日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4672声 ハナホジ

2021年11月19日

今年知り合った鰆さん(芸名・・いや、仕事名?)は映像編集ができる。映像編集ができる人というのは、特に地方においては逆立ちしながらうどんを食べられる人と同じくらいにレアポケモンである。

 

僕のここ数年の課題は、「編集が進まない」ことにあったので、すでに幾つかの編集を彼女にお願いした。映画はあまり見ていなくて、以前つとめた会社の仕事の一環で覚えたということだが勘が良い。なにより一回りくらい若いので、そういう視点で「僕だけでは気付かなかった何か」を提示してくれるのではないかと期待をしている。

 

やりとりはLINEでもしていて、先日「へーそうなんですか(ハナホジ)」という文言が送られてきた。ハナホジ・・僕はそれに、若さを感じるよ!・・はともかく、僕はそろそろ「仕事の仲間を増やす」ターンなので、彼女に限らず、「人を頼ろう」と思っている(ハナホジ)。

4671声 店ではなくハブとして

2021年11月18日

中之条町のはずれにある「うた種」は素敵な名前の店である。中は店主の詠子さんが厳選した小物が並び、彼女はそこで裁縫教室も行っている。女性のための店というわけではなく、美味しい珈琲やお茶も飲める。一度パソコンを持ち込んでごめん仕事させてくださいと店に入った事があったが、すぐにうたた寝しそうになった。

 

店としての一面のみではなく、奥には小さなギャラリーもある。地元作家、斉木三男や星野博美、飯澤康輔などが今までにここで展示をし、作品は購入も可能なので作家と人とを繋げる役割も果たしている。そしてそのギャラリーやお店自体を、詠子さんとその旦那の香司さんが中心となり自分たちでセルフリノベーションしたということもすごい。時にはイベントも行い、けっこう広くて紅葉がきれいな中庭には、顔の見える良い物・食べ物を提供しているお店がずらっと並ぶ。いい店の条件というのは「店のはしにまで店主の思いが届いているか」だと思っていて(それは掃除をしているとかではなく、愛着が届いているかという感じで)、営業開始からある程度の年月が経ったが、当初よりより一層の思いが溢れ出てきている。

 

「うた種」はまさに、ただの店ではなく人と人、中之条町と町の外とを繋げるハブになっている。ネットショッピングも一般的となりただの物の売買では満足できなくなってきた昨今、そんな店を作りたいと思う人はいても実践できる人は少ない・・と思ったら、「うた種」は敷地裏にある離れをゲストハウスとして利用するためのクラウドファンディングを初めている。いやぁ、ここまで読んでしまった皆さん、はらを決めてください。応援しましょう。

 

中之条ビエンナーレの町でいつでもアートを楽しめる宿をオープンしたい

 

4670声 とり野菜みそ

2021年11月17日

もしかしたら以前も書いたかもしれないが、鍋用調味料の「とり野菜みそ」はすこぶる優秀である。

 

もとは石川県発祥の調味料らしいが、中之条町のスーパー「ヤオコー」でも買える。味噌ベースのこれは、土鍋に水をはって、チューブとり野菜みそをブチューっとやって、そこに白菜や豚バラやしめじなどを適当に突っ込んで、グツグツ煮るだけでとても美味しい鍋になる。他の調味料は一切不要だが、チューブにんにくをブチューっとやったり、食べる時に山椒入りラー油などを垂らしたりするとなお旨い。僕は夕食をいつも決めていなくて、たまに家に帰るとごく簡単に作りたくなるのだが、1人用の土鍋でこれをよく作る。なんなら毎日でも食える。最近は、火にかける前に業務用冷凍餃子を4〜5個つっこむ。ご飯は摂らないので、なんとなくヘルシーなことをしている気分にもなる。

 

とり野菜みそは、別に鶏肉と野菜の鍋に合いますよ、というわけではない。が・・その名前の由来はいつも忘れる。今ググったら【「とり野菜みそ」の「とり」は鶏肉からではなく、野菜や栄養を摂るという意味が込められています。】とのこと。レッツ、トライ!

4669声 村の初冬

2021年11月16日

高山村で写真撮影を行った。村に移住し、開いた精神医療を進めている田村さんが、患者さんや地域の人を招いて行うご飯イベントだった。集まった20人ほどの中には子ども多数。移住コーディネーターの咲季ちゃんや移住してきた夫婦などが多かったのだが、こんなに子どもがいる村なのかと錯覚してしまうほどだった。

 

とにかく豊かな時間だった。家の中ではピザ記事を伸ばし、庭にあるピザ釜は煌々と熱されていて、田村さんが大きなさじでピザ生地を入れるとあっという間に焼きあがる。農家民宿亀久保ゆっこのゆっこさんは庭の炭火でぐつぐつと鍋を熱し、そこに自分で打ったという太いお切り込みを落とし入れる。と思ったらとなりのお釜のご飯が炊き上がり、慣れた手でおにぎりに。その米は、地域おこし協力隊の西やんたちがはじめて最初から手がけた新米だという。ほふほふと握り飯を齧った西やんの口から暑い湯気が溢れ出た。そんな様子を写真で撮る。

 

子どもたちは、食い気以上に火にくべるための枝の山に登ったりして忙しい。ピザ生地をこねるところを撮っていたら、8歳くらいなのかな、男の子に「ちゃんと、写真撮っていいですか?って聞かないとダメだよ」と怒られた。「そうだね、ごめんね、写真撮っていいですか?」と聞くと「いいよ」と言う。

 

仕事なのか、僕自身が癒されに来たのかよくわからない撮影であったが、ちゃっかり食べ物も全種食べさせてもらった。帰り際にさっきの子にまた「写真を撮っていいですか?」と聞くと、「おじさんはもう知らない人じゃないから撮っていいよ」と言われた。すくすくと育ってほしい。

4668声 真緑のトマト

2021年11月15日

道の駅に寄ったら、真緑で直径4センチくらいのトマトが20個くらいぎっしりビニール袋に詰められて売っていた。シーズンが終わって最後に畑に残った熟れないトマトをわざわざ売っているのかなとも思ったが、僕が知らない新種の青くても甘いトマトなのかもしれないと思い購入。

 

帰宅し、1個をおもむろに齧ってみた。シーズンが終わって最後に畑に残った熟れないトマトだった。強烈なエグ味。思わず愉快な気持ちになった。

4667声 ここに生まれていたらどんな人生を送っていたのか

2021年11月14日

僕が県境を越えるのは、いつも撮影仕事の時だ。今回は、お隣長野県まで来た。長野原、上田、山あいのどこかを抜けてから、岡谷氏。おかやす、と一字違いだ。初めてくる町だった。

 

撮影が終わり1泊していきたい気分だが、その日のうちにまた県境を越える。

 

知らない街を走る時、暗くなってから、特に山あいの家がまばらな地域を走る抜ける際にふと「自分がここに生まれていたらどんな人生を送っていたのか」と思うことがある。大都市でそう思わないのは、生まれが田舎だからだろうか。そして特にその疑問を深く考えることはないのだが、色々を選べる人間が、生まれた場所は選べない、という当たり前の事を不思議に思ったりもする。

4666声 めっかった

2021年11月13日

めっかった

 

何が?

 

永遠が

4665声 若者たち

2021年11月12日

今晩は中之条町で新しい事をしたいという若者たちと話をした。前に座った3人に対して別々の話でそこそこ上手い話が出来たと思う。上手い話が出来れば出来るほど、つまらない大人になったなと思う自分もいる。もっと馬鹿なことをせねばならない!もっと馬鹿なことを書かねばならない!

4664声 にごり酒

2021年11月11日

甘酒はそんなに好む方ではないが(美味しい甘酒は美味しいよね)、最近家で飲む頻度が高いのは「マッコリ」である。マッコリ飲むぞーとSNSに投稿したら、新前橋の「bento261」のディーバ・カヤさんから「マッコリをビールで割るといくらでも飲めるよ」みたいなコメントをもらい、この夏はよくそれを実行していた。マッコリのしつこさが、ビールに合わせることによりごくごく飲めるようになり、さらにビールよりはこってりという感じ。

 

この前、道の駅八ッ場で地元大盃の「原酒にごり酒」を買い、そのまま人んちに宿泊だったので飲もうかと思っていたけど、飲む人が僕だけだったので飲まずに車に置いていた。今日はそれをちびちびと飲んでいる。甘さのない甘酒という感じ、めちゃくちゃどろどろ、おいしい。

 

そのような酒たちは、なんだか栄養がある気がする。あと酸味。その両方が体に合うということはつまり!・・疲れているんだろうね。

4663声 ピーーーーーーーーーーーーーー

2021年11月10日

経営者が集まる朝6時からの講演会を撮影して、と言われたので前の晩会社に泊まった。その日の晩は会社に泊まるつもりなどなかったが、深夜まで会社におり結局2泊してしまった。さすがに風呂に入らねばと次の日は帰宅。止せばいいのに酒を飲む。

 

どこかわからない宴のような場所で、スイングしながらサックス奏者が近づいてくる。ものすごい音圧と共に色々なメロディーが聞こえてきそうなものだが、彼が発している音はただ1つ、ピーーーーーーーーーーーーーー

 

気づくと家の炬燵で、酒瓶を机に置いたまま寝ていた。午前4時。テレビは終了。ピーーーーーーーーーーーーーーという音を鳴らしていた。テレビを切って、布団に入れば良いのにまた寝てしまった。そしてまた目覚めて午前7時前。ぼーっとした頭で、その頭がすごく脂ぎっている。ふと、生まれて初めて「ぼくはホームレスになっても(生活習慣面で)やっていけるかもしれない」と思った。めんどくさがりではあるが、風呂嫌いというわけではない。これから朝風呂に入る。

4662声 元祖ニュータンタンメン

2021年11月09日

嬬恋出身で標高の高い山を走る「スカイランニング」の日本を代表する存在である松本大くんが、拠点の1つである上田にいると頻繁に「元祖ニュータンタンメン」のらーめんをSNSにあげる。刷り込みとは恐ろしいもので、「あーなんか旨そう」というイメージと共に上田発祥のらーめん店なんだと思い込んでいた。

 

岡谷市での撮影の後に上田を通るので「そういえば」という程度で「元祖ニュータンタンメン」に立ち寄った。その場所を調べる時に、これはチェーン店でありもともとは「川崎のソウルフード」と呼ばれていることを知った。

 

旨い。どれだけ辛いのかと及び腰ではあったが、弩級に辛いカップ麺の舌が痺れて咳き込むような辛さではなく、唐辛子の香ばしさのエッジが立ちつつも、鶏ベースのスープの旨味が感じられるらーめんだった。

 

タイミングというのは不思議なもので、翌日スーパーに行ったらカップ麺の「元祖ニュータンタンメン」を発見した。スープの再現性高し。麺も乾麺ながら店の生麺に似せている。そしてさらに翌日セブンイレブンに行ったら袋の「元祖ニュータンタンメン」を発見した。今、手鍋で茹でて食べている。これはまあ全体としてなんか似ている、という程度なのだが家調理なのでチューブのにんにくを足したり、山椒入りラー油を垂らして食べた。

4661声 海と山のオムレツ

2021年11月08日

どこからそんな話になったのか覚えていないのだが、「東吾妻町にあれだけいた南相馬からの避難者がいなくなった理由の1つとして、彼らは郷土の料理の味を覚えていてそれを求めて帰ったのではないか」という話をした。もとは震災直後のイベントで堀澤さんが言っていたことの受け売りだが、僕がその後妄想を膨らませて書いた小説モドキで書いた内容でもあった。

 

それを聞いて、その人は「海と山のオムレツ」(カルミネ・アバーテ著)という本を貸してくれた。その本の冒頭には「料理をし、それを共に食すという行為は、迎え入れることを意味する」という言葉が添えてあった。南イタリアに育ち、オリーブオイルと大蒜と赤唐辛子をベースにした豊かな食で育った著者が、ドイツで教鞭をとることになり、息子と共に故郷に戻るまでの地方地方での食と思い出を鮮やかに書いた自伝的小説だった。出てくる料理はどれも美味しそうで、はじめ過剰なまでに愛していた個性的な父親がやがてマイペースすぎて面倒な存在になり、最後はそれも受け入れて愛おしい存在になるという関係性の変化も良かった。何より人から勧めてもらった本を読むこと自体が久しぶりだった。

 

読了し、さて僕にとっての郷里の味は何だろうなと考える。うめまつの焼きそばか、竹の家のソースかつ丼か、もうなくなってしまった若竹のコロッケか。どれも物語性には欠ける。母親の味と言っても、バーモントカレーかハウスのシチューが浮かぶのみ。悩んでしまった。まあいいか、今から探すのも(思い出すのも)楽しいじゃないか。

4660声 吉祥

2021年11月07日

今回の中之条ビエンナーレの作品で最もその作品の名を耳にして、その写真をSNSで多く見たのは西島雄志さんによる「吉祥」という作品だろう。五反田学校の一番奥の教室に展示されたそれは、細い針金状の金属を巻いて小さな渦を作り、それを溶接し面を作り、それを大量に天井から吊るし、その総体が鳳凰の形をしているという・・文字による説明が難しい作品であった。

 

文字での説明も難しいが、撮影も難しかった。一言で言えば「本物を実際目にした時の圧倒的な存在感が、映像では出せない」ことにある。西島さんの作品はこれまでにも何度か撮っているが、生き物を形取った作品はまさに生き物に対峙しているかのような気配がある(彼が作品を作る上で常に意識していることも、気配だという)。実際「吉祥」の存在感、気配は過去最大のもので、アート好きに限らず、五反田学校の奥のくらがりの中で光る鳳凰を見た人は誰しもが何かを感じたはずだ。

 

ビエンナーレとしての映像アーカイブはすでにアップされているが(下記に貼ります)、作家自身の依頼としてインタビューも含めた映像を別で作ることとなり、今夜は最後の「吉祥」の撮影だった。ビエンナーレも終わり人の気配も薄まった夜の五反田学校、1時間半くらい作品に対峙して撮影を行った。どうなんだろう、撮れたのかな、気配が。

 

西島さんは昨年、中之条ビエンナーレでの関わりをきっかけに群馬に移住してきた。お隣東吾妻町新巻で「New Roll」というギャラリーも開いている(最近やっていた3人展もすこぶる良かった)。アートを街に広めるのは行政ではなく、アーティスト自身だ。彼の作品、行動は、この先に続いている。

 

4659声 寒さの境目

2021年11月06日

今朝、布団の中で目を覚ましただけで寒さを感じた。スイッチを押すように明らかに季節が変わった。

 

最近やたら追いかけられる夢を見る。仕事のBGMとしてゲーム実況を流しているからかもしれないが、昨夜はビルの最上階から敵の攻撃を掻い潜って地上へ抜け出た。夢の中では、僕はわりと俊敏なのだ。

 

ゲーム実況のせいだけではなく、無意識にも有意識にも幾つか逃げたい事があるのだと思う。現実では、僕はわりと憂鬱なのだ。

4658声 あっちがわとこっちがわをつくる

2021年11月05日

アーツ前橋が行なっている「アーティスト・イン・スクール」は、コロナ禍であっても多大な理解のある前橋市・宮城小学校において行われている。昨日今日とその撮影を行なった。

 

今回行なったのは、この試みで幾度となく宮城小に足を運んでいるアーティスト・中島佑太による「あっちがわとこっちがわをつくる」。6年生の子どもたちは、基本新聞紙と養生テープだけを使い、まずは教室を2つに分けるほど巨大な「壁」を作る。新聞紙はそのままでは直立しないので、丸めて柱のようなものを作る子どももいれば、天井にテープを貼り付けて上から吊ろうとする子どももいる。昨日貼っておいたものが今朝になったらはがれていて、壁が崩壊していた、という事も起こったが、形として出来上がってくる壁に興奮しながら、なかなか見栄えのする壁ができた。

 

そしてここからがこのワークショップの肝なのだが、事前の意見交換により2つに分かれている子どもたちは(その分かれ方は「ココア揚げパン派」VS「唐揚げ派」/「きのこの山派」VS「たけのこの里派」という可愛らしいものだった)壁の向こうの見えない相手に対して匿名の手紙を紙飛行機にして送る。微笑ましい内容が大半だが、なかには普段なら先生に怒られるような攻撃的な言葉で相手を攻撃する手紙もある。それはこの学校だからではなく、過去を見ても攻撃的になる人が多いそうだ。多分大人がやってもそうなる。そしてその理由は、なんとなくわかる。

 

中島佑太とは、不思議なもので会った当初は僕にしては珍しく「この人とは絶対親しくなれない」と思ったものだが、昨年の東京都美術館でのグループ展の撮影をはじめ、アーツ前橋関連以外でも会うことが多くなった。子どもたちを相手にしたアート活動を行う作家ではあるが、普段見過ごしている感情・環境についてハッとさせられることが多く、今後にも超期待をしたい作家である。

 

MOTアニュアル2020 透明な力たち 中島佑太

4657声 破ルノ守ルノ離レルノ

2021年11月04日

「秋、酒蔵にて」は中之条町で行われるモノづくり作家と料理人たちによるイベント。ここでも何度か書いた記憶があるが、めっかった群馬の堀澤さんとはこのイベントで知り合った。それだってお互い結構若かったと思うから(2010年くらいかな)、このイベントの息の長さもたいしたものである。

 

いちお客であったが、いつからかたまに映像を撮影するようになり、前々回からはポスターのデザイン担当になってしまった。一度足を運んだ人ならわかると思うが、モノづくり作家たちは個性的な・・というか、人間たらしな人たちばかりである。仕事としての関係は当初からなく、集まりになかなか顔は出せなくても親密さを今も感じている。

 

「秋、酒蔵にて」では毎回1つのテーマを決めて、それに特化した作品も作ることが前提となるのだが、今回は「お茶」。12/11からの会期中は茶道の先生も来てお茶を立てる。また、参加作家もそれぞれにお茶の練習をしており、当日は「作家が作った茶碗を用い、その作家が立てたお茶を飲む」なんて体験もできる。ポスターやチラシは今回も参加作家の小野口カナメさんのアイデアを紙に落とすかたちとなった。

 

先日、現状報告も兼ねた高崎・大聖護国寺に行った際に、いただいたお茶も、作家が心血注いで作っている茶碗も良かったのだが、「秋、酒蔵にてというグループの出入りの気持ち良さ」をぼんやりと考えていた。去る者あまり追わず、来る者そんなに拒まず。堀澤さんはじめ、僕が知った当初にメインでいた作家で今はいない人も多くいるが、今年はみなかみのライターも入ったりして(ライターがどう展示するのか?)特に料理人は毎回新しい顔が(しかも作家の多くが食に果てない愛情を持つので、熟練の料理人ばかりが)増えている。今回もものすごいことになりそうだ。

 

今回は、作家が自分の作品の番だけではなくお茶も立てたりするので、スタッフが足りていないとのこと。下記のフェイスブックページでは「おいしい賄い付きで、中之条での開催を手伝ってくれる受付ボランティアの募集」もされている。めっかった群馬には来場したことのある方も多いと思うので、ぜひともご協力いただきたい。

秋、酒蔵にてFBページ

4656声 奥四万湖で鰻を食べる

2021年11月03日

色々が緩和された11月。その反動もあるのか、中之条町を訪れる人が多い。週末になれば中之条ビエンナーレの効果は絶大で、町中央のつむじから、はずれの青山まで渋滞ができていたなんて話も聞いた。なにより、ステイホームで昨年きちんと見ていなかったのか、あるいは仕事量がちょっと減って気持ちが上向いたのか

 

今年の紅葉は例年になく綺麗に見える。

 

四万温泉のくれない旅館は湯蒸し鰻重で有名だが、数年前からその広告カードの印刷を受け持っており、集金もあるのでいつも直接届けに伺っている。今日はなんと、その鰻弁当をいただいてしまった。ワーオ!・・ということで、奥四万湖駐車場まで5分ほど車を飛ばし、鰻弁当の入ったレジ袋を手にし、奥四万湖を1周歩いて回った。その際、通り過ぎた車は50台以上か(こんなに車が行く状況ははじめて)バイクは10台ほど、で、歩いている人は僕以外に1人もいなかった。現代人は急ぎすぎである(人のこと言えない)。だいたい1時間はかからずに1周は歩き終わる。鰻弁当の味は、ここに書くまでもない。「今日の俺、優勝」と思える数時間だった。

4655声 未来は自然の中にある。

2021年11月02日

長野原町にある(株)きたもっくが2021年度グッドデザイン賞において金賞(経済産業大臣賞)を受賞した。昨年冬より、長野原在住のフォトグラファー・田渕章三さんアドバイスのもと、きたもっくに何度も足を運び映像を撮影してきた。そして受賞に合わせて、担当したブランディング動画も公開となった。

 

きたもっくが掲げる「未来は自然の中にある。」とはどういう意味だろうか。もちろん、キャンプ場運営というレジャー産業からはじまり、それを3次産業とカテゴライズするなら、その後に薪の生産を行い(2次産業)、今では浅間山の麓の森を購入し木々を活かす林業を行っている(1次産業)、そんな事業体系をもって自然の中に価値を見出し事業として発展させていこうという意は込められている。

 

ただ、約1年、きたもっく代表の福嶋誠さんをはじめ、きたもっくに関わるスタッフと接してきて、また撮影を続けてきて、企業という枠には捕らわれない「もっともっと小さな個人的な感覚」を大切にしている企業であるとも思っている。浅間山の麓は、僕が住む中之条町から車で1時間もかからない距離にあるが、まずもって活火山である浅間山の存在が途方もなく大きい。そんな大きな自然を前にした時の畏怖の念、興奮、そういった感覚をスタッフ皆で共有している。

 

それはふわっとしたスピリチュアルな話とは真逆にあり、仕事も暮らしもぶよぶよと余分なものを付けすぎた現代に対するカウンター、生きるために必要な事の深掘りであるように思う。撮影は続く。