日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

5576声 合わせない選択

2026年06月09日

(続き)栃木県の「もうひとつの美術館」は明治の面影を残す校舎で2001年から始まった。「みんながアーティスト、すべてはアート」を掲げ、普段から障がい者アートにも力を入れている。

今回撮影した「繰り返しの極意Ⅱ」展は12人の作家が参加。それぞれに、先述したチハヤ会や、ほかに群馬だと工房あかね、県内外各地の福祉施設に通ったり滞在している利用者の方たちが、作家として名を連ねている。どれも良かった。

工房あかねの鈴木雅史さんはものすごーく細かい絵を書く。会場には虫眼鏡が置かれており、それでじっと覗き込むくらい細かい。はじめ、それはただ点を規則的に打ったもののように進められているっぽい。そしてその点に色が重ねられていくと、鳥の輪郭を帯びてくる。全ての作品がそのスタイルで貫かれている。どれだけの時間をかけたのだろうか。写真では(映像でも)伝えにくい<迫力>がその絵を対面すると感じられる。

チハヤ会の小原武さんも面白い。普段から(ボールペンだと思うが)紙に絵を描く。絵と言っても何かを書き写すわけではなく、自由な線だけが紙の上を踊っていく。そして彼は、それをびりびりに破くのだそうだ。描いてはびりびり、描いてはびりびり。くしゃっと丸められた紙はけっこうなボリュームにもなる。いつからか、チハヤ会のスタッフはそれを捨てずにとっておくようになった。実際、美術館の会場にも、大きなポリ袋にぎっしりのそれが、何袋にも渡って並んでいた。中央には、それがまるで貴重な美術品のように(そう展示された時点で貴重な美術品なのだが)台座と筒に収められ飾られている。小原さんは栃木にも足を運び、ご家族でこの展示を見て喜んでいたそうだ。

障がいを持つ人たちは、独自の生活リズムで暮らしている。それを一般社会に強制しようとすると、反発もあるだろうし双方機嫌が悪くなる。だからといって、好き放題やらせるということがどれだけ難しいかは介護に関わる人間でなくても想像はできるのだが、ここに展示された12人の作品からは「合わせない選択」を選んだがゆえののびのびさを感じた。

5575声 もうひとつの美術館

2026年06月08日

みどり市にある社会福祉法人チハヤ会の周年イベントに向けての撮影を続けている。デイサービスから共同生活介護など福祉事業を続けてきた団体ではあるが、障がいを持つ人と材木を扱う事業を担う珍しい林福連携事業を行ったり、子ども食堂などの親子支援も行うなど手広い事業を展開している。

今は「アール・ブリュット(障がいを持つ人によるアート)」が大なり小なり至るところで展開される時代になっているが、チハヤ会でも日常行為の延長上でアート制作をしている人たちがいる。本人たちはアートを作っている、という自覚がないにしても、職員さんが丁寧にそれを拾い、人の目に触れるように展示会などを不定期で開催しているのだ。

その中の一人、小原武さんの作品が、栃木県那須郡那珂川町にある「もうひとつの美術館」のグループ展に出展されているというので、撮影で伺った。群馬から栃木は近いような遠いような距離。街中ではなく、見慣れたような山あいの中にその美術館はあって、廃校利用による美術館なので普段廃校を見慣れている(僕が関わる映画祭は伊参スタジオという廃校利用の校舎が拠点なので)僕としてはすぐに親近感が湧いた。(続く)

5574声 残り時間を知っていたら

2026年06月07日

相変わらず目の前の仕事はあって、お待たせをしているものの「締め切り」という約束によってモーレツに仕事をする時もあるが、息切れをしたりぼーっとする(スマホを無意味に見てしまう)時間が若い時より増えてきた気がする。邁進するために、未だ理由がほしい。できれば締め切り以外の(そういう現状が何かで伝わるのか、YouTubeを開くと、締め切りでしか動けないあなたを救う管理アプリはこれですとそういうCMがやたらに流れ、余計に虚しくなる)。

寺尾紗穂さんの歌に「骨の姉さん」という歌がある。僕の亡くなった姉は、この歌のように青いワンピースを着るような人ではなくずっと家に篭っていた人であったが、それでもこの歌に自分を重ね共感のようなものを覚えずにはいられない。

骨を見たよ 骨の姉さん
なぜか桜色してた 姉さんの骨
もっと俺たち笑えたろうか
残り時間を知っていたら

締め切り以外、自分の残り時間が少ないことをやる気に変えることは短絡的だと思うが、実際からだにそんなに健康ではない傾向も見られるわけで、今の僕はこの歌を聞くとやる気がでる。そしてそれは僕一人に限った話ではなくて、誰かといられる時間も有限であり、人といること、人と会うことの尊さもこの歌から感じる。残り時間は、どれくらいあるのだろうか。

骨の姉さん 寺尾紗穂
https://youtu.be/pInLf_yi_wY?si=LTywUlEM-0fuJZ7W

5573声 町は変わった、餃子はどうだ

2026年06月06日

宇都宮を通ることになりふと、あれは15年ほど前だろうか、ジョウモウ大学(特定の場所は持たず、ワークショップの内容によって先生も生徒も場所も変わる、町づくりにも関連したグループの総称。僕もワークショップ発案メンバーの一端を担った。2020年に活動終了)に関連して宇都宮の街を歩き、楽しかったことを思い出した。あれは確かユニオン通り近辺を中心に活動するユニオンスタジオというデザイナー集団によるアテンドだった。

とはいえ、15年も経つと全く場所がわからない。ユニオン通りは変わらず昭和のにおいを残しながらも、酒飲み横丁的な店が多数乱立していた。古くからある商いの店もちらほらは残っていたが、酒場営業の方が生き残れるのだろう。15年前には大谷石を使ったおしゃれなお店なども紹介してもらった気がするが見つけられず、変わりというわけではないがその後にできたのであろうおしゃれな本屋を見つけた。

15年前はおしゃれメンバーだったので餃子は食べに行かなかった気がするが、その後も僕は宇都宮には来ていた。ドンキホーテの地下にある餃子テーマパークで当たり障りなく餃子を食べた記憶がある。ので、帰り際にそこに寄って2軒の餃子を食べ比べた。味は変わっていないのだろうが、今は自分でも餃子を作るようになったのでなおさら、これら2軒の味で感動するということはなかった。

「ユニオンスタジオ」で検索すると、WEB記事が一件出るのみで皆さんの行方がわからない。寂しさも感じるが、ジョウモウ大学と同じように、彼らが行った町おこしは、きっと今の宇都宮に反映されているのだと思う。

5572声 餃子を包む

2026年06月05日

手作り餃子を作るようになった。きっかけは、今SNSで流行りの長谷川あかり先生(料理を真似する料理家には先生をつけている)が投稿した、白菜と鳥ひき肉の餃子。白菜はあえて塩揉み脱水をしない。その分、食べた時にジュワーっという餃子になるのだとか。試したら美味しかった。昨晩は、こちらもYouTubeで人気のとにかく売れたい町中華先生の著書「まいにちのおうち中華80」から、スタンダードな餃子を真似してみた。牛脂も入れるのでスタンダードではないかもしれないが(そして牛脂をもらい忘れていたので入れなったが)美味しくできた。

長谷川先生は「餃子を包む行為は、忙しい現代人のメディテーション(心を静めて自分の内側に意識を向ける実践方法)です」と説いている。なんとなくわかる。それよりも、「包んだ餃子は、適量の片栗粉をしいておいたトレイに並べていきましょう」というワンポイントが、この先ずっと使える良い技であるように思う。そうしておいてフライパンで焼くと、きれいな羽がつくのだ。ぎっちぎちに並べて焼いて、皿をかぶせてエイッとひっくり返した時にきれいな茶色の正円ができていると、それだけでテンションはダダ上がりする。熱々のうちに、酢醤油でパクっといただきたい。

5571声 人生の要点はどこに

2026年06月04日

今年、実家の隣の空き家を借りた。その一室には自前の安いプロジェクターとスクリーン、そこそこポータブルだけど低音に強いJBLのスピーカーを置いて「映画の部屋」を作った。環境を作って満足でまだ全然観てはいないが今夜は『オール・アバウト・マイ・マザー(ペドロ・アルモドバル/2000)を観た。

名だたる映画祭で大賞を取り、鮮烈とも言えるメインビジュアル(金髪で真っ赤に唇を塗った歳のいった女性の大きな顔が貼られた壁の前で、もう一人の女性が立っている)は忘れ難いが、15年くらい前に見てはいたものの内容をすっかり忘れていた。見始めて、ある程度進んでから思い出す。最愛の息子を事故でなくしたマヌエラを中心に、登場人物たちの人生の悲喜交々が描かれる。いい映画だった。

特に、マヌエラが元旦那と再会するシーンで、前回見た時もグッときたなということを思い出しつつ今回もグッときてしまった。ある程度長い人生時間を内包した映画であるが(最初から最後までなら10年くらいかな)、見せるところと見せないところの分別が完璧に近い映画だと思った。人生の要点だけが展開されていく(だからといってダイジェストに見えないのも手腕)。

自分の人生を客観視することは難しいが、人生の要点とはどこにあるのだろうか。映画化を考えなくても良い。例えば、僕の亡くなった姉に対して、もちろん彼女の晩年は印象に残っていることが多いが、ふと思い出すのはその数年前、高崎の心療内科に連れていって、帰りに彼女が好きなアニメグッズを売っている店に寄り、さっぱりしたものが食べたいとそれほど美味しくはない定食屋で2人で海鮮丼を食べた1日である。会話もぎこちなかったし、それはたわいもない一日であるが、僕にとっては彼女と関係する中での人生の要点である。

5570声 高いな

2026年06月03日

誰しもが思っていることと思うが、今年色々が高くなったと実感する。中之条町であっても、外食で1食1,000円以下を探すことは難しい。今日はスーパーへ行って、もずくのパックが1.5倍くらいの価格になっていて、塩サバの半身が500円になっているのを見て気持ちが重くなった。もちろん、小売が儲けているとは思っていないし、野菜に至っても燃料代が上がる中で値上げせねば仕事を続けていけない人がいることもわかる。だが、食品に限らず(自分も含めて)皆さんこれから大丈夫ですか? と思わざるを得ない。数年前には感じていなかった、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じると言ったら言い過ぎだろうか。

飲食店においては、つい近年まで「安いからこんなものだろう」「高いけどこの味なら仕方ない」の2極の中で店を選んでいたのが(もちろん、安いけど美味しい、高いけどまずいはあったが)、安いものがなくなって「そこそこ高いけどこの程度か」という店が増える。都会なら一見さんで持つ飲食もあるのだろうが、地方ではそうはいかない。結果、外食離れにつながるのではないか(だからこそ、良い店が光る、とも言えるが)。

塩サバは賞味期限が近い半額のものを見つけ購入。そんなであっても、値段を見ることもなくポイっとカゴに入れられる食べ物もある。それは、もやしである。もやし良いよね。

5569声 素直さの価値は

2026年06月02日

群馬県商工会連合会で毎年主張大会の県大会というものを開催しており、コロナ禍において「会場に大勢呼べないので中継をしたい」といただいた仕事が、現在まで続いている。今年から、中継はなしで記録、後に編集して納品、となった。中継は何度やってもネット回線が途切れるのではないかという不安や、予想していない音声トラブルが起きるなど(過去にあった)緊張を伴うものなので、中継がなくて安心した気持ちで撮影に臨んだ。

8人の発表者のうち最後の青年が、「店に空き巣に入られ失意のどん底にいたが、商工会の仲間に話したところ、その道のプロが店舗修理などをして助けてくれて急死に一生を得た」みたいな話をしていて、それはカンペも読まずに感情のこもった発表だったので(全国大会ではいないのかもしれないが、県大会ではカンペをそのまま読む方もいる)、これは優勝だなと思っていたら・・

優勝したのはそれより前に発表をした嬬恋村の農家の女性で、ありそうでなかったキャベツの加工品を商工会仲間を作って村の活性化をはかっています、という内容の発表だった。大げさでもなく小さくもない、素直な発表だなとは思っていたが、パンチに欠けていた気がしていた。最終審査がどのように行われたのかはわからないが、きっとその「素直さ」が支持されたのではないか、と思う。

広告においては今、AIなんかも入ってきてより捏造、炎上方法、「価値のある何を言ったか」ではなく「誰が(インフルエンサー的な)言ったか」が支持される世の中になった。そんな中で「素直さ」の価値はどの程度あるのだろうか。僕自身ちょっとおそろかにしてしまっている気がして、人知れず反省をした。

5568声 結果を生きる

2026年06月01日

抜井さーん、元気ですよ。岡安です。

千恵さんから「オードリーの若林がラジオで言っていたことだと思うんだけど、この年齢になると若い時やったことの結果を生きていると実感する時がある」みたいな話を聞いた。芸人として売れたい! という若手時代を過ぎて、ある程度以上の成功を収め、ラジオの人気パーソナリティーになったであろう人である。そのラジオは聞いていないが、そこには成功したという実感よりも、<これから先はもう何者にもなれない>という寂しさの方が多く含まれる話のような気がした。

それに倣えば、確かに僕も46歳となりすでに結果を生きている年齢になっているのかもしれない。過去の頑張りがあるから今の身の回りがあり、過去の怠けがあるから今の身の回りがある。今から「世界に認められるような映画監督になる」ことはかなり難しいことだろうし(そうなりたいという気持ちもないのだが)、身体的にも急に具合が悪くなることもあるかもしれない。

ですが。ですが、と言いたい気持ちがまだ残ってはいる。それは若さとも言えるのかもしれないし、潔くないとも言えるのだと思う。あっという間に6月が来た。

5567声 夕風とコロッケ

2026年05月31日

五月最後の日。いささか溜めてしまった「鶴のひとこえ」書き、俳句の選をし、すこしだけ句を作る。句を作ることが、ここを安らぐ時間になるように努める。人のことを考える時間、以外の時間が持てるところが尊い。いまは夕風が心地よく、これから近所にコロッケでも買いでかけて、晩酌のお供にでもしようかと考えている。岡安さん、元気かなぁ。

5566声 心地よき疲れ

2026年05月30日

雲一つない快晴。運動会に行く。いまの運動会は初夏に開催するところ多い。ぐったり疲れた一日。

5565声 幽かに溺れ

2026年05月29日

常々、憂さ晴らしをするとか、寝やすくなるためとか、何かのために酒を飲むことはしたくないと考えていたが、いまでは酒を飲むと頭痛が軽くなるので、どうしても手が伸びている。明日に予定を考慮しつつ、それでも幽かに溺れつつ、一日を終える。

5564声 頭痛

2026年05月28日

片頭痛の激しい一日。二十代までは頭痛というものがあまり分からなかった。もちろん、二日酔いなどでは頭痛になるのだが、体質的に風邪などひいても頭痛にはならないと思っていた。そう思っていたのだが、三十代になったころから、なにかときりきり痛くなり、映画『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンよろしく、いまではすっかり片頭痛もちになってしまった。寝不足や気圧の変化などでもそうだが、頭痛の種が多い人生になってしまったのだろう。いや、単に老化か。

5563声 麦酒と寝不足

2026年05月27日

雲多くも晴れ。依然として火事場が続く。これからも相当続きそうだ。麦酒を飲みつつ、寝不足を紛らわす。

5562声 古い車

2026年05月26日

引き続き、追い追われる日々。寝不足で判断力低下しつつもどうにか一日を終える。そんな中にて、車が車検を終えた。もう二十年近くも乗っている車なので、修理代は覚悟していたが、思いのほか安く済んだ。口座がマイナスになることしばしばという、計画性のかけらもない生活なので、ほっと胸をなでおろした。

5561声 追い追われ

2026年05月25日

五月最終週のはじまり。このところ、追われまくっていて、夕食がどうにか日付をこす前に食べ終えられたという始末。食べてすぐ寝るのは体に悪かろうが、体を休めたいので致し方なし。

5560声 晩酌過度

2026年05月24日

昨晩の酒により体重たく起床。買い物などで一日を費やす。いささか晩酌が過ぎて、また悪睡眠の予感。虚子研究を送稿。

5559声 池之端の蓮

2026年05月23日

俳句関係の打合せで、上野へ。湯島の祭りを抜けて、ふらふらと池之端ではいった店は蓮玉庵。久保田万太郎ゆかりの店である。その後は近場の居酒屋へ流れ、本格的に泥酔する。いろいろと決まる。