日刊鶴のひとこえ

この負け犬の遠吠…ではなく、鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさんと、わたくし抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成29年前半は、1月(堀)2月(抜)3月(岡)4月(す)5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(掘)の順です。

3629声 散乱

2016年10月17日

朝から雨でそぞろ寒い一日であった。
帰宅すると、句集が二冊届いていた。
今年から、句集を読んで短文を書く。
平たく言えば、俳句雑誌の「新刊紹介コーナー」の
ひとつの小さな枠を受け持ったので、毎月数冊、
新刊の句集が届くことになったのである。
この一年は自身の句集に向き合ってきたが、
向こう一年は、人の句集と向き合うことになる。
向き合ってみようとは思うが、さしあたり、
どれがどの句集か、わからなくなる前に、
散乱している本の整理から始めねばなりますまい。

3628声 二の足

2016年10月16日

昨日に引き続き、快晴であった。
まさに、天高く馬肥ゆるという日柄である。
実家では柿の木に毛虫が大量発生し、玄関先やら庭の芝生やら、
そこらじゅう、毛虫が寝そべっている状態であった。
毛虫も、青空は気持ちが良いのかもしれない。

昨夜は久しぶりに遅くまで高崎の街中にいたが、
あたたかそうな灯を洩らしている飲み屋の戸の前で、
二の足を踏んでいる自分がいた。
結局は、煌々と灯る高崎駅周辺を目指し、
駅中の店に腰を落ち着けた。

3627声 紅い薔薇

2016年10月15日

起床したときには、軽い頭痛と昨夜の麦酒の後味が残っていたが、
ともかく、句帳をひっつかんで車を出した。
関越自動車道の事故渋滞を抜け、車列がほどけ始めた時には、
すでに句会の締め切り時間が迫っていた。
利根川の脇に車を停め、あたふたと前橋公園やら草むらやらに、
ずんずん歩を進めてとりあえず、句の頭数は揃えた。
騒ぎっぱなしの心のまま、前橋にて句会を終え、
今度は高崎のまちなかへ移動。
シンキチ醸造所の戸を開けた時には、既に参加者が揃っていて、
冷汗だか何だか分らぬ汗を拭いつつ、ベアレン醸造所の、
「クラシック」なる銘柄の生麦酒にて乾杯。
初めて飲むが、しっかりしたボディである。
その後は、ペールエールなどいくつかの銘柄を飲んだが、
どれも共通して感じたのが、後味が良さであった。
後味の良い酒は、良い心地の後味も良い気がする。
気がするたけであるが、この日の後味はとても良かった。
麦酒の話に終始してしまったが、句集出版記念だった。
堀澤さんの店で出版記念の会をするのは、人生二度目である。
店の傍らに、出版社から届いた小ぶりな花かごが置いてあった。
紅い薔薇がほのかに香った。

3626声 偽る心

2016年10月14日

おおかた、一杯目を飲み干した時点で、
枷がしっかりとしているか、あるいは、緩んでいるのかが分る。
今日の枷はまた一段と緩んでおり、いま目の前には缶麦酒が、
小さな山となっている。
明日は前橋で句会があると言うのに。
出来なくとも、それはそれで良いのである。
出来ないときに限って、それを偽ろうとする心が働くからいけない。

3625声 ナンといえばナン

2016年10月13日

先日受診した健康診断の結果が手元に来た。
ほぼ問題はないのだが、体重が昨年に比べ3キロほど増加しているし、
γ(ガンマ)-GTPの数値が跳ね上がっていた。
肝機能は要観察だのなんだのと記載されているが、受診前々日に、
近隣のカレー居酒屋に行っていたので致し方ない。
カレー居酒屋と言うのは、以前にもこの稿に書いた記憶があるが、
カレー屋であり、居酒屋でもあるお店である。
近隣にはこのスタイルのカレー屋が多い。
私のよく行く店は、当然、厨房に印度人と思しきシェフがおり、
ナンも焼けば茄子の揚げびたしも作る。
アサヒの生麦酒は一杯三百円で、だし巻きたまごが抜群に美味い。
焼鳥などの串物は、その全てにカレーパウダーがかかっていることが、
しいて難といえば難である。
駄洒落ではない。

3624声 町の日当たり

2016年10月12日

最寄り駅付近に、先月、パン屋がオープンした。
確かにパン屋ではあるが、看板を見るにコッペパン専門店らしい。
オープンからひと月は、女子高生を中心に若者たちが行列をなしていた。
それも朝と夕に、である。
丁度、通学の時間帯なのであろうが、それにしても人気がある。
通りがかりに店内を覗くと、なるほど、雰囲気といい、
三百円程度の値段といい、コッペパンのボリュームといい、
若者が魅かれる要素満載であった。
実際、このお店の周辺には、各種のファ-ストフード店があるのだが、
女子はこちらのお店がお気に入りらしい。
斜向かいの交差点にあるケバブ屋にも、夕方によく高校生を見かけるが、
こちらは当然、男子しかいない。
ケバブはケバブで、若者の心を掴んでいる。
どちらも、テイクアウトのお店なので、店の前に群がり、
制服の学生がパンにかじりついている光景には、やはり町の活気を感じる。
そんな駅前通りの素描であるが、私自身はとんと、
そんな日当たりの良いお店に縁が無く、
路地裏の日当たりの悪い店が無くなりはしないかと、気を揉んでいる。

3623声 その後の時間

2016年10月11日

秋冷の朝であった。
空気の入れ替わりを確かに感じた。
一日を通して、長袖のワイシャツだけでは、
肌寒いくらいの陽気であった。
句集がまとまって出来上がってきたので、
わさわさと発送やらの準備などした。
本を刊行するのは二度目だが、
本が世に出るうれしさは瞬く間に過ぎて、
その後の大変が、作業的な時間になる。
しかし、この手の作業は没頭できるし、
その時間は、とても気分の良いものである。

3622声 体育の日

2016年10月10日

午前中から雑事をして、一日が終わった。
昨日、佐原の道の駅で求めた弁当を、
レンジでチンして昼に食べた。
だし巻き卵風の卵焼きを筆頭に、
内容はいかにも自家製であった。
しかしながら、自家製の風味漂う弁当が、
町に少なくなったので、新鮮な印象さえ受けた。
逆を返せば、私は市販の弁当ばかり食べて居るので、
添加物に慣れすぎているのかも知れない。
数年前、「小走りもせずに終へたる体育の日」
という句を作ったが、まさにそれを地で行く過ごし方であった。

3621声 風の青

2016年10月09日

細々と手紙の返事やら外へ出す句の整理をして、
午後になってから、佐原へ出かけた。
千葉県北東部のまちである。
茨城県との県境のまちなので、
私の居住する市川市からは滅法遠い。
群馬で言えば、松井田から桐生へ行くようなものか。
佐原のある香取市一帯は水郷地帯で、
この地方の風光が好きなので、たびたび出かける。
特に秋は、川面と空、そして風の青が入り組んで、
とてもきれいである。
縦横に走る川の脇には、
秋桜がただ揺れているだけの野辺が広がり、
得も言われぬ郷愁を感じることができる。
生憎、曇り空だったが、すがすがしい風の青さであった。
道の駅で弁当を買って帰った。

3620声 晩秋の色

2016年10月08日

昼頃より驟雨。
定例句会のため、原宿へ出かけた。
三連休の初日も相まって相変わらずの人出であった。
雨模様の表参道は、傘がぶつからずに人とすれ違うのが、
大変困難である。
混雑を避け、明治神宮内へ歩を進め、
参道で団栗など拾っていた。
雨の杜は、佇んでいるだけで幽玄な心持になる。
句会が終わり、近所の飲み屋へ移動した。
久しぶりにハブエールを味わえた。
中の一人は、今日で年内会うのは最後とのことだったので、
「よいお年を」と別れた。
今年ももう十月なのである。
最近、町ではハロウィンのイベントが定着してきたので、
お祭りムードのまま、クリスマスになだれ込んで、
一年があっけなく終わってしまう気がする。
ほろ酔い加減で外へ出てみると夕暮れ時で、
灯の点いた街は、確かに晩秋の色であった。

3619声 麦酒と生卵

2016年10月07日

よく晴れた一日、十月らしい爽やかさであった。
明日から体育の日を挟んだ三連休であるが、
初日に定例の句会があり、出鼻を挫かれた感がある。
句会も楽しいのだが、都内の喧騒に行かねばならぬ、
ということがそう思わせるのかもしれない。
今日の銀座は、リオデジャネイロ五輪・パラリンピック
でメダルを獲得した日本代表選手の凱旋パレードが行われ、
通りは大観衆で埋め尽くされたとのニュースを見た。
私も今朝、電車内でプラカードを持った人を見かけた。
選手たちは見たいと思うが、テレビで見るあの喧騒を思うと、
現場で小さな旗を振っている人たちは、
余程のお祭り好きなのであろう。
秋も深まってきて、喧騒よりも清閑を求める心になってきた。
街よりも郊外へ、薄色の麦酒よりも濃色の麦酒へ。
スタウトあたりなどに、心ひかれる。
スタウトといえば、本場のアイルランドでは、
風邪などで滋養が必要な場合、
一杯のスタウトに生卵を入れて飲まれているらしい。
夏にはやりたくないが、冬場にはこれ、ちと美味しそうである。

3618声 秋刀魚の皿

2016年10月06日

十月と言うのに蒸し暑い。
台風一過により、南の方の風が流れ込んでいるためであろう。
秋刀魚の美味しい時期である。
今年の七月ごろであったが、築地市場で初入荷した秋刀魚一尾当たり、
三千三百円という高値値段がついたとの、新聞記事を見かけた。
過去最高値を更新したとの由。
十月の現在では、巷で生秋刀魚がおおよそ百五十円、焼いてパック
詰めになっているものが、おおよそ二百五十円といったところ。
庶民でも値段になり安心している、例年通り、今週以降はどんどん
値が下がって行くのであろう。
この時期は、日頃、秋刀魚を食べる機会も自然と増える。
外では主に定食屋か居酒屋である。
特に居酒屋などで、秋刀魚を実に汚く食べている人を見かける。
若者と思いきや、それが、そこそこの年齢の人の場合が多い。
そういう人は、先ず秋刀魚の背中の皮をちょこちょこと箸で剥がし、
背中のぷっくりした肉をつまんで終わりにする。
開きの場合でも、概ねそうである。
秋刀魚の肉は、背中よりもはらわた側の肉の方が脂が乗っているのに、
と奥歯をかみ締めつつ、瓶麦酒片手に無残に美味しいところが残った、
秋刀魚の皿を横目に見ている。
いっそのこと、一尾三千円くらいにしたら、そういう食わず嫌いたちも、
顔と骨だけにして綺麗に食べるようになるかもなどと思う。
そうは思うが、私たち秋刀魚好きに取っては相当な痛手なので、
それはそれで、大変困る。

3617声 句の匂い

2016年10月05日

これを書いている現在時刻は、午後十一時を回ったところである。
日本海側を通過している台風の影響で、外は強い風が吹いている。
家の前の桜並木の騒ぐ音、それにもまして、雨戸のガタつく音が、
耳につく。
古い家なので建付けが悪く、風が吹くと家中の雨戸が騒ぐ。
そんな夜更けであるが、午後八時ごろ、強風の中に一件、
書類が配達されてきた。
差出人は遠方の印刷会社であった。
封を開けると、中身は一冊の句集。
今月十五日の発売を前に、出来上がったばかりの一冊が、
著者に見本として来たという訳であった。
ぱらぱらと頁をめくっただけで、とりあえず机の上に置いてある。
木立の葉音やら、雨戸やらが騒ぐので、何だか手に付かない。
頁を開いて匂いを嗅いでみる。
良い匂いだ。

3616声 全部忘れて

2016年10月04日

十月というのに、まだ台風が来ているという。
先月は出張続きで、西の各方面へ滞在していた。
九月の旅は、台風とは切っても切れぬ縁なので、
飛行機の時間では苦労した。
台風の最中、徳島の山間で見たのはお遍路さんだった。
雨上がりの夕景、木洩れ日の中を行くあの白装束は、
神々しい力を纏っているように感じた。
ところ変わって大阪の大衆酒場では、
神々しさとはまったく無縁だが、
力みなぎるおっちゃんたちが大勢居た。
カウンターの中、どて煮がぐつぐつ煮えている大釜の横が、
店主の定位置なのであろう。
常連さんは、その定位置を囲むようにカウンターに座り、
店主との丁々発止を愉しんでいる。
そのやりとり、特に店主の歯切れの良い関西弁が耳にのこっている。
「○○さんあんた、酒飲みやろ」
「酒飲みやったらな、ようけこれ(酒)飲んで」
「飲んでな、それで全部忘れるんや」
「ぜーんぶ忘れて、あんた、明日もここへ座るんや」
「そんでまた飲むねん」

3615声 夢の話

2016年10月03日

量こそ飲んだものの、昨夜の宴席の終わりが午後六時であったので、
体への深刻なダメージはなかった。
朝から小雨だったせいか、体に鉛が入っているようではあったが。
瓶麦酒だけ飲んで居れば、どれだけ飲んだかわかりやすい。
などと一本目は頭が働いているのだが、
注いだり注がれたりしているうちに思考がおぼろげになり、
当然、自分の前の瓶の山を数えようともしない。

昨日の宴席では最年少は私であったが、上は九十一歳であった。
同じ卓で麦酒を飲んでいるのだから、つくづく俳句には、
いや、文芸には不思議な力がある。
私は年配者に昔の話を聞くのが好きである。
俳句の話ならば、なおさら。
未来の夢の話よりも、過ぎ去った夢の話の方に心ひかれる。

3614声 月の石畳

2016年10月02日

今日は千葉の成田山で句会であった。
準備から金勘定まで役目があったので、
一日は目まぐるしく過ぎた。
なおかつ、参道の各店舗は午後四時には店じまいなので、
殊更、一日が短く感じた。
成田山の人出はまずますといったところであった。
紅葉の色づく今月下旬は、まずまずどころの騒ぎでなく、
芋洗い状態であろう。

どうも、人出のある参道や境内で句を作るのが好きになれないので、
脇道、細道へと逸れ、池の鯉やら蜻蛉やらを眺めて句作した。
帰り道に金木犀の香りに出会い、
やはり人の中を避けてよかったと感じた。
前に居た車椅子のおばあさんは、押している息子らしき人に声をかけ、
しばらく金木犀の香りと木洩れ日とを楽しんでいた。

参道の老舗大野屋旅館で宴席となり、何百年もこうやって俳人たちは、
句会と酒を楽しんできたのだな、と瓶麦酒を片手にしみじみと実感した。
酔眼をこすりつつ会計を済ませ、参道に出てみれば、
閑散とした午後六時、月の石畳が広がるばかりであった。

3613声 雨の朝

2016年10月01日

およそ三か月ぶりに、この稿を起こすことになる。
また、ひと月の間、深夜の酔眼をこすりつつ、
液晶モニターを眺める日々が続く。
三か月の間、ここに書こうと思うことは沢山あるのだが、
いざ、キーボードを叩こうとすると頭に思い浮かぶのは、
日常の些事ばかりである。
今月は、文通する乙女のような気持ちで過ごすことになるだろう。

昨日の回を読んで、前橋市の旧知の人から電話が来た。
句集の件であった。
一昨日には、高崎市の旧知の人からメールが来て、
こちらは銭湯の本の件であった。
なんでも、前橋にある銭湯の番台に座ることになったとの由。

今月の半ばには前橋に句会に行こうと思っているし、
年内に一度くらいはこの「めっかった群馬」の周辺でも、
句会ができぬものかと考えている。
そんなわけで、年内は心に群馬を置くことも、群馬に足を運ぶ回数も、
増える気がする。
晩秋から初冬の上毛三山を置く、高崎の郊外あたりのあの蕭条とした景には、
胸の苦しくなるほど痛切な叙情を味わえるということになる。

昨日の回を読むと、堀澤さんの暮らしている借家も古いようであるが、
私の暮らしているこの家も古く、古い家は何かと手がかかる。
例えば、障子である。
九月の長雨のせいもあって、障子紙のところどころが剥がれてしまった。
当然、張り替えねばならぬのだが、そのまま放ってある。
維持に手が焼けるが、住んでみて障子の機能を改めて実感した。
風通し良く、映り込む月影もオツなものである。
朝などは日が入り込むので、寝坊することも少ない。
逆に、今日のような雨の朝は、思いきり寝坊することになるが。

3612声 パラゾール

2016年09月30日

抜井からメールが来て、9月が今日で終わりだということを知る。
まだあと一日二日あると思っていたらしい。
一日はあっても、二日はありえない。
自分の頓着のなさにハッとする。
私の借りている家は古くて、古箪笥や茶箱が幾つもある。
引き出しを開ければ、周辺はおよそパラゾールの匂いに包まれる。
パラゾールの匂いには、どこか郷愁の趣きがある。
あれを嗅ぐと、子供の頃へ一気にタイムスリップするような気分にもなる。
きっと前世も日本人だったはず、などと思ってみたり。
虫ではなかっただろう、とか。
ぼけっと箪笥の整理をしていたら、9月も終わってしまった。
雨の多い1ヶ月だった。
そう言えば何日か前にひとこえを読み返してみたときに気づいたのだが、「台風」というタイトルの回が2度ある。
今年の9月は台風もよく来た。
10月はもう少し、天気が良くなってほしい。
もう少し外に出て、日差しを浴びたい。
少し早く起きて散歩するだとか。
そう言えば、抜井の句集が発売されるらしい。
来月15日、「文學の森」という出版社から。
句集名は「真青」(まさお)、だって。
このタイトルは、例えば秋の空、みたいなことだろうか?
だとするとこの人の前世は虫の可能性もあるかもしれない。
青がテーマなのか?
買いたいと思う。
句集を持って、散歩するのもいい。
そんなことを来月の予定に入れて、9月の回はこんなところで、おしまいです。