日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和元年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4164声 窓

2019年04月09日

水曜郵便局の取り組みが面白いとメディア等でも取り上げられ、いまでは手紙の集荷や返送作業を地元のボランティアが手伝っている。アートが地域に潜在する魅力や課題を知る、外部とつなぐ窓となっている。アートにより過ぎるのではなく、あくまで住んでいる人寄り添ってアートを楽しんでいる感じが良い。

4163声 水曜

2019年04月08日

赤崎水曜郵便局という、熊本県の津奈木町のアートプロジェクトが面白い。海に面した廃校に架空の郵便ポストを設置し、水曜日にあった出来事を書いて投函してもらう。すると見知らぬ誰かが書いた水曜日の手紙が送られてくる。見知らぬ誰かの水曜日に思いを馳せるなんて素敵だ。

4162声 桜花

2019年04月07日

今年は開花してから寒い日が続いたこともあり、長く楽しめている。

4161 風琴②

2019年04月06日

数名の職人とともに来日したパイプオルガンは、長い時間をかけて設置された。曰く、最も大きいパイプにワインを満たし、それを飲みきるぐらいの時間がかかるとか。人間が一人で演奏する楽器として、おそらく世界で最も大きく、かつ、王様でもその場所に行かないと聞けないため、パイプオルガンは「楽器の王様」と言われる。

4160声 風琴

2019年04月05日

取材で私立中高一貫校のパイプオルガンを拝見。通常は礼拝堂の背面に設置されているが、建築の関係で舞台正面に位置している。礼拝堂に響き渡る音色は心を揺さぶるが、見た目も非常に荘厳でシンボリック。わざわざスイスで組み立て、バラして安中の地まで持ってきたとのこと。

4159声 気品

2019年04月04日

安中は年を重ねた貴婦人のような街。寂れかたに品がある。

4158声 送別

2019年04月03日

ホテルでの歓送迎会が終わり帰宅の途中。歓送迎会の主役は職場を異動する人達。数年の業績を紹介し、人柄を褒め、次の職場での活躍を祈る。例え10人居ても全員に対しこの儀式をし、全員から挨拶を貰う。乾杯まで1時間を超えることも。最後はきちんと敬意をもって送るいう礼節も、組織が組織たる所以の一つであろう。戦場で死んでも遺骨を拾って貰えると思える感覚に近いのかもしれない。

4157声 花冷え

2019年04月02日

朝は春のぬくもりを感じたが、夜は風も強く花冷えの中帰宅した。冬の間中お世話になった股引を今日から脱いだからなおさら寒さが堪えた。今日の花見はなかなか杯も進まないであろう。明日はザブンの花見だが、歓送迎会と重なっている事に今日気づいた。明日は花見日和を願いたい。

4156声 新元号

2019年04月01日

桜も五分咲きぐらい。日に日に花びらが開花していく。今年も異動はなかったが、数年間、苦楽を共にした同僚との別れや新しい上司など、この時期はとかく緊張するし疲れる。そのせいかもしれないが、新元号の令和を菅官房長官が発表した時、その言葉の冷たさに背筋が寒くなった。間違いなく令和は縮小を余儀なくされる時代であり、集落や自治体、伝統工芸など様々なものが淘汰されてしまうだろう。そんな時代性を先んじたような語感であった。

4155声 たんぽぽ

2019年03月31日

今日の上毛新聞別紙「風っ子」は子どもに向けた映画特集。その中で伊参スタジオ映画祭実行委員長として、中之条町四万温泉を主に撮影された『まく子』(鶴岡慧子監督)と、大ヒットしたアニメーション映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)の2本を、「子どもに観てほしい映画」として推薦させてもらった。

 

『まく子』については4130声でおすすめしたので割愛するが(現在もイオンシネマ高崎で上映中。急いで!)、『この世界の片隅に』はもともと原作漫画を描いたこうの史代さんの大ファンだったので、映画化もとても期待していた記憶がある。

 

僕が小学校の頃、歴史の授業で戦争という文字は読んだが、実際「生理的に」意識したのは図書館にあった中沢啓治による漫画「はだしのゲン」だった。大人になった今であればそれは1つの必要な通過儀礼だったとも言えるが、読んだ当時はリアルな描写に食欲も失せ、戦争はいけないという思いと同等に「もう見たくない」を意識してしまった。だからその頃は、ジブリの延長で観た映画『火垂るの墓』以外には、戦争物を観たり読んだりした記憶がない。

 

『この世界の片隅に』の優れた点は、絵面とストーリーの展開からして「戦争の悲惨さをビジュアル的に訴えるのではなく、個々の内面に訴える物語により、忘れがたいものを残した」点にあると思う。それは、大人たちに向けたものでもあるが、小学生以降の子どもたちに向けてもとても意味のある「表現」である・・と、そこまでは新聞記事に載らなかったので、ここで書いちゃった。(ちなみに『この世界の片隅に』は、内容をボリュームアップして今年の年末リニューアル上映される)

 

この1ヶ月、31曲の音楽が浮かんだ。その多くは、無理やり結びつけた感が否めないが。今の僕にとって音楽を聞くという行為はもはや「ヒットチャートで全国的に知られる音楽を追う」ものではなく、「今の時代を並走し生み出される音楽に共感する」ことだと思っている。この中の1曲でも、読んで聞いてくださったあなたの心に残る曲があればうれしいです・・って、こういうの「めっかった群馬」っぽくないよね。みなさん、よい春を!

 

4154声 楕円の夢

2019年03月30日

私の話を聞きたいの?

 

ハルコさんがそう言った気がした。といっても、彼女の声を私はもうよく覚えていない。使っていない奥の6畳間。物置と化したその部屋のダンボールの山を崩し、彼女が書いた一冊のノートを手に取った。その時ふと、彼女の声が聞こえた気がしたのだ。耳を澄まし、この家には私しかいないことを確かめる。ハルコさんというは、私の父の別れた妻、つまりは私を産んだ人だった。

 

ノートは結構な厚さで、手帳ではなく罫線が入っただけのシンプルなもの。雑記帳とでも言うのだろうか。その日何をしたか、何を買ったかなどが簡潔に書かれていた。遺品の中にこれを見つけた時、開いて読むことはないだろうと思いつつも、捨てずに箱に入れておいた。ふと思い出し、悪趣味的に読んでみようという衝動に駆られたのは、彼女の訃報からわずか1年で父が亡くなり、その法事が一通り済んで心にぽかんと隙間ができたからかもしれない。私は、私の父や私を産んだハルコさんのことを何も知らない、ということに気づいたのだ。手に取ったノートをめくると偶然にも、平成最後の今年にタイムリーなこんな書き込みが目に止まった。

 

【平成が始まった。テレビはどこも天皇の追悼番組。退屈。不動産もしばし動きがないだろうから長めの正月にするとユウジさん。神楽坂で美味しい天ぷら。二人でこんなにゆっくりできるのは初めてかもしれない。私は、私を愛してくれる人を愛したかったのだ。】

 

見てはいけないものを見た気がした。ハルコさんは私が5歳の頃、父や私と別れこのユウジという人とくっついた。寡黙な父は母(私にとっての育ての母)の手前もあったのだろうが、ハルコさんのことを悪口はおろかほとんど何も話さなかった。でも、近所に住むおばあちゃんが「派手な服を着て愛想がいいだけの薄情な女だった。チエちゃん(私の名前だ)ごめんね、寂しい思いさせてね」と何度も恨み節のように呟いていたことを今も覚えている。それを聞くたびに私は、自分は母親に捨てられた寂しい子どもなのだ、とみじめな気持ちになった。

 

【飲みすぎ。ヒステリックなあの女の声が頭から離れない。あの女をかばうのは、哀れみ? ではない?一日何回までの電話なら、彼に嫌われずにすむのだろうか。独りでいる時 間に耐えられない。自業自得。】

 

時代を反映したかのような贅沢な暮らしから一転。数ヶ月書き込みが飛んだり、仕事を休んだ、一日寝ていたなどの書き込みが増える。その中にあったこの一文で、ハルコさんはユウジという人に去られたのではないかと推測した。実際、この書き込みの後にはハルコさんが引っ越したと思われるアパートの住所や、精神安定剤と思われる薬の効用などが書かれていた。

 

ここに書かれた自業自得には、私や父を捨てたことを悔いての意味も含まれていたのだろうか。ノートの序盤を読んでいても他人事のように無関心だったのに、このあたりの低迷するハルコさんの言葉を読んでいて、心の底で喜んでいる私がいた。それは少し驚きだった。思春期の頃は、その年頃らしく、くっきりと彼女を憎んでいた。女に逃げられた男、という見え方になってしまった父も同様に。けれど二十歳も過ぎ35歳にもなる今は、父に対しても、育ての母に対しても一般的な愛情を注げたと思うし、ハルコさんに対しても、もうどうにも思わないと思っていた。違った。私は未だに、ハルコさんを恨んでいたのだ。

 

あるいはその恨みは、このノートを含めた遺品を受け取る際の、あのおじさんの言葉で再燃したのかもしれない。昨年のはじめ、父の口からハルコさんが亡くなったという話を聞いた時、正直こみ上げるものもなくて、車による事故だったと言われても、そうなんだ、とそっけない返事をした。けれど驚いたのは、東京でどこかの男と暮らしていると思っていた彼女が、50代後半にして一人福島の仮設住宅に住み、震災から7年が過ぎてもボランティア活動をし続けていたという事実だった。「本当にハルコさんなの?別人じゃないの?」と父に聞き返してしまったくらいだ。そして、ハルコさんは親族もすでにいないことから私たちは呼ばれ、家具や服は処分しつつもダンボール二箱分の遺品を受け取ることになった。

 

「あの人ほど献身的な人はいない。我が子のように子どもたちを愛してくれた」遺品整理を手伝ってくれていた、ボランティア仲間だというおじさんが呟いた。私は、はぁ・・と気の無い返事を返しつつも、帰りの長い車中、父を助手席に乗せながら、実の娘を捨てて私に対しては愛情のカケラも示さず、震災で大変な目にあった子どもたちとはいえ、遠い場所で他の子を愛でるなんて・・と複雑な気持ちをぐるぐると回転させていた。

 

【チエと会うことになった。武蔵境駅であの人と会うなんて。薄化粧のみっともない格好の私。素通りしようと思ったが声をかけてきたのはあの人の方だった。3月、チエと群馬の実家そばに引っ越すとのこと。それは二人でではなく三人でで、会社の同僚と再婚するということ。それだけ言い終わるとあの人は昔のように下を向いて黙った。みっともないと思いながら、今の私の近況を出来るだけ正直に話す。彼は静かに頷き、お前も大変だったんだな、とこぼし、群馬に越す前にチエに会わせるよ、と言った。彼の沈黙は私への無関心だと思い続けていたけれど、その奥には静かな優しさがあったのかもしれない。などと思うのは、今の私が誰かの優しさを求めているからだろうか。】

 

急に出てきた私の名前に、「あっ!」と思わず声を出してしまった。そうだそうだ思い出した。私が小学3年になる時、国分寺から高崎に引越しをした。その直前、父に手をひかれ井之頭公園でハルコさんと会ったのだ。思い出した。私はその頃、友達と別れなければいけないことと、新しいママができることのめまぐるしさばかりが頭にあって、ハルコさんと会ったことはそれ程印象には残っていなかった。記憶が確かなら、当日ハルコさんは雑誌の表紙のようなピカピカな服にキリッとした顔立ちでやって来た。三人で池の周りを歩いて、公園近くの喫茶店でスパゲティを食べて別れた気がする。それが彼女の顔を見た最後だというのに。忘れていたなんて。

 

【唐突に、ポテトサラダの作り方を聞かれる。大手のマヨネーズだと酸っぱくなるので、瓶詰めのマヨネーズ。水切りコーンも必須と伝える。】

 

コーン入りのポテトサラダ。私が中学を卒業するくらいまで、ずっと好きだったやつだ。おいしいだけじゃなくて、それだけは母ではなく父が作るものだったので、印象に残っていた。なんで作らないの?と母に聞くと、私は好きじゃないの、という答え。ああそうか、それはもしかしたら、そのレシピがハルコさんのものだったからかもしれない。

 

【チエは驚くほど大きくなった。何を話していいかわからず、井の頭池のまわりをぐるっと回る。チエはまだ私のことを嫌っていない様子。今日も普通に考えれば顔を会わせるべきではないのだけど、元気に育ってくれているそのことがただただ嬉しい。池を見るふりをして涙をぬぐう。チエがお土産屋を覗いている時に、ポテトサラダのお礼にと、あの人が封筒を差し出した。厚みのある封筒の中身はお金だということはわかったがつき返す。あれは今弱り切っている私への、ある意味当てつけだったのだろうか。 そうではなくて、どこまでも人が良い人なのだろう。でもそれをもらってしまったら、私の今までの人生が無駄になるように思えたのだ。別れ際、チエは背負っていた小さな赤いリュックから包装されたハンカチを出し、私にくれた。「ミホさんとハルコさんと、どっちがどっちの色がいいか迷ったの」とチエ。ミホさんというのは、あの人の再婚相手のことなのだろう。ありがとうと受け取るが、このハンカチは使えない。部屋に戻りポケットに手を入れると、池のほとりで鴨を見ている時にチエがくれた、飴玉の包装紙が入っていた。チエのこれからを思う。私はもう彼女の手をにぎることもできない、頭をなでることもできない、ピアノを教えることもできない、それができなくなった理由は私自身にあって、あの頃はそんなに膨大な幸せを捨てることになるなんてつゆにも思わなかったけれど、悔しい。悲しい。でも戻れない。私は、私の足でもう一度立ち上がらなければいけない。今日のことを忘れなければ、その日は来るのだろうか? 】

 

長々と書かれたそのページをめくると、ミルキーの包装紙が丁寧に貼ってあった。涙が止まらなかった。私は何も知らなかった。そして、ユニクロの服や古いラジカセ、震災・ボランティアに関する本以外にはあっけにとられるほど物がなかったハルコさんの遺品の中に、この1冊のノートがそっとしまわれていた理由を、今知った。

 

仮設住宅のハルコさんの部屋を片付けていた時、寺尾紗穂という人の「楕円の夢」というCDを見つけた。ボランティア仲間のおじさんが教えてくれたことによると、2016年に代々木で行われた反原発イベントで寺尾さんという方が歌を歌い、それを聞いたハルコさんは「この「楕円の夢」という歌は、私についての歌です」と言って、よく聞いていたらしい。ノートをダンボールにしまう際に再びこのCDを見つけた私は、彼女が使っていた古いラジカセのほこりを手で払いCDをセットすると、再生ボタンを押した。

 

(この物語は、ハンドメイド小冊子の祭典「ZINPHONY」出品の為に書き下ろしたフィクションです。「さようなら原発1000万人アクション」における寺尾紗穂さんの演奏は、実際に行われました。)

 

4153声 Little Person

2019年03月29日

今日目にした冊子に「誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指して」とあった。

 

僕は親から引き継いだのか、なんだかんだ言ってもポジティブ思考で、そこまで追い詰められることはなかった。「あの踏切、暖かそうだな」と思った瞬間はあったが、若さゆえに自分に酔っていただけだったと今では思う。だから、本当に悩んでいる人には「わかるよ」とは言えない。

 

そんな僕ではあるが、近年未だかつてなく、どよーーーーーーーーんとした時期があった。目先がまっくらになるとはこのことだ!と思ったり。そんな時、SNSで誰かがシェアした「Little Person」という曲を気に入り、夜眠る前に何度も何度もリピートして聞いていた。映画の主題歌だがその映画も見ていない。翻訳もわかるようでわからない歌詞。でも、他のなにかよりずっと、この曲が心を安らげてくれた。

 

そういうものだと思うけれど、今はこの曲をまったく聞かなくなった。でも「いざという時はこの曲があるぞ」と思える曲があることは幸せなことだと思っている。

 

google頼りに見つけた歌詞の和訳:

 

僕はちっぽけな人間
この海の中で一人
他のちっぽけな人々の中
彼らは僕に気づかない

ちっぽけな仕事を持ち
ちっぽけな生活を送り
ちっぽけな食事をして
ちっぽけな娘と妻を恋しく思う

でも、いつか、どこかで
はるか遠い場所で
僕はもう一人のちっぽけな人に出会う
その人は僕を見て言うんだ

あなたのことは知っているわ
ずっと待っていたから
二人で楽しみましょう

人生は素晴らしい
その一瞬一瞬が
あなたがいればもっと素晴らしくなる
だから一緒に楽しみましょう

僕はもう一人のちっぽけな人と出会う
そして外で一緒に外で遊ぶんだ

 

4152声 あなたは太陽

2019年03月28日

天地四方を以って六合と為す。

 

穴熊のような編集作業が続く。ふと、実はめんどくさがりな自分にとって、「仕事やボランティアの名目で外に出ることの貴重さ」ったらないな、と思う。中之条町と六合が合併したのは2010年。それまでは通過すらほぼしなかった六合。中之条ビエンナーレをきっかけに訪れるようになり、僕にとって決定的だったのは日本映画大学の学生たちの六合ドキュメンタリー制作を手伝ったこと。噺家ばりにしゃべりも達者なこね鉢職人の関千代衛さん、田代原の開拓時代を知る六合納豆の山口一元さん、六合を見続けてきた山本茂先生、森で呼吸するように作品を作り続けたスタン・アンダーソンさん・・魅力的な人々を知った。先日、伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞で今年夏撮影する六合等を舞台とした映画『黄金』の撮影協力のお願いで笹谷遼平監督らと六合を回った時も、それまでの関係性に救われた。そして今夜も、中之条町観光協会が発行している冊子「nakabito」に関連した六合の人々のショートドキュメントを編集している。

 

仕事やボランティアがなければ、ぼくはほぼパソコンの前的な場所に居続けるだけで、こんなに六合と触れることはなかった。むしろ、穴熊生活の反動で「仕事やボラ活動抜きで遊びに行きたい!」欲も出てきている。川魚食べて酒飲んで温泉に入りたい!釣りは・・すーさん教えて!

 

しかし、何度足を運んでも、動画の撮影や編集を繰り返しても「六合の風土の魅力・そこに暮らす人の力強さ・過疎化に対抗できる手段」の謎が解けない。でも僕にとって六合は、僕がくらす場所から西側にあってしても、どちらかというと「太陽が登る方角」なのである。

 

4151声 東京の空

2019年03月27日

髪が伸びてきた。物心ついたころからの天然パーマ。もじゃりだしたらきりがない。

 

2年前の太田市美術館図書館の開館記念展『未来への狼火』では、アート作家にまじってシンガーソングライターの前野健太さんが出展をした。前野さんをセレクトするあたりが美術担当・小金沢智さんの素晴らしさなのだが、前野さんは太田市をあるいて詩と歌を作り、ライブパフォーマンスも行った。僕と同じ天然パーマであることは前から知っていたが、僕と同じ1979年生まれと知ってなおさら親近感が湧いてしまった。

 

今時代の音楽にあって、前野さんの曲調は「なつかしい」と括られる事もあるのかもしれない。でも彼はここではないどこかではなく目の前のことから詩や歌を作り続けているし、同じ天然パーマ&1979年生まれとして、意識し続けたい歌い手なのだ。

 

4150声 ghost

2019年03月26日

忙しくなると痩せる、というのは嘘である。

 

肉体労働は別なのかもしれない。今月は出る機会も多かったがPCの前に張り付くことも多く、生活が不規則なのでぼーっとした頭のまま「たべること」の制約を外してしまった(普段からあるかといえば疑わしいが)。4月からはちゃんとしよう。

 

最近「もし僕が地球外生命体に体をのっとられたらダイエット」というのを思いついた。今の僕は僕なので不摂生な生活を続けているのだが、もし地球外生命体が僕の中で意思を持ったら何をするか?地球侵略より先に「なんだこの生き物、加齢もあるようだが動きづらいったらありゃしない」と肉体改善から行うのではないか?僕が頭のなかで気づいていても実行できないそれを、「動きやすい体にするんだという地球外生命体の意思だと思って考えずに実行する」というダイエット法である。

 

・・万が一成功したら、本として出版しようと思う。

 

4149声 波よせて

2019年03月25日

今日から31日まで編集デイと決めていたけれど、明日納品のDVDのパッケージ化作業で時間を費やしてしまった。ちなみに、マニアックな解説をすると、編集し完成した動画データをPCのオーサリングソフトというソフトを使って家庭用DVD再生機でも再生できるDVDに焼き付ける。DVDのパッケージデザインとDVDの盤面デザインは自分で行いそれぞれに印刷、パッケージは1枚1枚カッターで切り取りをする。あとは大量購入したトールケースとそれらを組み合わせ、市販されているものに近いDVDを「自炊」する、という工程を行う。

 

僕は企画や撮影や編集も好きだけど、この最後の「DVD自炊」作業も地味ながら好きだ。ケース入りのDVDになるとはじめて、映像が「モノ」になった気がするから。

 

DVDの自炊をしながら、youtubeで「クラムボンによる、デビューシングル発表から20周年記念ライブ生中継」を聞いていた。マニアックな解説をすると、デビューシングル「はなればなれ」のジャケットイラストは高崎市出身の小池アミイゴさんによるもので、彼が企画したライブでクラムボンは彼らのライブの定番曲である「波よせて」(実は他のアーティスト曲のカバー)をはじめて歌った・・みたいなことを言っていた気がする(聞き流していたのでわりと曖昧)。今日の中継でもこの曲を歌ったが、会場にいるみんなが一緒にくちずさみたくなる名曲だと思う。

 

4148声 帰っておいで

2019年03月24日

昨年末より度々、八ッ場ダム周辺を撮影している。

 

来年から本格的な運用が始まる八ッ場ダム。わりと近所の僕でなくてもいわずがな、その名は日本中に知れている。ダム建設のための川原湯温泉の大移転。民主党への政権交代による工事の停止。計画の発表は昭和27年、それ以降現在に至るまで様々なことが語られてきた。

 

完成の節目に、ダムを保有する長野原町が映像を制作することになり、同町の北軽井沢にて優れたフリーペーパー「きたかる」を制作している森の写真館が手を上げた。写真とライター等によるチームのため、動画スタッフとして僕が参加。そして度々八ッ場ダム周辺をチームにて回ることになった。季節は春へと変わりゆくが、撮影はまだ始まったばかりだ。

 

チームリーダーの田淵章三さんは東京を拠点に商業写真の第一線でフォトグラファーをしていた方で、現在は北軽井沢を居としているが、過去には北軽に縁がある谷川俊太郎さんと本も出版している。情とユーモアを持ち合わせたベテラン具合に、お会いして一発でファンになってしまった。

 

「ふるさととは何か?」

 

を問う映像にしようと田淵さんは言う。ダム、かっこいいではなく、代々受け継いだ住処を去らなければいけなかった人たちの声なども拾う映像になる予定だ。難しいだろうけど、頑張りたい。

 

今は地方映像も花盛りと言っていいのではないかと思う。奇をてらったものがバズる(再生回数を伸ばす)のを横目で見つつ、数ある中で一番好きなのは、青谷明日香さんが歌う「帰っておいで」が印象的な一連のPVのこの冬の映像だったりする。

 

4147声 あなたへ

2019年03月23日

気軽に受けてしまった保育園の卒園式撮影が今日と明後日に。ためてしまった仕事が気になり、行きの車はもんもんとしていたが、いざ撮影が始まると卒園を迎えるお父さんお母さんたちの嬉しいさま、泣くさまに感化され、いいものを見た気になった。

 

こういう撮影もだいぶ数を重ねてきたが、いつの間にかお父さんお母さんが僕より年下になってしまった。写真撮影でこういう式に入る同い年のフォトグラファーと前に話をしたのだが「人のこどもを見ても感動できる年になってきたね」ということ。形式的ではあるが花を手に駆けてきた園児を半泣きで抱きしめるお母さん。その瞬間には、何かがある。

 

壁には園児たちが将来なりたいものが一人一人書き出されていた。ほいくえんのせんせい、はなやさん、でざいなー・・youtuberがなくて、ちょっとホッとした。

 

何かになりたいと、あなたは言う。