日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5077声 ピッカピカの高崎映画祭

2022年04月03日

先月末に行われた今年の高崎映画祭は、いままでと違って見えた。

 

その大きな理由としては「高崎芸術劇場」がメイン会場として使用されるようになったこと。高崎映画祭といえば高崎市文化センターの古く落ち着いたロビーを抜けて、重厚な扉を押して、受賞式の際などはこれまた昔風情のあるホールで俳優などを眺めるのが良いと思っていたが、時が変われば場所も状況も変わる。映画鑑賞のために初めて行く高崎芸術劇場を楽しみにしていた。

 

高崎駅東口からは、屋根付きの長い長い空中廊下(ペデストリアンデッキというらしい)で劇場まで歩ける。ビックカメラ方面の知った道の上をいくそのデッキを歩いていると、その辺を歩いていた思い出までも書き換えられていくような不思議な感覚だった。まだぴかぴかの劇場に入り、上映前に知人と建物内のカフェでお茶をした。

 

地元映画祭実行委員長もつとめる身として、高崎芸術劇場ホールでの上映は素晴らしかった。スクリーンは隅々まで適度に明るく、なにより音響が良かった。見た映画は後に書く『山歌』という一度別バージョンを見た映画だったのだが、以前は普通に見流してしまったあるシーンで涙が出そうになった。それは、姿は見えなくとも過去その山を歩いた人々の足音や声が聞こえてくるというシーン、つまりは音が大切なシーンだった。こういう体験は、劇場ならではだと思う。

 

上映が終了、高崎映画祭代表の志尾さんや監督らに挨拶をしたのは、ピカピカしたホールの出入り口だった。なんだかまだスタッフも映画祭もその場に馴染んでいない気がして(当たり前だが)35回を数える歴史ある映画祭が「新しい映画祭」のように見えた。それは悪いことではないと思う。規模や内容は違えど、県内で映画祭を名乗るもの同士、今後も互いに切磋琢磨していきたい。

5076声 もう体調が芳しくないなんて言わないよ絶対

2022年04月02日

ふと、このめっかった群馬にて「今何を考えているか」を書くとなった時に、「もう17時になるが昼に食べた天丼が消化できずに食欲がない」「ぼーっとしていると右腕が痛い、恥ずかしながらスマホのいじりすぎ」と、体調が芳しくないということが浮かぶようになった。めっかった群馬に僕が加わったのが何年前からなのかすでに思い出しもできないのだが(そして今、わざわざ過去の履歴を辿って確認する気力もない)、その頃には思いもよらなかった今である。

 

若い頃は、恋愛の話で盛り上がる/年月が経てば、健康の話で盛り上がる

 

みたいな話はよく聞く。20代の頃に、いい年をしたおじさんが(今思えば、今の僕と同じ40歳くらいの人ね)ランニングをしているのを見て「暇な人なんだなー、もっと仕事したり遊んだりすればいいのに」と思っていた時期があった。いや、その時のおじさんは「体を動かさねば、ごくあたりまえの日常も送れなくなる」ことに気付いていたのだ。ごめんおじさん、僕も走るよ・・嘘。

 

えいえいえーーいえい!!!そんな体調が芳しくない話を誰が聞きたがるのだ。別に同意や共感を求めたいわけでもないのだ。ここはもっと楽しい場所なのだ(ってわけじゃないけど、なんとなくね)。ということで、もう体調が芳しくないなんて言わないよ絶対。という一文はもちろん槇原敬之の「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」のパクリなのだが、あれ、当時「恋したいの?したくないの?どっちなの?」というモヤモヤを僕は抱えていて、そのまま放置していて、そして今、わざわざ歌詞を調べて確認する気力もない。

5075声 坂口さん

2022年04月01日

熱心な読者であれば承知のことと思うが、堀澤さん、抜井さん、すーさん、僕で回してきた「めっかった群馬」に、2月から坂口さんが加わった。抜井さんは現在他県、堀澤さんすーさん坂口さんは高崎、僕は1人吾妻であり、坂口さんとも何度も何度もお会いしているわけではないのだが、もう何年も前にはじめて会った際に「大人な人だなぁ」と思った記憶があり、その印象は今も変わっていない。

 

2月の投稿を読ませていただいた。坂口さん自身、都々逸(どどいつ)を嗜まれたりしているので流石に言葉の使い方が的確。印象的なのは、日々何かしらの新しいことや思うことを発見し書いていることだった。生活というものはある程度似た繰り返しになりがちな中で、その人が置かれた状況もあるが、その人自身が発見をしようとしているかどうかで精神的に豊かかどうかは決まる気がしている。そしてやはり、文章を読んでも「大人な人だなぁ」という印象は変わらない。「呪術廻戦」や「鬼滅の刃」といった大人な人が読むかどうかはわからないコンテンツが出てきたとしてもだ(ちなみに、僕は当然どちらも読破している)。

 

4月。姪っ子は大学へ進学せず、介護関連の会社に就職した。近くを見ても遠くを見ても生活の変化がくっきり見える時である。しかし、大人な人だなぁなどと呟いている僕がすでに42歳なのだ。姪っ子や、若者から見たら「いい大人もいい大人、日本語的には初老と呼ばれる年齢」である。どれだけ自己認識が幼いのか・・

 

そんな僕自身、大きく変わったこともあり、変わらないこともあり。4月だから初めて「めっかった群馬」を読んでいる、という方はほぼいないと思うが、よろしくお願いします。岡安賢一と言います。

 

5074声 花茶屋

2022年03月31日

三月尽。群馬の桜、平野部はそろそろ見ごろだろうか。前橋公園には花茶屋ができているだろうか。あの花茶屋に、いまも歌謡曲が流れているだろうか。見に行ってみようかしら。さて、明日からの担当は岡安さんになります。

5073声 修理代

2022年03月30日

ひねもす曇り。都内の桜は散り始めている。週末に句会に行きたいが、もろもろをすり抜けられるか。しかしながら、句会に行きたい、この桜の時期は特に。故障した自転車が電動のため、修理代がえらいことになった。

5072声 故障

2022年03月29日

曇りのち雨で春寒。いろいろやらねばならぬことが溜まっているが、桜も観たい。自転車が故障した。

5071声 花に躓く

2022年03月28日

晴れて春らしい陽気。都内さくらは満開である。桜を観ていると、どうしても人生上で躓いたこと、またこれから躓きそうなことなどに思いをめぐらしてしまう。なんだかざわざわする時期、である。

5070声 観桜

2022年03月27日

朝から用事を済ませて、近所の川沿いの桜を観に行った。桜並木は五部咲き程度だが、汗ばむくらいに晴れて、人出もあり花見らしい景であった。WEB句会の締め切りを忘れたが、この頭痛なので無理もない。この時期は人の句を選するよりも、自分の句を選していたい。ほとんど捨てることにはなるが、桜の句なのでそれもよかろう。

5069声 四百年の貫禄

2022年03月26日

春の嵐で雨風強い一日。毎月の定例句会。もちろん、吟行は桜。弘法寺の伏姫桜を観に行った。七分咲きといったところか。それでも、樹齢四百年の貫禄、十分に荘厳であった。数々の文人墨客もこうやってながめたのであろうな、と思いつつ、破れかかったビニール傘にしがみつきながら、指を折って句を作った。午後は句会で、私は振るわなかったが、参加者も振るわなかったようで、改めて桜の難しさを感じた。

5068声 軽く頭痛

2022年03月25日

低気圧のためか仕事のためか、おそらくその両方だと思うが、終日軽く頭痛。昨日誕生日が過ぎ、とうとう三十代が終わった。二十代が終わったときは、すでにこうやってここに書いていて、やっていることは変わらないが、生活環境はこの十年でずいぶん変化した。いろいろと、もういちど初心にかえるつもり。

5067声 行く舟帰る舟

2022年03月24日

晴れたが春寒の一日。朝、窓を開けたら鶯の鳴き声が通過していった。徐々に春爛漫、である。都内の桜は徐々に綻びはじめ、今週末などはまだ桜の花はちらほらだが、花見もちらほら行われるだろう。〈行く舟も帰りし舟も花めぐり〉などという句をだいぶ前に作って先の句集にも収録したのだが、私自身は舟で花めぐりをしたことがない。掲句は隅田川を行き交う屋形船を総武線の車窓から眺めていてできた。いつかは、屋形船、いや水上バスでも良いが、船上で桜を眺めつつ一杯やりたい。

5066声 強霜

2022年03月23日

晴れるが、寒い一日。朝、強霜が降り、氷などが張っていた。いろいろとすり減らせつつ、桜を観る余裕もなく帰宅。

5065声 春雪

2022年03月22日

雪交じりの雨で冴え返った一日。自律神経失調気味で頭痛やら胃腸の調子が悪いやら。列車には乗り遅れるし乗り間違えるし、Suicaは残高なくて自動改札にひっかかるしで、心と体のバランスがおぼつかない。吉村昭著「朱の丸御用船」を読んで寝る。

5064声 維持

2022年03月21日

所属誌の座談会のため、中野区へ。東京の西方面にはあまりなじみがなく、新宿より西の都内が久しぶりな気がした。連休中、高速道路などは混んでいたらしいが、都内の鉄道網は空いていて、今日も混雑はなかったように感じた。座談会は無事に済んだのだが、ギクシャクとした私のつたない話が申し訳なかった。改めて自分がもう中年であり、残されている時間もある程度見えてきたと、いう思いをひしひしと感じた。帰宅して緊張をほぐすため、という口実で空けた麦酒をいささか飲みすぎた。目標に向かって進みたい気持ちと明日止めてもいいという気持ちが二つある。そうでなければ、緊張感を維持できない。

5063声 小さな希望

2022年03月20日

曇りのち夜半より雨。昨日に引き続き寒さの戻った春の一日。三連休の中日というのに仕事をしていた。都内では開花していたとの報道を見た。たしかに、今日歩いていて、遠目にほころんでいるであろう桜が見えた。寄って見ることはしなかった。なんだか、もっとドラマチックな状況で「初花」に出会いたい、などと中年のおっさんが書くのも恥ずかしいのだが、そんな印象を持っているので、都内の桜は素通りしてきた。明日も所属している同人誌の企画で、遠内に出かける用事がある。明日こそは、初花と劇的な出会いがあるだろうか。そんな小さな希望も春らしい。

5062声 知ると見る

2022年03月19日

曇りのち夕方から本降りそして春雷。昨年刊行した句集が地元の俳句大賞に選ばれたので、その記事が載った機関紙が届いていた。今回は大賞というものに二作品選ばれ、その中の一つが私の句集でもう一つが大先輩の句集であった。作者は昭和十五年生まれ、句歴もおよそ五十年という円熟の域に達した俳人である。むかし、俳句初学のころなので、私が二十代後半に差し掛かろうかという時分のいま時期に句会があった。吟行はもちろん時節柄、桜であった。午前中にひとしきり作って、午後から句会というお決まりの流れ。参加者はお花見気分で紙コップのお酒など片手に、のんびりやっていた。私はというと、一人で硬くなり、頑なに酒なども口にせず、黙々と集中して句を作って句会に出した。結果は惨敗で、帰りの車に酔っぱらった俳句の先生や先輩連中を乗せて運転しつつ、たいそうほぞをかんだ。酔い覚ましに寄った喫茶店で、「なぜ私の句が共感を得ないのか」率直に俳句の先生に聞いた。私の句は悪くないのに、みな酔っぱらってしまって、正常な判断ができていないのかとさえ思っていた。その時に言われたのが、「桜は一年に一度咲く、お前が見たのは二十数回、でも今日の参加者は六十数回、七十数回、もっと観てきた人たち」と、いうような内容だった。つまりは、経験と修練のなせる技が私にはなかったのだ。それからは、作って作って作りまくって、花吹雪のように捨ててという繰り返し。百聞は一見に如かずというけれど、やはり「知る」だけでなく「見る」ことは大切である。浅学非才な身ゆえ、そして中年になったいま、確かにそう思う。そして、円熟の域に達した俳人の句に接すると、そう確信する。

5061声 綿毛

2022年03月18日

曇りのち雨。三月の週末というのはどこも卒業式らしく、卒業生と思しき制服の若者を町でよく見かける。今日も春休みらしきのグループとすれ違った。高校生だろうか。たのしそうでふとさびしげで、たんぽぽの綿毛のようで。

5060声 揺れ止まざる

2022年03月17日

晴れていたが夜半に通り雨。昨夜はほとほと肝を冷やした。福島県沖を震源とする最大震度6強が観測され、こちらは震度四くらいだったろうか。積んである文庫本の塔が崩れたくらいだったが、東北地方では新幹線が脱線したり、あちこちで被害があった。都内近辺は何事もなく平穏な一日であったが、神経が走っているのか、ちょっとした揺れにも十一年前の記憶が蘇る。十一年経っても、あの日あの時間から、心のどこかはまだ揺れ止んでいないのではなかろうか、とさえおもう。