日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4593声 桜木町で人を探すor探さない

2020年11月16日

日本画家の谷保玲奈さんの展示は、横浜の三溪園のお堂で行われた。巨大な日本画と共に飾られる映像の撮影・編集を担当した僕は展示の設置も行った。自前のモニターやプロジェクターを設置し、その日のうちには納得のいくかたちにできなくて、翌日は空いていたので近場に泊まることにした。

 

谷保さんに勧めてもらったホテルはJR桜木町駅にくっついたJRのホテルだった。go toで3000円くらい安くなっていたかな、めちゃくちゃおしゃれなホテルでひいた。カーテンを開けると、窓が大きくて・・大きいというか床のギリギリまで窓になっている。眼下に見える道路は深夜の時間であったが(コロナの今であるが)タクシーが走っていて、ああここは都会なんだなと思った(単純)。

 

中之条町で撮影され、のちに映画祭ができるまでになったきっかけには、山崎まさよしさん主演の『月とキャベツ』という映画の存在がある。その映画を見たことのない人でも、主題歌である「One more time, One more chance」という歌は聞いたことがあると思っていて、その中に「いつでも探しているよ どっかに君の姿を 明け方のまち 桜木町で こんなとこにいるはずもないのに」的な歌詞がある。本人も映画祭で何度か来ていただいているがそういえば「なんで桜木町なんですか?」と聞いたことはない。まあ、聞いたところで意味はないと思うが。

 

男はたぶんいつまでも、過去知った女性の姿をどこかに探している。気がする。いま何してるかなーと気になる女性なら5人くらいいるが(多い?)、むろん、桜木町にはいそうもない。

4592声 地元に帰るor帰らない

2020年11月15日

映画学校を出て、一応テレビのゴールデン番組も作る制作会社に入った。けれどあまりの多忙さに口実をでっちあげて逃げるように辞めた。それで、簡略化するとぼんやりとしたまま地元に返ってきた。逃げてきたのだ、僕はまたあそこに戻るのだとも思っていた。けれどずるずると地元にいて、映画学校の同期に会うことさえ「今の自分を見せたくない」と消極的な気持ちを持ち続けた。

 

映画祭の実行委員長をしていて「しかもこの町の出身なんです」というと大概「それはいいね、すごいね」という返事が返ってくる。ただ、映画祭は第一回開催時は僕はただの観客の1人だったし、実行委員長も長いあいだスタッフをやっていて、映画が好きだから、というような成り行きであることも確かだ。けれど、最近映画祭のやりがいもそうだし、映像が仕事の主軸になったこともあって

 

地元に帰ったことを後悔しなくなった。

 

むしろ、母校に行って「地方に行っても映像は必要とされるぞ」と講演したい気分である(おいおい)。それは冗談として、これから僕がやるべきなのはそのように「地元に帰ったけど、むしろ良かった」と思える人を増やすことなのかもしれないと思っている。それには、仕事をつくるとか、色々ハードルはあるのだけれど、僕が何をする以前に、今中之条町は魅力的なことをはじめる移住者も多く、大きな変化の時にある。先輩面をするのではなく、何ができるのだろうか。

4591声 頭を下げるor下げない

2020年11月14日

20周年を迎えた伊参スタジオ映画祭実行委員会で、初のクラウドファンディングに挑戦した(すでに終了)。その内容は、2003年から行っているシナリオ大賞(全国から映画シナリオを公募し映画化させる試み)の過去作品34作品を、1冊のシナリオ本にする、というものだ。

 

地方の小さな映画祭の挑戦だし、映画のシナリオ本というのはとても珍しい部類に入りはするが、僕が関わる以前から20年続いてきた映画祭だし、ファンディングを始めたことは新聞にも載ったし、ある程度集まると油断をしていたことは事実。残り2週間をきって、半分集まっていないという現実が見えてきた。ファンディングの担当者から焦りの電話が入る。

 

映画祭スタッフの役員の一人はすでに、ネットを使ったぼんやりしたお願いだと拉致があかないと、地元企業などに応援をしてもらうお願いに回っていた。足を使って顔を合わせてお願いするその方法は一番効くとは思うが、僕はできる限りこの本に、映画に興味を持ってもらえる人に知ってもらい応援してもらいたいと思った。

 

そこで、忙しさを理由に避けていた「SNSを使って、応援してくれそうな友人知人に一言メッセージを添えて直で連絡する」ということを、出張先の喫茶店で5時間かけておこなった。考えられる人にはほぼほぼ送った。これを読んでくれているであろうあの人にも、実際に応援をしていただいた。本当にありがたい。

 

それが効いたから、というだけではないが希望額を大きく上回る応援額でフィニッシュを迎えることができた。これはこれから完成させるその本の価値を認めていただいたから、だと思っている。よい本を作らねばならない。

 

僕はけっこう簡単に頭を下げてお願いする方だと思う。けれど、なるべくは「相手にとってもそれを聞き入れることがプラスになる」お願いをしたいと思っている。ファンディングでは、そのラインを越えて厚かましくお願いしてしまったとも思う。それも色々返していかないといけない。

4590声 一言いうor言わない

2020年11月13日

常連というほど足を運べていないが、オープンから間もなくて、とても気に入った店がある。フレンチ仕込みのホットサンド(もっと洒落た名前があったが忘れた)を初めて食べた時に「うわ、めっちゃセンス良い」と思い、次の次の来店時に同じものを頼んでみた。

 

一口食べて、体が固まる。肯定的に考えてザワークラフトでも入れたのかなとも思ったが、チーズとは違う発酵の味がする。口に合わない。その瞬間に思ったのは、もしかしたら作り置きのものを焼いているのか・・というまさかの疑問と、先日店の記事も目にしたし、それを見た人がこれを食べてどう思うかなという心配だった。が、友人も一緒だったし店主兼料理人も忙しそうなので口にはしない。そして食べ終えて、そのまま店を出た。

 

友人と別れて、車で出る。しばらくして・・その店に戻った。昼の時間は過ぎていたので、もう店主兼料理人だけだった。僕はそこで、「今日食べたやつ、前回とても美味しくて、でも今回味に違和感があった。失礼とは思うけど、応援しているのでわざわざ言いに来ました」と言った。すると彼は嫌な顔ひとつせず「伝えてくれてありがとう!」と言ってくれた。

 

わかったことを話すと、彼は「彼が知るもっと高級でもっととんがったチーズに変えた」だけだった。そうだったのか!でも日本人には合わないのかもね、元に戻すようにするよ、という会話が続いた。それらを終えて、

 

この店にまた来よう。と思った。(まだ行ってないから今月絶対行く!)

4589声 夢を見るor見ない

2020年11月12日

東京都現代美術館では「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展が開催されていた。僕はデザインもいくらか仕事としているし、映画は長い間見てきたつもりだが、沢田研二らを起用しパルコの伝説的な広告を打ち立て、晩年は夢の世界を完璧に具現化したような映画衣装で世界的に名をはせた石岡瑛子さんのことを全く知らずにいた。

 

「血が、汗が、涙がデザインできるか」というタイトルも秀逸だが、それを真に行くような凄まじさだった。人間、まず「自由に空想する」ということも難しいのだが、その隅々まで空想したものを「現実のものとして形に残す」所業。シルクドソレイユやビョークなど、空想を具現化したようなグループ・アーティストからラブコールを受けて仕事をしたというのも納得だった。

 

これを読んでいる人で「行ってみようかな」と思う人がいたらネタバレになってしまうので読まないでほしいのだが、個人的に一番ぐっときたのはその膨大な量の華々しい展示の最後を飾ったものだった。それは、石岡さんがこどものころ、(ここはうろ覚えだが)戦争の疎開先で書いた、将来の夢を描いたノートだった。そこには子どもにしては表現豊かな、でもやはり幼稚さを残す絵にまざって彼女の夢が書かれていた。「将来は世界を飛び回る仕事がしたい」というような内容だった。

 

まだ何の肩書きもない少女は、地方で夢を持っていた。それから生涯、きっと死ぬ直前まで、彼女は走り続け夢を叶え続けた。そのはじまりと、終わりのない表現に、強く胸を打たれた。

4588声 ビオワインor箱ワイン

2020年11月11日

ワインの良さは、年をとるごとに気づいてきた。めっかった群馬の(ほ)、堀澤さんはビールを作る職人でありながらワイン通であることは、彼を知っている人なら多くが知るところだろう。僕もいつかの夜、堀澤さんに高崎のおすすめの店に連れていってもらった。そこで飲んだビオワイン(添加物不使用の自然派ワイン)は衝撃的な美味しさだった。注いだ時と、しばらく待った後では味が明確に変わるのね。そんな味わい深い世界があるなんて、知らなかった。

 

ワインは好きだが、家でもそんな楽しみ方をしているわけじゃない。なかなか侮れない箱ワインを冷蔵庫に忍ばせて、飲める夜にじゃばじゃばグラスに注いで飲む。夏は氷を入れたグラスに入れちゃうし、冬は鍋で沸かしたりする。箱ワインならそんなでもいいんじゃない、と独り言を言いながら、翌朝頭が痛くなるのも承知で飲むそんなワインも未だ嫌いではない。

 

東京都現代美術館でのプチ撮影が終わり、協働するアーティストと一緒にこじゃれたワインバーに入った。そこで出てきたおつまみが「からっからに干したえのき茸」であったので堀澤さんを思い出しつつ(彼もえのきをやたらめったら干したがる)、その店は銘柄で選ぶのではなく「飲みたいもののニュアンスを伝えてくれれば合うグラスワインを出します」という実に東京的な店だった。「これ以上ないってくらいに重い赤ワイン」「これが最後の店なので、これで終われるっていうようなワイン」という僕のリクエストに120%応えるワインが出てきた。

 

「頑張ってくれたから」とその店のお代はアーティストがもってくれた。より美味しかったことは言うまでもあるまい。

4587声 駐車場で寝るor寝ない

2020年11月10日

「眠気」は僕のこの10年の一番の課題かもしれない。もちろん生活が不規則だから、が一番の原因なのだと思うが、きちんと寝た翌日も変わらず眠く、数年前に睡眠専門の医療検査を受けた時には「格別特殊な傾向は見られない、強いていえば睡眠が浅い」というふんわりした結果しか聞けなかった。

 

人一倍好きにやらせてもらっている会社なので、日中でも眠くなれば会社のソファーで眠る(来社する人は少ないので、社長と経理以外には寝姿は見られていない・・はず)。一番困るのは「運転中の眠気」だ。命に関わる。というか、僕は居眠り事故を2回起こしている(!!!)・・共に物損であったのは幸いだが「僕は人をひいていたかもしれない」という自覚は今も忘れないようにしている。

 

ここ数年は、運転中眠くなったら、あまり怒られなそうな場所に車を止めて仮眠をとるようにしている。眠眠打破は効かないくらい飲み尽くしてしまったし(体に悪いと思うからもうずっと飲んでいない)、ほかどんな対応法よりも「仮眠」が良いことは僕が太鼓判を押す。

 

忙しい時だと、起きた時になぜここにいるのかが一瞬わからない時もある。深夜とか、車の運転席で目を覚まし、ぼんやりした頭で「ここはどこ?」と自問する。そんな時ふと、何者でもない自分を自覚したりする。そんな思いは、する必要はないのだが。

4586声 引き受けるor引き受けない

2020年11月09日

今月もまた、このめっかった群馬の投稿が遅くなった(どころかしなかった)ことは反省の一言(これは12月に入ってから書いています)。投稿されているかな、と思ってページをクリックして、何もない、を繰り返して、それでも今これを読んでくださっている方には・・感謝でしかないです!(めっかった群馬と自分との関係も、きちんと考えたいと思っている)

 

こんな書き出しなので心配になる方も多分にいるかもしれないが、上毛新聞でのコラム連載「視点オピニオン」への投稿を、伊参スタジオ映画祭実行委員長として依頼していただいた。実は、数年前からずっとそれに書きたいという気持ちがあった。すぐに「やらせてください」と返事をした。

 

今年は(記憶の限りほぼはじめてかもしれない)書き手としての仕事の依頼もいただいて、今までざざざっとやっていた「書くこと」が仕事にもなりつつある。書き手に求められるものは、どんな名文を書くことよりも一番には・・締め切り。なので、自分でも非常に心配なのだが、自分にとって「書くこと」が身近になったことの2番目くらいには(一番はSNS)この「めっかった群馬」があることは確かだ。

4585声 映画祭を行うor行わない

2020年11月08日

コロナ禍はさまざまなものに影響を与えているが、僕が実行委員長をつとめる中之条町の「伊参スタジオ映画祭」もまた、開催するかしないか、開催するとしてもネットでの上映にするかリアルに開催するか、の選択を迫られた。

 

結果としては、当映画祭が主軸としているシナリオ大賞(全国から映画シナリオを公募し映画化させる試み)関連作品のみの上映を、場所をいつもの木造校舎隣の体育館ではなくコロナ対策がしやすい町内の文化ホールに変えて、行った。シナリオ大賞は町民のみなさんのご協力も得ており、やはり注意をしてやれるのであればスクリーンで対面で見せたい、という理由からだった。

 

抜けが多い実行委員長であるので、近年周りのスタッフの働きが頼もしい。場所と状況が変わるなか、みんなが持てる力を発揮してくれた。来てくれたお客さんや友人からも「実際に映画が観られてよかった」という声をたくさん聞いた。

 

コロナは迷惑の一方で「それは、本当にやる意味のあることなのか?」という問いかけを残してくれている気がする。それでやめようと思うならやめればいいし、「それでもやる」と思うことがあるなら、それを大切にするべきだ。

4584声 回転する寿司or回転しない寿司

2020年11月07日

今年は横須賀に3回足を運んだ。太田市美術館・図書館で2018年に行われた「現代日本画へようこそ」という展示で、参加作家の一人である谷保玲奈さんという才能ある若き日本画家の作品を映像に収めるためだ。今年は近年やらせてもらっている美術館の仕事の枠を出て、作家個人と組んで映像制作をする年となった。その谷保さんの撮影には、「現代日本画へようこそ」の学芸員であった小金沢智さんもチームとして常に動いていた。

 

3回行って2回、寿司屋へ行った。浜の近く、谷保さんオススメの寿司屋である。おいしくないわけがない。僕は今だに寿司屋へ行くとしたら回転寿司がほぼなので、回転しない寿司屋の寿司を堪能した。仕事の疲れも飛ぶというものだ。

 

親父は魚屋であったが、寿司はカウンターで、などというこだわりはなかった(そもそも、うちの近所に寿司屋が少なかったこともあると思うが)。だから子どもの頃、行くとしたら近所にあった回転寿司「うらしま」だった。

 

僕は、本当はいくらが好きだったが、いくらは確か300円、比べて、けっこう好きなねぎとろは100円であった。回転寿司の事を思い出す時、僕は「ほんとうは高い皿が食べたかったけど、親に気をつかってねぎとろばかり食べて、親からそればっかだなと言われても、俺はこれが好きなんだといってねぎとろばかり食べ続けた」事を思い出す。そんな子どもだった。

 

でも、あの時食べた回転寿司の100円のねぎとろは、忖度抜きにしても、本当に美味しかった。

4583声 うまい棒10本食べるor食べない

2020年11月06日

仕事のお礼に、うまい棒のちょっとリッチなやつ(そういうのが今はあるんですよ)の10本セットをもらった。僕にそういうものをあげるとはつまり、僕のことを良く知っているということだ。さすがに自分で買うことはないがもらってうれしいうまい棒。

 

その晩、いつものように編集を進めていて、うまい棒に目がいった。小腹が空いた夜にうまい棒を見て見過ごせる奴は人間じゃない。ぽりぽり食べながら編集を進めた。

 

そして気づいたらあと1本(注:同じ晩です)。それを食べて良いのか、やめた方が良いのか!!!!・・・僕がどんな判断をしたかは、ご想像にお任せします。

4582声 服をかぐorかがない

2020年11月05日

友人で「柔軟剤の匂いが全然だめ」という女性がいる。前に数人で飯を食っていたらその子が難しい顔をしている。後で知ったのだが、隣の席に座った男性から発するフローラルな香りが耐えられなかったのだそうだ。大変だな。「むしろ、男は香水も使わずそのままがいい!」と言っていた。

 

今月はほんとうに生活のリズムを崩してしまった。一言でいえば、自分のスケジュール管理のできなさ。こんなことを言うと贅沢なのだと思うがコロナ禍にあり、だからこそ「映像で残したい」という要件が多く、自分のキャパをオーバーしてしまった。11月、じぶんちの布団で寝たのは10日に届かず、ずっと会社のソファーで眠り、朝、飯&シャワーという生活を繰り返していた。

 

それでさ、これを言うとひくと思うのだけど、朝帰れない日とか会社に連日篭ることになる。自分のにおいが自分ではっきりわかるようになったら、僕は正気でいられないかもしれないけれど(言い過ぎ)、僕の中の基準は「自分で自分をかいでみて、ありかなしか」。今月は何度か「これは人に会えない」(実際、編集で篭る時はコンビニ店員くらいにしか会わないのだが)と思う時があった。・・それはさ、そうなるよな、独身になるよな。

 

今後は、なるべく体をきれいにして、自己判断ではなく、僕から距離を置く人がいるかどうかで判断しようと思う(違う

4581声 ニット帽をかぶるorかぶらない

2020年11月04日

物心ついた時から天然パーマだった。物心ついた時には気になる異性もいて、髪を伸ばしてみたいななどとも思うが、伸びた先は爆発したみたいな頭になる。そもそも苦手な床屋で「お願いします」というと短く切られる以外に選択はなかった。世間は俺に短髪しか認めないのだな、と思って長らく生きてきた。

 

今年あまり意味もなく過去最高に伸ばしたりもした。んー、どうなんだろう。そんな頭をしていたら関係している「岩櫃城忍びの乱」のショートムービーに出てとも言われたので「あり」なのかもしれない。すけべな老中という役だけど(一応リンクも貼っておきます)。

 

さて、爆発するような天パなのでニット帽だけは好き好んでいた。それをかぶっていると、なんとなくまとまるし。ところが、今年しばらくぶりにニット帽をかぶったら、脱いだ後の頭髪がペシャンとしているのだ。そう、僕もつむじあたりを皮切りに年相応に薄くなってきたのだ。よって、しばらくはかぶらない時期が続き・・いよいよ頭から冷え込みがくるようになったら、再びかぶるようになのかなと思っている。

 

4580声 マスクをするorしない

2020年11月03日

東京都現代美術館で開催されている「MOTアニュアル2020 透明な力たち」という展示の1つ、前橋在住のアーティスト中島佑太の展示映像の編集を担当した。これが実に大変だった。

 

コロナ禍においてどんなアート作品が作れるか。がテーマではないが、「家族のルールをつくる」と名付けられたその映像は、中島くんと東京在住の3家族がリモートのzoomによって「互いが守れるルールを作る」過程を見せるものになった。僕のPCには延々と続くzoom映像が届く・・それをギュギュッと作品にした。彼の会場での展示と相まってとても良い展示になっていると思う。

 

そんな家族のルールの中に「マスクのことをマスクと呼ばない」というものがあった(こどもも交えての家族のルールはその大半がゆるいものであり、でもその中には鋭いものもある)。 H一家は今もマスクのことを「まの字」(ふせ言葉の、ほの字、みたいに)と呼んでいる。

 

コンビニに入るとき、あ、マスクがない、と気づくことが度々あるようになった。そんな時は「ではやめとこう」とはならず「まあ・・いいか」となる。そこで「ではやめとこう」と思う人も・・いるんだろうな。マスクを軽視するつもりはないが、たかがマスクで気をもむ時は、早く過ぎ去ってほしい。

4579声 肉まんorあんまん

2020年11月02日

あんまんが好きになる時がくるとは思っていなかった。肉まんは子どもの頃から好きだった。母親が務めていたスーパーの向かいのタバコ屋の玄関口に昔よく見かけた・・コンビニにもあるか、肉まんの機械が置いてあって、そこで買ってその場所で食べるのが好きだった。それほどジューシーさなんて求めていなかったから、大人になって横浜できちんとした肉まんを食べた時は別物だと思ったくらいだ。

 

あんまんが美味しい。そう思うようになったのは30歳を過ぎてからのように思う。こしあんが良い。あれがつぶあんだったら台無しだ。そしてあんまんは肉まんと同じくらい、いやそれ以上にアッツアッツが良い。中のこしあんで口の中の上がヤケドするんじゃないってくらいが良い。あんまんは美味しい。

 

寒い日の朝、会社へ車を走らせていたら、コンビニ近くで年は30歳前後だろうか、男性が、難しい顔をしながら肉まんの食べ歩きをしているのを見た。考えることがあり、小腹が空いていたのだろう。小さく湯気を上げながら男性は歩いていった。あれは多分、ああいう形で食べるのは多分、あんまんではなくて肉まんだと思う。ああいう時の食べ物は、肉まんが似合う。

4578声 四十不惑

2020年11月01日

四十不惑。

 

この言葉の語源はググっていない。なんとなく中国から来ている気がするがどうだろうか。僕が知っている意味は「人間四十歳にもなると、迷わなくなるよ、そのままいけよ」という感じ。なんとなく合っている気はする。

 

僕は1979年生まれで、あと1ヶ月で41歳になる。41歳?・・若いころは自分がそんな年になるとは思ってもいなかった。そして、今の僕は四十不惑どころかより入り組んだ迷路に入っている気がする。周りは迷う事、迷う選択ばかりだ。けれど若い時と違うのは「ま、しょうがないか」という諦めが入っている点である。いや待てよそれこそが四十不惑の境地なのか・・いや違う気がするが、今月は僕が迷っていることを書いてみようと思う。誰かの何かになれば幸いである。

4577声 シーラカンス

2020年10月31日

雲ひとつない抜けるような青空となった、ハロウィンの日である。新年号から始める句集評の対象句集が届いた。掲載号が「2021年1月」となっていたので、改めておののく。昨日終えた選句の選評を書くのに手間どる。くさくさして庭に出ると、近所のお父さんが娘と路で遊んでおり、いささか赤い顔をしていた。聞くと、保護者の集まりで近所にある定食屋で一杯やってきたとの由。時刻は正午過ぎである。かくあるべしと思った。いろいろ済ませてからと思ったが、一向に積み残したままで、明日は群馬へ行く予定。久しぶりである。湖の紅葉でも観てこようか。思えば今年はいろいろと生活や仕事のスタイルが変わった。なんでも諸外国に比べあらゆる面で日本のデジタル化がおくれており、今後一層のデジタル化を促進させていろいろと変化というか革新させていこうではないか、というのがお上のお達しらしい。変化することをおそれてはならんとは思うが、変化しないこともまたおそれてはならんと思う。いろいろな危機は迫るが、腹をくくるという言葉もある。今を生きている動物は様々な変化に対応して生き残ってきたという。しかし、シーラカンスだってガラパゴスだっていいじゃねえか、とも思う。この「鶴のひとこえ」を担当するメンバー達は、どんな変化があっただろうか。

4576声 イメージ

2020年10月30日

引き続き晴れ。夜はテレビの関係の打ち合わせがあった。まったくこのジャンルに触れていない人にとって俳句とは、一句できたら短冊に筆でしたためて披露する、というイメージがあるらしく、やはりその線でいくことになった。いささか不安だが、俳句を創作することが重要なので、短冊に筆でしたためようが、Twitterに投稿しようが、そのあとのツールの問題はたいして重要ではない。とは言いつつも、イメージって重要かも。夜半に帰宅し、駅で購ったとんかつで晩酌をしたら、胸やけした。年のせいか、疲れのせいか、その両方であろうか。