本日はテレビで、甲子園健大高崎を応援する。
逆転で勝利。決勝進出である。明日は、市役所ではパブリックビューイングが実施されるそうだ。
その流れで、Eテレをつけたまま、『広重ぶるう』を読む。
基本的には本の世界に入っていたので、テレビの内容は覚えていないのだが、時折、印象に残る場面がある。
その一つが、チアリーディングチームのかけ声。
「今のいい
今のいい
今のいい
イェーイ」というもの。
とても強力な応援だ。言われてみたい。
ということで、『広重ぶるう』を読了。本日も終了。
2024年03月30日
本日はテレビで、甲子園健大高崎を応援する。
逆転で勝利。決勝進出である。明日は、市役所ではパブリックビューイングが実施されるそうだ。
その流れで、Eテレをつけたまま、『広重ぶるう』を読む。
基本的には本の世界に入っていたので、テレビの内容は覚えていないのだが、時折、印象に残る場面がある。
その一つが、チアリーディングチームのかけ声。
「今のいい
今のいい
今のいい
イェーイ」というもの。
とても強力な応援だ。言われてみたい。
ということで、『広重ぶるう』を読了。本日も終了。
2024年03月29日
今、『広重ぶるう』を読んでいるのだが、この本をすすめてくれた人から、今日うちで飲みませんか、とお誘いを受けたので、少しだけ顔を出す。
総勢5人。なかなか楽しい会。
わたしは、麦酒を2本ほどいただく。興味深い話題が続き、麦酒もまわり、気持ちよくなったところで時間切れ。
予約してあった床屋に向かう。
年度末にさっぱりして、新年度に備える。
散髪後は、Boccaへ。
シンキチのエチオピアウォッシュドと裏エチオピアウォッシュドの飲み比べではじめる。
神戸で呑んで以来のエチオピアウォッシュド。
素晴らしいビール。
澄んだピルスナーの黄金色なのに珈琲の香り。
裏のほうは、少し褐色ががっているが、こちらもピルスナーなのかな。表?よりさらに珈琲の香りが強く、味わい深い。こちらも素晴らしいビール。
本日も至福の時間で終えることができる。感謝。
2024年03月28日
夕食をとりにうら庭に出かける。
先客は2人。ヨウイチさんと、うら若き女性がカウンターに。
入店して2人の間に腰を掛ける。ブックカフェタイムなので小声であいさつ。
なのに、鯛焼きに感動して思わず話し出すヨウイチさん。
日本酒とカリカリの鯛焼きがものすごく合うという話。女性客は、ほどなく帰る。
これで、顔見知りだけになった。うるさかったのではないか。ブックカフェタイムは静粛にね、と伝える。
すると、あんなおいしい鯛焼きと、また日本酒にとても合うことを共有できないのはつらい、というような話を始める。
いや、その話したいという衝動を我慢して耐えることを楽しむのが、ブックカフェである、というような会話をする。少し早いが、バータイムになってしまった。
うら庭、本日は都合により早仕舞いということなので、日本酒づいたヨウイチさんと、Japanese Bar KATSUを目指す。
途中、3人組の女性の一人から、高崎駅への道順を尋ねられる。簡潔に伝えると、一人だけふらふらと信号を渡り高崎駅方面へ。残りの2人は挨拶もそこそこに反対方面へ。なんか、複雑なのね。
KATSUでは、寺田本家、仁井田本家、土田酒造をおすすめされるがままにいただく。
至福のひとときであった。つまみに、水イカの一夜干し、いつ食べても最高。
ということで本日は終了。
2024年03月27日
本日の高崎は、暖かで穏やかな日となった。
昨夜のうら庭で鰻の話がでたので、お昼は成田町にできたという鰻屋を目指す。
が、暖簾がでていない。恐る恐る戸を開くと、忙しそうに働いている人が一人。どうやら店主のようだ。お話を伺うと、現在は予約のみということで、電話がDMで前日までに連絡をすれば、対応してくれるとのこと。
ということで、鰻の楽しみはとっておくこととし、タイ料理のニーパを目指す。
前から評判は聞いていたので、これはこれで楽しみ。
店の扉を開けると、お客さんが一人帰るところであった。店主らしきおじさまに促され、手のひらを出す。消毒液らしいものを吹きかけてもらう。
テーブル席は埋まっていたが、カウンターは空いていた。カウンターの真ん中を指定され座る。
仕組みがわからず、「初めてなんですけど・・」と切り出すと。
おじさまが言う「お昼はメニューは選べません。入店すると自動的に出てきます。本日のメニューはあちらです。」と指を指す。
というそのとき、さっそく一品目が運ばれてくる。残りもすぐに運ばれてきて、眼の前に3皿とジュースらしきものが揃う。
「あとジュースが来るから」とおじさまにいわれるがすでに来ている。「あ、これですべてです。足らなかったら、おかわりしてください。おかわりするとBになります」とのこと。
Aは980円。Bは1200円。
あとで、常連さんらしき人が連れ人に言っているのを聞いて理解したのだが、2倍食べても1200円らしい。
どんなシステムなのか、不思議。
さて、最初に来た一皿は、ソムタムタイで、青パパイヤのサラダだ。細く削ぎ切りにした青パパイヤとトマト、人参、干しエビ、砕いたピーナッツが入って、ニンニクと唐辛子が効いたピリ辛のサラダ。ピリ辛なので、少しずついただく。
次のどんぶりようの器に入ったのは、クゥイティオナームという、タイラーメン。出汁の効いたあっさりスープに米粉の平たい麺。まったく辛くない。するするいける。
もう一皿は、ムートートガディアムプリックタイ。これが、ライスに乗っかったものだ。ライスは、タイ産のジャスミン米で、サラサラとした食感で香りがよい。そこに、難しい名前の「豚肉のスパイシー唐揚げ」が乗ったもの。
これは、程よく効いたニンニクと胡椒が食欲を刺激する。こちらも辛くないので、ソムタムタイと交互にいただく。
それと謎のジュース。ライチのような味わいだったが、判別つかず。たぶんライチなのではないか。甘くておいしい。
なかなか繁盛していて、わたしが食べているとき、3組ほどお客さんが入って来た。店の奥にも席があるようで、おもったより収容力がありそうだ。良い店を知ることができてよかった。
当初予定した鰻とは違ってしまったが、なかなかよいランチとなった。
お会計のとき、おじさまに「辛かったでしょ。えらい目に遭っちゃったね~」と言われるが、「そんなことないです。とてもおいしかったです」と伝え、店を出た。
ということで、本日は終了。
2024年03月26日
高崎は昨日に続き雨。
植物の開花を促すような雨、催花雨(さいかう)というらしい。催花雨が転じて、菜花雨。やがて、菜種梅雨になったとか。
催花雨、随分と風流な名を付けたものだと感心する。
さて、夕食はうら庭へ。いろいろ話しながら、麦酒と肉団子汁と煮豚と鉄火巻。麦酒は合計3種類。
締めに鯛焼き。
帰るころには雨があがっていた。
明日は晴れるかな。
2024年03月25日
本日の高崎は一日中雨模様。気温はそれほど高くないが、寒さの峠は越えているだろう。昼休みに見たソメイヨシノの蕾は小さくっ固かった。
さて、仕事のほうは、明日の本番に向けてのリハーサルを少し。1年に1度の事務のため、おおかた忘れているものの、記録がしっかり残っているので、順調に進む。要所とひと通りの流れを確認して終了。明日の本番に備える。
そういえば、先週の金曜日は、ぶっつけ本番でしどろもどろになった。慣れていないことをするときは、リハーサルが大事だと改めておもう。
2024年03月24日
本日は、同人をしている俳句結社の支部の吟行・句会があったので前橋まで出かける。
さちの池周辺をうろうろしてから、第三コミュニティセンターへ。
さちの池周辺のソメイヨシノはまだまだ蕾が固く、来週に開花して、見ごろは二週間後くらいか。小中学校の入学式に間に合うかもしれない。
この句会に参加し始めたのはコロナ禍中だったので、なかなか顔と名前が一致しなかったのだが、先月ランチ会があったので、だいぶ一致するようになってきた。俳句の作風からおもっていた印象とは違ったりして面白い。
今回集まったメンバーでは、おそらくわたしが最年少。
この歳になって最年少の集まりに出られるのは悪くない。
2024年03月23日
本日も『不器用なまま踊りきれ。超訳立川談志』から。
談志はよく、「欲望を金で解決するっていうのは下品なことだ」と口にしていたらしい。
そして川柳のようなものをつくるのが好きだった。
「○○○○○一人寂しく文化人」
上五に、いろいろつけることに凝っていたという。
たとえば、
「古本屋一人寂しく文化人」
「銭湯で一人寂しく文化人」
「散歩道一人寂しく文化人」
この川柳のようなものにピッタリ合う言葉こそ、品があると説いた。
・不快感を他人で解消しようとする「文明」
・不快感を自力で解消しようとする「文化」
「古本屋」「銭湯」「散歩道」は、品のある文化ということか。
これらを談志は是としていた。
それにしても「文化人」とは、「一人寂しく」していなくてはいけないものなのか。
まあ、いいか。
2024年03月22日
本日は、職場有志の集り。
久しぶりの開催は、ある意味、集大成の場となり、幹事を務めたNさんはしたたかに酔っていた。
大変お疲れ様でした。
集大成ではあるが、終わりということではなく新たな始まりでもある。
今後の展開が非常に楽しみな集まりとなった。
2024年03月21日
本日は、休日前のトラブルの復旧状況の確認から始まる。
いつものようにテスト運転をしてみると、電源は入るが、音声が出ない。
復旧したと聞いていたが、少し状況が違うようだ。再び、関係部署と連絡をとり、もう一度点検をしていただく。
途中、地震の警報が入る。おもったほど揺れは感じなかったが、非常放送は、このシステムと相性が悪い。そもそもの原因が、非常放送のヒューズがとんでいたことだったのだから。
しばらくして、完全に復旧した知らせが入る。
なんと、一昨日のトラブルの点検のときに、外したプラグの一つをつながなかったことが原因であった。
見つかればなんということのないことなのだが、わりと大がかりなシステムであり、複数の部署が絡む案件のため、時間がかかった。
これで、トラブルの一つは解決。費用もヒューズ1つで済んだ、
しかし、もう一つの案件は、もう少しかかることになりそうだ。
2024年03月20日
本日は春分の日。
いつもよりは少しゆっくり起床。
昨夜の句会のことをぼんやり考える。添削すれば、つかえそうな句も思い浮かぶ。
さて、珈琲を淹れて、一口飲み、『不器用なまま、踊りきれ。超訳立川談志』を開く。
すると、なぜだか胸騒ぎがする。昨夜というか、今朝見た夢が甦る。
なんと、寄席の高座に上がらされて落語をやらなくてはいけない状況にあり、大勢の客を前に頭が真っ白になっている場面だ。
そんな夢を見たことを思い出す。
とても恐ろしい夢だった。その場面を思い浮かべると、今でも少しドキドキしてくる。
そんな夢だった。
2024年03月19日
本日は、兎影の初めての句会だった。
会場は、うら庭。はじめまして、の方が一人。お久しぶりです、の方が一人。店主含めて、六人での句会である。北大路翼の新宿歌舞伎町俳句の句会を参考にして、席題(テーマ)を決めたら、10分で句作、提出して、清記とかせず、1人が読み上げるという形式で試みた。が、10分では短いとなり、5分延長。
15分くらいがいい感じか。
この辺は模索しながらやっていけばよいとおもう。
しかも無季、自由律、何でもありということで。
世の中の俳句も句会も、もっと自由で懐深くなったらいいとおもう。ということで、兎影の句会は自由だ。提出時間というか、句作の時間は短くて大変だけれど。それ以外は自由だ。句作に慣れれば、呑む時間も確保できる。
一句ずつ、読み上げてもらい、まずは名乗らないうちに、みんなで講評する。ひと通り終わってから、再び一句ずつ、名乗ってもらい再び、みんなで講評。自己解説も入る2巡目は結構楽しい。
遣り句という人もいれば、句に込めたおもいを語る人もいれば、本歌どりの人も。
来月の開催も楽しみである。
2024年03月18日
今朝の高崎は強風だった。
花粉がたくさん飛んでいたらしい。花粉症の人は大変だとおもう。
仕事のほうは、定例会の最終日。始まって、少ししたとき、トラブルが発生している知らせが届く。わたしが居る位置からは、ほぼどんな状況かは判断できないが、腹を括ることにする。というか、括らざるを得ない。
部屋の外で起きていることは、後で考えることにする。
今、いろいろ考えてもなるようにしかならない。目の前で進行していることに集中する。
終了後、素早く事実を確認。取り返しはつかないが、致命傷にはねらない確信を得る。1分くらいだったか。その後は、予定通りに進行。現在の状況を説明し、なんとか凌ぐ。ということで、本日は終了。
2024年03月17日
本日は、ゆっくり起きて、家族で仙台うみの杜水族館へ。
海鞘とか牡蠣の養殖の様子が展示されていたのが印象的。イワシトルネードはずっと観ていられる。
仙台駅に戻り、帰路につく。
途中、大宮の伯爵邸で夕食。なぜか沖縄そばとさんぴん茶。ということで、本日は終了。
明日は、定例会最終日。令和5年度も、もうすぐ終わりである。
2024年03月16日
本日は、仙台駅から仙石線で多賀城を目指す。
なかなかの人数が、乗車する。満員とまではいかないが、半分くらいの人は座れない。例によって見回すと、同じ車両の乗客の半数がスマホ。紙の新聞の人ひとり。紙の参考書の人は、開いたたまま、友人との会話に夢中。
土曜日ということもあり、会話をしている人が多い。
多賀城まで座れなかったが、20分ほどで到着。
結構な人数が降りる。ホームで写真を撮っていたらひとり取り残される。エスカレーターを降りると、さっきの人たちはどこに?というくらい人がいない。
改札を出て、最初の目的地、多賀城市立図書館へ。
駅の北口すぐだった。
TSUTAYAとスタバという定番の組み合わせに、公立図書館が付属している。
逆か。
図書館エリアの閲覧コーナーは、「本とコーヒーをお楽しみください」とあった。スタバから、持ち込んでいいということなのだろう。
係の人に写真撮影をしてよいか尋ねたら、館内撮影禁止とのこと。図書館エリアを三階まで探索。多賀城の郷土コーナーで数冊目をとおす。多賀城碑の「去靺鞨国界三千里」の文字を確認。
今朝の新聞で、多賀城碑が国宝になるとの記事が出ていた。同じ棚の本には、金印や多賀城碑は偽物ではないかという類のもあって、懐の深さを感じる。
その後、TSUTAYAエリアをさくっと眺め、末の松山を目指す。徒歩15分くらいだったかな。
近くの沖の井(沖の石、興井)も見学。どちらも歌枕の地で、西行、芭蕉、子規、鉄幹らが訪れたとのこと。その場に佇んでみたものの、一句もつくれず。宿題とする。
その後、砂押川沿いの土手を歩き、再び図書館を目指す。途中、白鳥やその他の水鳥が佇んでいる場所を発見。土手を降り始めたら、水鳥だけでなく鳩も寄り集まって来て、一瞬恐怖を覚える。白鳥までの距離を測りながら近づこうと試みたが、あまりにも鳩や小さな水鳥が寄って来るので、途中で断念。きっとここで、餌をまく人がいるのだろう。
その後は再び図書館へ。
なるほど、入口におしゃれなサインで撮影禁止をうたっている。
三階にあるPUBLIC HOUSEで、昼食がわりのビール。QRコードでの注文。暗証番号付きははじめて。
ビールといちごのカプレーゼをいただく。
食後は、Ten coffee and bakeを目指すも満席。
多賀城碑を目指すことにする。
途中、多賀城史遊館に寄り情報収集。多賀城廃寺跡を抜けて東北歴史博物館へ。
博物館は休館中。今野家住宅だけ見学し、いよいよ多賀城跡へ。
多賀城跡はとても広大である。
南門跡のすぐ東にあるという多賀城碑を目指すが、南門、絶賛建設中ということで、立ち入り制限がそこかしこにあって、右往左往しながらやっとたどり着く。
国宝のことが新聞に載ったせいだろうか、あきらかに散歩中という地元の方が4組ほど。観光らしき人はわたし以外では2組。
ここでも、去靺鞨国界三千里の本物を確認。
「去下野國界二百七十四里」も確認。
続いて、政庁跡を目指す。登山かよ!というくらい登り。振り返るとなかなかよい眺め。
政庁跡の少し北には、多賀城管理事務所という名の小屋が(とう見ても、地元の集会所)。
どうやら百名城の印が置いてあるらしく、政庁跡あたりから一緒の二組3人は真っ直ぐに向かう。
わたしは、東門跡を目指し坂道を登るも、急に鬱蒼としてきて、くじけて引き返す。
すると、先程の管理事務所から、いかにも地元の人らしいおじさんが出てくる。
百名城印目当てだったらしき人たちはすでに見当たらない。客はわたし一人である。必然的に話しかけられる。
百名城印を案内され、断ると、今度はパンフレットを勧められる。
見ると史遊館でもらったものと同じだったので、またまた断ることに。すると今度は、どこを見てきたのかとなり、時間的に間に合わないかもしれないけどと、史遊館を勧められる。すでに行ってきた旨を伝える。
では、多賀城跡はどこに行ったかとなり、南門跡から政庁跡まで登って来て、東門跡に行きかけて断念したことを伝えると、東門は絶対に見たほうがいいと力説される。親切にショートカットの方法も教えてくれるので、御礼を言って、東門跡を目指すことに。
途中、ショートカットらしきところもちゃんとわかったが、民家をつっきるため、道を進む。
結果的に、行ってよかった。政庁跡まででも、多賀城の広大さは実感できたのだが、東門跡から北東の端まで行ってみたら、実感としてであるが、実感する広大さが二倍になった。
とてつもなく広い。尾瀬ヶ原がすっぽり入るんじゃなかろうか。
少し大げさか…そこまでではないか。
おかげで、陸奥総社宮にも寄れた。兜太の句碑も見られた。
で、多賀城跡をくだり、国府多賀城駅まで戻る。
お腹が空いたので、ガレットの美味しいという、カフェ、OLD TIMEへ。
唯一のアルコール、秋保ワイナリーのクラフトシードルとサラダガレットをオーダー。満足。
ラストオーダーの声をかけられたので、カフェアフォガードを注文。
そのアフォガードをいただいたとき、いし田珈琲のママさんのことを思い出した。
いし田珈琲ではよく、食事のセットにデザートとしてつけてくれるアイスクリームに、珈琲をスプーンで掬って掛けながら食べていた。
勝手にやっていたのだが、あるときママさんがほかのお客さんに、「珈琲をちょっとずつ掛けて食べても美味しよ」と言っているのを聞いた。これで公認となったとおもったのだった、
そのいし田珈琲のママさんが亡くなったという知らせを聞いたのは先月のこと。
多賀城に来てすこししんみりしてしまった。
さて、その次は、Ten coffee and bakeに再チャレンジ。
お客さんゼロ。
ダブルチョコスコーンとチョコバナナマフィン、そしてホットのブレンドコーヒーを注文。
席に持って来てくれたとき、ここのコーヒー、浅煎りで酸味が強いということを聞く。
旅先では、普段とは違ったものも楽しむということで良しとする。
ナチュールのワインだとおもえば、おもえなくもない。味覚の幅が拡がったことを嬉しくおもう。その後、仙石線に乗り仙台に戻って、本日は終了。
2024年03月15日
『姫野ノート「弱さ」と闘う53の言葉』という本の中に自分自身を理解するための方法を述べている箇所があって、矢印を自分の方向に向ける、というような記述があった。
期待されても伸び悩む選手は、だいたい矢印が自分ではなく、外に向いていて、うまくいかないことや失敗を人のせいにしたり、環境のせいにしたりしているというようなことが書いてあった。
若かりし頃、中学生時代の姫野は、矢印の方向が外に向いていて、失敗を人のせいにしていたらしい。
今の姫野は、矢印を自分の方向に向けているのだという。
でも、これって矢印の方向を意識し、コントロールすることが大切という事なんだとおもう。
もちろん、矢印を自分の方向に向けられなければ、自分自身を理解できないし、とても大切なことなんだとはおもうが、そもそも矢印がどこに向いているのかわからないことには話にならない。
矢印が向いている方向を意識し、方向をコントロールできるようになって、はじめて矢印を自分の方向に向けることができるような気もする。
しかし、ノートを通して、自分自身と常に真剣に向き合ってきた姫野は、自然と矢印を自分の方向に向ける術を身につけたのかもしれない。
矢印の方向、意識してみたい。
2024年03月14日
わたしが仕事をするうえで心がけているのは、自分が居なくなっても組織が停滞しないようにすることだ。そのためには、日ごろから情報を共有しておくこと、それも考え方の本質を共有しておくことが大切だとおもっている。
決して抱え込まない。
かつて、仕事を自分だけで抱え込んで、まったく情報共有しない人物と仕事をしたこともある。その人がいないと大変なときもあるにはあるが、そういう人物は、たいてい・・以下自粛。
それはそれとして、今は、情報機器が発達したおかげで、情報の共有は大変便利になった。
おかげで、わたしが現場にいなくても、組織が停滞することはまずない。
これが、「もともと、いなくてもよい」ということでないとよいのだが。
2024年03月13日
わたしの現在の仕事は、一年を4回のクールに分けて、同じようなことの繰り返しなのだが、意外と毎回いろいろなことが起る。
一昨日のインシデントもそうだが、実に様々なことが起きる。
本質を捉えていれば、そう間違うこともないのだが、関与者が増えたり、階級上位の人物がきっかけだったりすると対応に苦慮することもある。
わたしの今のポストは、正直、誰でも務まるとおもう。そして誰でも務まるように、引継書を日々更新しながら仕事をしている。
いつの頃からか、職場にパソコンが導入されてからだとおもうが、引継書をつくりながら仕事している。だから、いつ異動となっても、自分の仕事を引き継いてもらうのは簡単である。