日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成30年前半は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

3913声 不調

2017年07月25日

堀澤さんや抜井さんの投稿における「体調が悪い」という書き込みは、統計をとったわけではないけど年々増していると思う。すーさんはあまりそういうことを書かないけど、多分実感はしているはずだ。

 

三年前くらいは堀澤さんの書き込みを読んで、その日ごとに体調の良し悪しがクルクル変わるなんて、そんなことあるのかと思っていたけど・・僕もついにそれがわかってきた気がする。ここのところ何がというわけではないのに調子が出ない。

 
理由はいくつか挙げられるけど、それよりもこれは僕という容れ物が今までのように無自覚では保てない、という始まりだと思ったりする。対策もいくつか挙げられるけど、万全ではないという状況を受け入れるしかない気もする。

 
そうであれば堀澤さんに習うならせめて、「機嫌良くいる」ことを心掛ければ良いのだろうか。

 
めっかった群馬を追っていると、先をいく諸先輩方の体調の変化で自分のこれからを予測できる。正月みんなで行く「お気楽俳句ing」の行き先が巣鴨になったら、もう元には戻れまい。

 
あ、抜井さん俺よりずっと若かった。
ああいう人なので、時たま、忘れる。

3912声 坂道を下る

2017年07月24日

一つは、日本はもはや工業立国ではないということ。もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。

 

・・という、読む人によってはショッキングな語りから始まる平田オリザ著「下り坂をそろそろと下る」。中之条町に昨年オープンした落ち着きのある手芸カフェの「うたた寝」で、この本の読書会を開いた。

 

読書会。自分の人生でほぼない言葉だ。日本映画学校在学時に、当時の橋本先生が「映画を志すものは映画だけ観てちゃだめだ、本を読めぃ!」とのことで、クラス全員にカフカ著「変身」を読むことを課せ、公園で円になって感想の言い合いをした以来である。

 

冒頭の一文だけだとすごい落ち込む本かなと思いきや、劇作家である平田オリザさんが書くこの本は、過疎化少子化が進む地方において深刻なのは「文化に触れられるかどうかの格差」であり、詰め込み教育ではなく柔軟な発想ができる教育の必要と、若者がUターンIターンしてきたくなるような町づくりの必要性を説いている。

 

もとは、「うたた寝」オーナーのそねさんの旦那さんの原澤さんが平田さんの講演を聴き、僕がFBで「平田さんの本、いいっすよね」と発したことで行われた読書会であった。参加者は少なかったけど、その誰もが「一度中之条町などの地元を出て、県外で暮らしてから、また戻ってきた」メンバーだったことが印象的だった。外を見て内を見て、今何をしているの、さてこれからどうするか、そんな話をゆるりとした。

 

読書会は終わり、見た目だけはそれらしく付箋をべたべた貼った「下り坂をそろそろと下る」を見て、橋本さんの教えに反して僕は本を読まなかったなぁと思った。

 

だから僕はずっと、坂を上れないのだろうか。大事だよ、読書。

3911声 ビエンナーレができるまで

2017年07月23日

中之条町と聞くと、最近であれば「チャツボミゴケ公園」や「芳ヶ平」といった自然観光や、僕が長年スタッフをしている「伊参スタジオ映画祭」などもあるが、一番知られているのは「中之条ビエンナーレ」ではないかと思う。

 

2年に1度のアートイベント。今年は9/9からの開催で、150人を越えるアーティストが参加し、使われていない木造校舎や酒蔵、町のあちこちに作品を作る。今年は例年以上に海外作家が多く、13を越える国からの参加ということで、各会場ではすでに英語やタイ語が飛び交っているらしい。

 

僕はスタッフではないのだけれど、2011年よりジョウモウ大学の企画として「ビエンナーレができるまで」という、会期中は見ることができない作家たちが作品を作っている現場を巡るツアーのコーディネーターを努めてきた。そして今年も、8/12(土)にそれを開催できる運びとなった。参加はなんと無料です。

 

中之条ビエンナーレとわりと近くで関わってきて思うのは、作品そのものが主役ではあるものの、それを作るアーティストこそ尊いなーということ。世の中が不安定な今、あえて「アートを作る」ということを選択した彼らには、「表面的ではない本当のこと」を見つめるまなざしがある。その幾人かと知り合い会うようになったことは、僕にとってとても大切な意味を持つ。

 

ジョウモウ大学×中之条ビエンナーレのツアー、絶対おすすめです。当然僕もいますので、気軽にご参加ください!

中之条ビエンナーレができるまで(4)アート誕生の瞬間を旅しよう

3910声 すれ違う人々

2017年07月22日

僕が務める会社がある東吾妻町原町は、今日が祇園祭。

 

自分はさて置いておいて、いつもは「腹が出てんなー」と、心の中で突っ込んでしまうおじさんも、祭り衣装に着替えると腹の太さが格好良く見える。

 

祭りの音から離れ、中之条町を走っていると、丸坊主で柔道着を着た少年がバイパスを走っていた。こちらもまんまるで顔は真っ赤っ赤。僕も習った林昌寺の練習に出ているのだろうか。ふと、まんまるだった自分自身を思い出す。この時期いつも赤い顔をしていた。

 

さらに、車があまり通らない山道を行くと、中之条っぽくないおしゃれな着こなしをした青年が、大きなドラムバックを肩に道を歩いていた。この時期なので、東京あたりへ一人暮らししている学生が、山間の実家に帰ってきたのだろうか。

 

すれ違う人々と、夏が重なる。

3909声 とんかつほづみ

2017年07月21日

中之条駅前にその店はある。名は「とんかつほづみ」。

 

お世辞にもきれいな店とは言いがたい。畳のテーブル席2つ、2人用のテーブル席1つ 、狭いカウンターは3人が限界。8人も入れば夏場、狭い店内はぎゅうぎゅうで居心地 は良くないだろう。

 

この日はしかし、僕以外にも夏休みに入ったばかりの高校生が4人ほど、とんかつ定食 やらーめんをせっせと胃袋に流し込んでいた。そう、この店は中之条高校を筆頭に、中 之条の学生たちに愛される地元ならではの店なのだ。

 

この「ほづみ」も加盟する、伊勢町むつみ会という商業組合の地図を作ることになった 。今までの地図を見せてもらったが、住所と電話番号と1行の説明のみのお世辞にも「 手に取りたいもの」ではなかった。ので、38件くらいある店や事務所を1件ずつ訪ね、 その見せ方にも手間をかけたものを作る提案をした。高崎や前橋なら、この提案はしなかったと思う。僕が生まれ育った地元だから、そこまでやろうと思 った。

 

目の前に「カツカレーラーメン」が置かれた。若者の胃袋を満たすためだけに生まれた ような全貌だ。この店では高校生以下100円バックという「学割サービス」が残っている ため、学生であれば500円でこれを食べられる。

 

完食できた僕は、まだまだ負けへんで。でも、おっちゃんに取材っぽい世間話をすると 、ラーメン5玉食べる学生もいるんだとか。若さって、ニアリイコール胃袋だな。

3908声 ガリガリくん

2017年07月20日

運転の眠気覚ましには、アイスがいいよ。

 

長くモノを運ぶドライバーをしているおじさんから教えてもらった。確かに、どんなに眠くてもアイスを食べるとその冷たさ(と、多分甘さ)で目が覚める。食べ終わればすぐに眠くなるし、そもそも眠い時は運転ダメ絶対なのでそれほどお勧めはできないが、多少の眠気ならごまかせる。

 

暑い日が続く。高崎からの夜道の帰り、ふと「ガリガリくん梨味」と「ノンアルコールビール」を買い、ガリガリとアイスを食らってはグビグビとノンアルコールビールを飲んだ。どちらもそれだけではそれだけのものだが、相性が良いようでなんだか「ハイテンションなロックンロールを大音量で聞く」ような味だった。そんな傍若無人なマリアージュがあっても良いのではないだろうか。

 

帰宅。トイレに駆け込んだ。お勧めはできない。

3907声 倒れてみる

2017年07月19日

今朝、新聞代配中にバイクを倒した。スタンドの立て方が甘かった。朝の6時前だというのに野良着を着たおばあさんが心配して近くに来てくれた。

 

バイクを戻しながら
「お騒がせしました。早いですね」
「8時過ぎると暑いからさ、4時起きで畑行くんさ。新聞ご苦労さんだね」
「お互いご苦労さんですね」
とたわいも無い話をした。

 

なんだかそれが嬉しくて、そういえば面と向かって心配されることも少なくなったなと。それは僕がしっかりしてるわけじゃなくて、倒れまいと取り繕ったり、倒れたとこを人に隠したりしているな、と。つまりは、大人になると、無意識に失敗を人に見せなくなるのかな、と。

 

そんなことをぼんやり考えながら帰宅。朝忘れた線香に火をつけて手を合わせた。今日は父の命日だったのだ。

 

この時期、パンツ一丁の情けない格好で畳に横たわり巨人戦を見ていることはよくあったけど(巨人戦が映画になっただけで俺も変わらん)、僕の前で失敗やしんどい話はしない父だった。それで人の良さばかりが記憶にあったけど、

 

父から学ぶべきは、二十歳前から40年近く勤め上げた魚屋が倒産し解雇、その事の恨みつらみを言うわけではなく、ゴルフ場の管理人として黙々と仕事をした、そんな「倒れてからの立ち上がり方」なのかもしれないな、とふと。

 

まだまだ敵わん。取り繕わず、人前や自分の子供の前で思い切り倒れてみることも、大切かもしれないね。

3906声 蟻

2017年07月18日

布団の上でゴロゴロしていたら、足に痛み。

見ると、蟻が噛んでいた。手で払う。

えー、蟻かよ、自分ちの中でかー。

 

僕は調子に乗りやすい性格なので、

机の足に小指をぶつけたり、

低い入り口にそれでも頭をぶつけたり、

何かしら痛いことがあると

 

「これは何かの暗示かもしれない」

「おまえ最近調子に乗ってないか?」

 

と思うようにしている。

いい大人になると痛みを伴うことは希なので、

ちょうど良いタイミングであるとも思う。

 

蟻に噛まれたかー。

最近仕事進んでないもんなー。

生き生きしてる人の中に入って自分までそうなった気でいないかー。

など、瞬間振り返り、

 

・・今日は甘い菓子パンを食べ過ぎたから、足も甘かったんだろう。

というよくわからない結論に至った。意味のない習慣だなー。

3905声 映画の旅2

2017年07月17日

伊参スタジオ映画祭研修旅行と言っても一番大切なのはスタッフ感のコミュニケーション。昨晩は伊参スタジオ映画祭が行っているシナリオコンペ「シナリオ大賞」で昨年上映した『ひかりのたび』という作品の監督・澤田サンダーさんも飛び込んでの飲み会。その後は近くのカラオケで映画『月とキャベツ』主題歌、山﨑まさよしさんの「one more time, one more chance」をみんなで合唱のコース。楽しかった。

 

一度聞いたら忘れられない名前、澤田サンダーさんは映画監督ながら岡本太郎現代芸術賞入選などという不思議な経歴をもつ人である。彼が伊参に応募した『ひかりのたび』という脚本はその年のグランプリを獲得。審査員をつとめた作家の横山秀夫さん(「64」など)も「他の作品を抜きんでている」とこの脚本を支持した。そして、ほとんどのシーンを中之条町で撮影されたこの映画は、他の並々ならぬ海外映画も集まる「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」の長編コンペティション部門にノミネートという快挙を成した。研修旅行2日目は、その上映に参加するという、まさに「中之条で誕生した映画のハレの日を体験する」一日だった。

 

川口市にあるSKIPシティは、映像スタジオも完備した映像複合施設。その映画祭もまた、国際映画祭を名乗るだけあって海外からのゲスト・来場者、根っからの映画ファンも多く、素敵な映画祭だった。そこで上映された『ひかりのたび』。僕もこの映画が持つ作家性・凄みについてはシナリオが選ばれる前からピーチクパーチク興奮して話していたので、ここで話すときりがないから割愛。・・なんかそこまで言われたら気になるじゃん、というあなた、『ひかりのたび』は9/16から新宿「K’sシネマ」にて公開されるので、ぜひそこまで足を運んでください。

 

美味しい食べものと何気ない話し、その間に間に「映画」を挟んだ今年の研修旅行はかなり充実していたと思う。第17回伊参スタジオ映画祭は今年も11月の開催。それまで、スタッフみなさんや町の人々の力を借りながらいい映画祭を目指します。ぜひここ中之条町まで足を運んでください。

 

3904声 映画の旅1

2017年07月16日

伊参スタジオ映画祭の実行委員長になって数ヶ月が経った。今までとの違いは、会議の時に司会的な役割を演じることと、そもそも会議をサボらないこと。ほんとはもっと色々やらなきゃいけないのだけど、そういう基本的なことから始めている。

 

数年やっていなかった「研修旅行」を今年再開できた。今日明日の2日間、映画祭スタッフ有志と共に旅に出る。今日は、伊参スタジオができるきっかけになった山崎まさよしさん主演『月とキャベツ』のもう一人の主役、真田麻垂美さんが本格的に女優活動を再開した主演映画『心に吹く風』を見に、新宿武蔵野館へ向かった。北海道美瑛町が舞台のこの映画、監督はなんと「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督である。今日は『月とキャベツ』監督であり伊参でもシナリオコンペの審査員を務めてくださっている篠原哲雄監督と真田さんとのトークもあり、一緒に行った映画祭スタッフのテンションも上がる一方だった。

 

『心に吹く風』は、20数年ぶりに高校の時に淡い恋愛をしていた男女が会う。女はすでに結婚している。ふたりは見渡す限りの丘が広がる美瑛町をさまよう・・・という、静かでピュアな物語だった。真田さん曰くユン監督はこれが初の劇映画だそうで、日本であれだけブレイクした冬ソナの監督が多分何年も温めた映画への思いで、こんな淡い恋心の映画を作ったということに、執念みたいなものを感じずにいられない。そして『月とキャベツ』の後、20年の年を経て再びカメラの前に立つ真田さんにも、想像できない不安や覚悟があるものと思う。そんな彼女を応援する篠原監督をはじめとする月キャベスタッフ(松岡プロデューサー、上野カメラマンなど)もいて、そのあたりには映画そのものだけを幾重にも包む人の関係性、豊かさを感じる。

 

2017年の今、物語を物語ることに何の意味があるのだろうか。ただ娯楽を得るためだけならそんな事考える必要もないのだけれど、スマホ片手にごく簡単に映画が観られる時代である。だからこそ、その出発点から映画を考える、作る、応援する必要があるのだと思う。・・あ、なんか俺、実行委員長っぽいかな。そう書く時点でまだまだだな。

3903声 たよりないもののために

2017年07月15日

ここ数年、同じ人の曲を何度も聞いている。

 

たいがいは、そう言っても2,3年すれば別の人の曲を聞くのだけど、寺尾紗穂さんの曲は、聞かなくなる日が来るのだろうか、という位聞いている。昨年は「山形ビエンナーレ」ではじめて彼女の生歌を聞いた。路上生活者からなる舞踏集団「ソケリッサ」とのライブ。全国を渡り歩き日本の童歌をアレンジしたアルバムも出した寺尾さん、他のミュージシャンがやらないことをやるということで、芸術祭でのライブに呼ばれることもあるのだろう。

 

作詞作曲ピアノの弾き語り。高く澄んだ声なので、耳障りが良いということもある。軽く聞いただけでは聞き流される音楽かもしれない。でも彼女の歌には聞いた人のそれまでの人生のどこかをノックする強さがある。そして最近出た新譜「たよりないもののために」もまた、自分の中の何かをノックして止まない。

 

疲れ切った仲間が

舞台をおりていくよ

舞台なんかないって誰も叫ばない

演じることがすべてなんて

そんな真実いらない

正直だった者たちの

ダンスは続いてる

 

3902声 変な天気

2017年07月14日

ザーザー雨降りなのに、晴れている。

 

心は散々泣いてるのに、笑顔でいる。

 

どちらも嫌いじゃない。
後者はむしろ、惚れるかも。

3901声 建物は生きている

2017年07月13日

この春オープンした太田市美術館・図書館。太田駅から徒歩2分。建築家・平田晃久さんによるその奇妙な建物の中には、美術館と図書館が共存している。なだらかなスロープが3階まで続き、点在する図書スペースの間に間に美術展示室がある。そう言われてもわからない方は、以下の動画を見てください。

 

開館記念パフォーマンス「オオタドン」

 

淺井裕介「太田の根っこ」 short ver.

 

縁あって、開館記念パフォーマンス「オオタドン」と、国内外の芸術祭で活躍する淺井裕介さんによるワークショップの様子を撮影させていただいた。両方に共通するのは、その奇妙な建物をフル活用すること。その様子はまさに、出来立ての建物という体内に、血球が流れたり血管が張り巡らされるようであった。それを経たから、太田市美術館・図書館はこれから歩いていけるんだと思う。開館記念展「未来への狼火」は7/17(月・祝)までの開催。本もいい本がざっくざくあるし、喫茶店のソフトクリームはほっぺた落ちるなめらかさなので、まだ行っていない方はこの週末、ぜひとも行っていただきたい!

3900声 サンキュー

2017年07月12日

3900声である。このコーナーは1年365日365個更新されているはずなので、365で割ってみたら、もう10年以上もやっているんですね。そんな書き込みがあって見落としていただけかもしれないけれど。

 

桃栗3年、柿8年。最近(でもないか)入ったばかりの僕が言うのもなんだけど、よくも続いたものだと思う。正直な話し、これを書くことによって僕たちにお金が入るわけでもなく、やってみるとわかるのだけれど1日に1つ何かを書くのは面倒だったりもする。けれど。3900に合わせて「サンキュー」とこじつけてみるなら、こうやって人に読まれている(らしい)文章を書くということは「自分が今何をして何を考えているか」がわかるよい機会だったりする。そう、ただ暮らしているだけでは、自分が何をしていて何を考えているかも実は良くわからないのだ。僕だけ?

 

であるからして、「めっかった群馬」への投稿の機会に対し「サンキュー」と言ってみる。・・やっぱり無理があるな。であれば、こんなはっきりしない投稿に対して最後まで読んでくださったあなたに「サンキュー」と言ってみるか。これには、無理がない。サンキュー。

3899声 適当食

2017年07月11日

ここ数ヶ月、外食をのぞいて夜、炭水化物を食べない。それがどれだけ体調や体重に影響しているかは定かではないが、翌朝体が軽かったりするから、あの22時頃帰宅してはパスタをむんずと束で掴み山盛りの量を茹でて食べていた頃には戻れないのかな、と思う。

 

必要ないと言ってあるので、家に帰っても夕食はない。今頃は、帰るとまずビールを空けるか安いボックスワインをごくごくと飲んで、それからガス台の前に立つ。今夜は、ワインをごくごく飲んで、フライパンにオリーブオイルをしき、粗みじんにんにくチューブを絞り出し、ヤオコーで売っていた本マグロの捌いて余ったとこ(加熱用)98円を並べ入れ、ジュージュー焼いて、ワインをごくごく飲んで、野菜も欲しいなと冷蔵庫からズッキーニを取り出し、火の通りが間に合うように2mmくらいの薄切りで切って入れ、塩を振って、なんかそれらしくなるかなと赤ワインを入れて、まぐろだからと醤油を垂らし、フライパンに箸を指してズッキーニをつまみ食いし、ワインをごくごく飲んで、もしかしたらアリなんじゃない?とバターを少し落としてみた。

 

結果、何の統一性もなく調和もなく、何より見た目がかなり酷い、よくわからない食べものが出来上がった。皿に移し、グラスにワインを注ぎ足し、パパッと食べた。こういう時間が、かなり好き。

3898声 one

2017年07月10日

世の中の犬は2種類に分けられる。慣れると吠えなくなる犬と、絶えず吠え続ける犬だ。

 

後者の犬がいて、半径10メートル以内に近づくとマシンガンのように「ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!ワン!」と吠え続ける。撫でても効果がないだろうし、むんずと口を掴むわけにもいかないので毎回吠えられっぱなし。イラっとするので、どうにか対策はないものかと思っていた。

 

それが近頃、向こうの「ワン!」の後に間髪入れず「two!」と呟くと、「one!two!one!two!one!two!one!two!one!two!」と犬と私、まるでボクシングのミット打ちをしているかのような錯覚に陥り、急に仲間意識が芽生えることがわかった。

 

いずれは、世界を狙いたいと思う。

3897声 デザインって何だ

2017年07月09日

中之条町観光協会のHさんと二人、吾妻線に揺られ高崎。

 

「シンキチ醸造所」の開店前にするりと入り込み、堀澤さんの新作ビール「セゾン」をぐびり。昼の12時である。機嫌よく店を出て、多くの常連さんから愛される店「栄寿亭」でカツ丼Bを注文する。Aはソースカツ、Bは卵とじなのだ。ハフハフ食べる。炎天下をしばらく歩いて、江戸時代創業という寝具屋「金澤屋」ですごい枕を試し寝して、長い行列ができたかき氷の店「日本一」を横切り、ゲストハウスもしているカフェバー「灯り屋」のリノベーションっぷりを覗き見し、その向かいあたりのセレクト本の店「レベルブックス」は休みだったんだけど、Hさんとこのあたりの町の感じいいよね、と話ながら、建物から置いてある器から店に立つご夫婦まですべてが凛としている「matka」で売り物ではないアイスシナモンティーをいただき、砂糖入れてないのにこんなに甘いの!と衝撃を受ける。

 

今日の目的は、渋谷ヒカリエ内にかっこよいセレクトショップも開いている「D&Department」による「d design travel」群馬県版制作に向けたワークショップ。東京のコピーではなくその地方ならではのデザイン、流行り廃りではなく末長く愛されるロングライフなデザインをもつ場所・レストラン・カフェ・モノ・キーマンを、参加者たちは次々に挙げていった。それをもとに今後県内各地で地道な取材が行われ、紋切り型ではなくディープでかっこよい群馬の観光本が作られることとなる。

 

デザイン=見た目のかっこ良さ、だけでは薄っぺらだけど、老舗のお店が築いてきた歴史=デザイン、思いをもった人が変えてきた地域の変化=デザイン、とも言ってしまえるのが「デザイン」という言葉の便利かつ難しいところ。酔いはすっかり冷めていたけれど結果「デザインって何だ?」という疑問は残った。

 

そういう場には、同じ関心をもった不思議な人たちが集まるもので。ばったり会った知人数人とはじめましての方とで、吾妻線の終電までは地元感満載な「慶会楼」という店で焼肉を囲んだ。よくはわからないけど、ビールから焼肉までの今日一連こそが「デザインだ」と言えなくもない気がした。

3896声 テント芝居

2017年07月08日

観客が見つめる小さなステージ。ふいに、背景の布がバッと開かれる。その奥には夜の闇、の奥には明かりが消えたメリーゴーランドが見える。すると、劇団員が二人、妖怪一反木綿のように幅広い大きな白い布を旗のように掲げながら、照明が当たるステージから奥の闇の中へと駆け出していく。その意味はよくわからないけれど、映像ではなく自分の目と体を通して観るからこそ湧き上がる感情があった。その瞬間こそが、芝居だ、と思った。

 

今夜は、前橋「るなぱあく」で行われた「劇団どくんご」の野外テント公演を観に行った。芝居を観るのも久しぶりだし、野外テントで観るのはこれが始めて。劇団員たちは数日前に前橋入りし、自分たちで骨組みから客席作りから行ったとのこと。開演前にはド派手なピエロのような芝居衣装を着た劇団員たちがチケットの販売までもしていた。

 

芝居の内容は、先に書いたように物語中心というよりは断片的な詩の世界が役者や舞台装置によって次々にたたみかけられるような、言葉は古いかもしれないが前衛的な芝居だった。けれど頭の中には?マークが浮かびつつも、部分部分で笑いや郷愁やアクションを挟むので、客席のこどもたちも食い入るようにその芝居を観ていた。むしろ頭で考えないこどもたちの方が残る印象は大きかったかもしれない。

 

「テント小屋はあさってにはなくなる。こどもたちにこういうものを見せてやりたかったんだよ。こういうことができる劇団はもう、どくんごくらいだからね」この公演の開催指揮をとったフリッツアートセンターの小見さんに帰り際挨拶をすると、彼はそう呟いた。僕は一人、明かりを落とした小さな遊園地を去る。目を閉じるとまだ、大きな白い布が脳裏を駆けていた。