK大河ドラマ「真田丸」の放送以降、東吾妻町の岩櫃山の来場者数が伸びている。

 

岩櫃山には昔「岩櫃城」と呼ばれた山城があり、そこでは真田昌幸、信繁、信之が共に暮らしていた。ドラマでも放送初期、そのあたりの描写がしっかりとされており、今なお変わらないオープニング映像では、「真田丸」というタイトルバックに岩櫃山を参考にした山城のイメージカットが入る。

 

ドラマを見る前も真田好きだから上田市には行ってたんだけど、岩櫃ははじめて来ます。という観光客にも数多く会った。大河ドラマ効果おそるべし。来月には、岩櫃城の最後の城主となったと言われている、出浦昌相を演じている寺島進さんが東吾妻地へ来町、色々な催しをくっつけた「岩櫃サマーフェスタ」なるイベントを行う。

 

岩櫃人気を支えるのは、町の観光関連の職員だけではなく、「岩櫃城忍びの乱実行委員会」の力も大きい。僕も副実行委員長なる肩書を担ってはいるのだけど、十分な働きはできていない。実行委員会は、毎週土日と祝日に、岩櫃山のふもとの密岩神社にて「おもてなしの陣」なるおもてなしをずっと続けていて、訪れたお客さんにお茶を出したり岩櫃グッズを販売したりしている。自分も一緒ではあるけれど、ボランティアでのその働きには、もう頭が上がらない。

 

一人でできることがある。一人じゃできないことがある。その両方を積極的に進める事こそが、天下取りの・・地元活性の必須事項であることは、言うまでもない。

3549声 山形

2016年07月27日

7/30に、ジョウモウ大学は開校5周年記念パーティーを行う。「ジョウモウ大学とは何ぞや?」という方はこのサイトをご覧になる方には少ないのかもしれないが、入学許可不要で校舎を持たず県内各地が授業場所となり先生もテーマごとに変わる試みである。このめっかった群馬の堀澤さんも抜井さんも、過去先生として授業を受け持っている。

 

記念パーティー前にはトークキャンパスという「外部から講師を招いての講演会」を行うことになっており、過去には雑誌「ソトコト」編集長の指出一正さんや、高崎出身でワールドミュージックと世界の料理に精通したサラーム海上さんといった実にジョウモウ大学らしい人のセレクト、楽しい会が行われた。今回は「中之条町出身繋がり」ということで、僕がちょっとした橋渡しを買って出て、山形で活躍するデザイン事務所「アカオニ」の代表である小板橋基希さんをゲストに招くこととなった。

 

山形と言えば僕は昔から「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の大ファンであり、一度は東京事務局のスタッフもさせていただいたことがある。映画祭で訪れる山形の町は、何だか初めて来た気がしない雰囲気があり、それはどうやら「周りを山で囲まれていて、中之条とそう遠くない雰囲気だから」という無理やりな理屈で自らを納得させた覚えがある。山形に根付いて長い小板橋さんも同じようなことを言っていたので、あながち間違いではないのだろう。

 

その山形では、小板橋さんが広報デザインを務める「山形ビエンナーレ」という面白そうな催しも始まっており、今年に入ってからは「とんがりビル」と名付けられた文化のかほりがする集合ビルの運営も始まっている。そんな山形の動きと、ジョウモウ大学の5年間との間に関連性は見つけられるのか?見つかんなくても面白い会になるのは必至なので、何より僕が楽しみたいと思う。参加される方、よろしくお願いします。

3548声 ポケモンGO

2016年07月26日

最近、めずらしく2回も司会をやることになった。司会と言っても、最初に簡単な挨拶をしてあとは講師の方にマイクを渡す程度のことである。

 

まもなく始まりますので、携帯はマナーモードにしてください。
なお、講演中のポケモン採集は、ご遠慮ください。

 

これね、2回言って2回ともややウケしたよ。使えるのはあと半月位だと思うので、日ごろ司会業をやられている方は参考にしていただきたい。

3547声 夏が来れば⑤

2016年07月25日

この時期になると、日照りで暑い国道17号を横切り、当時暮らしていた学生寮から親父が入院していた循環器病院までを歩いたあの頃を思い出す。

 

母は車の運転ができず、前橋のその病院までマメに行くこともできなかったので、僕が親父のパジャマや下着を預かっては、寮の洗濯機で洗い、それをまた届けていた。

 

当時はまだ思春期をこじらせていて、将来について何の見通しも持てず、その時の親父は狭心症のカテーテル手術で、危機的状況でなかったのだけれど、家族含め皆不安で、やけに明るい踏切、カンカンカンという音が、なおさら僕を陰気にさせた。

 

 

もうじき、親父の七回忌だという。カテーテル手術から10年以上が経ち、そこそこ元気だった親父が心臓の調子でまたその病院に入院し、手術は一応の成功で安心したのもつかの間、術後の院内での自らの誤飲が肺に影響し、その数日後には亡くなってしまった。

 

管が入り話しもできない親父を見て、姉が泣きながら言った「お父さんがなんでこんな顏してるか知ってる?手術は成功したはずなのに、なんで俺はこんなことになってるんだ、って悔しいんだよ」という言葉が忘れられない。

 

毎年この時期になり墓参りなどをすると、親父について考えたりもするのだが、別れがそんな状態だったからか、今なおはっきり気持ちの整理ができない。ただ墓参りの日はいつも晴天で、手を合わせれば心の中で「俺はまだこんな状況だけど・・」という言い出しから始めることは、数年前から変わってはいない。