日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和2年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4290声 ラオス人

2019年08月14日

ラオス人を理解するキーワードが3つあるという。ボーペンニャン、ムアン、サバーイ。ボーペンニャンは「気にするな」みたいな意味だが、自分に都合の悪いことの言い訳にも使う。ムアイは「楽しい、面白い」で、飲んで踊るのが大好きな国民性を表す。サバーイは「楽だ」。つまり、無理してお金を稼ぐより、サバーイに暮らして、毎晩、ビアラオ飲んで宴会を開き、ムアイに暮らし、失敗してもボーペンニャン。これがラオス人の理想とするライフスタイル。呑兵衛には最高の国である。

4289声 柴又生まれ

2019年08月13日

ルアンパバーンを案内してくれたガイドさん。葛飾柴又生まれの女性で20才で日本を飛び出し、ダイビングのインストラクターとして世界中の海辺で暮らして来たとか。その日のビールのために生きてるいるという話にすっかり意気投合。オススメの地元の食堂に連れて行って貰い、昼からラオビアを散々飲んだ。ラープという香草とひき肉のサラダがツマミとして抜群に美味。こちらの主食、カオニャイという竹の入れ物に入ったもち米がまた美味しい。

4288声 プーシーの丘

2019年08月12日

11時、頼んでいたガイドのさやかさんがホテルに来る。背の高い色黒のスポーティな方。後で聞くと40歳とのこと。同年代。ルアンパバーンに住んで3年になる。先ほど自転車で通ったメイン通りではない、裏通りを通ってルアンパバーンを案内。プーシーの丘というルアンパバーンで一番高い丘を、裏の森の小径なら登る。これはガイドなしでは登れないルート。照りつける日差しが強く、汗だくになりながら登頂。頂上のお寺の礼拝堂で頭を三回床に付けるラオス式の形で礼拝する。このお寺は街のどこからでも見られるシンボル的存在。頂上から眺めるルアンの街は、オレンジ色の屋根の町並みと深い森が印象的であった。

4287声 ペニシュラ

2019年08月11日

朝起きたてでプール。南国の植物と日差しでバカンス感が一気に高まる。誰も居ず貸し切り状態。朝食のバイキング。豪華過ぎないが手作り感のある料理が、美味しい。基本、西洋朝食だがお粥やラオスのスィーツなども。ルアンバパーン中心街はメコン川とナムカーン川に囲まれた半島のような形をしている。実際、中心部のことをペニシュラ(半島)と呼ぶ。朝食後、フリーの自転車でルアンパバーンの中心街を一周。1時間あれば1周できるぐらいのコンパクトな街。途中、トラディショナルな寺や布の店に寄る。ホテルに戻り、自転車で汗をかいた体をプールで冷やす。まだ10時。

4286声 いざルアンパバーンへ

2019年08月10日

19時にノイバイ空港からラオス空港に乗りルアンパバーンへ。空港をバスでかなりの時間移動したあと、停車。空港に直接降りるのでテンションが上がる。待っていたのが双発のプロペラ機で、さらに上がる。ルアンパバーンまでは約1時間の短いフライト。途中で出た機内食のボックスを開けると、手作り感満載のサンドイッチが一つとシュークリーム。母さんが作ってくれた夜食みたいでほっこりした。20時、ルアンパバーン国際空港に到着。照明が少なくとても暗く感じる。空港でチケットタクシーを手配しホテルへ。ヴィラ風のこじんまりしたプールのあるブティックホテル。熱帯性の植物が生い茂り、リゾート感に包まれる。この日はこのまま外にも出ず、ラオビアを飲んで終身。

4285声 トイレの話

2019年08月09日

ちょっと話はそれるが、先日、「中国人はトイレでお尻を拭いた紙を流さずにゴミ箱に捨てる。信じられない」という話を後輩から聞いた。ただ、それは文化と環境の違い。世界的に見れば、トイレの紙をそのまま流せる国の方が少ないだろう。ベトナムも紙は流せない。細い配管がすぐに詰まってしまうから、紙はゴミ箱に捨てる。ちなみに、トイレにはウォシュレットに代わりとなるレバー付きのホースがあり、まずはそれでお尻を洗ってから、紙で拭くのがマナーだそうである。それに気づかず、最初の紙をゴミ箱に捨てていた自分は、おそらく礼儀知らずの旅人と罵られていたかもしれない。まぁベトナム人はそんな事気にしない気もするが。

4284声 下町の食堂

2019年08月08日

お昼は地元の人が集まる下町の食堂に。ご多分に漏れず、元気なお母さんたちが切り盛りしてて客も途絶えることがない。ベトナムではオーソドックスは食堂のシステムだが、大皿にたくさんの料理が並んでおり、欲しいものを指さすと自分のプレートに載せてくれる。豚やチキンのソテーや、日本で言えばがんもどきや、フライドエッグ、蜂の子などどれだけ載せても定額。TigerBeerの大瓶を入れても500円ぐらい。ベトナムはどこに行っても安くて美味い。

4283声 女性博物館

2019年08月07日

相方の希望でベトナム国立博物館を経て、ベトナム女性博物館へ。ベトナムの家庭では女性が主人であるという話を良く聞くが、街に居てもほんとに良く働いている。天秤を背に、籠を両端に吊るして物売りする女性は、今でもたくさんいるし、食堂でもお店でも、元気のよいお母さん達が見ていて気持ちが良い。日がな煙草をふかしてボーっとしてる男も良く見る。そんなベトナムの誇るべき女性達を、国が博物館にしちゃってるんだから面白い。尻に敷かれた男たちの感謝か、商売根性か。。歴史的に見ても、中国支配からベトナムを独立させた女帝が居たり、アメリカ戦争時代は、兵隊に行った家庭を守るだけでなく、弾薬を運び、戦場で銃を撃ち、スパイとして拷問されても折れずという、まさにやまとなでしこ、いやもっと明るく逞しい印象。そういえば、群馬はかかあ天下と言いつつ、かかあ天下博物館はないなぁ。もっとちゃんとリスペクトした方が良い。

4282声 戦争の記憶

2019年08月06日

翌朝のハノイは、いつでも南国のスコールが来そうな曇り空。家族全員で携帯をいじって会話のない韓国人家族の横で、遅めの朝食。基本バイキングだが、フォーは注文すると作り立てが出てくる。どこまでも優しい味。宿を取った旧市街から、午前はベトナム軍事ほぼ真南のホーチミン廟周辺に向かう。歴代の王朝や今でもベトナムの国会がある政治と歴史のエリア。先ずはベトナム歴史博物館に向かう。入ってすぐの野外にMIG21が陳列されていてびっくり。国宝だそうだ。一応、屋根はかかっている。米軍機も屋根のない野外にところ狭しとならんでいる。ホーチミン陥落の際、南ベトナムの大統領官邸に突入したT54型843戦車は室内の一段高い赤い絨毯の上に鎮座していた。ただ、全体として戦勝を誇るというより、淡々と事実を陳列している。物見遊山の観光客と比し、沈鬱な表情で写真を眺めるベトナム人をみていると、今でも生々しい感覚をもって戦争の記憶は彼らの中に残っている。

4281声 都会のオアシス

2019年08月05日

ハノイはホン河(紅川)の川沿いにあり、市内には湖が多い。地図上見るだけでも市街地に20~30個はある。

中でも旧市街に位置し、市民にこよなく愛されているのがホアンキエム湖。1周30分ほどの、日本で言えば大き目な池ぐらいの大きさであるがこのほとりで、上半身裸で太極拳をする老人、ラジカセで大音量を流してダンスをするご婦人の集団。家族連れや恋人たちが思い思いにゆったりと時間を過ごす。

というのも、この湖を一歩離れれば、ホーチミン程ではないが通りを渡るのも一苦労するほどのバイク、車、自転車タクシーが道を占めクラクションが鳴り止まないのである。

ホアンキエム湖は、オートモービルから隔絶された、ハノイ市内の数少ない憩いの場である。

今日は週末だったこともあり、湖周辺の道路が歩行者天国となり、ナイトマーケットが開催されていた。路上では、バトミントンのシャトルみたいなのを円になって蹴る遊びや、特に囲いもない人込みで業者がこども相手にゴーカートを貸し出したりとオートモービルのない道路を満喫していた。

家族や恋人や仲間などと素朴に時間を過ごしている。別に酒などなくても楽しそうだ。

 

4280声 アメリカ戦争

2019年08月04日

ハノイは800万人近い人口を抱えるのベトナムの首都だがノイバイ空港からハノイ市街まで鉄道はない。この都市規模としては珍しい。ただ、初めての街では、最初はなるべくタクシーに乗るようにしている。ホテルに行くまでに、タクシーの運転手と色々と話をするのだ。運転手さんの名前や家族構成から始まり、街の天気、美味しいレストラン近隣り諸国の好き嫌い、政治情勢の話などもする。ただ、ベトナムで考慮が必要なのが、全国民的に英語が通じないこと。ONE=1であることも知らないレベルの人も居る。ついこの間までの敵性国家の言語であるから仕方がない。

ちなみに、ベトナム戦争のことを、ベトナムではアメリカ戦争と言う。考えて見れば当たり前の事実だが、その国の立場に立たないと分かりえない事実。

4279声 あえてハノイ

2019年08月03日

ベトナム航空VN311便にて14時にハノイに到着。4年前にホーチミンに来たときは、初めてにもかかわらずなぜか「ただいま!」って言えるほど、親近感を覚えたがハノイではそこまで感じず。街がホーチミンよりよそよそしい感じ。

目的地はラオスのルアンパバーンなので、このままトランジットしても良かったのだがあえてハノイで1泊する旅程にした。(この事がこの旅一のピンチの原因となるのだが…)アジアの雑踏に身を浸してからラオスの山間の古都に行きたかったからだ。

4278声 旅の始まり

2019年08月02日

朝4時に起き、高崎駅東口から成田行きのバスに乗る。既に藤岡からの客で半分ぐらい座席が埋まっている。ゆったりした席数でかなりの角度までリクライニングできる。酔わないよう前の席が良いので、全開にリクライニングした若い女子の後ろに相方(妻)と座る。直後に寝ていた女子がわざわざ起きて「(倒していて)大丈夫ですか?」と聞いてくる。元々も倒してあった後ろに座ったのは我々なのに。こういう一言で旅のテンションはアガル。「大丈夫ですよ。ありがとう。」と答え自分は缶ビールのプルタブを開ける。

良い旅の始まり。

4277声 旅の季節

2019年08月01日

年間2万人も、この国では自ら命を絶つ人がいる。10年で伊勢崎市がまるまる無くなってしまう数である。そんなに生きづらさを感じたり、自分を追いつめてしまう前に手元の金をかき集めて、ベトナムでもマレーシアでもタイでも東南アジアに旅に出たら良いと思う。

生きることは、非常にシンプルであることに気付かされる。疲れたら一杯の温かいスープがあれば良く家族が寄り添い、懸命に今日を生きている。前向きでひたむきで明るい。旅に出ると気づかされる。帰ってくるとすぐ忘れてしまうのだけど。

夏は旅の季節。

4276声 枝豆

2019年07月31日

自分から枝豆を買って、茹でて食べた。それでようやく、夏が来たことを認めた気分になった。今までになく忙しいと思われた7月は、確かに忙しかったけれど、ボーッとしている時も結構あって、間に合わなかったは多分なかったけれど、先送りにしたことは相変わらず多い。つまりは、いつもと同じ7月だった。

 

明日からここに書くすーさんとは、ご一緒したりしなかったりした諸々が終わったので飲みたい気分でいる。8月中に会いに行こうと思う。

4275声 家族の話

2019年07月30日

後回しにしても、いつか向き合わなければいけない時がくる

 

そんな話をしていたのは戦艦赤城にも乗船した沢渡温泉龍鳴館の故・都筑重雄さんだったか。彼が言っていた後回しにしたものというのはきっと戦争の意味であるとか大きなものであった気がするが、家族の話というのもまさにそうだなと思う。僕んちの母はまだ元気だが、もしもの時はどうするのか、そして父が残したこじんまりとしたけれども多くの植物が生えきっている庭は、母のみが手入れしているその庭は、僕に果たして手入れができるのだろうか。あと・・

 

母も高齢になっており、刈りきれていない松や、この時期縦横無尽に伸びる雑草たちを見てふと思った。ならば今のうちから早起きして庭仕事やれよ、自分。・・いや、まだやらないのだろう。今日も暑い。

4274声 差し入れ

2019年07月29日

シナリオ大賞2018中編の部大賞・笹谷遼平『黄金』と重なるようにして、短編の部大賞・胡麻尻亜紀『15歳の総理大臣』の撮影が中之条町役場で行われた。一応実行委員長的な立場なので、そのタイミングがあれば差し入れくらいはしようと思っていて、『黄金』の場合はコンビニはもちろん何らかの店もない森の中の宿舎にスタッフが長期缶詰状態であることを知っていたので、きっと深夜に腹が減るだろうとカップヌードルを2箱買って差し入れた。夏なのでなんとなくシーフード味とチリトマト味にしたのは我ながらいいセンスだったと思っている。

 

『15歳の総理大臣』の場合は撮影は1日。となれば現場で軽く取れるものだ。東京在住が主なメンバーだと思うので、せっかくなら中之条らしいものが良いと思い、かと言って昼飯が何かも知らない状態で中之条町民のソウルフードである若竹商店のコロッケを昼飯と一緒に食べてくださいと届けるのはマニアックすぎるし、そもそも買えるタイミングが午前10時前で何店かの菓子屋もまだ開く前であった。

 

であればととりあえずコンビニエンスストアに入る。アイス・・食べるために撮影を中断するわけにもいかないので逆に迷惑、袋菓子・・現場の隅には置かれるだろうが数人がつまむだけで残りそう、ペットボトルのコーヒーやお茶を20本ほどカゴに入れた後に、でも1日の撮影とはいえ飲み物は絶対に用意しているはずなので、現場にも自販機あるし、違うか・・と、結局シュークリームを20個ほど買い占め、会社の冷蔵庫にあった小さな保冷剤をその袋につっこみ、差し入れとした。

 

そんなことをしたことを自分でも早々に忘れていたのだが、胡麻尻監督より

 

「疲れた後の甘いモノが美味しくてみんなでバクバク食べました。撮影は無事にクランクアップしましたので、来月からいよいよポスプロに入ります」

 

というメールをいただいた。マメな方である。ちなみに、もう公表されてるので言うが『15歳の総理大臣』には僕ら世代でいうとドラマ「高校教師」の演技が鮮烈な遠山景織子さんが主演をしている。あれから年月が経ちこんな形でお会いできるというもの、映画祭スタッフである特権だと思っている。町外からでも随時スタッフは募集してます・・

4273声 割田下総

2019年07月28日

「中之条真田忍者ウォーク」というイベントの広告を開催開始から5年続けて担当している。例年は中之条ガーデンズ(旧・花の駅美野原)を舞台に手裏剣を投げたり水の上を簡易筏で渡ったり、子どもたちをターゲットとした忍者修行イベントだったのだが、今年はぐーんと渋くなって「吾妻忍者とはどんな集団だったのか勉強しよう!実在した忍者の墓まいりも行くよ!」という歴史ツアーになった。そういうことが好きなコアな参加者の応募はあったということだが全体数が少なめというので僕も参加させてもらった。

 

吾妻忍者とは・・は割愛するが(忍者といえば伊賀や甲賀が有名だが、それに負けない忍者集団が武田・真田の配下として吾妻郡地域で活躍していたらしい)、真田の下で働いていた中之条町生まれの割田下総(しもうさ)という忍者が、戦乱が終わり平和な暮らしになったとたんに荒ぶれて盗みを働くようになり、それを見過ごせなくなったかつての上司に追い詰められ、実在する大岩にかぶさるようにして斬殺され「下総は戦乱の世でなければ生きられなかったのだ、あっぱれな男だった」と死して評価されたというエピソードは印象に残った。沼田市に住む実際の末裔が整地し直したという下総のお墓は、とても立派できれいだった。

 

ふと、そんな大層な歴史は残っているけれど、本当の最後は何の華やかさも大義名分もなく、この山の中で虫けらのように小さく静かに死んでいったのだとしたら、その方が好感がもてるな、などと思ってしまった僕は、ストレスが溜まっているのだろうか。蝉が静かに鳴いていた。