日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4600声 らーめんを歩きながら食べるor食べない

2020年11月23日

深夜近く、仕事がひと段落したので、腹が減っていたことに気づき、あるいて10分くらいだしコンビニまで歩いていこうと思い立つ。ついて、何も考えずにレンジでチンをするらーめんを買う(セブンイレブンのこのシリーズは、どれも美味い)。会社にレンジはないのでレジでチンしてもらい、外に出てからでも帰ってからだと麺がのびるよなとその場で食べることにする。が、もう11月の深夜近くである、寒い。ので、歩きながららーめんを食べる。悪くなかった。いやむしろ、普通に食べるより美味しいんじゃないか、この経験は。

4599声 青春or青春でない

2020年11月22日

会社のある東吾妻町の中学校から「このコロナ禍なので例年と違う文化祭を行う、それはつまり父兄の参加を一切なくして、踊りや合唱を映像に収めてそのDVDを配布したい。撮影をお願いできるか?」という依頼があった。それは人肌脱がねばなるまいと引き受けた。

 

僕自身、映画学校に入るずっと前に、なぜ「創作」に興味を持ったかと聞かれれば、「中学校の文化祭の演劇発表で、うちのクラスは既存のものではないものを作ろうという話になって、僕が中心となってその劇のシナリオを作ったから」と答える。それは当時はやっていた映画をパクったような幼稚な劇ではあったが、僕にとってはとても大切な出来事だった。

 

2020年の中学生たちはすごかった。僕らの時代と明らかに違うのは、学校のカリキュラムに(多分)ダンスが加わるようになっている事なのだが、それを地元でダンスを教える(かつ、プロミュージシャンのバックダンサーでもある)ZEROSENが教えていた。ダンスが苦手な子も多いだろうに、大勢で動きを合わせキレッキレに踊る姿には素直に感動した。そこには明らかに、コロナであってもなくすことはできない、青春があった。

 

ちなみに、何の説得力もないが、僕は今だに「青春だな」と思える瞬間が年に1回くらいはある。それは幸せなことだ。

4598声 体が丈夫or丈夫ではない

2020年11月21日

11月は本当に地べたを這うような生活だったが、体調を崩すことはほぼなかった。それは「ここで崩したら締め切りに間に合わない」というような危機感もあったと思うが、ひとつには「マスクや手消毒をしていたから」というものもある気がするのは2020年らしさというものだろう。

 

それに加えるようにして、僕はたぶんそこそこ体が丈夫である。年が年なのでできればやりたくないが、睡眠不足が続いても生活や仕事はできる。風邪も2年に一度ひくかひかないかで、今のところ心臓の心配をのぞいて(それ一番大事なとこ!)怪我や入院をしたこともない。心臓というのはまあ、数年前に医者から動脈に脂肪がたまっていますな、と指摘をされたのだが・・それはここでは言及せずに。

 

よくある話だが「こういうある程度丈夫な体に産んでくれた母親に感謝する」という気持ちがいつ頃からか芽生えるにようになった。世の中には、年齢に関係なく、やりたいことはあっても体がいうことを効かないのでできない、という人も大勢いる。

 

まあでもその過信が本当に過信だったと気づくのが今の年齢時期だよね。はい、生活を正します!(説得力ゼロ)

4597声 電話をすぐかけるorかけない

2020年11月20日

仕事のできる人の条件は色々あると思うが、真似しようと思ったのは「かけるべき電話はすぐかける」である。あの人にこれを確認せねばならない、でもちょっと面倒だな、などと思った時にそれを先延ばしにしてもいい事はない。例えば、あるちょっと面倒なお願いをしに行った時に、仕事のできるその人はその場で電話をしアポをとってくれた。仕事ができる人は、すぐやる人なのだなと思った。

 

・・が。2020年の今になると、むしろ電話は相手の都合を考えずに一方的にすることが主なので迷惑という考えも出てきた。LINEやメールであれば、相手は都合の良い時に読めるではないかと。それも確かに一理あって、今僕は電話がかかってくるとまずドキっとするし(あまり電話来ないんだよね)、LINEなどで文字で残してもらった方が後での数字や日時の振り返りも容易。僕もよっぽどの時以外は電話では連絡をしなくなった。

 

すぐに電話をかけるのは、仕事ができない人。などという意識もあるのだろうか。仕事のできる大人に、僕はなりたい・・とはあまり思わない(何それ

4596声 携帯のマップアプリを頼るor頼らない

2020年11月19日

自車にはナビがついているのだが、会社の車でスマホのナビしか使えないから・・というかスマホばかりいじっているから、どこかへ行く時もスマホのマップアプリを使うことが常になってしまった。

 

これ、多くの人から聞く話だが、スマホのマップアプリは道の広い狭いとかじゃなくて近道かどうかで指示を出してくるので、けっこう頻繁に「こんな細い道、マイナーな道行く?」という状況になる。それが嫌な人はきちんとしたナビを使うのだろうが・・

 

僕などはそれを楽しんだりもしている。「ほうほうほう、スマホさんよ、この道を俺に行かせるか、おうおう、行ってやろうじゃないか」みたいな一人ごとを呟きながら。ただ、今までに3回くらい「到着しました」と言われた場所が目的地と全然違うということがあった。それはさすがに(仕事の集合場所だったりしたから)スマホ相手にキレそうになった。

 

これも良く言われることだけど、スマホがない時代はどんな場所移動を、あるいは待ち合わせをしていたのか、忘れかけている。それはそれで悪くなかった、という気持ちだけは忘れていないのだけれど。

4595声 踊るor踊らない

2020年11月18日

今年になって前橋文学館の映像仕事を引き受けさせていただくことになった。魅力的な場所だと思ってはいたが、文学館の看板ともいうべき萩原朔太郎はなかなか読みが進まなかったし、同じ前橋のアーツ前橋の文学館との共同企画の撮影で足を運んだことはあったが、それ以外には1度2度行ったかどうかという場所だった。

 

が、やはり仕事で行って記録をするから、という理由が大きいとは思うが、実に魅力的な取り組みをしている場所なのだと知った。僕が関わってからも詩人の和合亮一氏、映像作家の安藤紘平氏、作詞家であり詩人であった佐藤惣之助氏、そして現在展示がされている絵描きの田村セツコ氏、朔太郎の娘であり作家・ダンサーでもあった萩原葉子氏とさまざまな表現者たちを紹介し続けている。

 

現在、1階では「なぜ踊らないのー生誕100年記念 萩原葉子展」に合わせて、太田市在住の演出家・加藤真史さんが葉子さんの手記を題材とした創作劇「わたしはまだ踊らない」の映像が上映されている。その撮影を担当した。劇の撮影はこれまで機会がなく、文学館の仕事がはじまってから撮るようになった気がするが、実に面白い。

 

劇では、偉大な詩人の娘として比較され肩身の狭い思いをしてきた葉子が、作家として自立していくそのきっかけと葛藤が描かれている。「これからも亡き父(朔太郎)のことを書き続けるべきだ」と諭す文化人の言葉を遮るように、葉子は「わたしは自分が書きたいものを書く」と言い放つシーンがある。すこぶるカッコ良い。

 

踊る、という言葉が展示に、この劇に使われているのは葉子さんが後に身体表現も行うようになったからなのだが、実際の踊るという行為を指す以外に「無我夢中になってやる」という言葉の代わりとして「踊る」が使われることがあるように思う。その言い回しもとても格好が良い。

 

あなたは、なぜ踊らないの?

4594声 濃厚or濃厚ではない

2020年11月17日

今のコンビニエンスを見てごらん。カップラーメンの多くには「濃厚」という文字が踊っている。濃厚ってのはさ、体に悪そうだよね。僕も40歳になりさすがに「着丼から10分経つとスープが凝固する」ような超濃厚とんこつラーメンを食べようとは思わなくなったよ。カップラーメンも数年前に比べれば全然と言っていいほど食べなくなったさ。でもね、目が止まってしまうんだな、その「濃厚」という一言に。

 

それはあるいは、「まだ若い」ということなのかもしれないね。

4593声 桜木町で人を探すor探さない

2020年11月16日

日本画家の谷保玲奈さんの展示は、横浜の三溪園のお堂で行われた。巨大な日本画と共に飾られる映像の撮影・編集を担当した僕は展示の設置も行った。自前のモニターやプロジェクターを設置し、その日のうちには納得のいくかたちにできなくて、翌日は空いていたので近場に泊まることにした。

 

谷保さんに勧めてもらったホテルはJR桜木町駅にくっついたJRのホテルだった。go toで3000円くらい安くなっていたかな、めちゃくちゃおしゃれなホテルでひいた。カーテンを開けると、窓が大きくて・・大きいというか床のギリギリまで窓になっている。眼下に見える道路は深夜の時間であったが(コロナの今であるが)タクシーが走っていて、ああここは都会なんだなと思った(単純)。

 

中之条町で撮影され、のちに映画祭ができるまでになったきっかけには、山崎まさよしさん主演の『月とキャベツ』という映画の存在がある。その映画を見たことのない人でも、主題歌である「One more time, One more chance」という歌は聞いたことがあると思っていて、その中に「いつでも探しているよ どっかに君の姿を 明け方のまち 桜木町で こんなとこにいるはずもないのに」的な歌詞がある。本人も映画祭で何度か来ていただいているがそういえば「なんで桜木町なんですか?」と聞いたことはない。まあ、聞いたところで意味はないと思うが。

 

男はたぶんいつまでも、過去知った女性の姿をどこかに探している。気がする。いま何してるかなーと気になる女性なら5人くらいいるが(多い?)、むろん、桜木町にはいそうもない。

4592声 地元に帰るor帰らない

2020年11月15日

映画学校を出て、一応テレビのゴールデン番組も作る制作会社に入った。けれどあまりの多忙さに口実をでっちあげて逃げるように辞めた。それで、簡略化するとぼんやりとしたまま地元に返ってきた。逃げてきたのだ、僕はまたあそこに戻るのだとも思っていた。けれどずるずると地元にいて、映画学校の同期に会うことさえ「今の自分を見せたくない」と消極的な気持ちを持ち続けた。

 

映画祭の実行委員長をしていて「しかもこの町の出身なんです」というと大概「それはいいね、すごいね」という返事が返ってくる。ただ、映画祭は第一回開催時は僕はただの観客の1人だったし、実行委員長も長いあいだスタッフをやっていて、映画が好きだから、というような成り行きであることも確かだ。けれど、最近映画祭のやりがいもそうだし、映像が仕事の主軸になったこともあって

 

地元に帰ったことを後悔しなくなった。

 

むしろ、母校に行って「地方に行っても映像は必要とされるぞ」と講演したい気分である(おいおい)。それは冗談として、これから僕がやるべきなのはそのように「地元に帰ったけど、むしろ良かった」と思える人を増やすことなのかもしれないと思っている。それには、仕事をつくるとか、色々ハードルはあるのだけれど、僕が何をする以前に、今中之条町は魅力的なことをはじめる移住者も多く、大きな変化の時にある。先輩面をするのではなく、何ができるのだろうか。

4591声 頭を下げるor下げない

2020年11月14日

20周年を迎えた伊参スタジオ映画祭実行委員会で、初のクラウドファンディングに挑戦した(すでに終了)。その内容は、2003年から行っているシナリオ大賞(全国から映画シナリオを公募し映画化させる試み)の過去作品34作品を、1冊のシナリオ本にする、というものだ。

 

地方の小さな映画祭の挑戦だし、映画のシナリオ本というのはとても珍しい部類に入りはするが、僕が関わる以前から20年続いてきた映画祭だし、ファンディングを始めたことは新聞にも載ったし、ある程度集まると油断をしていたことは事実。残り2週間をきって、半分集まっていないという現実が見えてきた。ファンディングの担当者から焦りの電話が入る。

 

映画祭スタッフの役員の一人はすでに、ネットを使ったぼんやりしたお願いだと拉致があかないと、地元企業などに応援をしてもらうお願いに回っていた。足を使って顔を合わせてお願いするその方法は一番効くとは思うが、僕はできる限りこの本に、映画に興味を持ってもらえる人に知ってもらい応援してもらいたいと思った。

 

そこで、忙しさを理由に避けていた「SNSを使って、応援してくれそうな友人知人に一言メッセージを添えて直で連絡する」ということを、出張先の喫茶店で5時間かけておこなった。考えられる人にはほぼほぼ送った。これを読んでくれているであろうあの人にも、実際に応援をしていただいた。本当にありがたい。

 

それが効いたから、というだけではないが希望額を大きく上回る応援額でフィニッシュを迎えることができた。これはこれから完成させるその本の価値を認めていただいたから、だと思っている。よい本を作らねばならない。

 

僕はけっこう簡単に頭を下げてお願いする方だと思う。けれど、なるべくは「相手にとってもそれを聞き入れることがプラスになる」お願いをしたいと思っている。ファンディングでは、そのラインを越えて厚かましくお願いしてしまったとも思う。それも色々返していかないといけない。

4590声 一言いうor言わない

2020年11月13日

常連というほど足を運べていないが、オープンから間もなくて、とても気に入った店がある。フレンチ仕込みのホットサンド(もっと洒落た名前があったが忘れた)を初めて食べた時に「うわ、めっちゃセンス良い」と思い、次の次の来店時に同じものを頼んでみた。

 

一口食べて、体が固まる。肯定的に考えてザワークラフトでも入れたのかなとも思ったが、チーズとは違う発酵の味がする。口に合わない。その瞬間に思ったのは、もしかしたら作り置きのものを焼いているのか・・というまさかの疑問と、先日店の記事も目にしたし、それを見た人がこれを食べてどう思うかなという心配だった。が、友人も一緒だったし店主兼料理人も忙しそうなので口にはしない。そして食べ終えて、そのまま店を出た。

 

友人と別れて、車で出る。しばらくして・・その店に戻った。昼の時間は過ぎていたので、もう店主兼料理人だけだった。僕はそこで、「今日食べたやつ、前回とても美味しくて、でも今回味に違和感があった。失礼とは思うけど、応援しているのでわざわざ言いに来ました」と言った。すると彼は嫌な顔ひとつせず「伝えてくれてありがとう!」と言ってくれた。

 

わかったことを話すと、彼は「彼が知るもっと高級でもっととんがったチーズに変えた」だけだった。そうだったのか!でも日本人には合わないのかもね、元に戻すようにするよ、という会話が続いた。それらを終えて、

 

この店にまた来よう。と思った。(まだ行ってないから今月絶対行く!)

4589声 夢を見るor見ない

2020年11月12日

東京都現代美術館では「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展が開催されていた。僕はデザインもいくらか仕事としているし、映画は長い間見てきたつもりだが、沢田研二らを起用しパルコの伝説的な広告を打ち立て、晩年は夢の世界を完璧に具現化したような映画衣装で世界的に名をはせた石岡瑛子さんのことを全く知らずにいた。

 

「血が、汗が、涙がデザインできるか」というタイトルも秀逸だが、それを真に行くような凄まじさだった。人間、まず「自由に空想する」ということも難しいのだが、その隅々まで空想したものを「現実のものとして形に残す」所業。シルクドソレイユやビョークなど、空想を具現化したようなグループ・アーティストからラブコールを受けて仕事をしたというのも納得だった。

 

これを読んでいる人で「行ってみようかな」と思う人がいたらネタバレになってしまうので読まないでほしいのだが、個人的に一番ぐっときたのはその膨大な量の華々しい展示の最後を飾ったものだった。それは、石岡さんがこどものころ、(ここはうろ覚えだが)戦争の疎開先で書いた、将来の夢を描いたノートだった。そこには子どもにしては表現豊かな、でもやはり幼稚さを残す絵にまざって彼女の夢が書かれていた。「将来は世界を飛び回る仕事がしたい」というような内容だった。

 

まだ何の肩書きもない少女は、地方で夢を持っていた。それから生涯、きっと死ぬ直前まで、彼女は走り続け夢を叶え続けた。そのはじまりと、終わりのない表現に、強く胸を打たれた。

4588声 ビオワインor箱ワイン

2020年11月11日

ワインの良さは、年をとるごとに気づいてきた。めっかった群馬の(ほ)、堀澤さんはビールを作る職人でありながらワイン通であることは、彼を知っている人なら多くが知るところだろう。僕もいつかの夜、堀澤さんに高崎のおすすめの店に連れていってもらった。そこで飲んだビオワイン(添加物不使用の自然派ワイン)は衝撃的な美味しさだった。注いだ時と、しばらく待った後では味が明確に変わるのね。そんな味わい深い世界があるなんて、知らなかった。

 

ワインは好きだが、家でもそんな楽しみ方をしているわけじゃない。なかなか侮れない箱ワインを冷蔵庫に忍ばせて、飲める夜にじゃばじゃばグラスに注いで飲む。夏は氷を入れたグラスに入れちゃうし、冬は鍋で沸かしたりする。箱ワインならそんなでもいいんじゃない、と独り言を言いながら、翌朝頭が痛くなるのも承知で飲むそんなワインも未だ嫌いではない。

 

東京都現代美術館でのプチ撮影が終わり、協働するアーティストと一緒にこじゃれたワインバーに入った。そこで出てきたおつまみが「からっからに干したえのき茸」であったので堀澤さんを思い出しつつ(彼もえのきをやたらめったら干したがる)、その店は銘柄で選ぶのではなく「飲みたいもののニュアンスを伝えてくれれば合うグラスワインを出します」という実に東京的な店だった。「これ以上ないってくらいに重い赤ワイン」「これが最後の店なので、これで終われるっていうようなワイン」という僕のリクエストに120%応えるワインが出てきた。

 

「頑張ってくれたから」とその店のお代はアーティストがもってくれた。より美味しかったことは言うまでもあるまい。

4587声 駐車場で寝るor寝ない

2020年11月10日

「眠気」は僕のこの10年の一番の課題かもしれない。もちろん生活が不規則だから、が一番の原因なのだと思うが、きちんと寝た翌日も変わらず眠く、数年前に睡眠専門の医療検査を受けた時には「格別特殊な傾向は見られない、強いていえば睡眠が浅い」というふんわりした結果しか聞けなかった。

 

人一倍好きにやらせてもらっている会社なので、日中でも眠くなれば会社のソファーで眠る(来社する人は少ないので、社長と経理以外には寝姿は見られていない・・はず)。一番困るのは「運転中の眠気」だ。命に関わる。というか、僕は居眠り事故を2回起こしている(!!!)・・共に物損であったのは幸いだが「僕は人をひいていたかもしれない」という自覚は今も忘れないようにしている。

 

ここ数年は、運転中眠くなったら、あまり怒られなそうな場所に車を止めて仮眠をとるようにしている。眠眠打破は効かないくらい飲み尽くしてしまったし(体に悪いと思うからもうずっと飲んでいない)、ほかどんな対応法よりも「仮眠」が良いことは僕が太鼓判を押す。

 

忙しい時だと、起きた時になぜここにいるのかが一瞬わからない時もある。深夜とか、車の運転席で目を覚まし、ぼんやりした頭で「ここはどこ?」と自問する。そんな時ふと、何者でもない自分を自覚したりする。そんな思いは、する必要はないのだが。

4586声 引き受けるor引き受けない

2020年11月09日

今月もまた、このめっかった群馬の投稿が遅くなった(どころかしなかった)ことは反省の一言(これは12月に入ってから書いています)。投稿されているかな、と思ってページをクリックして、何もない、を繰り返して、それでも今これを読んでくださっている方には・・感謝でしかないです!(めっかった群馬と自分との関係も、きちんと考えたいと思っている)

 

こんな書き出しなので心配になる方も多分にいるかもしれないが、上毛新聞でのコラム連載「視点オピニオン」への投稿を、伊参スタジオ映画祭実行委員長として依頼していただいた。実は、数年前からずっとそれに書きたいという気持ちがあった。すぐに「やらせてください」と返事をした。

 

今年は(記憶の限りほぼはじめてかもしれない)書き手としての仕事の依頼もいただいて、今までざざざっとやっていた「書くこと」が仕事にもなりつつある。書き手に求められるものは、どんな名文を書くことよりも一番には・・締め切り。なので、自分でも非常に心配なのだが、自分にとって「書くこと」が身近になったことの2番目くらいには(一番はSNS)この「めっかった群馬」があることは確かだ。

4585声 映画祭を行うor行わない

2020年11月08日

コロナ禍はさまざまなものに影響を与えているが、僕が実行委員長をつとめる中之条町の「伊参スタジオ映画祭」もまた、開催するかしないか、開催するとしてもネットでの上映にするかリアルに開催するか、の選択を迫られた。

 

結果としては、当映画祭が主軸としているシナリオ大賞(全国から映画シナリオを公募し映画化させる試み)関連作品のみの上映を、場所をいつもの木造校舎隣の体育館ではなくコロナ対策がしやすい町内の文化ホールに変えて、行った。シナリオ大賞は町民のみなさんのご協力も得ており、やはり注意をしてやれるのであればスクリーンで対面で見せたい、という理由からだった。

 

抜けが多い実行委員長であるので、近年周りのスタッフの働きが頼もしい。場所と状況が変わるなか、みんなが持てる力を発揮してくれた。来てくれたお客さんや友人からも「実際に映画が観られてよかった」という声をたくさん聞いた。

 

コロナは迷惑の一方で「それは、本当にやる意味のあることなのか?」という問いかけを残してくれている気がする。それでやめようと思うならやめればいいし、「それでもやる」と思うことがあるなら、それを大切にするべきだ。

4584声 回転する寿司or回転しない寿司

2020年11月07日

今年は横須賀に3回足を運んだ。太田市美術館・図書館で2018年に行われた「現代日本画へようこそ」という展示で、参加作家の一人である谷保玲奈さんという才能ある若き日本画家の作品を映像に収めるためだ。今年は近年やらせてもらっている美術館の仕事の枠を出て、作家個人と組んで映像制作をする年となった。その谷保さんの撮影には、「現代日本画へようこそ」の学芸員であった小金沢智さんもチームとして常に動いていた。

 

3回行って2回、寿司屋へ行った。浜の近く、谷保さんオススメの寿司屋である。おいしくないわけがない。僕は今だに寿司屋へ行くとしたら回転寿司がほぼなので、回転しない寿司屋の寿司を堪能した。仕事の疲れも飛ぶというものだ。

 

親父は魚屋であったが、寿司はカウンターで、などというこだわりはなかった(そもそも、うちの近所に寿司屋が少なかったこともあると思うが)。だから子どもの頃、行くとしたら近所にあった回転寿司「うらしま」だった。

 

僕は、本当はいくらが好きだったが、いくらは確か300円、比べて、けっこう好きなねぎとろは100円であった。回転寿司の事を思い出す時、僕は「ほんとうは高い皿が食べたかったけど、親に気をつかってねぎとろばかり食べて、親からそればっかだなと言われても、俺はこれが好きなんだといってねぎとろばかり食べ続けた」事を思い出す。そんな子どもだった。

 

でも、あの時食べた回転寿司の100円のねぎとろは、忖度抜きにしても、本当に美味しかった。

4583声 うまい棒10本食べるor食べない

2020年11月06日

仕事のお礼に、うまい棒のちょっとリッチなやつ(そういうのが今はあるんですよ)の10本セットをもらった。僕にそういうものをあげるとはつまり、僕のことを良く知っているということだ。さすがに自分で買うことはないがもらってうれしいうまい棒。

 

その晩、いつものように編集を進めていて、うまい棒に目がいった。小腹が空いた夜にうまい棒を見て見過ごせる奴は人間じゃない。ぽりぽり食べながら編集を進めた。

 

そして気づいたらあと1本(注:同じ晩です)。それを食べて良いのか、やめた方が良いのか!!!!・・・僕がどんな判断をしたかは、ご想像にお任せします。