日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5688声 俳句ing

2024年01月03日

今日は年に一度の俳句ing。コロナの影響等もあり、4年ぶりぐらいの東京開催。12時半に浅草雷門集合。「妻娘残し上京初句会」テンションの高まり抑えられない感じがにじみ出てしまっている。久々にひとこえ執筆陣とも再会し、参拝の後ホッピー通りへ。以前より圧倒的に観光地化しており、非常に混雑していたが、なんとか7人入れる店を見つけて尻を落ち着け句会。誰の句かだったか「初詣白髪増えたる面子かな」を実感。読む句も優しくなった。抜井師匠の特選は「初詣で最前列の小さき手」。これは堀さん作。餃子屋を挟んで最後は堀さんがセレクトしたナチュラルワインのお店「土着」。言い名前だし、適度におしゃれでカジュアルなワインバー。堀さん、ハイノの「方」チームセレクトのワインは間違いがない。ここでのお題は「水」と「幸」が入った句。「ヘレンケラー初の台詞はウォーター」は残念ながら選外。来年は選ばれるよう精進したい。

5687声 フリフリ

2024年01月02日

桐生より帰宅し大学ラグビー選手権で母校の試合を観戦。両校、強力FWで評判であったが、結果的には力で粉砕し圧勝。再来週の決勝が楽しみ。次こそリベンジ。夕飯は久々に家で食べた。娘はトイレなどで裸になるとお尻をフリフリして走り回る。やってはいけないことに抵触する面白さがたまらないようである。まぁこんな姿も一時なのでニヤニヤしながら眺めている。

5686声 令和6年元旦

2024年01月01日

今年は妻の実家のある桐生市で迎えた。妻に着付けをしてもらい、家族3人和装で近所のお寺に初詣。たまに着物を着られると気持ちもあがる。娘の着物姿も昭和な感じが良い。外は晴れては居るが風が強い。娘は早々に歩くことを拒否し、ベビカーで毛布にくるまれ、ひさしを自分で閉じて快適な移送手段を確保。最近イヤイヤ期全盛、2才児無双伝説は本等だったと実感する日々。知らないおばあさんに家族でお着物なんて素敵ですねと声をかけていただく。自分じゃ着られないんですけどね、と照れ笑い。参拝後、近所のFar CRybrewingでブロンドエールとセッションIPAを飲む。創業当時から2年ぐらいか、どんどん美味しくなる。ビア友だちとも偶然会い、新年の挨拶をしつつ思いの他長居してしまった。ここは広くて優雅で落ち着く空間だからゆっくりしたくなる。まぁ今年も家族を中心に美味しいビアが飲める1年になれば良い。

5685声 白切鶏 

2023年12月31日

SNSには書かない家族や仕事のことも、ここには書いてしまう。それはめっかった群馬にわざわざアクセスし読んでくださっているあなたが、僕の知らない人であろうという前提があってのことではあるが(知人にもわざわざ読んでくださっている方たちはいる。ありがとうございます)、人に読まれる前提で書いてはいるので、僕が誰かに向けて言いたいことなのだと思う。

近しい次姉が亡くなったことについては1ヵ月が過ぎた今でも実感が伴わず、49日以上の年月をかけて考えていくことなのだと思っている。

今月は酒徒著「あたらしい家中華」の料理を作る1ヵ月でもあった。今までに作ったのは

葱油蘿蔔絲(千切り大根の葱油和え)
蝦米蘿蔔湯(干し海老と大根のスープ)
黄豆拌青菜(大豆と青菜の冷菜)
涼拌胡蘿蔔絲(千切りニンジンの冷菜)
醋溜白菜(白菜の黒酢炒め)
乾隆白菜(胡麻だれ白菜)
蒜蓉炒西蘭花(ブロッコリーのニンニク炒め)
清炒藕絲(蓮根の細切り炒め)
葱油芋艿(里芋の葱油炒め)
山薬蛋花湯(長芋のかき玉スープ)
白油豆腐(四川式・豚ひき肉と豆腐の炒め煮)
肉末粉絲(豚ひき肉と春雨の炒め煮)
肉末蒸蛋(豚ひき肉の中華風茶碗蒸し)
小沙丁魚蒸蛋(シラスの中華風茶碗蒸し)
白切鶏(茹で鶏)
醉鶏(よっぱらい鶏)
客家干蒸肉(客家式豚バラ肉の蒸しもの)
開洋葱油拌麺(干し海老と葱油の和え麺)

長姉家族が来る明日の元旦に向けて何品か作る予定だが、白切鶏は今夜のうちに調理しておきたい。家族と過ごす方も1人の方も、温かい年末をお過ごしください。(以上、岡安)

5684声 同中飲み

2023年12月30日

年に1度、年末に地元の友人たちと飲む。中之条中学校の同級生だ。東吾妻町の知る人は知る名店「東風」に入ると、すでに5人が焼き台を囲んでいた。生中を1つ追加する。

タン、カシラ、ホルモンを焼き、はふはふと食べる。生中を2杯飲み終わったところでハイボールに切り替えたところ、店で飲むハイボールとしては過去一レベルで濃い。「いやこれすごい、水みたいなハイボール出す店多いのに」と1人興奮し、それを2杯くらい飲んだ後の記憶がおぼろげだ。

一応は、2件目に行ったことは覚えている(多分俺はずっと寝てた)。自宅に帰ってきて風呂に入ろうとしたら母親が入っていて、じゃあ待つわと炬燵に入って、目覚めた時は午前2時だった。いやー久しぶりだなこういうのと財布を確認したら、諭吉が減っていたので支払いはきちんとしたようだ。

そんな状態になれるのはもちろん、旧知の同級生飲みだからである(でも大人気ない飲み方したな)。ありがたい。でも残念なのは、「東風」のカルビは格別ご飯に合うので、ご飯も注文して、だけどそれを食べた記憶がないということだ(食べたのかもしれないし、食べなかったのかもしれない)。

5683声 こういう生き方

2023年12月29日

当時はそれほどたいした事と思っていなくても、後々になって思い出す言葉がある。

ずいぶんと前の事だが、僕の母校である日本映画学校の学生たちが中之条町の職人たちを取材した。何人か取材した中に陶芸家夫婦がいたのだが、その奥さんがぽろっと

「こういう生き方しかできなかったんですよね」

とこぼした。それは、会社つとめなどではなく陶芸家として自分なりにやっていくしかなかった、という話なのだが、聞いた時は特別記憶に残る話ではなかった。

最近、色々なことがあって自分の今までをぼんやり振り返り、今現在の不甲斐なさを反省・・というか呆然たる気持ちが沸いたりするのだが、では違う人生が良かったかといえばそうではなく、結局は

こういう生き方しかできなかった

と思う。謙遜や自虐というよりはむしろ、自己肯定でもあるんじゃないかな。来年はもっと・・と高望みはせず、もう少しはマシな生き方ができるようにしたい。

5682声 藁で焼くカツオ

2023年12月28日

ためた仕事を進めながら(これを書いている31日も、映像の書き出しをしながらこれを書いている、やれやれ)、年末らしいこともしていた。

この日は、現在山形芸工大で教鞭をとる小金沢智さんと、太田在住の写真家・吉江淳さんと僕の3人で年末飲みだった。小金沢さんは前職が太田市美術館・図書館の学芸員で、僕もそこの映像撮影を通して吉江さんと知り合った。ただの仕事の付き合い、ではなく、会えばアートや写真やそれ以外のくだらない話もできて、互いが互いの背を少し押しあえるような良い仲間だと思っている。

駅から歩いていける距離にある「居酒屋どん」でビールを流し込む。藁で焼くカツオがめちゃくちゃ美味しかった。だんだん席が埋まっていく店内には、1年の労をねぎるかのように酒を交わす人たちの熱気があった。

5681声 キーマカレー

2023年12月27日

来年のことにはまだ頭が1mmも動かないのだが、「温泉郷クラフトシアター」が来年も行われると聞き、その打ち合わせで中之条町役場に集まった。このイベントをざっくり説明すると、中之条町四万温泉を舞台にものづくり作家やアーティストが集まり、ものや作品を売るだけではなくむしろ「お客さんと一緒に作るワークショップを行う」というイベントだ。

鉄板を叩いてフライパンを作ったり、生地を縫い合わせてパンツを作ったり。その道のプロたちの指導のもと、自分が手をかけて世界で1つだけのものを作ることは、とても楽しい。中之条ビエンナーレがない年に隔年で行われており、僕は前回からパンフレットなどのデザインを担当している。

ざっくりした話し合いが終わり、ステンドグラス作家でありクラフトシアターのディレクター的役回りである舛田弘彦さんと2人、役場そばのつむじにある「スパイスわがんせ」に入る。ここの店主の麻衣子さんはヨガインストラクターも務めており、彼女が作るスパイスカレーは絶品かつ体に良い感じなのだ。この日は高山村さんのビーツがふんだんに入ったキーマカレーをいただいた。うん、健康な感じ(雑)。

舛田さんはこの日も僕に飯をおごってくれた。僕もたまーには飯をおごる立場になったが、ごく自然に飯がおごれる先輩はかっこよい。もちろんそれは、クラフトシアター僕もやれること頑張りますよ、という流れになるのだが。

5680声 スーパーのはしご

2023年12月26日

年末の買い出し。岡安家は、元旦になると長姉一家が訪ねてきて、姪っ子2人も加えてわいわいとお正月を過ごすことが恒例となっている。今年は不幸もあったのでおめでとう気分ではないが、元旦くらいは良いものを食べようと例年のように買い出しに出た。

今日は、たまたまだがスーパーのはしごをした。というか、吉岡町のスーパー状況は異常と言っても良いのではないか。長野県を中心に展開していた「ツルヤ」が出店したと思ったら、その道路向かいにどでかいヤマダ電機とビバホームのショッピングモールができた(そのモールの東側に「ジャパンミート」という食肉中心のどでかいスーパーが入っている)。そして、気づかぬ間にその道路向い奥にお正月の買い出しと言ったらここの「角上」ができていた。

まずは、全体として美味しいものが多い「ツルヤ」へ。まだ日が遠いのか、店員さんがかまぼこなどを並べている最中だった。1件目であることもあり、ふんふふんとそれぞれの値段を見ながら、でも結局いつも買うヨーグルト(「信州八ヶ岳高原ジャージーヨーグルト」の加糖のやつはめちゃくちゃ美味いぞ。買ってみて!)程度の買い物しかせず。

続いて、2度目の来店となる「ジャパンミート」へ。肉の赤と、店内装飾の黄色とがギンギラギンで僕くらいのおじさんには目がくらくらする。価格はとにかく安い、大量。揚げ物惣菜がどーんと乗った弁当が400円前後で大量に積まれていることから、そういう加工と売り方をしている店だということもわかる。マニアックな肉も売られており、元旦に向けて骨付きの大きな鶏肉が買いたかったので、それをピンポイントに、あとは適当に安くて良いものを買う。

続いて、「角上」へ。これもまた日が早いのか、それほど混んだ様子ではなかった(というか、これだけ大型のスーパーが乱立していてお客の取り合い状態では)。お目当てのまぐろの柵に冷凍がなく、でもそうすると生魚は買わないのでここで買わねば!なものを見失った。とりあえず、数の子や筋子(岡安家は雑煮に筋子を入れるのだが、全国そうだと思っていたその行為は親父がただそうしたかっただけのレアケースだということに大人になってから気付いた)を購入。

そして(ここまで相変わらずの意図があるかわならない長文)その3件を回ってくたくたになった我々買い出し班の目に留まったのが、その3つができる前からずっとここにあった「食の駅ぐんま」であった。ここまでくれば3軒も4軒も変わらんと、数年ぶりに中に入る。

すると、その店内にある〇〇さんが作った里芋、とか、パッケージもなく詰め込まれた切り餅などが・・輝いて見えたのだ。不思議なものだ。きんきんきらきら特売のお正月商品(あるいはそれに類似した商法)を見過ぎたせいか、土付きの野菜が輝いている。

改めて、小売りとは何か?に触れた買い出しだった。

5679声 ゲームボーイ

2023年12月25日

お呼ばれした食事会の席で、こどもがクリスマスにもらったというマイクロドローンを飛ばしていた。僕は操縦したことはないが、直径10センチにも満たない小ささできちんと飛ぶし写真(動画もかな)撮影もできるらしい。部屋の中で飛ばしたものだから、ちょっと注意されたりもして。僕も彼くらいの小学校の時に手に入れていたら、嬉しくてずっと飛ばしていたに違いない。ふと、プレゼントについて鉄板の自分の話をしたら、けっこうウケた。

僕が中学生になったころかな、初代ゲームボーイが発売された。まだ画面は白黒ながら、あの小ささで(今思えばわりとずっしり重いのだが)カセットを変えるだけで色々なゲームができることは神であった。それで、僕は誕生日が12/7、クリスマスと近いため、誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが混合されるようなこともあったような気がするのだが、ゲームボーイの存在をしり親に「プレゼントにはゲームボーイを買ってくれ」と懇願した。結果・・

親から告げられたのは「2年分の誕生日プレゼントということにしよう、だから来年な」という衝撃の内容。で、実際そうやって1年間はお預け状態で待ったような記憶がある。もらった後、昼も夜も猿のようにゲームボーイを話さなかったのは言うまでもない。

・・あれ、文面で書くとあんま面白くないな、大丈夫ですか?口上だと状況によっては大爆笑なんだけどな・・少しは面白いですか?

5678声 美味しくご飯を食べられること

2023年12月24日

先日の焼豚の会に続き、またご飯会にお呼ばれした。「すき焼きやるらしいんだけど、来る?」と誘われ、断る理由はなかった。

すき焼きはもちろん美味しくて、とても良い時間を過ごした。運転の心配はなくても酒はほぼ飲まずにいたが、食事会も終わりまったりしてきた時間に、僕は先月亡くなった姉のことを話していたように思う(ように思う、というのは、これを書いているのが30日だからだ)。誰に対しても話したいということはなく、この時席を一緒にした福島誠さんに対してなんとなく話したくなったのだと思う。

「間質性肺炎で肺の一部が機能しなくなり、姉は残った肺で呼吸をしていた。一番つらい時(最高量の酸素を管で吸引していた時)は、看護婦から、高速道路を走りながら窓を開けて風を受けながら呼吸しているようなものだ、と聞いた」

という話をしたことは覚えている。姉は長い時間、本当に頑張った。その場にいた人たちは何か特別な返しをするでもなく、優しく聞いてくれたように思う。僕はまだ、看護婦からその話を聞いたあの病室の空気感を覚えているが、それが時間と共に感じられなくなっていくことはわかっているし、まだきちんと向き合っていない気もする。だから誰かに話をしたい、という事はないのだが、この日はそんな気分だったのだと思う。

美味しくご飯を食べられること、以上に大切なことは、ない。

5677声 フラメンコ

2023年12月23日

年末、終えられていない仕事を終えることを淡々と続けている。映像編集は、気を抜かなくても溜まってしまう仕事だ。今日は、吉岡町のフラメンコ教室「スタジオ・グラシア」を訪ね、今年7月に撮影した発表会の映像の最終チェックを行った。

この教室を取り仕切る宮田恵さんはパワフルかつ繊細に事や人を見る方。僕が関わっている「秋、酒蔵にて」でフラメンコを踊っていた宮崎亜由美さんもここの教室で教えていて、彼女からの紹介で撮影をするようになったのだと思うが、今年10月に東吾妻町の「Serenite」というカフェで行ったイベントでも、宮田さんが踊るという一幕があった。宮田さんや宮崎さんに限らず、あまり意図的ではないけれど縁が続く人、という人が僕にはわりと多くいる。ありがたい。

宮田さんは、イスラエルやパレスチナで暮らしフラメンコを教えていた時期もある。今の時事的な話でもあり少しお話を聞いたのだが、「元はイスラエルで教えていたが、パレスチナのひどい状況を見て、パレスチナに移った(2009年頃の話)」という事をさらっと話していて、僕は貧弱な想像をするのが精いっぱいであったけれど、彼女の芯にあり続ける強いエネルギーのようなものを感じていた。

僕はふと「フラメンコの撮影をしていて、不思議なことに、大きなホールの一番後ろのカメラがある僕の席まで何かが届いてくる瞬間があるんですよね。踊り手によって」ということを話していた。エネルギーを感じたとかさっき書いたが、僕は昔からスピリチュアルなものは感じない体である。でも、そういう瞬間はあるのだ。宮田さんは、長いことお待たせしてしまった状況に嫌な顔ひとつせずに送り出してくれた。ありがたい。

5676声 ドローンで戻ってきた

2023年12月22日

映像制作の取り組み方も、色々なパターンが増えてきた。相変わらず、自分1人で撮影・編集をするスタイルが多いが、今年は「tokyoFMと共に提案内容を考え、県の仕事としてりんごのPR映像を、お笑い芸人のスギちゃんをレポーターに制作する」などという仕事もあった。映画に比べれば全然少ないスタッフであるが、それでも演出・編集の僕以外に、撮影の角洋介くんと録音の渡邉玲さんに参加いただき、FMスタッフ4人も加えての取材となった。自分1人で抱え込まない仕事は今後も増やしていきたい。

さて。夏以降色々あって、ざっくり言うと自信を無くしていた。生活に対しても仕事に対しても。表面的には一応こなしつつ、しんどいなと心が弱ると、40代なかばという体の動かなさが自身のなさに追い打ちをかける。

今日は、もう長いお付き合いになってきた福西敏宏さん(福西さんとは今年、彫刻家・三輪途道さんを中心とした、目が見えない方たちの社会協働を進める団体メノキの映像記録でお仕事をした)からの依頼で、道の駅まえばし赤城とその周辺でドローンなどを使ったPR用映像の撮影を行った。この仕事においては、僕は純粋に撮影のみである。電動機付き自転車がこのルートを走るなら、ここで待ち構えてドローンを上げるとか、臨江閣でワークショップをするからこの角度からなら和座敷っぽさが出るぞとか、余計なことは考えずに撮影に没頭した。

そして、1日が終わるころには、なんとなく自信が戻ってきた。相変わらず単純だなと思いつつ。カメラを通さずとも榛名山に沈む夕日の色が鮮やかに見えた。

以前ふと、「対人関係で疲れた心をいやすのは、結局は対人関係」と思ったことがあったものだが、「仕事でなくした自信を戻すのは、結局は仕事」ということだろうか。

5675声 牛丼屋の変化

2023年12月21日

数か月前、前橋インターそばの吉野家に入ろうとしたら・・営業していない。牛丼ラバーの僕なので「ガーン閉店!?」と思い動揺をしたら、そうではなくて改修のための一時閉店だった。そして今日、数か月ぶりにその店に入って・・様変わりした店内にまた少し動揺・・

松屋などではおなじみのスタイルかもしれないが(あと、別の吉野家に行って似た形式の店はすでにあったが)、完全に「店員が少なくても店が回せるように、最大限に効率を考えた配置となっていた。寿司屋のカウンターのような長い机に皆で腰かけて中央に店員がいて牛丼を提供するスタイル、は過去のものとなった。

レジへ行き、注文をするとブーっとなるブザーを渡される。お客は僕以外にいなかったので、すぐに牛丼が提供された。それをレジで受け取り、紅ショウガなどがあるコーナーに行き、紅ショウガを乗せる。客席は、1~2人が食事できる小さな机がいくつも置かれていて、家族連れで来たら自分で机をくっつければ座れる。もくもくと牛丼を食べ終え、お茶がないことに気づき、紅ショウガコーナーで行く。プラスチックコップを手に取り(なんと!吉野家と言えばあの重い湯飲み、も過去のものとなった)ぽちっとお茶を注ぐ。すぐに飲み終えて、空になった丼と共に返却コーナーへ返却する。

値段は僕が良く通っていた時より200円くらい上がったが(それは時代ゆえ仕方ないとしても)、味は昔も今も変わりない。が、なんなんだこのやるせない気持ちは。

そうか!と。僕は、牛丼そのものも好きだが、あの、寿司屋のカウンターのような長い机に皆で腰かけて中央に店員がいて牛丼を提供するスタイルが好きだったのだと気付く。僕も、バリバリ働いてきた感じの労働者のおじさんも、腹を空かせた学生も、横並びになって牛丼を注文し、店員さんが熱いお茶を重い湯飲みで持ってきてくれるあの雰囲気込みでの、牛丼好きだったのだ。そういったものは、無くなってから気付く。

でも、味が好きだからたまには行くだろうな今後も。

5674声 4人集まれば

2023年12月20日

詳しいことはまだ書けないのだけど、吾妻在住の4名で来年「新しいことをしよう」と集まるようになった。本にまつわること、くらいは漏らしても良いだろうか。僕は全然読書家ではないが、ありがたいことに細々と取材をして書き事をする仕事も続いており、書くことは映像やデザインと並んで仕事でもあり、やりたいことにもなった。そして、僕以外の3名はきちんと読書家である。その面子であれば、互いが持っていない良いものを共有できそうだ、という期待もある。今日は、中之条町つむじのカフェに集まり、1月からの展開などを世間話多めで話した。

姉が亡くなったり個人的に大変な思いをした直後、「自分が残せるものは何だろうか」ということを考えていた。仕事としては、伝える仕事であると同時に残る仕事でもあるので、今まで携わった映像などは残るものではある。長年続けてきた「伊参スタジオ映画祭」活動も、具体的に何とは言いづらいが後世に何かを残す活動だと思ってはいる。その一方で、仕事やそういった活動ではなく、ただ生活すること、身近な人と過ごす時間も、例えそれが子どもを持って育てるという事ではなかったとしても残す行為なのではないかと思ったりもしている。

まだ仕事ではないし、ただのプライベートというわけでもないこの4人の集まりが、誰か何かのために大切なものを残すことに繋がったら、とても嬉しい。

5673声 焼豚の会

2023年12月19日

思いがけず、焼豚の会にお呼ばれした。北軽井沢在住で絵本の挿絵も描いている方で、行く前から「料理もうまい」という話は聞いていた。北軽井沢は長野ではなく群馬の県境にあり、軽井沢ほどリゾート化はされていないが別荘は多く点在している。そんな中には不意にウイスキーの醸造所があったり、作家や芸術家が住んでいたりする。知り合う人がみな、時間や何かに追われる都会人とは逆にあるようなゆったりした人が多い気がして、それはそのまま背景にどでんとそびえる浅間山の影響もあるのかもしれない。

僕は僕で最近はまっている本を参考に、大根の前菜と人参の前菜と小松菜の前菜をこしらえて持参して行った。出された料理は焼豚をふくめ、出てくる料理すべて美味しかった。調味料は極力使わずシンプルな味付けでがモットーとのことで、他にも春雨炒めなどをいただいた。それらを食べてもしやと思ったら、この方もまさにその本、酒徒著「新しい家中華」は読んでいるという。きちんとお話するのははじめてだったが、「料理を作り、食う」という行為が主だったこともありいい時間が過ごせたように思う。参加者のうち酒飲みは3人で、終わりの頃にはワインを5本開けていたらしい(最後の方は何本目かわかってなかった)。

公私共に北軽井沢によく通うようになって2~3年。ようやくこの土地にいる自分も自分であると思えるようになったと言ったら、おおげさか。

5672声 酒の味を知ったのは

2023年12月18日

中之条町の老舗割烹「金幸」の主人、馨さんが亡くなった。僕が小渕恵三元総理大臣を見たのはこの金幸だったように思う。小渕さんを含めた地元の盟主や有力者はここに集まっていた。大広間は100人近くは入れる広さだったか、冠婚葬祭の宴会もよく行われていたように思う。

学生時代、友人のYから「金幸でバイトしない?」と誘われた。料理を作ったり接待をしたりは無理だが、半地下一階のような厨房から2階の各宴会場まで、大人数の料理を運んだり、板の間や畳のただっぴろい建物の清掃や机やざぶとんの準備などはとにかく時間と体力の勝負だったため、僕らのような若い男子が求められていた。とにかく体を使った記憶がある。宴会の最中などはむしろ僕らは休憩時間で、客の入らない小さな部屋でバイト学生同士、たわいもない話をした。

まだフードロス、という言葉も聞かなかった昭和の時代。宴会料理や飲み物は余ることが常であった。仕事の合間にはたんとご飯も食べさせてもらったように思うがそこは育ちざかり、すぐに腹が減った。お客が残した海老の天ぷらなどを隙を見てつまんで食べたように思う。馨さんが大きな蒸し器で蒸し上げる茶碗蒸しは絶品で、こちらは蓋つきであったし、宴会場から残って下げて手つかずのものはなんとなく公認で食べて良い雰囲気があった。多い日では4つ5つの茶碗蒸しを胃に流しいれ、また掃除のために階段を上がった。

日本酒は地元の酒、貴娘と、一般的な黄桜を扱っていたと思う。寒くなると燗で出すことも多く、未成年の僕はどれどれと日本酒も舐めてみた。今と違い貴娘は美味しくな酒で、甘くてベタベタしてくわっとアルコール感があった。その後、良い年になって良い日本酒を飲むまで日本酒嫌いだったのは、この時の体験があったからだと今にして思う(貴娘は今はとても美味しいお酒になりました)。

今年は何かと葬式の多い年だった。地元商店会の会長もつとめ、お元気な時は少年野球チームの指導にもあたった人であった。たいへん、お世話になりました。

5671声 留まっている

2023年12月17日

今日は本心では東京へ行って、以前から関わりのある日本画家の展示を見て、以前関わった自主映画の1日限りの上映会に行きたかったのだが、待たせている仕事も幾つかありそんな場合ではないなと1日会社に籠ってPC作業をした。

おかげで1つ仕事は終えたが、最近なんとなく気持ちが上向きにならない。先月は、家庭の事だったり仕事のトラブルだったりであちこちを行き交い、心的にも非常に辛い思いをした。それらは僕自身の努力ではなく外的要素により不思議なまでに収まり、心的ストレスは各段に軽いはずなのだが、身だけではなく心も留まっている。

単に睡眠不足かも。こんなことをつらつら書かずにPCを閉じて帰って寝ることにする。