日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和7年度は4月(す)5月(堀)6月(坂)7月(ぬ)8月(岡)9月(す)10月(堀)11月(坂)12月(ぬ)1月(岡)2月(す)3月(堀)の順です。

6141声 形にする

2025年03月31日

 高山村を歩いて制作した「高山村ガイドマップ」を役場に納品した。僕が暮らす中之条町のお隣、高山村との仕事は長く、今回も過去に作成したポスター、小冊子「たからのやまたかやま」に続く流れでデザインや内容も関連付けた。こと高崎市や前橋市の広報となればあまりに広すぎるし関わる人や団体も多すぎるので僕の手には全く負えないが、こと高山村サイズになるとただのデザインだけではなくいわゆるブランディングもしているのだという自負がある。もちろん、村は僕なんかには捉えきれないほど広く深いし、僕一人ではなく前にも書いたようにこの仕事は村を愛する人たちとのグループワークなので、表現のできなさや表現の楽しさがある、とても大切な仕事だ。

 高山村といえば、天文台とロックハート城と道の駅、国道145号を往復はするけれど他は、という方も多いと思う。だけども、村の良さを知るためには北へ南へ、葉脈のように広がる小道を見歩くのが一番。それは、大自然でも人工的な建造物でもなく、村人たちが畑を起こし道祖神を祀り大切にしてきた、里山の風景だ。正月から歩き始め、けっこうな道を歩いたが、その時間は僕にとってとても大切な癒しの時間となった。道の駅などで配布するコンパクトな地図、という形にしたことで、村の道を歩く人が1人でも増えれば、それほど嬉しいことはない。(ここまで岡安)

6140声 偲ぶ

2025年03月30日

 今日、「よたっこのよた市2」は大盛況に終わった。群馬県上野村で農業をしながらカフェを開いたyotacco。黒澤恒明さんと美穂さん夫婦の人柄もあり、県中心地からは遠方の地である上野村にyotacco目当てで足を運んだ人は多かった。僕は今回このイベントのフライヤーを担当したのだが、そのイラストを描いてもらった星野博美さんの絵画展をyotaccoで行った際に上野村まで見に行った。仕事熱心だけど、ちょくちょくボケをかましてくる恒さんと、まっすぐ聡明な美穂さん。イベント出店も多く、今回のイベントに集まった60近い出店者は2人がこれまでに関係し時間や思いを共有してきた人たちばかり。

 昨年、美穂さんが病で亡くなり、恒さんが考えたのが以前yotaccoで行った「よたっこのよた市」をもう一度行うこと。フライヤーには「この場所に笑顔と喜びが溢れることで、彼女がこの地に暮らしたことを記念し、祝うことができたら嬉しいです。」という言葉を残している。美穂さんが上野村へ来る前から習っていた楽器・ハンドネオンの先生である小川紀美代さん、上野村でこの歌を聴かせたいと恒さんがオファーした工藤祐次郎さん、LITTLE TEMPOからTICOさんと小池龍平さん、そしてPAも務めたkuniROCK主催の岩崎有季くんによる演奏も見事に山間と調和し響いていた(前日から準備手伝いで泊ったのだが、岩崎家にふるまってもらったもつ鍋美味しかった・・)。

 本部には、美穂さんの写真がまっすぐにステージを見つめる角度で置かれていた。それを花が囲む。最愛の人がいなくなること。僕はそこまでド直球の体験はないものの、年それなりの経験もし、自分が持つ痛みにも触れながら恒さんの頑張りを、このイベントの盛り上がりを見続けていた。

 

6139声 映画を観る

2025年03月29日

 昨日は終日、第38回高崎映画祭に参加していた。映画祭も終盤、この日は「中之条町スペシャルデー」ともいえる一日。僕が実行委員長を務める伊参スタジオ映画祭がはじまるきっかけとなった『眠る男』(昨年完成したばかりの4Kレストア版)、中之条町で撮影された『水の中で深呼吸』(脚本は、伊参シナリオ大賞歴代受賞者の上原三由樹さん)、同じく町の四万温泉で撮影された『兎姉妹』(シナ大歴代受賞者の外山文治監督が関わっている)、そしてシナ大の最も新しい作品である上野詩織監督の『生きているんだ友達なんだ』。伊参スタッフが僕以外2人しか参加できなかったのが残念だが、高崎芸術劇場という最高の映画環境でこれら作品を見直して、実に充実した一日となった。

 それら上映の後は『ひかりさす』の上映。これは桜川市の観光映画として制作されたもので、監督も俳優も映画関係者が努めた(俳優の斉藤陽一郎さんと根矢涼香さんがこの日来場したのも良かった)。上映後には、僕も登壇者となり「このまちで生きる喜び」というテーマでトークを行った。地域のPRとして映画やドラマが効果を生むということは、その作品のファンが現地を訪れる聖地巡礼などという言葉と共に知っている人も多いと思う。僕個人の意見としては、映画を作れば人が来る、などということは稀で、むしろすぐに反応がないことに意味があると思っている。上記したように中之条町では昔も今もたくさんの映画がつくられているが、その映画に映る町の景色は少し違って見える。それによって、場所と鑑賞者の間に<親密さ>が生まれる。その程度で良いのではないか、それが大切なのではないか。

 それ以上の効果を生むこともある。例えば、映画『眠る男』が作られた。映画内で出てくる絵画を描いたのは平松礼二氏。氏が映画拠点となった廃校(現在の伊参スタジオ)で絵画教室を開いた時に中之条町に来たのが山重徹夫氏。彼は後に「中之条ビエンナーレ」を町と共に立ち上げ、その芸術祭は県内外に知られる国際芸術祭となった。つまりは、『眠る男』が作られなければ、伊参スタジオ映画祭はもちろんだが中之条ビエンナーレも多分ない。それくらい物事は偶然と必然をはらんでおり、だからこそ1本の映画が作られるということは、尊いことなのだと思う。

6138声 任せる

2025年03月28日

 人に任せることは苦手な方だと思う。自分で仕事を抱え込み、ため込み、遅い。それは同時に、自分一人で端から端までやり切れる、という意味でもある。こと映像仕事は一般的にはスタッフワーク、分業が多い。それを一人で行う。何時間と撮影をして同じ時間をかけて見直し、伝わるように組み上げていく。せっぱつまった時は連日、朝から夜中までずっとパソコンを見つめている。もう徹夜は無理だが、そのくらいはまだできる。身に染みているからだ。けれど、その状況を変えなければと思った。

 今年の2月から、以前から編集等を手伝ってもらっていた中之条町内在住の長塚菜摘さんに業務提携という形で仕事のサポートをしてもらうことを決めた。さっそく、僕が撮影をした映像素材を渡し、編集をしてもらう。僕がやれないアニメーション的な効果も作れて、センスが若い。デザイン経験もある。僕が一方的に教える関係ではなく、「こう思うんだけどどう?」「いやそれはしない方がいいっしょ」というやり取りができるのも良い。非常に助かっている。

 仕事を増やし、人を増やす。会社を大きくする気はないが、人に任せることは(それにより、お金を行き来させることは)今の僕にとって大切なことだ。

6137声 忘れる

2025年03月27日

 次の日曜日に上野村のイベントにスタッフ参加するので、例年撮影している地元のバレエクラブの発表会が撮影できない。ということで、前橋市に事務所を構え、主には僕が頼まれて運動会や発表会の撮影をお手伝いしている(株)フレームアートに撮影を依頼する。快く引き受けてくれたのがありがたかった。事務所を訪ね、撮影の段取りを説明する。

 用事が終わり、お腹が空いていたので遅い昼飯を腹いっぱい食べてしまった。そのまま帰るのもなと思い、車を停めて前橋を歩くことにした。上毛大橋を渡る。風はそれほどないが、春の暖かさはまだちょっと遠い。遠くに見える赤城山方面は白く霞んでいる。

 この上毛大橋を渡る度に思い出すことがある。コロナ禍の真っ最中。アーツ前橋に関連して何度か撮影もしていたアーティストの後藤朋美さんから連絡があった。「不要不急の外出をしなくなったことで、空気が澄んで、山がきれいに見える。それを撮影したい。」という誘いだった。僕もその頃、それまでの仕事ができず時間もあったような記憶がある。待ち合わせて日中、上毛大橋の上に立ってみると・・確かに山がくっきり、美しく見える。今振り返ってみるととても不思議な撮影であり、不思議な一日だった。

 それから5年以上が経った。車通りも多く、白く霞んだ山々を見て僕はなんだか<寂しく>なった。あの頃はみんな、足りるものでどうすれば幸せに暮らしていけるかを考えていた気がする。ステイホームが明けて、すっかり元に戻ってしまった。「大切なものを忘れていないか?」それは、自分への問いかけなのだと思う。

6136声 歩く2

2025年03月26日

以前も少し書いたが くすしき というイベント(?)に関わっている。?をつけたのは、実際僕が参加するのは4/2(水)の19:30から翌8:00まで夜通し行われる(!)イベントの中継なのだが、上記にリンクを貼ったインスタグラムを見ても、よくわからないのではないかと思うからだ。

「わからないものの価値」というものがあると思う。全てがわかることによる安心はあるが、その一方でわからないことは不安であり、どきどきもして、刺激的で、面白かったりする。それを真面目に突き詰めようという意思が「くすしき」に関わるメンバーにはある。

今日は、当日使う映像を撮影するために、ペンライトとスマホを手にもって夜の四万温泉を歩いた。どんどんと山の奥へ。(その時間に限らず日中もそうであるが)ほとんど人がいない場所へ着いて、ペンライトを消すと周囲は真っ暗闇。風、やや遠くに川の音、鳥の鳴き声も聞こえただろうか。怖い。そしてまた明かりをつけて、歩いて帰った。

6135声 自称する

2025年03月25日

中之条町観光協会発行のフリーペーパー「nakabito」最新号vol.9のライターを務めた(撮影・デザインは中之条ビエンナーレディレクターの山重徹夫さん、表紙絵は石黒由香さん)。僕はvol.6から書いているのでライターとしては4冊目。発行当時は冊子だけじゃなくて映像記録もしており、その関わりから考えると長い仕事になっている。今号は今年開催の「中之条ビエンナーレ2025」に合わせ「地域とアート、移り住むこと」というテーマで、移住作家である

山形敦子さん(美術作家・文化財専門委員)
CLEMOMO(アートユニット)
佐藤令奈さん(画家)
古賀充さん(鉛筆画家)
相田永美さん(造形・絵本作家)
西島雄志さん(彫刻家)

を取材した。「中之条町で起きているアート界隈のこと」は実は数年前に本にして書きたいと思ったこともあるテーマで、それが部分的であってもこういう理想的な形で仕事になったことが何より嬉しいし、中之条ビエンナーレ含め群馬県内様々な美術館等で長年アートの映像記録に関わらせていただいている者として、中之条に生まれ育った者として、そして文章を本業とする者として(これもそろそろ自称してみようかと)考えるに今号は

中之条町の、でも、群馬県の、でもなく、日本のアートシーンにとっての重要な事象

が示されている1冊だと本気で思っている。観光協会のある中之条町ふるさと交流センターつむじや、先の「中之条ビエンナーレ2025」などで手に取ることができるので、ぜひご一読いただきたい。

できれば紙で読んでほしいが、下記よりWEBでもお読みいただけます。
https://nakabito.com/

6134声 夢の国へ行く

2025年03月24日

 まだ年度末仕事は収まっていないが、前々から約束していた東京ディズニーシーを楽しんだ一日だった。姉と2番目の姪っ子と2人を連れての、というか2人からの連れていけコールをもらっての決行。あちらが気合入りすぎているものだから午前二時に(!)群馬を出発。駐車場に着いたのは午前5時前だったか、すでにたくさんの車が並んでいる。

 開園一番で最新アトラクションだという「アナと雪の女王」の予約が取れたり(今のディズニーはスマホに特化されていて、入場もスマホのQR、チケットもスマホから予約権が獲れる、しかもお金を積めば長蛇の列関係なく優先して入れたりもする、なんかすごい)鶏モモ肉の燻製みたいなやつが美味しかったりしたのだが(あんなに広い園内なのに売っている食べ物はそれほど種類が多くなく、外部飲食業者は皆無なので、皆が鶏モモ肉の燻製かチュロスかポップコーンを食べているのはちょっと異様な光景だった)僕が印象に残ったことは、アナ雪の行列に並んだおじさん(僕と同じかそれより上)の、間もなく乗れるという時のきらっきらした笑顔だった。よほど好きなんだろうな、なかなかない笑顔だった。さすが夢の国。

 仕事と生活の切り替えは今年のテーマでもあって、何より姪っ子と遊びの行ける時間なんてあっという間になくなる。行けて良かったし、思っていた以上に思い出深い一日となった。

6133声 囲まれる

2025年03月23日

 みなさんは原美術館ARCへ行ったことがあるだろうか。美術に関心がないという人でも、その隣にある伊香保グリーン牧場を知っている人は多いと思う。渋川市中心街よりは榛名山寄りの山間にあり、なだらかな斜面に適度な自然が広がっている。国内外著名な作家の作品を展示し続けてきた品川にあった原美術館は2021年に閉館してしまったので、今は渋川のみ。一昨年から仕事で関わらせていただいており(その最初の仕事が奈良美智さんのインタビュー撮影だったので、足が数センチ浮いていた)、行く度に「とても良い場所だな」と新鮮な発見がある。

 今日は、始まったばかりの特別企画「ジャネット カーディフ:40声のモテット」に合わせて来日したジャネット カーディフさんのトーク撮影だった。音を中心に、夫のジョージ・ビュレス・ミラーさんと共に映像やインスタレーションを用いて作品を作り続けてきたジャネットさんの話はとても面白く、(アート関連の仕事はだいたいそうなのだが)一番の役得だなと思いながら記録をした。

 その作品、<40声のモテット>が素晴らしい。磯崎新建築の四角くて大きな天窓が美しい室内には40台のスピーカーが並べられている。見えるものとしては、それだけ。その1台1台から、1人1人の声が聞こえてくる(個別に録音されたものではないというから、その録音・編集技術の途方もないこだわりを想像できる)、その声が合唱となる。圧倒的な音圧に囲まれて(東京の美術館と違うので、音量も大きくできるとのこと)、その場には温かい初春の光が降り注いでいる・・これはぜひ体験していただきたい。5/11まで。

6132声 リフレインする

2025年03月22日

 今日は『黄金の一 岩島麻』の2回目の上映、「やんば天明泥流ミュージアム」に場所を移し、こちらも全席満員の素晴らしい上映会となった。僕は昼間から前橋で撮影があったので上映開始を見届けてから場を離れてしまったのだが、上映会に駆け付けた岩島麻保存会のこれまたレジェンド、久一さんが立派な精麻(麻の茎を発酵させてその表皮を挽いて繊維にしたもの)を持参で来てくれたことが嬉しかった。「映画見せるんだから、実物があった方がいいべ」と。ああ、いいものが残せたな、と思った。

 昼からは、アーツ前橋主催、3年に渡り前橋で滞在制作を行っている演劇団体「マームとジプシー」の藤田貴大さんらのトークの撮影だった。場所はしばらくぶりの前橋文学館。色々な話が面白かったが、「うちの母は、あれ買ってきて、って何度も言うんですよ。1回聞けばわかるのに。でも繰り返し言う(リフレイン)って気になっていて。舞台上で役者がいいセリフを1度言うのは普通だけど、聞き逃すこともある。ならば何度も言わせても良いのではないかって」というような内容が面白かった。そして、前橋空襲などもリサーチしている彼は「それが大事だと何度も言い続けてきた人がいたから今に残ってるんですよね」という話をした。

 それは僕の中で、午前の保存会の記録とも繋がり、「それだ大事だと何度も言い続けることの大切さ」を思った。その話はもう聞いたよ、と言われようとも、大切なことは何度でも伝えたい。

6131声 上映会を開く

2025年03月21日

 昨年半年かけて東吾妻町の岩島麻保存会の活動を撮影した。会員の高齢化もありその技術をマニュアル動画的に残すというのが一番の目的だったが、そのアーカイブ版以外に、一般の人たちに麻の仕事を伝える上映版と呼ぶべきものが完成し、今日、東吾妻町•麻の里会館で『黄金の一 岩島麻』の上映会を行った。

 初めての上映会。地元の方達で満員の会場の後ろの壁に貼り付き、見てくださっている方たちの笑い声や、現地ならではの懐かしんでついしゃべっちゃう様子をドキドキしながら見ていた。映像の中、保存会のレジェンド的存在、94歳の茂さんが若手(と言っても結構ベテランではある)の新井くんに仕事を教えるシーンでは涙している人もいた。現場においては作業中の普通の光景であるそれが、映像として丁寧に提示することにより、輝くということ。

 上映後には、若手で今回映像や写真集にも尽力してくれた名倉くんの熱い言葉。「群馬県内、日本国内、世界的に見ても、江戸時代から続く技法で麻仕事をしている団体は希少。若い世代に繋げるように励みます」。そういう人たちの背を押すものになっているなら、これほど嬉しい事はない。『黄金の一 岩島麻』はまだ生まれたばかり。今後に続きます。

6130声 関わる

2025年03月20日

 これは今までの僕のやり方の、一番良かった点でもあり反省すべき点でもあるのだけれど。普段から多くの人や団体と関わっている。僕の一番の自慢は

<素晴らしい人たちと知り合いであること>

なので、それは今までの関わりあってこそ。関係性の多さの良い点だ。だけど、自分の身や時間が足りないことが多々ある。もういい年齢でもあるので、自分がすべきことを注視するためにも<関わる>と反対の<関わらない>も意識すべきなんだと、最近思うようになった(むやみに関係を切るのではなく、バランスをとったり、これ以上増やさないとかね)。

 ・・と、いいつつ今日は2時間以上、中之条町で発生したチャレンジングな取り組み「くすしき」(インスタをやっている方は @kusushiqui_official をチェック)の打ち合わせを行った。来月早々に、四万温泉の柏屋旅館に夜集まって朝まで特別な時間を過ごす、というイベントを行う(それは以後も連続する事柄の第二弾)。なぜ関わることにしたかというと、興味ある知人が中にいて仕事として引き受けたから、ではあるのだが、この活動の中に<本質的な何か>を感じるからだとも思っている。空虚なことは、例え仕事といえどももうやりたくない。

 今年はこの<関わること/関わらないこと>についてももっと考えて行動していきたい。

6129声 手話をする

2025年03月19日

 アーツ前橋で開催中の「はじまりの感覚」展も今週末(3/23)までの開催となった。アーツ前橋は開館時から映像仕事で関わらせていただいており、今回も展覧会記録やインスタ用映像の作成のほか、同時開催された「MUJI for Public Space in Maebashi「うすい店」」展では僕自身初の「コマ撮りアニメっぽい映像」も制作した。それほんと大変だったので見てほしい・・はさておき。

 学芸員である辻瑞生さんからの提案で、美術館のサポーターの方によるこの展覧会の紹介映像を撮影しようという話になった。その方は日常言語が手話。耳は補聴器をつけて聞き取ることはできるが、お話しされるよりも数十倍、手話の方が表現豊かな方だった(僕は手話は全然わからないが、伝わるものはある)。

 「はじまりの感覚」展は、目が見えない彫刻家の三輪途道さんが参加していたり、実際触れる彫刻作品があったり、視覚に頼らない感覚によってアートを捉えなおそうという試みでもあるので、手話による展覧会紹介はとても良い話だと思った。各会場、そのサポーターの方が気になる作品限定で、雄弁に手で語っていただいた。今日撮影したその映像は、後にyoutube公開される予定だ。僕が普段目にしない方法で、様々な意思疎通がされている。そのことを意識することは、とても豊かなことだ。

6128声 別れる

2025年03月18日

 谷保玲奈さんの映像も含めた設置が終わり、龍子記念館の方のご好意で大田区のえらく大きな交流会館的な名前の豪華マンションに泊めてもらった。仕事もまだあるのですぐに群馬へ戻ろうと思っていたが、小金沢くんが昼に僕も知る作家に会うというので、こういう機会もめったにないものだしちょっとゆっくりすることにした。一緒に泊まったデザイナーの丸山晶崇さん(谷保さんの個展「け這う」フライヤー・図録を担当)と喫茶店のモーニングを食べ、丸山さんと別れた後に小金沢くんを乗せて車を走らせた。

 途中、彼の旧友が勤めている「日本近代文学館」にも立ち寄った。目黒区にあるそこは、その建物を囲む庭園も素晴らしかった。特集として震災に関連した詩や短歌の展示をしており、読み進めるうちに懐かしい気持ちが自分に戻るのを感じた。怖さ、悲しさ、本当に大切なものは何か、ということ。

 昼。大和由佳さん(過去には中之条ビエンナーレにも参加し、小金沢くんがキュレーションした山形ビエンナーレ2024にも参加した美術家)と合流し、カレーとビリヤニの店に。3人ともビリヤニとカレールーを頼む。机の上は食べ物でいっぱいになった。かなりの量であったが、3人ともきれいに平らげた。山形ビエンナーレの話、それぞれの近況、一緒に会うことはあまりない3人ではあるが、恥ずかしげなく言うと同じ時代をそれなりに懸命に生きている同志感がある。そういう友人(と言って良いのだろう)がいることが嬉しい。

 ビリヤニの後の喫茶店コーヒーまで済ませた後に、2人と別れて車に戻った。別れ際になんとなく、この2人の顔を良く覚えておこうと思った。深い意味はないのだが、そうしておこうと思った。

6127声 チームを組む

2025年03月17日

 3/29から大田区立龍子記念館で始まる谷保玲奈「け這う」展に映像で参加する。今日は作品の搬入日で、日本画家•川端龍子の美術館での展示に一つの映像、金土日のみ入れる旧川端龍子邸•アトリエ(こちらには谷保さんの大きな新作があるので、週末行くのがおすすめです)にも一つ映像を設置した。どちらの映像も、谷保さんと、キュレーターの小金沢智さんと意見交換をし協働して作った(谷保さんのご家族の協力も得ながら)。以前一度下見に来た際に、アトリエの大きな窓ガラスがとても印象に残った。それを囲むように広がる庭園の緑や光がガラスに反射している。<室内を眺められると同時に、野外が反射(reflection)している>ことが美しく、それに沿った映像を作った。

 小金沢さん、谷保さんとは、小金沢さんが学芸員を務めていた太田市美術館・図書館での2018年「現代日本画へようこそ」からの付き合いだ。谷保さんの展覧会ごとに、チーム谷保で映像制作も行っており、今夜も設営おつかれの酒席で「いいチームだね」という話をした。6/22までと長い開催期間なので、東京へ出た際にはぜひ。

6126声 機嫌良くいる

2025年03月16日

 ふと、鶴のひとこえの(ほ)の人、堀澤さんと話がしたくて、昨日彼がビールを醸している「シンキチ醸造所」を出てすぐに「飲みませんか?」とLINEをした。わりとすぐに帰ってきて、明日とかどう?と。僕はたまたま月曜日から県外で仕事だったこともあり、本庄市の店で飲もうという提案に即答した。堀澤さんおすすめの「自然派ワインとアテ・サクラ」。一番飲んだワインはフランスの「ラ・ヴィーニュ・ダンベール’22」。堀澤さんが、この店のマスターはワインの味の言語化がすごい、と力説していたがこのワインの解説には「スミレや黒果実にオリエンタルなスパイス感 メリハリあるエキス エッジが効いていながら滑らかな味わい」とあった。なるほど。僕は個人的に香りには醤油を、味にはお香を感じた。とても美味しかった。

 何を話したか、ということはここには書かないが、お互いの大部分の変わらない部分と、一部の変わった部分がある程度共有できた気がして嬉しかった。もう一人、機嫌良くいる人が堀澤さんの隣にいてくれたことも大きい。堀澤さんとは今後一緒にやりたいことがあって、それはすぐには動かなそうだけど、むしろ堀澤さんから提案されたこともあって、それを実現させることもとても良さそうだ。会うのは1年にあるかないか程度だけど、やはり自分にとっては、たまに彼と話すことは必要な事だなと思った。

 堀澤さんが「岡安さんは、悲しいってことがわかる人だ」と言った。そうだろうか。悲しさや寂しさを紛らわさず、向き合いながら、けれど機嫌が良い人でありたい。

6125声 呑む

2025年03月15日

 今日は電車で高崎へ。OPAの最上階のカフェで書き事をして、あとは仕事をしないと決めた。思う事もありシンキチ醸造所へ行こうと思っていたのだが開店前だったので駅前の串カツ屋へ。「とりあえず5串」みたいのを頼んで店員さんが説明もしてくれたが良く聞いていなかった。玉ねぎやエビはわかるが、肉っぽい2つは何だかわからない。そんなことは気にせず飲み食いする店なのだろう。

 前から行きたかった市役所そばの「本屋ブーケ」は小さいながらとても良い本屋だった。自然、旅、楽しさや悲しさ、そのガチな本を揃えるというよりは、それに対する憧れや入り口を示すような本が多い印象だった。全体の雰囲気としては、優しさに包まれている。

 シンキチ醸造所に以前行った時は、運転係で飲まずに帰った(なんていい人)。土曜日の夕方、2人で、僕のように1人で、ゆっくりビールを楽しんでいる人が多かった。そしてやはり「たまレバ」が美味い(玉ねぎた乗った鳥レバー)。席が埋まるようなら2杯飲んでさっと去ろうと思っていたが、ゆっくりできたので本屋で買ったばかりのエッセイ「さびしさについて」(植村一子・滝口悠生著)を結構読み進めることができた。その一節。

 「あるとき母親に対して、この人に自分の本心を話すのはやめよう、と強く決めた瞬間がありました。自分の一番近くにいる、一番わかってもらいたい人に対して求めることを諦める。まだ幼かった私には絶望でもありました。」

 こんな文章を読みながらも酒が呑めるようになった。大人になったのかもしれない。

6124声 流れる

2025年03月14日

 信頼は心臓、お金は血液

 一昨年から昨年にかけて、身に染みて思った言葉だ。その頃には全く戻りたくないのだが非常に貴重な体験だったとも思う。仕事でめちゃくちゃな失敗をして中古自動車1台くらいの損失を出したが、失敗当初は「信頼を失った、もうこの町には住めない」とまで落ち込んだ。一番ひどい時は、寝ようと思っても寝られず、30分もするとドキドキして目が覚める。病気の姉が隣の部屋で苦しんでいて、激しい咳が聞こえると行って姉の指にクリップをはさみ酸素量を図る。それが同時の出来事だったから、今思えば良く身がもったと思う(その時支えてくださった人には感謝しかない)。

 その時、お金はなくなっても死なない。それよりも大事なのは、人からの信頼だ、と思った。その失敗はお金で解決できて(機器の修復)、結果信頼は失わずに済んだ。お金はなくなっても死なない、とは言え、やはりないならないで身動きが取れなくなる(それもわりと同時期に経験した)。だからそうか、お金は行動をするための血液なんだと。それも実感を伴って理解できるようになってきた。

 今年は1年がかりの、とか数か月がかりの、とか長期の仕事が続いたので、今に至るまでの資金繰りが大変だった。ようやく終わる仕事が続き、お金という血液が回りはじめた(結果としては年度として過去最高利益が出せそう)。そういうことを書いてみると、ああ自分もようやく経営者として歩み始めることができているのかもな、と思う。もう一度言う。信頼は心臓、お金は血液。