5583声 手紙のような

2026年06月16日

「Art Fair Nakanojo」では、故人であるスタン・アンダソンさんの作品も出展されている。パートナーであるさゆりさんが「自分で所有して古くなっていくくらいなら、良いと思う人に持っていてもらいたい」という気持ちから、スタンさんの娘さんの同意やスタンさんが出品していた美術館学芸員のアドバイスなども考慮して参加に踏み切った。

スタンさんの作品は個性的で、自然に還るもの以外は使用しなかった。主だったものは木の樹皮を木のハンマーで叩き、それを紙漉きのように平面に固めたもの。その中には貝殻で素朴な鳥やカエルが描かれた作品もあるし、平面そのものがフクロウの形だったり、スタンさんが歩いた六合暮坂の地図の形をしている作品もある。

僕はアーティストではないし、作品制作のスタイルは人それぞれなので断言はできないのだが、今月先に紹介した障がいを持つ方は誰かのためではなく多分、自分のために絵を描いたり紙をちぎったりしている。一方で人に見せるという行為を始めた段階で、子どもはあるいはアーティストは「誰かへの手紙を綴るように」作品を作っているのではないかと思うことがある(あるいは、障がいを持つ人もそうかもしれない)。その手紙は、こんちはくらいの軽いものかもしれないし、最愛の人に向けたラブレターかもしれないし、戦争に対する挑戦状かもしれないし、宇宙に対するテレパシーかもしれないが、受け取る方も受け取る方で好き嫌いで受け取ったり受け取らなかったり感動したり不快に思ったりする。

スタンさんの作品はもう新作が生まれることはない。それも踏まえると、作品を持つ(見るだけでも良いが)という行為は無数に流れている手紙の渦の中からただ1枚を選び取る、奇跡にも近い行為のようにも思える。そういうふうに丁寧に、作品が見れたら素敵だろうな。