日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和7年度は4月(す)5月(堀)6月(坂)7月(ぬ)8月(岡)9月(す)10月(堀)11月(坂)12月(ぬ)1月(岡)2月(す)3月(堀)の順です。

6135声 自称する

2025年03月25日

中之条町観光協会発行のフリーペーパー「nakabito」最新号vol.9のライターを務めた(撮影・デザインは中之条ビエンナーレディレクターの山重徹夫さん、表紙絵は石黒由香さん)。僕はvol.6から書いているのでライターとしては4冊目。発行当時は冊子だけじゃなくて映像記録もしており、その関わりから考えると長い仕事になっている。今号は今年開催の「中之条ビエンナーレ2025」に合わせ「地域とアート、移り住むこと」というテーマで、移住作家である

山形敦子さん(美術作家・文化財専門委員)
CLEMOMO(アートユニット)
佐藤令奈さん(画家)
古賀充さん(鉛筆画家)
相田永美さん(造形・絵本作家)
西島雄志さん(彫刻家)

を取材した。「中之条町で起きているアート界隈のこと」は実は数年前に本にして書きたいと思ったこともあるテーマで、それが部分的であってもこういう理想的な形で仕事になったことが何より嬉しいし、中之条ビエンナーレ含め群馬県内様々な美術館等で長年アートの映像記録に関わらせていただいている者として、中之条に生まれ育った者として、そして文章を本業とする者として(これもそろそろ自称してみようかと)考えるに今号は

中之条町の、でも、群馬県の、でもなく、日本のアートシーンにとっての重要な事象

が示されている1冊だと本気で思っている。観光協会のある中之条町ふるさと交流センターつむじや、先の「中之条ビエンナーレ2025」などで手に取ることができるので、ぜひご一読いただきたい。

できれば紙で読んでほしいが、下記よりWEBでもお読みいただけます。
https://nakabito.com/

6134声 夢の国へ行く

2025年03月24日

 まだ年度末仕事は収まっていないが、前々から約束していた東京ディズニーシーを楽しんだ一日だった。姉と2番目の姪っ子と2人を連れての、というか2人からの連れていけコールをもらっての決行。あちらが気合入りすぎているものだから午前二時に(!)群馬を出発。駐車場に着いたのは午前5時前だったか、すでにたくさんの車が並んでいる。

 開園一番で最新アトラクションだという「アナと雪の女王」の予約が取れたり(今のディズニーはスマホに特化されていて、入場もスマホのQR、チケットもスマホから予約権が獲れる、しかもお金を積めば長蛇の列関係なく優先して入れたりもする、なんかすごい)鶏モモ肉の燻製みたいなやつが美味しかったりしたのだが(あんなに広い園内なのに売っている食べ物はそれほど種類が多くなく、外部飲食業者は皆無なので、皆が鶏モモ肉の燻製かチュロスかポップコーンを食べているのはちょっと異様な光景だった)僕が印象に残ったことは、アナ雪の行列に並んだおじさん(僕と同じかそれより上)の、間もなく乗れるという時のきらっきらした笑顔だった。よほど好きなんだろうな、なかなかない笑顔だった。さすが夢の国。

 仕事と生活の切り替えは今年のテーマでもあって、何より姪っ子と遊びの行ける時間なんてあっという間になくなる。行けて良かったし、思っていた以上に思い出深い一日となった。

6133声 囲まれる

2025年03月23日

 みなさんは原美術館ARCへ行ったことがあるだろうか。美術に関心がないという人でも、その隣にある伊香保グリーン牧場を知っている人は多いと思う。渋川市中心街よりは榛名山寄りの山間にあり、なだらかな斜面に適度な自然が広がっている。国内外著名な作家の作品を展示し続けてきた品川にあった原美術館は2021年に閉館してしまったので、今は渋川のみ。一昨年から仕事で関わらせていただいており(その最初の仕事が奈良美智さんのインタビュー撮影だったので、足が数センチ浮いていた)、行く度に「とても良い場所だな」と新鮮な発見がある。

 今日は、始まったばかりの特別企画「ジャネット カーディフ:40声のモテット」に合わせて来日したジャネット カーディフさんのトーク撮影だった。音を中心に、夫のジョージ・ビュレス・ミラーさんと共に映像やインスタレーションを用いて作品を作り続けてきたジャネットさんの話はとても面白く、(アート関連の仕事はだいたいそうなのだが)一番の役得だなと思いながら記録をした。

 その作品、<40声のモテット>が素晴らしい。磯崎新建築の四角くて大きな天窓が美しい室内には40台のスピーカーが並べられている。見えるものとしては、それだけ。その1台1台から、1人1人の声が聞こえてくる(個別に録音されたものではないというから、その録音・編集技術の途方もないこだわりを想像できる)、その声が合唱となる。圧倒的な音圧に囲まれて(東京の美術館と違うので、音量も大きくできるとのこと)、その場には温かい初春の光が降り注いでいる・・これはぜひ体験していただきたい。5/11まで。

6132声 リフレインする

2025年03月22日

 今日は『黄金の一 岩島麻』の2回目の上映、「やんば天明泥流ミュージアム」に場所を移し、こちらも全席満員の素晴らしい上映会となった。僕は昼間から前橋で撮影があったので上映開始を見届けてから場を離れてしまったのだが、上映会に駆け付けた岩島麻保存会のこれまたレジェンド、久一さんが立派な精麻(麻の茎を発酵させてその表皮を挽いて繊維にしたもの)を持参で来てくれたことが嬉しかった。「映画見せるんだから、実物があった方がいいべ」と。ああ、いいものが残せたな、と思った。

 昼からは、アーツ前橋主催、3年に渡り前橋で滞在制作を行っている演劇団体「マームとジプシー」の藤田貴大さんらのトークの撮影だった。場所はしばらくぶりの前橋文学館。色々な話が面白かったが、「うちの母は、あれ買ってきて、って何度も言うんですよ。1回聞けばわかるのに。でも繰り返し言う(リフレイン)って気になっていて。舞台上で役者がいいセリフを1度言うのは普通だけど、聞き逃すこともある。ならば何度も言わせても良いのではないかって」というような内容が面白かった。そして、前橋空襲などもリサーチしている彼は「それが大事だと何度も言い続けてきた人がいたから今に残ってるんですよね」という話をした。

 それは僕の中で、午前の保存会の記録とも繋がり、「それだ大事だと何度も言い続けることの大切さ」を思った。その話はもう聞いたよ、と言われようとも、大切なことは何度でも伝えたい。

6131声 上映会を開く

2025年03月21日

 昨年半年かけて東吾妻町の岩島麻保存会の活動を撮影した。会員の高齢化もありその技術をマニュアル動画的に残すというのが一番の目的だったが、そのアーカイブ版以外に、一般の人たちに麻の仕事を伝える上映版と呼ぶべきものが完成し、今日、東吾妻町•麻の里会館で『黄金の一 岩島麻』の上映会を行った。

 初めての上映会。地元の方達で満員の会場の後ろの壁に貼り付き、見てくださっている方たちの笑い声や、現地ならではの懐かしんでついしゃべっちゃう様子をドキドキしながら見ていた。映像の中、保存会のレジェンド的存在、94歳の茂さんが若手(と言っても結構ベテランではある)の新井くんに仕事を教えるシーンでは涙している人もいた。現場においては作業中の普通の光景であるそれが、映像として丁寧に提示することにより、輝くということ。

 上映後には、若手で今回映像や写真集にも尽力してくれた名倉くんの熱い言葉。「群馬県内、日本国内、世界的に見ても、江戸時代から続く技法で麻仕事をしている団体は希少。若い世代に繋げるように励みます」。そういう人たちの背を押すものになっているなら、これほど嬉しい事はない。『黄金の一 岩島麻』はまだ生まれたばかり。今後に続きます。

6130声 関わる

2025年03月20日

 これは今までの僕のやり方の、一番良かった点でもあり反省すべき点でもあるのだけれど。普段から多くの人や団体と関わっている。僕の一番の自慢は

<素晴らしい人たちと知り合いであること>

なので、それは今までの関わりあってこそ。関係性の多さの良い点だ。だけど、自分の身や時間が足りないことが多々ある。もういい年齢でもあるので、自分がすべきことを注視するためにも<関わる>と反対の<関わらない>も意識すべきなんだと、最近思うようになった(むやみに関係を切るのではなく、バランスをとったり、これ以上増やさないとかね)。

 ・・と、いいつつ今日は2時間以上、中之条町で発生したチャレンジングな取り組み「くすしき」(インスタをやっている方は @kusushiqui_official をチェック)の打ち合わせを行った。来月早々に、四万温泉の柏屋旅館に夜集まって朝まで特別な時間を過ごす、というイベントを行う(それは以後も連続する事柄の第二弾)。なぜ関わることにしたかというと、興味ある知人が中にいて仕事として引き受けたから、ではあるのだが、この活動の中に<本質的な何か>を感じるからだとも思っている。空虚なことは、例え仕事といえどももうやりたくない。

 今年はこの<関わること/関わらないこと>についてももっと考えて行動していきたい。

6129声 手話をする

2025年03月19日

 アーツ前橋で開催中の「はじまりの感覚」展も今週末(3/23)までの開催となった。アーツ前橋は開館時から映像仕事で関わらせていただいており、今回も展覧会記録やインスタ用映像の作成のほか、同時開催された「MUJI for Public Space in Maebashi「うすい店」」展では僕自身初の「コマ撮りアニメっぽい映像」も制作した。それほんと大変だったので見てほしい・・はさておき。

 学芸員である辻瑞生さんからの提案で、美術館のサポーターの方によるこの展覧会の紹介映像を撮影しようという話になった。その方は日常言語が手話。耳は補聴器をつけて聞き取ることはできるが、お話しされるよりも数十倍、手話の方が表現豊かな方だった(僕は手話は全然わからないが、伝わるものはある)。

 「はじまりの感覚」展は、目が見えない彫刻家の三輪途道さんが参加していたり、実際触れる彫刻作品があったり、視覚に頼らない感覚によってアートを捉えなおそうという試みでもあるので、手話による展覧会紹介はとても良い話だと思った。各会場、そのサポーターの方が気になる作品限定で、雄弁に手で語っていただいた。今日撮影したその映像は、後にyoutube公開される予定だ。僕が普段目にしない方法で、様々な意思疎通がされている。そのことを意識することは、とても豊かなことだ。

6128声 別れる

2025年03月18日

 谷保玲奈さんの映像も含めた設置が終わり、龍子記念館の方のご好意で大田区のえらく大きな交流会館的な名前の豪華マンションに泊めてもらった。仕事もまだあるのですぐに群馬へ戻ろうと思っていたが、小金沢くんが昼に僕も知る作家に会うというので、こういう機会もめったにないものだしちょっとゆっくりすることにした。一緒に泊まったデザイナーの丸山晶崇さん(谷保さんの個展「け這う」フライヤー・図録を担当)と喫茶店のモーニングを食べ、丸山さんと別れた後に小金沢くんを乗せて車を走らせた。

 途中、彼の旧友が勤めている「日本近代文学館」にも立ち寄った。目黒区にあるそこは、その建物を囲む庭園も素晴らしかった。特集として震災に関連した詩や短歌の展示をしており、読み進めるうちに懐かしい気持ちが自分に戻るのを感じた。怖さ、悲しさ、本当に大切なものは何か、ということ。

 昼。大和由佳さん(過去には中之条ビエンナーレにも参加し、小金沢くんがキュレーションした山形ビエンナーレ2024にも参加した美術家)と合流し、カレーとビリヤニの店に。3人ともビリヤニとカレールーを頼む。机の上は食べ物でいっぱいになった。かなりの量であったが、3人ともきれいに平らげた。山形ビエンナーレの話、それぞれの近況、一緒に会うことはあまりない3人ではあるが、恥ずかしげなく言うと同じ時代をそれなりに懸命に生きている同志感がある。そういう友人(と言って良いのだろう)がいることが嬉しい。

 ビリヤニの後の喫茶店コーヒーまで済ませた後に、2人と別れて車に戻った。別れ際になんとなく、この2人の顔を良く覚えておこうと思った。深い意味はないのだが、そうしておこうと思った。

6127声 チームを組む

2025年03月17日

 3/29から大田区立龍子記念館で始まる谷保玲奈「け這う」展に映像で参加する。今日は作品の搬入日で、日本画家•川端龍子の美術館での展示に一つの映像、金土日のみ入れる旧川端龍子邸•アトリエ(こちらには谷保さんの大きな新作があるので、週末行くのがおすすめです)にも一つ映像を設置した。どちらの映像も、谷保さんと、キュレーターの小金沢智さんと意見交換をし協働して作った(谷保さんのご家族の協力も得ながら)。以前一度下見に来た際に、アトリエの大きな窓ガラスがとても印象に残った。それを囲むように広がる庭園の緑や光がガラスに反射している。<室内を眺められると同時に、野外が反射(reflection)している>ことが美しく、それに沿った映像を作った。

 小金沢さん、谷保さんとは、小金沢さんが学芸員を務めていた太田市美術館・図書館での2018年「現代日本画へようこそ」からの付き合いだ。谷保さんの展覧会ごとに、チーム谷保で映像制作も行っており、今夜も設営おつかれの酒席で「いいチームだね」という話をした。6/22までと長い開催期間なので、東京へ出た際にはぜひ。

6126声 機嫌良くいる

2025年03月16日

 ふと、鶴のひとこえの(ほ)の人、堀澤さんと話がしたくて、昨日彼がビールを醸している「シンキチ醸造所」を出てすぐに「飲みませんか?」とLINEをした。わりとすぐに帰ってきて、明日とかどう?と。僕はたまたま月曜日から県外で仕事だったこともあり、本庄市の店で飲もうという提案に即答した。堀澤さんおすすめの「自然派ワインとアテ・サクラ」。一番飲んだワインはフランスの「ラ・ヴィーニュ・ダンベール’22」。堀澤さんが、この店のマスターはワインの味の言語化がすごい、と力説していたがこのワインの解説には「スミレや黒果実にオリエンタルなスパイス感 メリハリあるエキス エッジが効いていながら滑らかな味わい」とあった。なるほど。僕は個人的に香りには醤油を、味にはお香を感じた。とても美味しかった。

 何を話したか、ということはここには書かないが、お互いの大部分の変わらない部分と、一部の変わった部分がある程度共有できた気がして嬉しかった。もう一人、機嫌良くいる人が堀澤さんの隣にいてくれたことも大きい。堀澤さんとは今後一緒にやりたいことがあって、それはすぐには動かなそうだけど、むしろ堀澤さんから提案されたこともあって、それを実現させることもとても良さそうだ。会うのは1年にあるかないか程度だけど、やはり自分にとっては、たまに彼と話すことは必要な事だなと思った。

 堀澤さんが「岡安さんは、悲しいってことがわかる人だ」と言った。そうだろうか。悲しさや寂しさを紛らわさず、向き合いながら、けれど機嫌が良い人でありたい。

6125声 呑む

2025年03月15日

 今日は電車で高崎へ。OPAの最上階のカフェで書き事をして、あとは仕事をしないと決めた。思う事もありシンキチ醸造所へ行こうと思っていたのだが開店前だったので駅前の串カツ屋へ。「とりあえず5串」みたいのを頼んで店員さんが説明もしてくれたが良く聞いていなかった。玉ねぎやエビはわかるが、肉っぽい2つは何だかわからない。そんなことは気にせず飲み食いする店なのだろう。

 前から行きたかった市役所そばの「本屋ブーケ」は小さいながらとても良い本屋だった。自然、旅、楽しさや悲しさ、そのガチな本を揃えるというよりは、それに対する憧れや入り口を示すような本が多い印象だった。全体の雰囲気としては、優しさに包まれている。

 シンキチ醸造所に以前行った時は、運転係で飲まずに帰った(なんていい人)。土曜日の夕方、2人で、僕のように1人で、ゆっくりビールを楽しんでいる人が多かった。そしてやはり「たまレバ」が美味い(玉ねぎた乗った鳥レバー)。席が埋まるようなら2杯飲んでさっと去ろうと思っていたが、ゆっくりできたので本屋で買ったばかりのエッセイ「さびしさについて」(植村一子・滝口悠生著)を結構読み進めることができた。その一節。

 「あるとき母親に対して、この人に自分の本心を話すのはやめよう、と強く決めた瞬間がありました。自分の一番近くにいる、一番わかってもらいたい人に対して求めることを諦める。まだ幼かった私には絶望でもありました。」

 こんな文章を読みながらも酒が呑めるようになった。大人になったのかもしれない。

6124声 流れる

2025年03月14日

 信頼は心臓、お金は血液

 一昨年から昨年にかけて、身に染みて思った言葉だ。その頃には全く戻りたくないのだが非常に貴重な体験だったとも思う。仕事でめちゃくちゃな失敗をして中古自動車1台くらいの損失を出したが、失敗当初は「信頼を失った、もうこの町には住めない」とまで落ち込んだ。一番ひどい時は、寝ようと思っても寝られず、30分もするとドキドキして目が覚める。病気の姉が隣の部屋で苦しんでいて、激しい咳が聞こえると行って姉の指にクリップをはさみ酸素量を図る。それが同時の出来事だったから、今思えば良く身がもったと思う(その時支えてくださった人には感謝しかない)。

 その時、お金はなくなっても死なない。それよりも大事なのは、人からの信頼だ、と思った。その失敗はお金で解決できて(機器の修復)、結果信頼は失わずに済んだ。お金はなくなっても死なない、とは言え、やはりないならないで身動きが取れなくなる(それもわりと同時期に経験した)。だからそうか、お金は行動をするための血液なんだと。それも実感を伴って理解できるようになってきた。

 今年は1年がかりの、とか数か月がかりの、とか長期の仕事が続いたので、今に至るまでの資金繰りが大変だった。ようやく終わる仕事が続き、お金という血液が回りはじめた(結果としては年度として過去最高利益が出せそう)。そういうことを書いてみると、ああ自分もようやく経営者として歩み始めることができているのかもな、と思う。もう一度言う。信頼は心臓、お金は血液。

6123声 追加する

2025年03月13日

 長いこと関わった映像の編集が形になり、その書き出し(映像編集は、絵や音を切り貼りした後に、1つの映像データとして書き出す必要がある。パソコンのスペックや映像の長さ等にもよるが長いものは書き出しで4時間以上かかるものも)合間に飯を食べに出た。14時を過ぎていたが、「あ、つむじのスパイスわがんせまだ間に合うかも!」と中之条町ふるさと交流センターつむじに。しばらくぶりの来店だった。

 一仕事終えて気持ちも高ぶっている。「あいもりカレー、温玉付きで!」とオーダー。週替わりで種類が変わる店。今日はポークときのこのコルマカレーと麻辣豆腐キーマのあいもりだった。温玉もスパイスの味付けがされていてうまい。一仕事終えての外食ってなんでこんなに美味しいのだろうか(まだそれ終わってないけど)。映画好きの店主と高崎映画祭話ができたのも良かった。

6122声 会議する

2025年03月12日

 今夜は伊参スタジオ映画祭の会議だった。まだ寒い時期なので町役場の会議室を使う。映画祭は2001年から始まったので、長い歴史を持つ。僕含め長いこと続けているスタッフもいるが、ここ数年で入ってくれた若めのスタッフもいる。近年はそういった新しめのスタッフが頑張ってくれており今夜も比較的多く集まってくれた。

 映画祭の柱とも言うべきシナリオ大賞(全国から映画シナリオを募集し映画化させる取り組み)もすでに2人の監督がロケハン(映画の撮影地を探すこと)で来町しており、部分立ち合いもしたのだが映画化がすでにめちゃくちゃ楽しみだ。仕事上、映画よりもアートが身近になって随分と経つが、今年に入ってから映画熱が再熱している。一言で理由を言うなら、人生を描くならやはり映画が良い、ということなんだと思う。人生を見たい、見せたいのだ今は。

6121声 コピペする

2025年03月11日

 今月、なんとなく動詞をタイトルにしようと決めた。めっかった群馬「鶴のひとこえ」は続いて長い。2011年3月11日に自分が何をしていたかと考えた時に、当時は中之条町の町中にある「ふるさと交流センターつむじ」でテナントの1つを営業していて、地面が揺れて中庭に出たら当時道路向かいにあった群馬銀行の窓ガラスが割れた。そのことを未だに覚えている。その後の事もつらつら書けはするがふと、その当日の「鶴のひとこえ」を読みたくなった。すでに公開されているものなので無断でコピペをしたい。担当は、抜井諒一氏であった。

1166声 地震について

2011年03月11日

3月11日午後18時に、高崎市の自宅で書いている。
今日の午後、東北地方太平洋沖で、大地震が発生した。
現在も、断続的な余震が続いており、各地の被害状況も拡大している。
各報道を見るに、交通機関の麻痺、建造物の倒壊、停電や火災など、
様々な災害が確認されている。
読者諸氏。
貴方自身、そして貴方の周りの人の、安全確保を、優先されたし。

地震の時分。
私は高崎市街地に居たのだが、路上に避難している、
幼子を連れたお母さんが目に止まった。
小さな子がいる家庭は、今晩、特に注意した方がよいだろう。
この文章を読んだら、まずは、焦らず。
また、今、揺れている模様。

【天候】
終日、風強くも、雲の無い快晴。

1167声 助け合うこと

2011年03月12日

電話が繋がらない。
と言う事もあったが、種々の事情を鑑みて、
昨夜は見送って、今朝、受話器を取った。
繋がって、話した。
無事、であった。
電話先の相手は、仙台市に住む私の親戚、である。

一晩、家の中に居て、外へは出ていないと言う。
なので、地震や津波による被害など、外の状況は把握していないが、
兎も角、家屋内は、激しく損傷しているらしい。
水や食料の確保に苦慮しているが、さしあたり、
生命の危険はないと言う。
高齢であり、持病もあるので、いささか心配だが、
仙台市の現状では、そのまま、家に居た方がよい。
と、本人も言っていた。

困っている人を、助ける。
自分の生活の範囲で、自分の手の届く範囲で。
お互いが助け合えば、きっと、大丈夫。
そう言う教育を、受けて来たではないか、私たちは。

【天候】
終日、雲一つない、快晴。

6120声 想像する

2025年03月10日

 最近ずっと仕事のことと身の回りのことを考えていたので、外への想像力が欠乏していることに気付いた。気付いたのは、伊参スタジオ映画祭で映画『山歌(サンカ)』を監督した(その映画は、山々に実在した流浪の民・山窩(サンカ)を題材に六合で撮影された力作)笹谷遼平監督の1945年東京空襲体験記 東京空襲「せめて名前だけでも」公開プロジェクトの映像を見たからだ。8分弱の映像なので、ぜひご覧いただきたい。
1945年東京空襲体験記 東京空襲「せめて名前だけでも」公開プロジェクト

 歴史を、外を想像するということは、自分以外について考えると思いがちだが、どこか自分に絡めないとすぐに忘れたり、他人事であり続けたりしてしまう。だから身に体験のない空襲であっても、すでに多くを忘れてしまった震災であっても、それ以外であっても、自分を通してもう一度考える。

自分は何をしたいのか
自分は誰を救いたいのか

6119声 登る

2025年03月09日

 群馬県の仕事で猟友会に密着し、高度銃猟技術研修用動画を制作する仕事が長く続いた。納品も終わり(昨日、その動画を用いて初めての狩猟実習会が開催されたはず(参加はできず)/実習会向け映像なので一般公開はないと思います)良い仕事ができたという実感がある。

 猟友会の取材は、過去にも2回行っていたが(群馬県のyoutubeチャンネルで狩猟と検索すると2つ動画が出ます)、今回は毎週日曜日に吉井町に通い密着する仕事。カメラマンが山の中までついていけない、は本末転倒なので、昨年11月あたりからだったろうか、主に夜ウォーキング(徘徊?)をして、体を慣らせていった。その後も体を動かしたくなる状況が重なり、3日坊主で終わると思われたそれは今も続いている。それ以前の僕からしたら、驚きだ。

 とはいえ、密着は終わってしまった。平地も好きだが、山に身を置きたい気持ちが残っており今日は仕事合間に地元嵩山に登った。大天狗側から山頂付近の広場まで登り、すぐに下山して46分。息は切れるし、ちょっと辛いなと思ったがその程度で登れるようになった。うちから車で5分で行けるのだ、これからもホームマウンテンとして登っていきたい。

6118声 方々へ行く

2025年03月08日

 このところずっと仕事ばかりしてきたので、まだ色々立て込んではいるが今日は休みと決めた。話したいこともあったので、長野原町在住のアーティスト・木工職人である中川浩佑くんを誘い、彼が全然知らないという群馬県のアートシンを訪ね回る一日にした。

 道の駅まえばし赤城の「SHOP CAFE Qu」で行われている若き自由画家ぽんちゃんによる「描きたいんだ!」展、展示されている映像を担当した太田市美術館・図書館の「原田郁・衣真一郎 リポジトリ:内と外で出会う」展、たまたまタイミングが合った中之条ビエンナーレ関連作家の「SUBARU × ART OTA CITY EXHIBITION」展、こちらも太田同様に映像で関わっているアーツ前橋の「はじまりの感覚」展。ほんとうはあと2ヶ所くらい行きたかったのだがそれでもう夕方だったので、岡本太郎の鐘やギャラリー・ヤーギンズ前、白井屋ホテルなど、活気を取り戻した前橋中心地を散歩して一日を終えた。途中と最後、めっちゃ美味しいパキスタン料理の伊勢崎「サラームカレー」と知ってて損しない渋川市の「たか幸食堂」(もつ煮定食を激押しした)にも立ち寄りながら。

 中川くんの作る作品は独自で、ジャンルで言ったら造形×音。エアリアンハープと呼ばれる「作品に貼られた弦が風によって振動し音を発する」作品を作っている。最新作は、彼が勤める会社・きたもっくが北軽井沢スウィートグラスに建てためちゃくちゃ高い位置に作ったツリーハウス(そのハウスは稲垣豊さんの手によるもの)。エアリアンハープが設置されており、浅間山から吹き下された風が音を奏でる(僕はまだちゃんと聞いていない)。

 中川くんから、彼が若い頃にイギリスを中心にヨーロッパ各地を巡った旅の話を聞いた。一方の僕は今の気分として「大事なものは足元にある気がしてるんだよね」と話した。