日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和2年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4344声 16)やさしさ

2020年03月16日

やさしさ、は難しい。若い時の人へ対するやさしさは、自分なりの防御方法だった。責められたくないから、優しく接する。それが見破られて、「オメー何考えてるかわからねー」と逆に攻撃されたこともあった。今も「八方美人だね」と言われることがある。この年になれば誰かに嫌われたって別にいいと思っているが、波風立てないように生きてきたことは確かだろう。

 

結婚もしていないが、僕が親父代わりみたいな気持ちで接している、Aという人物がいる。Aは、ずっとつらい生き方をしてきた。お互いが若い頃は、Aの強迫神経症の問答で夜が明けるまで言い合いを続けたこともある。年をとるにつれてそういった症状は軽くなっていったが、人との付き合いに疲れ、Aは酒を多く飲むようになった。数年前からAとは家も離れていたので、時たま会って夕飯をおごり「最近どう?」と話したり、A自身英語が堪能だったので、海外へ行くためのちょっとした応援をしたりした。そんな中でも、僕からAに酒を辞めるように強く言うことはなかった。言わないことがやさしさだ、などとは思っていなかったが、本人も断酒会に行くなどして頑張っていたので、1人くらいは「辛いよな」と聞き手に回るだけの人間がいても良いのではないかと思っていた。けれど今年、Aは飲酒後に大怪我を追ってしまった。どう接すれば良かったのか、僕はこれからずっと後悔していくことだろう。

 

一方的なやさしさは、相手の何かを失わさせる。Aに対してそれは、真に立ち直る機会だったのかもしれない。喧嘩するほど仲が良い、というが、僕は親密な人とも喧嘩をすることがほぼない。それは、一方的な、やさしさ(と僕が思い込んでいるもの)で相手の怒りの出先を失くしてしまっていたのかもしれない・・と、そんな事何度かあったなと、自分でも気づいてはいる。

 

Aは以前「私が今まで生きてこられたのは、あなたのおかげです」と言ってくれた。それは、僕がいうのもなんだが、本心だと思う。だから僕は、今さら性格変わらんなーという諦めの一方でちゃっかり、変わる必要はないのかも、と思ってもいる。

4343声 15)身を切る

2020年03月15日

書きたい熱が上がってきている。今月のめっかった群馬は締め切りを半月すぎてヒーヒー言いながら、でもそれなら一言だけ書けよという誰かのツッコミを無視して(そもそもこのコラムの題名は鶴のひとこえ、なのに)長々と書いている。勢いだけで書いている。

 

今月何日目かの投稿に「高崎のREBEL BOOKSに僕が作ったzine(小冊子)を置いてもらっている」ということを書いた。そこには現実に起きた事や実際にあるものから連想した短編小説を書いたり、自分の実体験とむすびついた映画作品について書いたりしているのだが、わざわざ買いに行って読んでくれた同郷の友人から「自分のことを隠さず書いていてすごい」というような感想をいただいた。「自分のことを隠さず暴露すること」が良い表現だとはまったく思わないが、僕は確かに、自分に寄せたものを書くことが好きなのかもしれない。

 

身を切る、を考える時に、僕は映画学校時代に教わったドキュメンタリー監督・原一男さんを思い出す(帰還兵が上官を攻め立てる『ゆきゆきて、神軍』が有名だが、近年もれいわ新撰組を撮った新作などが公開されている)。授業の一貫として観せられた『極私的エロス 恋歌1974』は、70年代初期のむせかえるような時代背景の中、原さんは監督兼カメラマンとして、録音技師の彼女(現在もパートナーである佐智子さん)と二人、沖縄に暮らす原さんの昔の彼女の生々しい生活を撮影する。原さんと昔の彼女との怒号のような喧嘩が、執拗なまでにカメラに映る。今でこそ「セルフドキュメンタリー」というジャンルもあるが、これはそのはしり。そして映画の最後では、昔の彼女が米兵との間にできた子どもを自力出産する場面を、原さんは撮る。濃厚。題名のとおり、極私的なものを描くことにより、普遍的な「男と女と生と死」をむせかえる濃度で映し出していた。

 

授業で原さんは「自分なんてものは、出して出して出し尽くすべきだ」というような事を言っていた記憶がある。原さんレベルまで己をむき出しにすることは到底できないが、他者を描く表現については注意を払いつつも、やはり自分というものは、出して出して出し尽くして、それでも残る何かを大切にするべきなのではないか、と思っている。

4342声 14)熱中

2020年03月14日

40歳。独身で子どもがいないから、ということが寂しくもあり自由でもある。預金は少ないが、保険には入っているから自分に何かあっても母や同居する姉はそれなりに生きていけるだろう。8年前くらいに胸の痛みで父親が通っていた循環器病院へ行ったら「動脈にゴミがたまっている。10年早く狭心症になるよ」と言われた。父もその病で手術をしていた。あっというまに、年をとってしまった。

 

40歳。というのは節目な気もして、コロナが騒がれる前から、自分でも大げさだと思いつつ「どう生きるか」を考えていた。結婚も諦めてはいないが(笑)、「この先に残るものを残したい」という気持ちがある。自分にとってそれは、まず映像であり、次いで文章だろうか。

 

熱中している人が好きだ。その人の預金や有名無名は関係がない。なぜ熱中している人が好きかと言えば、僕自身が色々やっている風に見えて実は熱中ができないということを自覚しているからなのかもしれない。「どう生きるか」を考える時に、懸命に生きている人一人一人を見ることで、その人が見ている世界を見ることで、得られない何かを得られるのではないか、という漠然とした確信がある。それを映像に撮りたい。そして実はすでに数人、撮りたいと思っている人がいる。

 

それはもしかしたら「熱中している人」というくくり方ではないのかもしれない。言葉を変えれば「そうにしか生きられなくなった人」に僕は惹かれるのかもしれない。そういう仕分けで分けるなら、僕も「そうにしか生きられなくなった人」の一人である。

4341声 13)酒

2020年03月13日

Zoom飲み会(ネットを通じて離れた場所の人どうしで各自の家飲みを中継し合う)が流行っているようだ。家を出るなと言われても(言われるからさらに)酒も飲みたくなるのだろう。僕はまだしらふでしかZoomを使っていないのだが、先日僕以外がほぼ飲んでいる、という状況があった。僕も人並みに酒が好きなのでしらふで飲み会に参加することは少ない。かんぱーい、から、擬音が多い返事になり、歌い出す踊り出す。ああそうか、「人はこうやって酔っ払っていくのだな」という状況を冷静に見ていた。自宅なら寝るだけなんだし、酔いたいんじゃー、という気持ちもわかる。

 

うまい酒とは何だろうか。事あるごとに僕が差し入れで持っていく中之条町の酒「朔耶美(さくやび)」は確かにうまい。「魔王」だ「兼八」だと言わずに、隣町に渡る手前のリカーショップで買える「三岳」でも十分満足する。クラフトビールを作っているめっかった群馬の堀澤さんが近年はまっている自然派ワイン(ややこしい)はどれも個性的で悪酔いせずうまい。だけど、やはり酒については「いつ」「誰と飲むか」が大事な気もする。

 

二十歳過ぎの頃。幼稚園の頃からの近所の幼馴染の家に一升瓶を持って上がった。青臭い年頃だ。俺はこういうことをしたい/こう生きたい、と言い合いながら2人で一升を開けた。翌日まで残った。東日本大震災後に中之条町で開催した支援プロジェクトの打ち上げでは、苦労をみなで労いつつ、ある程度酔っ払った後で企画者である本木さんから「岡安出し切った顔してるなー」と言われた気がする。嬉しかった。近年では1年かけて撮影した八ッ場ダム映像の、川原湯温泉でのチーム打ち上げでも、良い酒を飲んだ。

 

つまりは、まだ、1人しっぽり美酒を味わう、というよりは、複数人で力を出し切って、そして酒を酌み交わしたいのだと思う。それって、若さ、でもあるよね。

 

Zoom飲み会の最後は、多分全国・全世界的に言う事が同じで「これが収まったら、みんなで集まって酒を飲もうね」という挨拶になる。これから僕たちは未体験の問題にぶちあたっていくことになる。力を出し切る覚悟はあるか?・・皆でいい酒を飲もうではないか。

4340声 12)マスク

2020年03月12日

花粉症もちではあるが、まさか「マスク」が世界にとって大切なものになる日が来るとは思ってもいなかった。
中之条町と渋川市の境目にある「うた種」で、かっこいい布マスクを作ってもらった。左右2枚の貼り合わせでできており立体的、鼻の部分には針金も入っており鼻まわりをきちっと塞げる。そても気に入り、2枚作ってもらったので、使っては洗ってを繰り返し使っている。おかげでしばらく紙マスクをしていない。

 

勘違いでしょうか。

 

男性は100%共感してもらえると思うんだけど、歯医者へ行くとマスクの女医さんや歯科技師さんなんかがいて、目元だけ見てドキッとする事あるよね。もともと美人なんだろうけど、マスク美人というか。

 

僕も今基本マスクをしていて、(小声で)わりと目力はある方だと思うのですが(小声ここまで)ぬぼーっと裸顔で「はじめまして」と挨拶していた時よりも、マスクして「はじめまして」と挨拶する今の方が、相手女性の目に、今までに感じた事のない好意を感じるのだ。

 

勘違いでしょうか。

4339声 11)仕事

2020年03月11日

テレワーク!ステイホーム!仕事改革が求められている → とはいえそんな対応ができる業種はわずかだ、働きに出ねばならない! → がその経済にもとづく生存をかけた行動すらも、さらに危機的な状況の中では行なえない! → テレワーク!ステイホーム!仕事改革が求められている →(繰り返し)

 

世界規模での大変化の中で、IT化や少子化などである程度ゆるやかに変化を続けるはずだった「仕事」が、がらりと一気に変わっていく気配がある。群馬は東京に比べて周回遅れだし、今日(4/15)もぼくの身の回りでは多少の変化こそあれ大多数の人はいつも通りの仕事、生活を送っている。

 

「大打撃を受けた飲食店。大家としてやれることは何か」先日、別の目的のzoom(ネットを通じて離れた場所の人どうしで会議やお話ができるウェブサービス)の集いで、たまたま大家業のKさんと、飲食店のAさんが揃い、その話で盛り上がった。飲食店は飲食店として「苦しい」ということを大家に言わねばならない(察して、は無理)という話や、「家賃支払いが難しい店については今の家賃を免除することで、信頼感が生まれるのではないか」という話がネット越しにされた。

 

東京で知る人ぞ知るバーが、コロナ禍による客足の激減によるオーナーの意向で閉店した。という書き込みを見た。コロナショックの難しいところは、ウィルスとしての脅威もあるが、いつ収束するのかわからないところにある。この先数ヶ月、あるいはそれ以上客足は戻らないだろうから店を閉めさせる、という意見もあるだろう。でも、それが皆に愛される店であったならば、その店が再び開くことがないという方が損失なのではないか、という意見もある。正解はない。

 

飲食業に限らず、いつ収束するかもわからない状況の中で、あらゆる仕事が変化を求められる。そんな中では、建前の仕事は通じない。会社へ行くだけでぽけーっとしている仕事は通じない。そうして色々があって、そのアフターとして残るのは・・確かに「信頼」ではないかと思う。信頼があればその仕事を助けてくれる人はいるし、例え一度たたまざるを得なかったとしても、信頼さえが残っていれば、立ち直ることもできる。

 

していきたい。お互いに信頼を持ち合える仕事を。

4338声 10)言葉

2020年03月10日

僕は言葉の使い方が下手である。いや、最近「岡安くんが書く文章良いよね」とか言われて調子にのることもある。ちなみにこのめっかった群馬のコラムのずいぶん過去の抜井さん・堀澤さんのコラムや、僕が今まで書きためたものを自ら1冊の小冊子にした「一個zine」は高崎「REBEL BOOKS」で販売をしていただいており、思ったよりも売れています!そりゃ調子のるわ!ありがたい!

 

僕はSNS歴が長い。が、ここ数年SNS疲れで投稿をしなくなった人、見なくなった人も多いように思う(コロナ禍が始まってからツイッターでの情報収集を再開した、という話も聞いたが)。SNSのコツはたぶん、政治のことを書く時も、うんちの事を書く時も(それだけの幅っていう比喩ね)「誰に読まれても良い事」しか書かないことかもしれない。僕は政治のことは書かないが、うんちの事を書く時も(比喩ね)人に読まれる前提で書いている。普段の世間と同じと思っているから、切り替えも必要ないし、実はほとんどストレスもない。それはそれで、誰でもそうできるものではないだろうが。つまりは僕はある程度、言葉に自覚的な方なのだと思う。

 

ただ言葉というのは難しいもので、例えば最近も糸井重里氏のツイッター投稿が「政権擁護だ」と非難され炎上するということがあった。実際の投稿自体は政権を擁護する言葉ではないのだが、解釈としてはそう読める可能性を含んでおり、コロナ禍に対する情報が深刻さを増していくなかで、糸井氏の投稿に限らず「言葉に、言葉の解釈に敏感になっている」ふしがある。その一番の回避方法は多分黙秘である。でもそんな中でも、例え血を浴びようとも、言葉を発し続けることは、やめてはいけないのだと思う。

 

僕の「言葉の使い方が下手」というのは、大事な局面においてである。大事なことを伝えようという時に、未だに、自分を良い人として見せたがる、正しいものを求めたがる、という気質がある(今月の投稿はまさにそんな感じだけど)。力が抜けないのだろうか。最後に、ちょっと練習をしてみようと思う。

 

きのうは からいらーめんをたべたら けさうんちをするときに おしりがいたかったです ふぁっく

 

・・ほら、これすらも読まれる前提で書いている。自分にがっかりするわ。

4337声 9)本

2020年03月09日

本をまったく読まない人もいる。週に2〜3冊は読むという人もいる。スマホ全盛の今、文字は細切れで送られてくる。スマホであれば写真、映像だって手軽に見れる。では本は、時代遅れなのだろうか。

 

深い情報、深い物語を知るためには本は優れている。僕は高崎「REBEL BOOKS」が好きなのだが、そこには店主・荻原くんがセレクトした本が、それほどは大きくない店内にギッシリ並んでいる。デザイン、まちづくり、いいところをつく小説・まんが。そして大げさに言えば、店主がそれを求めているがゆえに「私たちはどう生きるか」という手がかりになるような本が並んでいるのだと思う。それは、ネットで自分が好きなものにしか触れていない人の目に入らない領域である。

 

なぜ本を所有するのだろう。もちろん1度読んでいらなくなる本もあれば、10年くらい経ってなんでこんな本を読んでいたのだろうという本もある。それでも、読み返すことは少なくても(読み返さなくても)手元に置きたい本というのは、「ありたい自分」を含んでいる本であるように思う。それは、所有するだけでも意味があるのだ。だからその人の本棚を見ればその人の内面がわかってしまうし、僕は大切な本を所持していたいと思う。

 

コロナ禍により学校授業が先送りになった姪2人に、図書券を送った。漫画でもいいから、心に残る本との出会いがあれば嬉しい。

 

《ずっと手元に置いておきたい本を思いつきのまま5冊記してみる。興味あるものがあれば一読いただきたい》

「モモ」ミヒャエル・エンデ
「ムーンパレス」ポール・オースター
「なつかしい時間」長田弘(3/6に関係する投稿あり)
「自分の仕事をつくる」西村佳哲
「夕凪の街 桜の国」こうの史代

4336声 8)写真

2020年03月08日

写真と動画は別物だ。当たり前だと言う人もいるだろうし、似たようなものじゃないのという人もいるだろう。

 

数年前から、動画の撮影を、いわゆるビデオカメラからフルミラーレスカメラに変えた。sonyのα7Ⅲ。panasonicのGHシリーズと並び、動画撮影に向いたカメラだ(なんかセールストークみたいだな)。

 

ビデオカメラはそれこそ17歳の頃から親父のものを無断で借りたりしていじってきたが、実はカメラを自分で買うのは初めて。動画メインで使用しているが、自然と写真も撮るようになった。動画では基本、画のつながりを考えながら撮る。まず全体があり、顔のアップがあり、とか。写真もそういう撮り方はできるが、基本は1枚(1瞬)で何を残せるかだ。カメラの種類や技術・・いい写真を撮るためには色々な条件があるが、やはり一番重要なのは「撮りてのまなざし」である気がする。

 

太田市美術館・図書館で、展示の写真記録や図録の写真撮影をしている写真家の吉江淳さんと飲む機会があった。初対面ではあったが、牛腸茂雄というカメラマンのドキュメンタリー『self and others』はすごいという話で盛り上がれたのが良かった。牛腸茂雄の写真には、記念写真のような被写体がこちらを向いている写真1つをとってみても、不思議な非現実感が漂っている。でも、映えるとか、作家性が強いというものでもない。彼のことを指して「人の無意識を撮る写真家だ」というような評を読んだ記憶があるが・・うまく言葉で説明ができない。

 

吉江さんは、地元太田市などで無人の風景を撮る作品を展開している。それもやはり、映えるとか、作家性が強いというものでもないように思う。寂しいようであり、優しいようであり、その場所を見たこともないのに、どこか心にひっかかる風景だ。吉江さんとはSNSで繋がった。ある日彼がお子さんの入学式の日に、家の近所と思われる場所で撮ったお子さんの写真をSNSに上げた(多分コロナの影響で、式が短縮かなにかだったのだと思う)。それもまた、絶妙に良い写真だった。

 

・・わかった、良い写真はうまく言葉にできない。だから写真作家たちは、写真を撮るのだろう。

4335声 7)美術館

2020年03月07日

詩や俳句と同様、アートとも距離を置いていた。二十歳までに美術館に行ったのは授業で無理やり、という感じ。生まれて初めて行ったデートは(何の告白?)川崎にある岡本太郎美術館だったが、別に岡本太郎ファンだったわけでもなく、その子とはその1回きりで別れてしまった(だから何の告白?)

 

そんな自分が、東京へ行くことがあると(コロナの今、すでに懐かしみを感じる言葉ですね)映画館ではなく美術館へ行くようになった。美術に関心を持つ理由は「下手なドキュメンタリーよりも現代美術の方がよりドキュメンタリーしているから」だ。わかりにくいか。

 

地元「中之条ビエンナーレ」を誰に頼まれたでもなく撮影したのが2007年。それから色々な縁があって、今「アーツ前橋」と「太田市美術館・図書館」で動画撮影をさせていただく機会が多い。作家へのインタビューもそうだが、アーティストが学校へ行って授業を行う様子の撮影や、展示されているものを動画的にどう解釈して撮るかなど、内容は色々。強いやりがいも感じている。

 

中之条ビエンナーレの立ち上げ人でもある入内島道隆元町長は、「アーティストたちは常に先の未来を見ている。だから彼らの目を通して未来を見ることは、この地方においてなおさら必要なことだ」というような事を語った。まさにそうだと思っていて、

 

今のアートは、きれいですね、技法がすごいですね、で片付くものは少なく、「表現の不自由」展があれだけ社会を騒がせたように、アーティストたちは今と格闘しながら作品を作っている。そして美術館という場所はその作品と「私」とが対等に向き合える場所なのだ。映画のように物語や答えを提示してくれるわけではない。その作品の中に何を見出すかは、その人しだいなのだ。それが、とても興味深い。

 

コロナの影響により、一時休館をした(結果、休館・展示終了となってしまった)太田市美術館・図書館の《太田の美術vol 3「2020年のさざえ堂—現代の螺旋と100枚の絵》の展示会場を、大嶋カメラマンと共に記録した。展示の趣旨に添い、展覧会を擬似体験できるような映像なのでぜひ見ていただきたい。そして、ステイホームを課されたアーティストたちはすでに、ウィズコロナ、アフターコロナを感じ・予感し、作品を作り始めているはずだ。暗い霧が晴れた後、それらを目撃しに、ぜひとも美術館へ足を運ぼうではないか。

 

4334声 6)詩

2020年03月06日

詩とは遠い人生を歩んできた。俳句もそうだ。映画はかなり近い方。小説は人並み・・ちょっと遠い距離だろうか。若い時を見れば、漫画が一番近かった。

 

今でも詩は遠い。自分から進んで読むことはない。けれど、めっかった群馬で書くことは忘れても(3月が僕の番だと4月あたまに人に言われて気づいた)ここでの投稿は長文多め、最近はめっきり「書くこと」の関心が高くなってきたので、いい詩には巡り会いたいと思っている。

 

前橋文学館で行われている(4/12現在は休館中)「わたしたちはまだ林檎の中で眠ったことがない-第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展-」。本来なら観客を入れて行われるはずだった詩の朗読がコロナの影響で無観客になり、当初予定されていなかった撮影を依頼された。

 

東日本大震災後、地元福島からツイッターで詩を発表し続けた和合亮一さん。撮影の依頼がある前に偶然にも文学館に足を運んでいて、彼の詩を読んで回ったのだが、僕には正直理解が難しかった。

 

ところが。彼の詩が読まれる現場を撮影し、声としてその詩を聞くと、難解と思われる詩も、僕のこころのどこかに着地した。たぶん、読まれてこそ活きる詩なのだと思った。ステイホームのまにまに、最後に貼る動画を見ていただけたら嬉しいです。

 

そして、現在は伊香保の小物と本の店「やまのは」にいる土屋裕一くんという男を、僕は「信頼のおける本ソムリエ」だと思っているのだけど、以前彼から勧められたのが詩人・長田弘さんの集大成エッセイとも言える「なつかしい時間」だった。あまりの良さに僕も、読ませたい人にプレゼントするまでになった。今こんな時だからこそ、長田さんの詩の一つをシェアしたいと思う。

 

「世界はうつくしいと」 長田弘

 

うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを
ためらわず口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。

 

風の匂いはうつくしいと。渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの曇り日の、南天の小さな朱い実はうつくしいと。
こむらさきの実の紫はうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

 

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

 

4333声 5)映画

2020年03月05日

大林宣彦監督が肺がんで亡くなった(これを書いているのは4/12)。

 

度々口にしていることだが、地元中之条町の伊参スタジオ映画祭のスタッフになって数年目、四万温泉をぷらぷらしていたら『転校生〜さよならあなた〜』のポスターを見つけた。大林監督による、セルフリメイク作品だった。聞くと、一部が四万温泉で撮影されたらしい。

 

当時は実行委員長でもないが、「映画祭でかけるのはどんな映画が良いか」は常に頭の隅にあったので、善は急げと東京の映画館に駆け込む。男の子と女の子が入れ替わる。前半のキャッチーさと、後半のカオス感が新しく、ぜひとも上映したいと思った。結果はOK。そして大林監督はゲストとして中之条町まで来てくださった。その夜の交流会の話。

 

映画祭では「シナリオ大賞」という、全国から映画シナリオを公募し映画化させる取り組みを行なっている。その審査員でもあり映画祭の立ち上げに大きな協力もしてくださった篠原哲雄監督が監督として認められるようになる時、それを評価したのが大林監督であったと知った。大林監督は「むかし僕が審査をした篠原監督が、今は新しい映画作家を見出す事をしている。映画のバトンは続いています」という旨の話をされた。映画祭としても誇らしかったし、大林監督は根っからの映画人なんだなと思った。

 

監督が亡くなった4/10日は、コロナショックによって上映延期になってしまったが、遺作となった『海辺の映画館』の公開初日だったらしい。なんだかそのあたりも、大林監督らしいなと思うのは、考えすぎだろうか。

4332声 4)歌

2020年03月04日

ライブハウスでの集団感染が早い段階で報道され、一足早く苦境に立たされたライブハウス。そして、有名無名アーティストたちもライブ活動自粛となり、新たな動きが出てきている。それは、インターネットを使った有料無料の音楽配信だ。

 

聴けるはずがなかった音楽が聴けることは、ありがたい。

 

「不安を紛らわそうと映画を見たが、全然集中できなかった」という書き込みを見た。そういうものだと思う(こんな時こそ見るべき映画もあるが)。だけど音楽の一部は、固い岩と岩の間を流れ染み入る水のような特性を持つ。寝付けない夜に聞くと良いのではないか、というものを2つ紹介したい。

 

1)Ichiko Aoba – “gift” at Sogetsu Hall (Official Audio)
雑誌「ユリイカ」で特集も組まれた青葉市子さん。子守唄のようなその歌に、寝る前に聴くと1曲終わらずに寝てしまう。26:04「レースのむこう」のひたすらな優しさもいいけど、55:04「遠いあこがれ」は白鳥英美子さんのカバーで「楽しいムーミン一家」のエンディング曲。楽しいことがあまりない中学生の時、この歌にとても癒された経験がある。今聞いても染みる。

 

2)UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO – Limited Edition
坂本龍一さんと大貫妙子さん2人によるライブ映像。坂本さんは他にも、ステイホームな今だからと、過去のライブ映像を続々配信している。18:45「3びきのくま」は、(他の楽曲もそうだが)もとはボーカルがなかった坂本さんの曲に大貫さんが歌詞をつけたもの。身近な不安に潰されそうな時にこの曲を聴き、意識を宇宙にまで飛ばすことができたなら、心地よい安らぎが得られることでしょう。

 

「レースのむこう」も「3びきのくま」も、過去精神的につらい夜に何度も聞いた曲だった。今また、歌に救われたいと思う。

 


4331声 3)食べもの

2020年03月03日

40歳になって、ますます胃腸が弱くなった気がする。・・なんてことを思う日が来るとは、二郎系らーめんに嬉々として並んでいた20代後半までは夢にも思っていなかった。

 

仕事柄、撮影の時以外はPCの前にへばりつきなのもあるが、腹が減りにくくなった。1日2食食べるとそれで足りてしまう。習慣というのは恐ろしいもので、高崎や前橋に行くと「濃厚がっつりこってりらーめん」みたいなものに無意識に吸い寄せられることがよくあって、それを食べると即眠くなり、コンビニに車を停めて仮眠する始末。けれど人間というのはうまくできていて、そういうことが数年続いたので今や、長年染み付いたその習慣すらも変化しつつある。「濃厚がっつりこってりらーめん」の旗を見ても、素通りするようになったのだ。驚愕。

 

さて、コロナの影響で、群馬も現在飲食店にとっては試練の時。テイクアウトに切り替えて奮闘している個人店も多い。

 

何を食べるか、から、誰が作ったものを食べるか、に皆の意識は変わっていくのだろうか。自分の好きな店が窮地に立たされるようになり改めて「応援したい」と思う人は多いし、いつまで続くかわからない状況の中で補償と共に大事なのは「飲食店と利用者との信頼関係」だと思う。

 

「濃厚がっつりこってりらーめん」の旗を通り過ぎて、僕が食べたくなるのは、素材を愛し、料理を愛し、お客を愛する料理人がいるお店の料理だ(我ながら極端)。そしてそういう店は一往にして、その料理を食べた後も心身ともに調子が良い。

 

できる範囲で、好きなお店を(生産者もね)応援していきましょう。

4330声 2)家族

2020年03月02日

朝飯を食って炬燵でウトウトしていると「賢一ちょっといい?」と母。庭の松の木を伐るのを手伝ってほしいとのこと。もう少しウトウトしたかったが体を起こす。

 

松の木と言っても直径は20センチないくらいか。高さは僕の背丈より上をいっていた。大の庭好きだった父が亡くなってもう10年以上。それほど広くないと言っても20畳くらいはあるのかな、庭の手入れは母に任せっぱなしだ。

 

刃渡り30センチくらいの小型のこぎりでギコギコと松の木を伐る。ドサっと木は倒れた。庭の先の柵の向こう、隣の家に住む旦那さんが、日曜の朝から薪ストーブのための薪割りをしていた。

 

切った松の木を引きづりながら柵の前まで行き、「これもらってもらえますか?」と聞いたら、もらってくれた。松を植えた時の父の気持ちは知るすべがないが、その最後に隣人を温めてくれるなら本望かも、と勝手に思ったり。

 

姉は看護婦経験がある。だからというわけではないが、「院内感染だってあるんだから、お母さんの薬は賢一がもらいに言って。連絡はしておくから」ということで、先日原町日赤に薬をもらいに行った。

 

色々な病気を重ねてきた母である。薬剤師から手渡された薬は1〜2ヶ月分とはいえ多量。そのことすらも、普段意識していなかった。

 

今夜は、早めに帰って家族分の夕飯を作ろう。

4329声 1)締め切り

2020年03月01日

今は4月。数日前「めっかった群馬の更新は?」と言ってもらい、3月の担当は僕だったことに気づいた。コロナショックでそれどころではなかった・・のではなく、単に忘れていた。ごめんなさい。

 

並々ならぬ事態である。日本は、どころか世界は。世界と日本には温度差がある。東京とここ群馬でも温度差がある。僕が住む町は、マスクでの外出や手洗いの徹底は多くの人に知り渡ってはいるが(もちろんTVニュースなどで緊急事態だということもある程度は)、家に籠っているという人は多くないと思う。僕もまた、(普段からほぼ行かないけど)県外には出ない、高崎・前橋へ行くときも(普段からそうだけど)車を使う、直帰する、という自分の取り決めはしつつ、毎日隣町の会社事務所まで仕事に出ている。

 

映画みたいなことが現実になった

 

という言葉も、半月前なら公然と言えたかもしれないが、今それを言うと不謹慎な気がしてしまう。もろに現実だし、コロナショックは身体の危険性と共に精神的な余裕を奪いつつある。

 

こんな時に何を書けば良いのかは正直よくわからないが、今の状況においては1人1人にとっての「大切なこと」に意識が向けられているという気もする。では、僕が思う「大切なこと」は何なのか。考えてみたいと思う。

 

1つは、締め切り。そう、それがあるから僕は仕事ができている。書き始めるはずだった3月1日から43日遅れて、僕は書き始める。

4328声 静かな春

2020年02月29日

二月尽。所用で群馬へ行く予定。こんなときこそ、すこし俳句を作ろうかと思う。ことしは不穏で静かな春になりそうである。

4327声 ことごとく空いて

2020年02月28日

住んでいる街のスポーツクラブから新型コロナウイルスの感染者が数名見つかったとかで、幼稚園、保育園を含め一挙に学校が休校になったり、朝には駅にテレビカメラがいたりと、身辺がすこし騒がしい。句会以外にも三月の予定がことごとく空いて、なにやら寂しい。卒業式、入学式に花見など、これからどうするのかと、気をもんでいる。さて、私もこれから自身の句会延期や中止の連絡やら何やらを進めねばならぬ。