日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和2年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4452声 頑張ります

2020年07月02日

仕事の幅が少し広がってきて、ずっと1人での仕事が多かった映像やデザインの仕事もチームを組んで行う件が増えてきた。先日は、八ッ場ダムの記録映像でチームを組んだ北軽井沢人(ベテランフォトグラファーのTさん&日本有数のキャンプ場を経営するFさん)と、高山村の観光パンフ制作でチームを組んだ高山村人(移住コーディネーターも務めるIさん&自分の田んぼももつフォトグラファーのMさん等)を合わせる機会を作った。

 

高山村は、僕も仕事で関わるまでは「沼田への通り道」程度で車を降りることもなかったのだけど、農と自然に沿った生活を楽しんでいる魅力的な人が多く、特に若者たちに元気がある。彼女らの希望で、北軽井沢で自然と生きる思想を掲げながら事業を広げている先輩たちに話を聞く会だったのだが、見学は充実し、Tさんの山小屋での夜の宴会も盛り上がった。北軽井沢人と高山村人、ともに真剣かつ楽しそうに語る姿を見て、あぁ僕の適職はやっぱり「お見合いおばちゃん」なのだろうなと確信した。

 

その日、僕だけがTさんの山小屋に泊まり、翌朝は僕が味噌汁を作ってTさんを起こした。泊まった日の恒例である。朝飯を食べながら、ふと僕の今の仕事の話になる。彼は興味本位ではなく、まるで息子の現状を確かめる親父のようにストレートに話をしてくれた(実際、僕は親父が死ぬまで仕事や金銭の話をストレートにしたことはなかった)。「今の年収は」「あの仕事の単価は」僕からも逆に、彼が最盛期だった時の年収などを聞いた。Tさんは東京の商業写真の第一線にいたとはいえ、僕と8倍近くの差があった。「それじゃあ、結婚もできんな」とTさんが呟く。「頑張ります」と返事するのも幼すぎる気がして、僕はその返事をせずに、昨晩のことに話を切り替えた。とは言え嫌な気分はなく、何も隠さず向き合えるので、僕はTさんとの時間がとても好きだったりする。

 

「また来ます」と別れを告げ、車に乗ってからようやく「頑張ります」と呟いた。

4451声 まだ遅くない

2020年07月01日

岡安です。前回の「めっかった群馬」担当月はひどいものだった。そもそも担当と気づかないまま3月が過ぎ、言われて急いで書いた。世の大半の人はそういう数ヶ月を過ごしたものと思うが、自分の3月の心境と今の心境にずいぶん隔たりがある。ふと、鈴木・堀澤・抜井の3名はこの数ヶ月をどう過ごしたのだろうかと読み進めてみた(4399声 母の日 は特に良かったので読んで欲しい)。

 

これを読んでいる方にとっては意外かもしれないが、僕自身はそれほど顔を合わせる皆さんではない(鈴木さん年平均3回、堀澤さん年平均4回、抜井さん年平均1回というところか)。がしかし、腐れ縁といっても良い程度の長い付き合いになったし、何よりこの場所では彼らの肉親以上に(彼らの肉親がこれを読んでいたら別だが)彼らの生活を見ている。時の流れも感じる。

 

僕からしてみたら随分大きな組織にいて独自の鋭さで仕事を切り抜けていた若者は文字の通りの中間管理職な立場でコロナ禍の新事業立ち上げに添い/知るひとぞ知るけれど客は多くなく(失礼)器用がゆえに1人でこなしていた料理人は人気クラフトビール職人となり従業員と共に残る道を探り/会社から帰れば多感の行き場をビールで流し込んでいた俳人志望の彼は次なる一句を求め選句を任されるまでの他が認める俳人となった

 

周りから見れば僕も僕で変わって見えるのかもしれないが・・この数ヶ月を経て実感したのは主に「自分の成長のなさ」だった。ステイホームの期間は大げさに「自分のこれからの人生を決める時間」にしたいと思いつつ、結果何もせぬまま日は過ぎて、むしろ世の中が動き出した6月の半ばからは「ちょっと待って!」という思いさえあった。だが「めっかった群馬」の3者の投稿を読み進めていくうちにそれは「一人でいることが長かったことによる幼がえり」でもあったのかもしれないと気付いた。精神的に人や社会に揉まれなかったからなぁ。3者は、それぞれの歩みではあるけれど、コロナ禍にあっても確かに進んでいた。少し、目が覚めた。そして、そういう友人がいることを嬉しく思った。

 

「まだ遅くない」。そう思い続けられるのは、あと何年だろうか。

4450声 鯉と水

2020年06月30日

小雨のち本降り。いつになく、ぐったりと帰宅した。そういう時ほど、俳句の中の世界に触れていたくなる。いま次の句集のことなども考えている。漠然とはしているが、決まっていることもある。どんなものになるか、句だけは練り上げたものにしたい。今日で六月も終わり。机の脇のカレンダーをめくると、七月の絵が現れた。前田青邨の「鯉」である。佳い絵だ。鯉と水の関係がいきいきしている。

4449声 アイスコーヒー

2020年06月29日

梅雨晴間の暑い一日で、体調芳しからず。ひねもすマスクでさらにぐったり。ネット句会用に句を揃え始める。いろいろと暮しを立て直したい。アイスコーヒーを飲みながら一息つき、夜半にこれを書いている。そういえば、「アイスコーヒー」は夏の季語で、数年前から夏場になるとアイスコーヒーで幾つも句を作っている。なかなかコレという句が出来ない。しかし、アイスコーヒーでコレという句を作ってみたいのである。何年かかっても作るつもりである。納得する句ができたら、アイスコーヒーで乾杯するつもりである。

4448声 小さな歯車

2020年06月28日

朝から雨、強く降っていた。昨晩飲みすぎたおかげで、リズムを崩す。なんだかくさくさした気持ちを払拭すべく、一切を放擲して九十九里へと車を走らせた。九十九里に着いたは良いものの、大規模な護岸工事をやっていて、浜はどこも立入禁止。ろくに海が見られなかった。仕方なし。多古町で、時季外れで萎びかけた紫陽花を見て帰ってきた。運転しすぎて腰が痛い。飲みすぎたり、食べ過ぎたり、車で馬鹿みたいに走ったり。体の中の奥底の小さな歯車が狂っているような気がする。

4447声 浜とマスク

2020年06月27日

朝から梅雨晴間。雨の内に出来なかった、洗濯、草むしりなど片付ける。午後は船橋に海を見に行った。今年は汐干狩が中止になったので、人出は少なかった。浜ではレジャーシートの上で、一家族が握り飯など食べていた。日差しに煌めく白米が美味そうだった。見渡すと半分くらいの子どもや大人がマスクをつけて遊んでいる。上半身裸でマスクの人も。

4446声 PART3

2020年06月26日

市内の施設を利用しようと某窓口に連絡をした。電話口に出たのは老境の男性。いろいろと対応が残念で、さしあたり手続きが前に進まなかった。昨年は物分かりの良い方に対応していただいたおかげで手続きがスムーズに進んだだけに、悲しい。新型コロナの関係で、句会に関する立ち回り方がいろいろと変化しており、いろいろと手がかかる。夜は再放送のバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3を観ながら缶麦酒。

4445声 ラーメン&ラーメン

2020年06月25日

朝、鼻毛に二三本白髪を見つけて、落ち込む。そのまま一日が始まる。ひねもす雨で疲弊。昼飯はこの一週間、同じ店でラーメンと餃子を食べている。今日の夜もラーメン。つまりは思考が停止している。まぁ、今に始まったことではない。帰宅すると、25日発売の見本誌が二つ届いていたが、未開封のまま取り合えず部屋の片隅にうっちゃる。この頃考えている、「空気を読んで大人しくしているか、空気を読まずに挑戦するか」という問題を、また考え始める。

4444声 だんご虫のように

2020年06月24日

終日、曇天ときおり小糠雨。なにかといろいろとゴタつく。人の思いとこちらの実務が結びつかない。それを実現するにはと考えると、頭がいたい。戦争をなくすために戦う、みたいな矛盾を感じる。庭にだんご虫数多。ここには矛盾がない。だんご虫のように丸まって寝る。

4443声 狂い咲き

2020年06月23日

小雨霧雨降ったり止んだり。やるべきことできず。コロナウイルス感染者は連日二桁のままだとか、都知事選のポスターがあちらこちらに貼られているだとか、なんだかわさわさと梅雨が深まってゆく。庭のコスモスが一輪咲いていた。秋と勘違いしたのだろうか。いろいろと歯車が狂っている。

4442声 呑み込まれ吐き出され

2020年06月22日

したたかな雨音に目が覚める月曜の朝であった。いろいろと沈む。昨晩の内にいくつか投句を済ませておいたので、睡眠時間が短かく、これまた沈む。ばたばたと家を出て、駅のコンビニで握り飯を一つ買い、ホームで食べてから列車に乗る。これはもう今考えても朝の列車にパクっと飲み込まれて、夜の列車にまたペッとホームに吐き出されるようなイメージである。何時間後には、また同じ握り飯をホームで齧っているかも知れない。そうならないために、早く寝よう。

4441声 多様であり一様

2020年06月21日

朝は一時的に小雨だったが、その後は晴れ。もう中年になり、いろいろと情報を掴むアンテナが古び、まずこの表現にこそ古びたる感覚が表れているが、この頃、ネットでは面白い文章を書く若者がわんさかいると知る。そういう人たちの文章など読んで、その面白さに驚嘆する。noteなりなんなりそういうのが、ごろごろある。SNSなどの台頭により、若者の感覚も多様になってくる。それにより昔のように誰もが知る流行など生まれにくいのでは、などという記事を十年くらい前に目にしていた。なるほど表現の場や方法は格段に増えたかもしれない。しかし、なんだかみな似ていると感じている、表現の「核」といえばよいか、その共有のしかたといえばよいか。スマートで自嘲的で伏線とオチに気が利いていて。多様であり一様。

4440声 久方ぶりの晴

2020年06月20日

早朝より定例の吟行そして句会。三か月ぶりで、なかなか感覚を取り戻せなかった。久しぶりの梅雨晴間で、歩き回ったり、狭庭の草をむしったりでぐったり。昼飯は久しぶりにうえだ別館に行けたので満足。食に季節を感じると言うのは本当に贅沢。そして癒し。疲れた一日は麦酒が美味しく、飲みすぎてぐったり。酔眼朦朧としつつ、ネット句会に投句。実際に吟行で俳句を作り、句会はバーチャル。ハイブリットな取り組みが出来た。

4439声 失念

2020年06月19日

朝から失念していたネット句会の選に追われる。リアル句会ならば体は一つ、ということで行く句会は限られるが、バーチャルの句会はその気になれば、週いくつも、また日にいくつも参加することが可能なので、時間に追われることもしばしば。これが終われば、また明日も。

4438声 俳句の匂い

2020年06月18日

午後から天気は下り坂。近頃、町に学生が多くなった。分散登校でなく、一斉登校日だったのか、最寄り駅の朝はことに多かった。日常の通学風景が戻ったと思ったら、みな一様にマスクをつけているので、いささか異様であった。夜は会報の校正を済ませ、献本句集を読み終える。この句集の作者は私が初学のころに、句集を買っていた俳人の方である。確実に過去作より一句の重みを感じた。重みは感じるが、昔の句集の方が好きだと感じた。今回の句集はあきらかに俳句特有の匂いが強い気がした。俳句の世界を渡りつつ、俳句の匂いを消していくことは難しい。

4437声 梅雨晴間

2020年06月17日

梅雨の晴れ間で、真夏日の一日となった。献本の句集を読み始める。依然としてネットでの句会が多く、ちらほらと句を見繕う。週末の句会の予定を考える。去年は小岩菖蒲園に吟行に行ったが、今年は流石に難しいだろう。近場で涼しげなところで予定を組む。酔眼朦朧として、やるべき校正を進められず。

4436声 無為

2020年06月16日

掌から砂が零れるような一日であった。ここ数日は帰宅してから気が抜けてしまい、麦酒を飲んで無為に過ごす。寝つきも悪く、眠りも浅い。ここ最近はくだらない句ばかり作っている気がする。原因はわかっている。実際の自然から発露を得ていないからである。いろいろと引き締めないといかん。腹回りとか。

4435声 軒先の煙

2020年06月15日

先ほど、都内の路地を歩いていると、夜の闇の向こうから、香ばしい匂いが漂って来た。匂いにつられて角を曲がってみると、灯の下、脚の長いコンロで、おやじが焼き鳥を焼いていた。傍らのテーブルにはグラス片手に、煙を見つめつつ、話しつつ、立っている人たちがいる。この店は、以前カレー屋だったはずと、店内を覗いてみると、なるほどカレーを食べている人がいる。カレー屋の店主が軒先にて焼き鳥と立ち呑み、この店の雰囲気に合わせ当世風にいうなら、「スタンディングバー」を始めたのであろう。新型コロナウイルスの影響下で、飲食業の生態系も変化しているのだ。


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