日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和2年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4308声 早春のつくば

2020年02月09日

俳句大会のため、朝から茨城県つくば市へ。つくばエクスプレスに初めて乗車した。茨城県に入ってからの車窓、その田が広々としている明るさは、群馬県で言うと、どこと無く両毛に似ていると感じた。ひとしきり近代的な町や都市公園を吟行して句会。今回は選者の選句が被っていなかった、つまりみな違う句を特選に選んでいた。長年俳句に触れていても、感銘を受けるポイントというのは一様にならないのだと、改めて感じた。帰りは群馬勢と北千住で一杯飲んで別れた。

4307声 背の温み

2020年02月08日

朝、家の周りの草むしりをしていると、背中がじんわりと日でぬくもった。まぎれもなく春である。しかし、抜こうとしている草はまだ冬の気配が強く、しっかりとした根を抜くのが一苦労であった。こんな雑感を記すとは、私も年を取ったなと、苦笑いをしつつ書いている。定例の句会のため原宿へ。ウイルス流行のためか、原宿もいつもより人出が少なく、句会も参加者が少なかった。

4306声 墨に触れる

2020年02月07日

晴れてはいるが、ひねもす春寒。風邪は治りかけているが、まだ芳しからず。作品評にとりかかるが、そちらも芳しからず、すぐに止める。短冊の揮毫依頼が届いていた。先月は企画展用の色紙をやっとの思いで一枚完成させたところ。このところ墨をする機会が増えてきた。絶望的に下手な字だが、誠意だけは伝わるようにしたい。来週の句会行程を作って床につく。

4305声 アナログのたのしみ

2020年02月06日

冴え返る一日。春に向いていた心が一気に後ずさる。まさに〈昃れば春水の心あともどり(星野立子)〉という雰囲気を実感した。お礼状の第二次を出し終え、葉書で投句を二つ。俳句などに携わっていると、葉書をよく使う。相手に送るときは住所を書くので、その人がどんな風光の場所に住んでいるのか、想像しながら書く。これからどんな町に届くのか、考える楽しさは、メールなどのデジタルよりも、やっぱりアナログならではのたのしみである。

4304声 二百五十万円

2020年02月05日

仕事で池袋へ行き、昼は「サン浜名」なるレスラーっぽい店名の大衆食堂へ寄った。雰囲気といい、料理といい、私にとっては美を感じる趣があった。それはもちろん、シャレたグルメ雑誌に載っているような美ではない。とんかつはとても美味しかった。会計時に「はいおつり二百五十万円ね」というギャグ、久しぶりに聞いた。

4303声 立春の時雨

2020年02月04日

立春、らしい気候。宵の口にはらりと時雨。月が煌々としているのに雨という、おもしろい光景であった。連日のコロナウイルス蔓延との報道のため、都内の列車内など、ひとつ咳をしようものなら戦々恐々とした雰囲気が漂う。同人誌に載せるための作品評の下選を終える。これから本選をして評を書かねばならぬのだが、締め切りが週明けなのだが、今日はもう寝る。

4302声 節分の桜

2020年02月03日

どうにかお礼状を2通ほど出し終える。伝えなければいけないお礼がたまりに溜まり、メールで「ありがとう」というわけにもいかぬので、また溜まる。今日は節分。夜に一本、原稿を入稿する。連作で全部、桜の句。窓から眺めると月がやや朧であった。

4301声 蝋梅の里

2020年02月02日

朝から山のふもとの寺に行き、法事を済ませ帰って来た。一日仕事になってしまった。寺の境内には蝋梅がたくさん咲いており、底冷えの本堂で正座している最中、しばし和んだ。久しぶりに会った住職に加齢の相が濃く、と同時に自身の年齢を思い、しみじみと時の流れを感じた。寒暖の差で軽く風邪をひいた。

4300声 夜のアーケード

2020年02月01日

今日から(ぬ)。一月は新春の俳句ingから始まり、俳句賞の贈呈式で慌ただしく終わった。朝から穏やかな日差しに、夢から覚めた思いがする。枝を移る鳥の声など、もう春がそこまで来ている感じがする。午後から法事のため群馬へ移動。移動に時間が取られ、前橋あたりに着いたときには、日が暮れていた。夜半に呑竜仲店などアーケード周辺をすこし歩く。

4313声 習慣

2020年02月01日

穏やかに晴れた一日。そして、バレンタインデー。先日の句会で、日本におけるバレンタインデーの習慣はナンセンスと言い放った若い女性がいた。たしかに、昨今はそういう風潮があり、以前よりイベント性が薄まってきている感じがする。バレンタインの句も、令和時代はそういう雰囲気を孕んでいくのだろうな。

4299声 安住紳一郎②

2020年01月31日

朝から樽詰めをしてタンク洗浄まで。IPAの時はホップ粕が大量なため手間取る。ひと通りきれいになったところで松屋へ。朝定食にギリギリセーフ。今日もソーセージエッグ定食はおいしかった。こんな生活も慣れてきた。先日亡くなった宍戸錠は晩年一人暮らしで、ほとんど食事は近くのコンビニの弁当だったらしい。よく買いに行くコンビニの店主ともすっかり顔見知りで、亡くなる前日も買いに来て「俺の身体はここの弁当でできている」と言っていたとか。ならば私の身体は松屋のソーセージエッグ定食とガストの目玉焼きセットでできている。そう言っても過言ではない、くらい食べている。松屋とガストにはとても感謝している。本当は、安住紳一郎アナのことを書こうと思ったのだが、また今度にしよう。昨夜安住紳一郎の日曜天国の前回放送分をラジコで聞いていて、あまりにもおかしくて、ニヤニヤ笑い転げた。オープニングのフリートークで30分、完全に芸になっている。もうそこいらの落語家もかなわない話芸だと思う。今私は同世代で一番自慢できる人は誰ですかと聞かれたら、イチローでもキムタクでも貴乃花でもなく、安住紳一郎と答える。そんなことは誰にも聞かれないだろうが。

4298声 3年

2020年01月30日

朝から仕込み。通算150回目の仕込みは、今日で醸造をスタートしてからちょうど丸3年という、キリのいい日となった。今日の仕込みはふきのとうのビール。3年前と同じレシピで仕込んだ。どのくらい腕が上がったか見てみたくて。この3年間は、長かった。何がわからないかを少しずつわかっていく期間だった。何がわからないのかすらわからないのに、ビールは作らなければならない。こんな恐ろしいことはない。必死に探した。ようやく3年たって、落ち着いて仕込みをできるようになった。何もわからなかった時を忘れちゃいけないなと思う。でも忘れるんだけどね。ヨーロッパの旅のあの孤独感も、すでになかなか思い出せないんだから。忘れないで心に刻むことも大事かもしれないが、同時に、わかってきたことで得た安心をエネルギーに変えていく、という気の引き締め方もある。おいしいビールが作りたい。

4297声 リズムがない

2020年01月29日

酒のメニューを作って配達をして、今日もロイヤルホスト。身体が重い。けれどもコーヒーはおいしい。水もおいしい。珈琲館は水がおいしくない。おしゃべりのおばさんが入ってきた。おばさんのおしゃべりのリズムが苦手だ。苦手なのはおばさんのおしゃべりのリズムじゃなくて、おしゃべりなおばさんのリズムが苦手なんだと思う。おばさんのおしゃべり全てが苦手なわけじゃない。おしゃべりなおばさんは大抵が、リズムが悪い。ときに、リズムがない。垂れ流しなのである。日が出てきた。今日は暖かくなるようだ。

4296声 雨の日の音

2020年01月28日

早く起きられた。雪は積もっていないと思ったがところどころ少しだけ白くなっていた。我が家は車の通りがそこそこある道路に近いのに加え、家の壁が薄いからタイヤの音や雨の音がよく聞こえる。雪が積もるときは音が静かだし、みぞれ混じりならばシャリシャリと溶けた雪を弾く音が聞こえる。それ以上積もればチェーンを履いた車の音がする。今日は雨の日の音だった。タンクの熱湯消毒、ドライホップをして税務署へ。その前にロイヤルホストで書類作成。ロイヤルホストのドリンクバーには、機械抽出とハンドドリップとコーヒーが2種類ある。どちらもおいしいんだが、やはりどっちかと言えばそれはハンドドリップに軍配が上がる。開店して間もなければなおさらうまい。2杯もおかわりしてしまった。

4295声 水の通り道を変える

2020年01月27日

朝から樽詰め、タンク洗浄をする。うちのビールは発酵のキレが悪い。ダラダラと発酵が続く。原因は2つ考えられる。1つは酵母の発酵力、もう1つは麦汁の素性の問題。酵母については酵母に強い発酵力をあまり求めていない。健全かどうかだけを見ている。あわよくば何らかの不健全さがあったとしても、そこにいとおしさを感じればそれはそれで使いたいとすら思っている。問題は麦汁の素性である。うちはあの場所の水の根本性質を取り除きたくないため、水道水をろ過せずに使っている。当然塩素がいて、それは酵母にとってはウィルス、疲労物質に違いない。そこをなんとかしようと決めた。まず今仕込み水だけに使っている活水器を、水道栓の大元につけ変える。そうすれば店と工場全部の水が活水器を通したことになる。今活水器がついているところに、ろ過器をつける。炭ろ過の簡単なやつを。おそらくこれで、完全には塩素を排除はできないだろうが、今よりは酵母にとって生きやすい環境になると思う。来月中に工事をする。

4294声 古物の念

2020年01月26日

都内へ。年末に購入した器を取りに日本民芸館へ。「祈りの造形」という企画展をやっていた。室町時代の黒塗りお面は迫力満点だった。沖縄の漆器焼き物もまたよかった。古物の多くに共通するのは、手数を惜しまない細かさや整えようとしない大胆さ。そこに念が浮かぶ。そういうものに接するたび、費やした時間は裏切らないなと思う。

4293声 強制終了

2020年01月25日

元気があればなんでもできる、というのはアントニオ猪木の口癖だが、ではなんでもできるその状態は、いったいどんな状態なのだろうか?元気は、若ければ若いだけある。逆に言えば元気は、生きた年月と共に減ってくる。当然、なんでもできる状態が普通だった者も、なんでもできない時間が多くなる。なんでもできない状態が訪れたとき、多くの人は元気を自分に取り込むことを考える。元気はどこかにあるかもしれないから、それをもらって自分に追加する、と考えるのである。ところが、元気は本来、自分の中から出てくるものである。なのに外から取り入れると、その取り入れた元気の持つエネルギーにより、その元気が出た反動で、疲労も蓄積してしまうということが起こる。要するに、元気物質があるならば疲労物質もあると考えるのが自然である。なんでもできない状態には、元気物質が足りないという一面があるかもしれない。一方で、疲労物質が多すぎるという一面もきっとある。この疲労物質を排出することも、元気が出るきっかけになるのである。疲労物質を排出する方法にはどんなものがあるか。一番は、寝ることだ。ところがこれが年を取ると、どういうわけか眠れなくなる。寝たのに疲れた、という状態すらときに起きたりする。これは、眠るために必要な元気物質が足りないから眠れないのかもしれないし、逆に、疲労物質がありすぎて眠れないという、とても皮肉な場合もある。飲みすぎたときなんてまさにそれだ。他には断食なんかも、あれは疲労物質をわかりやすく排出できる。身体がリセットする。風呂もそうだし、温泉もそう。これは強度の差。他にはなんだろう。ただ太陽を浴びる、なんていうのだってそうだろうし、森林浴や海水浴もいいだろう。要するに、この、これらの多くに共通するのは、地球力を浴びることである。地球力が、疲労物質の排出、ひいては緊張、交感神経のシャットダウンをしてくれる。まさに強制終了である。疲れてしまい、次の元気がやってくるまで待てないときがある。そんなときは、強制終了が必要である。私はそういうときに、神川町の温泉、白寿の湯に来る。今日も来た。いま、風呂から出たところ。強制終了である。後ろで2歳くらいの女の子が、「おれんじじゅーしゅのみたーい」とずっと言い続けている。駄々をこねている声でもなく、かわいい声でずっと繰り返している。この子も元気がほしいのだろう。

4292声 ケグ洗浄

2020年01月24日

よく働いた。案件が多ければ疲れる。そこに一つ一つ丁寧に向き合えばなおさら疲れる。そんなことは当たり前にしている人からすれば、当たり前である。けれども私は案件ばかり多くてその一つ一つに丁寧に向き合う余裕なんてないというのが、ずっと、常だった。ところがいつの間にか、丁寧に向き合うことは当たり前だ、になってきた。案件を減らせたことが大きい。それはビールを作るようになってからである。料理に比べてビールは案件が少ない。それにより落ち着いて目の前のことに集中できるようになった。集中できるというのは、深堀りできるということにもつながる。それが、丁寧さや気づきをもたらしてくれる。料理ははじめから、一度に2つ以上のことをできることを要求される。それを要求され続けると、一度に3つ4つ同時進行でできるようにはなるものの、目の前のことに対する深堀りが少なくなる。大変さ故に素通りになる傾向が高くなるのである。今日やったこと。税務調査対応、市場への仕入れから久しぶりに魚もおろしたし桂むきもしたこと、シンキチのビールを飲んでくださる団体のお客さんへの接客、スタッフへの、これは接客とは言わないが、信頼を目指した対応、その合間のケグ洗浄。このケグ洗浄で、調子を整える。ケグ洗浄が、自律神経を調整してくれるのである。ケグ洗浄の、なんとありがたいことか。