6231声 案外難しい

2025年06月29日

いつだったか、「何者でもない自分」について話し合ったことがある。まあ、呑み屋での議論だ。

そのときは、「何者でもない自分」を脱して、「なりたい自分」、「そうありたい自分」があるという人の意見が優勢であった。

「普通が一番」という、わたしは、圧倒的に劣勢であった。

その場のほとんどの人は、「そうありたい自分」があるようで、現状の「何者でもない自分」に満足していなということであったのだが、「そうありたい自分」が、「普通」とはならなかったのだ。

しかしこの話、今になって思い返してみると、具体と抽象のレベル、レイヤーが合っていなかったということに気がついた。

まず、「普通」をどう解釈するのか。

「何者でもない自分」が、はたして「普通」なのか。

「なりたい自分」「そうありたい自分」が、「普通」だとおかしいのか。

ということで、レイヤーの違う話しをしてしまっていたのだ。(ほんまかいな!ともおもうが、たぶんそういうことなんではないか)

レイヤーが違うので、論戦で優勢になることはない。(優勢になりたいのか!という問題はある)

今なら、同じレイヤーで話せるとおもう。(ほんまかいな! 酒呑みながらでっせ!)

が、「何者でもない自分」については、素直に受け入れる派として、議論することになるだろう。

「何者でもない自分」でいいじゃん、と。

で、その上で、「なりたい自分」や「そうありたい自分」がある人は、それはそれで素晴らしいことで、「何者でもない自分」を脱するための努力をすることは、否定されべきではない。実に尊重されるべき考え方である。ほんまに。

このくらいまで、議論してから、「普通」のレイヤーに話題を移せばよかった。

「そうありたい自分」が、わたしにとっては「普通」なのだと。

なので、わたしは、普通になるための努力をする。

何者でもない、ということは簡単なのかもしれない。(本当に簡単なのかは、ちょっと分からないのだが、みんな「何者でもない自分」に満足してなさそうだったので)

しかし、普通は、案外難しいのである。(ということは、何者でもない自分は、普通とちゃうということやん、どういうこと? また、違うレイヤーの話か)