薬攻め。薬が効いている間は症状は治まり動ける。薬を盾に老兵細胞と外敵のギリギリの攻防戦。
2024年12月18日
夜中久しぶりに熱を出す。身体中が長時間痛かったので体温は高かったかもしれない。昨日薬屋に寄って言われるがままに購入したプラセンタというドリンク剤が効いたように思う。朝には熱は下がった。今日はビールの仕込みをするつもりで迷ったが無理してやった。まだ咳が少し出る。今日も早く寝る。
2024年12月16日
今日から新米。昨年の米より粒立ちが良く食味にメリハリがある。握った感じもいい。日本料理屋の基本が出汁ならば鮨屋の基本はシャリである。シャリの出来いかんでお客様の評価も仕事の満足度も変わる。年の瀬になって嬉しい出来事である。
2024年12月15日
紹興酒の勉強をしに赤坂へ。最近紹興酒に興味がある。あるところで飲んだ紹興酒がおいしくて、握りに合わせてみたら合うし燗酒やナチュラルワインにも通じると思ったのがきっかけ。そもそも紹興酒の成り立ちがよく分かっていないから基本的なことを知りたかった。紹興酒とは黄酒の中の産地名称で紹興で作っている黄酒のこと。黄酒と書いてファンジョウと読む。20種類近く飲ませてもらい、お酒を燗酒やナチュラルワインの視点で見るクセがついているからそれで余計におもしろかった。日本酒との発酵度の違い、麹の違いによる香味の違い、酸化熟成ワインとの共通点、ビールにも共通する苦みなど。新たな楽しみができたかもしれない。
2024年12月13日
橋本屋でギィ・ブルトンの試飲会。ギィ・ブルトンは故マルセル・ラピエールと並ぶヴァンナチュールの先駆的存在である。年齢はいま還暦くらいか。フランスボジョレー地区の生産者でボジョレー内に細かく区切られる地域別に畑を持ちワインを造っている。今回はその試飲会。シルーブル、レニエ、フルーリー、モルゴン、ボジョレーヴィラージュ。これらすべて地域名産地名。モルゴンはバランスよくいつものチャーミングなガメイの味で、今回よかったのはレニエ。苦みも渋みも少なく粘度のある重心の低い果実味が感じられた。世界中に赤ワインはたくさんあれど寿司に合うのはボジョレーのガメイだと思っている。
2024年12月12日
動物にとって食べることは一大事である。寒くとも川の中で虫や魚が流れてくるのをじっと待つ白鷺を見るたびに思う。食べることが一大事ならば「飲み込む」ことも一大事である。ようやくありついた獲物が万が一にも有毒だったら元も子もない。食べることに付随する「飲み込む」とは、「飛び降りる」と似ている。食べ物というのは基本的に噛み続けていればなくなるようにできている。それでも飲み込みたいのは意思的でありたいということか、あるいはどうしようもなく気短かか。どうしてお酒を温めるのか?それは温かいことが細胞レベルの親和性を高めるからだとふと思った。喉は皮膚から遠い。その上意思的である。「食べる」ことを「飲み込む」ことではなく、「染み入る」ことに近づけたいのだと思う。おいしいということの中には「否応なく染み込んでゆく」という要素、感覚があるはずである。それが大事だと思えたら飲み込むことを遅らせることができる。
2024年12月11日
予約のある時は営業前に必ずお酒の味見をする。その日の料理と日本酒、ワインを合わせて提供の順番などを話し合う。日本酒は抜栓後も味の変化が少ないがワインは刻々と変化してゆく。酸化防止剤を使わないワインであればなおさらである。魚でもワインでもいいものは緩やかに変化する。しかしながらそういうものばかりを扱えるわけではない。予測不能な味の下降線を目の当たりにして一喜一憂する日々。食材もお酒も変化する醍醐味と安定している確かさとのせめぎ合いである。人生そのものである。
2024年12月10日
あん肝は味をつけて炊いている。梅干を加えて甘く炊く紅梅煮というクラシックな料理である。梅干とあん肝の相性はよくそのままでもおいしいがそれを裏ごした焼き芋と重ねて上から柚子の香る黄身酢をかける。こうするとワインにぐっと寄っていく。合うお酒の幅が広がる。「このさつま芋がいい仕事してるのかもしれない」赤ワインを召し上がっていたお客様がつぶやいた。
2024年12月09日
年末調整の話を聞きに実家へ。白のバンが3台止まっていて職人が何人もいた。奥から元気のない様子でお袋が出てきて会うなり、「正直もう疲れちゃったよ」と言っている。家を改装するとは聞いていたがひと月以上も職人が出入りする生活は堪えるようだ。家では話をできそうにないので喫茶店へ移動する。改装工事もさることながら日々の親父の癇癪もストレスらしい。「話ができて少し楽になった」と帰り際。弱音をあまり言わない人の弱音はこちらまで苦しくなる。
2024年12月08日
スタッフと忘年会。現在うちには40代前半が3人いて彼らと小籠包を食べに行った。このくらいの年になると顔つきは社会性を纏う。大人の顔になるとはそういうことだと思うが同時にそれぞれに生きてきた年輪から出るアクが全体から滲み出てしまいもする。アクにも色々ある。大事なのは社会生活を経てきたこと、そこに他者がいた時間があったという事実で、だからもし40代の人間に対する安心感というものがあるとすれば、それは「もう子供じゃない」という事実なんだと思う。紹興酒を飲みながらそんなことを考えていた。現在うちにいるスタッフに共通するのは、痛みをわかることができるアクを持っていることだと思う。
2024年12月07日
夏みかんのビール瓶詰め。一次発酵終盤に果汁を加えて様子を見る。糖と酵母があれば再発酵が始まるのは当たり前で調整が必要である。タンクの移動と火入れの必要性というまた手間の増えることを感じた。夜はお一人のお客様と若い男女の二組。お一人で来られた方が追加で鮪のご注文。追加に鮪をおかわりされるお客様は少ない。お目が高い。
2024年12月06日
風の強い一日。例年だと暇なことが多い12月初旬だが今年は忙しい。時々緩めないと何も考えられなくなるので今日は休息日。包丁を研いで風呂に行ってお酒を飲んでおしまい。
2024年12月05日
いつもビールに使う果物や野菜を分けてくれるМさんがご来店。仕事でお世話になった方を連れて行くと言って来られたのは私と同世代のお客様で、住まいも伊勢崎だということから話は若い頃の伊勢崎での夜遊び伝となった。今から25年前くらいの伊勢崎は時間制パブ所謂キャバクラができ始めた頃。旧市街地はメイン通りまであっという間にピンク街に様変わりした。お客様の相当遊んだという昔話を聞きながらすました顔で料理をしている自分も当時は浴びるように酒を飲み遊び歩いていた時代。夜の街で酒を酌み交わした人たちの顔が浮かんだ。
2024年12月04日
饅頭を作る。饅頭と言っても捏ねた小麦粉にあんこを入れて蒸かしたアレでなく日本料理の技法にある芋や豆を使った甘くない饅頭のことである。春は筍やそら豆、夏は枝豆や蓮根、秋は栗や南瓜、冬は里芋や百合根で作ることが多い。今回は里芋の仲間の京芋を使って中には鰆を入れた。京芋を茹でて鰹出汁の薄密で炊いて裏ごして葛粉少々を加える。そこに小さく包丁した鰆を入れて丸めて蒸す。仕上げに裏ごした鱈の白子を出汁でのばして掛ける。芋も白子も白いので器は黒で。最近あまりやらないが今日のお客様は先週も来てくださった方なので目先を変えた。
2024年12月03日
随分昔に所属した社会問題を考えるNPOの忘年会に参加。仕事以外で人に会うことが少なくなったので皆さんの年の取り方を知りたかった。7~8年ぶりにお会いする方もいたがお元気そう。私は活動にほとんど参加していないので静かにしていたら発言を求められ、「老兵の自覚」なんて言ったら皆さんきょとんとしていた。