日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

5591声 重要な変換

2026年06月24日

先に書いた『急に具合が悪くなる』の原作本をすぐに購入した。注目される映画ながら、前橋のブックマンズアカデミーですら在庫は1冊。平積みでもなく書庫検索をして見つけた。『国宝』など人気映画の小説原作本とは違い、2019年に出版された哲学者・宮野真生子さんと人類学者・磯野真穂さんによる往復書簡本なのだから仕方ないと言えば仕方ない(購入時に書店員さんに「この本、目につくところに平積みすれば何冊かは出る本だと思いますよ」と言いたい気持ちを我慢した。言ったらただの気持ち悪い客ではあるが。)

映画『急に具合が悪くなる』は、原作にある日本人2人の往復書簡に書かれた魂の軌跡とも呼べるような何かを、映画という表現に変換をした。舞台がフランスになったり、主要人物の一人がフランス人になったりもしている。磯野さんのポッドキャストを聞いても「映画の原作と言われると違うものなのだけど、濱口監督はものすごく読み込んで大切な部分をプロの技術で映画にしてくれた」的なことを話している。僕は、その<小説の優れた映画化>ではなく<小説ではない現実に生きた人たちの往復書簡から大切なエッセンスを映画化させた>ことに興味がある。その大切なエッセンス(まだ本は読めていないけど、僕が勝手に予想して魂の軌跡と書いたもの)は何なのか? そしてそれを映画で語る際の具体的手法は何なのか?(それはカメラと俳優との距離だったり、映画内に流れる作られた時間だったりするだろう)あたりに興味がある。

あの映画面白かった、つまらなかったで終わらずに、今そこに興味があるということは、きっと自分はまだ<作り手である>ということなのだと思う。

5590声 急に具合が悪くなる

2026年06月23日

新しい映画が公開される度に映画館に観に行こうと思う監督がいる、ということはとても幸福なことだと思う。濱口竜介監督がまさにそれで、『ドライブ・マイ・カー』以降は『偶然と想像』『悪は存在しない』と映画館で観てきた。カンヌ映画祭で日本人初の主演女優賞を獲得したことでも話題の『急に具合が悪くなる』も、196分という上映時間は何ら気になることはなく(むしろ濱口ファンであれば長ければ長いほど喜ぶかも)公開後早めにシネコンで鑑賞をした。めちゃくちゃ良かった。

映画の中に人生は残せるのか、映画で世界を変えられるのか、という事を真顔で実践し、けれど説教ではなく人間賛歌である本作。映画好きはもちろん、自分が成すべき使命や文字通りの余命について考えている方、福祉介護関係で働いている方は仕事の一環での鑑賞をしても良いくらい、考える事が多い作品だと思った。7/17(金)からはシネマテークたかさきでも上映されるので、騙されたと思って観に行ってほしい。過去作品よりも人を選ばない間口は広い作品だと思う。

5589声 マップアプリに騙されて

2026年06月22日

自己責任、の一言で終わる話。

知り合いの紹介で、初めて関係する会社に車で向かっていた。埼玉県なので土地勘は全くない。iPhoneのマップアプリに行き先を打ち込んで、30分早く着くように出発した。車はずんずんと山の中に入っていく。インテリアのショールームということで、きっと喧騒から離れたところにあるモデルルームみたいなところなんだとぼんやり思っていた(自分が正しいと思い込む正常バイパス効果)。

着いたーら、そういう面影もない。人家や踏切はあるが、絶対になさそうと言い切れる。すぐに間違いと気付いた。改めて調べ直すと、ここから1時間遠い距離にあった。完全に遅刻。撮影の立ち会いもする知り合いに連絡して平謝り、Googleマップで場所を特定し、急いで向かった。

マップアプリでこうなったことはこれが最初ではない。以前も、全く関係ない場所に連れていかれてぽかんとなったことがある(マップアプリよりはGoogleマップの方が信じられるみたいよ)。そんな間違いではなくてもスマホを頼りに道を走っていて

おいおいこんな細い道を走らせるのかい

ってことは、多くの人が体験していることだと思う(車に古いカーナビは付いているが、道路情報が古そうだからどうしてもスマホを使ってしまう)。むしろ、僕は余裕がある時なら

ほうほうこんな道を走らせるとは面白い

と思う変人タイプではあるのだが、今回はほんと平謝り案件だった。自己責任、の一言で終わる話。

5588声 モロッコいんげん

2026年06月21日

モロッコいんげん、という野菜は固定種のレア野菜だと思っていたが、わりとどこにでもある野菜かもしれない。僕はこの野菜をとても食べ慣れていて、というのも母親が裏庭でこのいんげんを育て、すべては収穫せずに種になるまで待ち、それを翌年に裏庭に蒔いてを繰り返してきた野菜だったからだ。

母親はよく、これをただ油で炒めて塩胡椒をして食卓に出していた。肉厚でさや自体がもきゅもきゅといい歯ごたえで、癖も少なくて食べやすい。あとはじゃがいもや玉ねぎと共に味噌汁となって食卓に出てきた。あまりにたくさん獲れる年もあり、そういう時は吉岡町の姉家族が来た時に持って帰らせたり、頻繁に食べて消費していた。天ぷらにしても美味しい。

昨年、その種が獲れなかったのだという。ただそれだけで、食卓からモロッコいんげんが消えてしまった。春になりファームドゥーにも行ってみたが、インゲン豆の苗はあってもモロッコいんげんの苗はない。仕方ないとインゲン豆の苗を2株買って実家の畑に植えてみた。

スーパーだったか道の駅だったか、先日モロッコいんげんが売っているのを見つけた。2袋買って、1つは母親にあげた。もう1つは、じゃがいもと共に煮て、味噌汁にした。じゃがいものほくほくと、モロッコいんげんのもきゅもきゅがとても合う。美味しかった。

5587声 ジュノベーゼ

2026年06月20日

庭のプランターのバジルがわっさわっさしてきたので、一度に大量に消費してやろうと思った。そうして浮かんだのが、作ったことはないジュノベーゼだった。検索すると、松の実や特殊なチーズはなくとも、カシューナッツと粉チーズで作れるらしい。

わっさわっさに育ったバジルをボウルいっぱいに収穫し水洗い。ミキサーに入れ、ニンニク2片とカシューナッツ、オリーブオイル、塩を入れてブイーンと粉砕させる。そこにわりとたくさんの粉チーズを足して再びスイッチオン。パスタを茹でる。

10代の終わりにパスタ屋でバイトして依頼、パスタは我流でたくさん作ってきたし、外食でもそこそこ好んで食べていた方だとは思うが、ジュノベーゼを食べたことは・・なかった気がする(1度や2度食べて忘れているだけかもしれないが)。茹で上がった麺をボウルでソースと混ぜ合わせ、皿に盛った。

美味しーーーーーーーーーーー 自分の庭で採れたバジルだからなおさらなんだろう。美味しい。

5586声 パセリと紫蘇の植え替え

2026年06月19日

庭の鉢植えとプランターに、オクラと紫蘇とバジルとパセリと食用ほおずきを植えている。

紫蘇とバジルは、種から芽吹いたものもある。適当に撒いたら、1つのプランター内に若芽がわっちゃわっちゃと窮屈そうになってきた。苗くらい大きいものもある。ので、それぞれをそっと優しく掘り起こし、間隔を等間隔に植え直した。それでも芽や苗が余ってしまったので、多少日当たりは悪くなるところだが地植えもしてみた。植え替えをしてみて、しばらくじっと見ていた。愛着というやつだ。苗の周りには肥料も少し撒いた。

翌日になって見てみたら、どれも枯れずに立っている。うまく根を張ってくれると良いのだが。

5585声 夏の雲が

2026年06月18日

もくもくと、夏の雲が立つようになった。
田んぼの稲穂は、可愛らしさと頼もしさの間くらいの丈に育っている。
朝であっても日差しは日中の暑さを思わせる。
季節はいつでも、僕の気持ちの先をいく。

蝉はまだ鳴いていない。

5584声 塩だったのだ

2026年06月17日

最近めちゃくちゃ料理をするようになった。とはいえ、ノールックで何も見ずにあれもこれも作れるわけではなく、今までに買い貯めた料理本や、好きな料理系YouTuberのレシピ、スマホでちょいと検索して作ったりする。

料理人の人は何を今更という話ではあるが、たくさん料理をしていると気づくのだ、塩だったのだと。塩気のないものは美味しくない、その逆で、塩っ辛いものも作りがちだった。きちんと計ると美味しい、というだけの話ではなくて、たとえばその野菜に、その肉に、あとどれくらい塩をかければ適正なのかと、指で塩を挟み微量をパラパラやりながら前よりはわかってきたような気がするのだ。

お風呂の適温を探すように、良い塩梅を探したい。

5583声 手紙のような

2026年06月16日

「Art Fair Nakanojo」では、故人であるスタン・アンダソンさんの作品も出展されている。パートナーであるさゆりさんが「自分で所有して古くなっていくくらいなら、良いと思う人に持っていてもらいたい」という気持ちから、スタンさんの娘さんの同意やスタンさんが出品していた美術館学芸員のアドバイスなども考慮して参加に踏み切った。

スタンさんの作品は個性的で、自然に還るもの以外は使用しなかった。主だったものは木の樹皮を木のハンマーで叩き、それを紙漉きのように平面に固めたもの。その中には貝殻で素朴な鳥やカエルが描かれた作品もあるし、平面そのものがフクロウの形だったり、スタンさんが歩いた六合暮坂の地図の形をしている作品もある。

僕はアーティストではないし、作品制作のスタイルは人それぞれなので断言はできないのだが、今月先に紹介した障がいを持つ方は誰かのためではなく多分、自分のために絵を描いたり紙をちぎったりしている。一方で人に見せるという行為を始めた段階で、子どもはあるいはアーティストは「誰かへの手紙を綴るように」作品を作っているのではないかと思うことがある(あるいは、障がいを持つ人もそうかもしれない)。その手紙は、こんちはくらいの軽いものかもしれないし、最愛の人に向けたラブレターかもしれないし、戦争に対する挑戦状かもしれないし、宇宙に対するテレパシーかもしれないが、受け取る方も受け取る方で好き嫌いで受け取ったり受け取らなかったり感動したり不快に思ったりする。

スタンさんの作品はもう新作が生まれることはない。それも踏まえると、作品を持つ(見るだけでも良いが)という行為は無数に流れている手紙の渦の中からただ1枚を選び取る、奇跡にも近い行為のようにも思える。そういうふうに丁寧に、作品が見れたら素敵だろうな。

5582声 20年を経て(AFN2026)

2026年06月15日

第二回 「Art Fair Nakanojo」が中之条町の旧廣盛酒造で開催されている。6/21(日)まで。これは、2017年から始まった「中之条ビエンナーレ」をきっかけに中之条町へ移住してきたアーティストを中心に、同芸術祭に参加している37組自らが画廊等を通さず自らの作品を展示販売するというイベントだ。その広告映像を担当している。

「越後妻有トリエンナーレ」「瀬戸内国際芸術祭」を筆頭に、地方芸術祭は日本各地で行われ、今年も群馬県前橋市では「前橋ビエンナーレ」が著名なアーティストが集う芸術祭として立ち上がっている。中之条は、現在もディレクターを務める山重徹夫さんがその仲間と共に町の協力のもとコンパクトに立ち上げた芸術祭であったが、地方芸術祭の多くが数年で開催を終える状況がある中で2年に1回の開催で第十回を数えるまで続き、このアートフェアのような派生イベントまで起きるようになった。これは、全国的に見ても稀な展開なのではないかと思う。

花を飾るように、アート作品を家に飾る。おすすめです。

Art Fair Nakanojo インスタグラム

5581声 ファームドゥー開店待ち

2026年06月14日

久しぶりに母親を原町日赤の定期検診に送り届ける。帰りは自由に買い物してバスで帰ってくるので送るだけで用は終わる。そのまま仕事に行くのが常だが、近くにあるファームドゥーの駐車場に入る(これが今)。開店までしばしある。

先月、野菜苗を買ったりして昨年に続き「食用ほおずき」もわざわざネットで買って植えてみたのだが、昨年の品種とも違うようで全く大きくならない。そんなニッチな野菜の苗はファームドゥーでは売っていないのだが、日照が悪い場所に植えてしまった食用ほおずきを違う場所に植え替えて、ほおずきがあった場所に違う野菜を植えてみようかと、ファームドゥーの開店待ちをしてるわけだ。

植える上にはネットが張ってあるから、今まで植えたことのないゴーヤでも買ってみようかな。あ、開店した。

5580声 弁天通りの明るい影

2026年06月13日

前橋アーケード街といえば、そこから電車で山へ一時間ほどの田舎に住んでいた僕にとっては憧れの場所だった。東京なんて遠いしお金ないし怖くて行けない。だが、前橋なら行ける。

中学生の頃は高崎にもあまりパッとしたものがなくて、たまの休みに電車で前橋に行っては、駅からやや離れた場所にあるアーケード街に行き、特に何を買うということでもないのだけど、大きな本屋に行ったり、何かを買い食いしたり、ぶらぶら歩いたりした。

その後、2000年頃(前後はわからないがかなり長い間)は他の地方都市と同様にアーケード街は明るさを失った。買い物は郊外のショッピングモール。商店の人たちも年をとったのだと思う。僕に限らず前橋に遊びに行くなどという声は聞かないようになり、友人に連れられ飲みに行っても寂しい町という印象があった。

前橋アーケード街が賑わってきたのはいつからなのだろうか。眼鏡ブランドのJINSが古いホテルを豪華なアートホテル「白井屋ホテル」に変えて、おしゃれな建築でパスタ、どらやきなどの店が並び、無印良品も入ってきて、古い建物に居抜きで食べ物屋が入ったりビール醸造所が入ったり、小さな本屋が入ったり、古い建物を壊して新しい建物ができたりしている。

多分、商いはやめてもずっと住居として暮らしていた方達が家を手放すタイミングだったのかもしれない。また、一部が賑わうと、いい意味でそれに乗っかって誰かが商いを始める。郊外でぽつんと店を出すくらいなら、人が歩くようになったアーケード街でやろうと思うんじゃないだろうか。

アーケード街にも北と南があって。前橋中央通り商店街(南)はおしゃれな店が並び常に明るい感じがする。一方の弁天通り(北)は、古い屋根の影響なのか薄暗く、通好みの店が並んでいる。先日、映画監督のトークが行われたのは弁天通りの道端で、近くでは若者から中年までが楽しそうに酒を飲んでいた。明るすぎず、でも暗すぎでもなくなった弁天通りが体に合うのだと思う。

5579声 強い気持ち、円になって

2026年06月12日

映画『ブルーボーイ事件』は、実際に起きた日本で最初のLGBTが関連する裁判をもとに作られた映画だ。風俗の摘発で検挙された「生まれは男性だけど手術によって女性の体になった人」は裁けないという理由から、手術を行なっていた医者が被疑者として上げられる。劇中のその裁判で問われるのは証言に上がった手術を受けた人々が「性を変えたことで幸せになったのか」ということ。監督である飯塚花笑は自身がトランスジェンダーであることを若い時からカミングアウトしているが、本作の役者においても当事者キャスティングを重視し、主演の中川未悠さんを筆頭に当事者たちが真に迫った演技をしている(現在、Netflixでも視聴できるのでおすすめしたい)。

その飯塚監督の生誕祭なるものが前橋で行われるというので、飯塚監督に呼ばれたこともあり行ってみた(彼とは中之条町観光協会の仕事で「中之条ぽわぽわ」というドラマシリーズを一緒に制作し、年は僕より一回り若いが親しくしている)。

そうしたら、たくさんいるではないか、生誕祭を祝う人たちが。前橋の商店街にスタジオを持ち、市民を対象とした俳優ワークショップも行う彼は、人気者なのだ。ちょうど時を重ねてまえばしシネマハウスで飯塚花笑監督特集上映をしていることもあり、彼の映画に出演した俳優たちも数人、わざわざ前橋に集まっていた。トークの相手は、彼がシネマテークたかさきでアルバイトをしていた時から活躍を見守ってきた高崎映画祭の志尾睦子さん。その光景を見て・・・・なんかすげーなと思ってしまった。僕も周りに人がいてくれる方だと思うが、種類が違う(良い悪いじゃないけど)。

『ブルーボーイ事件』は国外でも上映され、飯塚監督はその立ち会い後にどこかの国だったかで倒れた。かなりやばい一時的な病気だったようだが、今は回復している。その回復時にSNSで「命は有限、僕はもう自分が本当にやりたいことしかやりたくない」的なことを書いていた気がする。日頃優しい人間ではあるが、映画の中には彼の「怒り」が常に充満しており、本音の人間なのだ。そういう強い気持ちが、前橋の夜に人の円を作っていたのだと思う。

5578声 温泉郷クラフトシアター

2026年06月11日

群馬県中之条町はイベントの多い町だ。しかも1つ1つに年季が入っている。僕がずっと関わっている「伊参スタジオ映画祭」は今年25回目の開催。撮影で関わる「中之条ビエンナーレ」は昨年が10回目(2年に一度なので20年)。町主催ではないがデザイン等で関わる「秋、酒蔵にて」は18回目の開催。そして、「秋、酒蔵にて」から派生した「温泉郷クラフトシアター」は今年の開催で7回目となる(こちらも2年に一度なので14年か・・早い)。

温泉郷、という言葉は開催場所である四万温泉にかかっている。そしてクラフトシアターという聞き慣れない造語は、ものづくり作家(クラフト作家)本人がその場にいて、その技を直に見ることができる(シアター=劇場)というイベント趣旨から名付けられた。見るだけではなく、ワークショップ形式で作家指導のもと様々なものが作れる。スタートは、ビエンナーレディレクターの山重徹夫さんがフライヤー等のデザインを担当し、前々回くらいから僕が担当することになった。今回は、A2サイズの大きな紙のMAP折りリーフレットを作った。

ものづくり作家は入れ替わりもあり、今年はかなりフレッシュな顔ぶれだと思う。古参メンバーであるステンドグラス作家の舛田弘彦さんがぐいぐいと引き入れた(そういう行動力は持ち合わせていないのですごいなと思う)。参加作家は

雨ザラシ工房(皮革) : 小野里健一
ホシ描キ(イラスト・羊毛人形) : 金子  
黒板アーティスト 錦鯉野アキコ(絵画・アート)NEW
アカゲラクラフト(木工・木材コーディネーター) : 山田裕久 NEW
書・道楽 : 宮森庸子
自然素材と麻の手仕事 : chica notch NEW
十文字工房(鉄工芸) : 鈴木浩
歓喜家(金工) : 中島皓士 NEW
工房無限大(陶芸) : 水野正子
群馬県障害者芸術文化活動支援センター こ・ふぁん(障害者アート活動・染め) : 代表 野村裕子
ぐりーんぴーす(カヌー) : 鈴木千尋
shaggy〜triangle art〜 (ボールペン画)NEW
うた種(手芸) : 曽根原詠子
はるのおさかな(アップサイクル) : 長塚菜摘(山田鰆)
ともこ(籐細工) : 中嶋ともこ
ステンドグラス工房 浪漫館 : 舛田弘彦
marsa *(アクセサリーと自然素材のオブジェ) : 岡本牧子
竹灯籠.チームゆり : 福田由里
境野革修繕店 : 境野涼 NEW
MAKIBITO×YAACHO(金属・陶芸):高木牧人・高木沙季 NEW
mäki mökki(白樺樹皮細工) / 富田麻紀 NEW

各SNSも運用されており、参加作家であり僕も日頃から映像編集をお願いしている長塚菜摘さんが独自の映像を作るなどして頑張っている。会期は7/18から。ぜひ四万温泉に来ていただきたい。

instagram

「作家 meets 作家」vol01.鉄工芸 鈴木浩(十文字工房) meets 画家 佐藤令奈

5577声 草刈り

2026年06月10日

最近はじめたことの1つに、草刈りがある。2ヶ月前より、実家の隣の空き家をお借りして住み始めた。冒頭偉そうに草刈りやってます的なことを書いたけどまだ3回、ちょこちょこしか刈っていない。

実家暮らしの時は完全に母任せだった。それ以外の場所でも、食事作りは好きでしていたが草刈りはしていない。嫌いという以前に「自分がやること」という意識が欠落している。今の住宅は草刈り不要なマンションなども多い。意識が欠落している人は僕に限らず多くいるのではないかと思う。

草刈りをしない代わりに、パソコンに向かい映像の編集作業などをしていた。世の中には、分業というものがある。料理人は野菜を育てる必要はないし、俳人は梅や桜を育てる必要はない。けれど、自然と向き合わず生きてきたという思いがずっとあって、ゆえに草刈りをする人を、農家に代表される自然と向き合う人たちに対して、強い憧れと劣等感があったように思う。

それがちょこちょこの草刈りで埋まるとも思わないのだが、ある程度低く平らになった地面を見ると、気持ちが良いものだなと思う。

5576声 合わせない選択

2026年06月09日

(続き)栃木県の「もうひとつの美術館」は明治の面影を残す校舎で2001年から始まった。「みんながアーティスト、すべてはアート」を掲げ、普段から障がい者アートにも力を入れている。

今回撮影した「繰り返しの極意Ⅱ」展は12人の作家が参加。それぞれに、先述したチハヤ会や、ほかに群馬だと工房あかね、県内外各地の福祉施設に通ったり滞在している利用者の方たちが、作家として名を連ねている。どれも良かった。

工房あかねの鈴木雅史さんはものすごーく細かい絵を書く。会場には虫眼鏡が置かれており、それでじっと覗き込むくらい細かい。はじめ、それはただ点を規則的に打ったもののように進められているっぽい。そしてその点に色が重ねられていくと、鳥の輪郭を帯びてくる。全ての作品がそのスタイルで貫かれている。どれだけの時間をかけたのだろうか。写真では(映像でも)伝えにくい<迫力>がその絵を対面すると感じられる。

チハヤ会の小原武さんも面白い。普段から(ボールペンだと思うが)紙に絵を描く。絵と言っても何かを書き写すわけではなく、自由な線だけが紙の上を踊っていく。そして彼は、それをびりびりに破くのだそうだ。描いてはびりびり、描いてはびりびり。くしゃっと丸められた紙はけっこうなボリュームにもなる。いつからか、チハヤ会のスタッフはそれを捨てずにとっておくようになった。実際、美術館の会場にも、大きなポリ袋にぎっしりのそれが、何袋にも渡って並んでいた。中央には、それがまるで貴重な美術品のように(そう展示された時点で貴重な美術品なのだが)台座と筒に収められ飾られている。小原さんは栃木にも足を運び、ご家族でこの展示を見て喜んでいたそうだ。

障がいを持つ人たちは、独自の生活リズムで暮らしている。それを一般社会に強制しようとすると、反発もあるだろうし双方機嫌が悪くなる。だからといって、好き放題やらせるということがどれだけ難しいかは介護に関わる人間でなくても想像はできるのだが、ここに展示された12人の作品からは「合わせない選択」を選んだがゆえののびのびさを感じた。

5575声 もうひとつの美術館

2026年06月08日

みどり市にある社会福祉法人チハヤ会の周年イベントに向けての撮影を続けている。デイサービスから共同生活介護など福祉事業を続けてきた団体ではあるが、障がいを持つ人と材木を扱う事業を担う珍しい林福連携事業を行ったり、子ども食堂などの親子支援も行うなど手広い事業を展開している。

今は「アール・ブリュット(障がいを持つ人によるアート)」が大なり小なり至るところで展開される時代になっているが、チハヤ会でも日常行為の延長上でアート制作をしている人たちがいる。本人たちはアートを作っている、という自覚がないにしても、職員さんが丁寧にそれを拾い、人の目に触れるように展示会などを不定期で開催しているのだ。

その中の一人、小原武さんの作品が、栃木県那須郡那珂川町にある「もうひとつの美術館」のグループ展に出展されているというので、撮影で伺った。群馬から栃木は近いような遠いような距離。街中ではなく、見慣れたような山あいの中にその美術館はあって、廃校利用による美術館なので普段廃校を見慣れている(僕が関わる映画祭は伊参スタジオという廃校利用の校舎が拠点なので)僕としてはすぐに親近感が湧いた。(続く)

5574声 残り時間を知っていたら

2026年06月07日

相変わらず目の前の仕事はあって、お待たせをしているものの「締め切り」という約束によってモーレツに仕事をする時もあるが、息切れをしたりぼーっとする(スマホを無意味に見てしまう)時間が若い時より増えてきた気がする。邁進するために、未だ理由がほしい。できれば締め切り以外の(そういう現状が何かで伝わるのか、YouTubeを開くと、締め切りでしか動けないあなたを救う管理アプリはこれですとそういうCMがやたらに流れ、余計に虚しくなる)。

寺尾紗穂さんの歌に「骨の姉さん」という歌がある。僕の亡くなった姉は、この歌のように青いワンピースを着るような人ではなくずっと家に篭っていた人であったが、それでもこの歌に自分を重ね共感のようなものを覚えずにはいられない。

骨を見たよ 骨の姉さん
なぜか桜色してた 姉さんの骨
もっと俺たち笑えたろうか
残り時間を知っていたら

締め切り以外、自分の残り時間が少ないことをやる気に変えることは短絡的だと思うが、実際からだにそんなに健康ではない傾向も見られるわけで、今の僕はこの歌を聞くとやる気がでる。そしてそれは僕一人に限った話ではなくて、誰かといられる時間も有限であり、人といること、人と会うことの尊さもこの歌から感じる。残り時間は、どれくらいあるのだろうか。

骨の姉さん 寺尾紗穂
https://youtu.be/pInLf_yi_wY?si=LTywUlEM-0fuJZ7W