日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5107声 休息

2022年05月03日

今は周囲の状況を見ながら安全運航し、少し心身の回復を待ちたいと思っている。人間の病気や傷は身体的なものだけでないと痛感している。GWは中日が休めて7連休。家族と自然の中でゆっくりするつもり。

5106声 急速充電と放電

2022年05月02日

昨年は大きなプロジェクトをほぼ一人で回した。走っている時は気づかないが、プロジェクトを完成させ、春の訪れに気がつく余裕が出てくると、相当無理をしてきたことに気づく。子供は産まれたばかりで、一刻も早く帰りたく、朝は誰よりも早く出勤し、チャイムとともに退社した。極めて難易度の高い、高度な調整と、類例のないコンセプトワークなど、毎日、急速充電と放電を繰り替えしているような日々だった。家でも家事は山積しており、ゆっくりしている時間はほとんど無かった気がする。数えるほどしか飲みにも出られなかった。

5105声 21年

2022年05月01日

ここまでの数年4月を担当してきたが、執筆陣が一人増え、久々に5月を担当する。我々は4月1日で人事異動や昇進があるので、4月は何かと騒がしく気も張っているが、5月は新しい環境に少し慣れてきたかなという時期。今年は異動なかったが、初めて部下を持つようになった。思い返せばこの仕事について21年目の春である。

5104声 <表現>

2022年04月30日

朗読劇で何度か撮影をした郡司厚太さんとその仲間によるa/r/t/s labによるインプロ公演があるというので、見に行った。インプロとは即興演劇のことで、ストーリーや役割をあらかじめ決めずに、アイデアを共有しながら俳優たちが自分たちで物語を作っていくものだ。そう聞くと僕は、笑福亭鶴瓶が毎回ゲストを呼んで即興劇をしていた「スジナシ」という番組を思い出す。

 

お客さんには観劇前に「いきたい場所は?」「印象に残っている言葉は?」といった簡単な質問を紙に書いて答える。俳優は箱に入ったその回答をランダムに引き、そこに書かれた言葉を発してそれに続く言葉を考えていく。事前に練られた芝居と違い軽い印象は否めないが、どう終わるかわからないというだけで面白かった。若い俳優たちは真面目に不真面目で、結末がすべて優しく終わることも今の若者を象徴しているようだった。

 

彼らのような若い表現者を見ると、20年前にも同じような場面を見たなと思い出す。映画学校という特殊な環境にいたので、そういう友人たちもいたはずだ。僕も、具体性には乏しかったが<表現>がしたかった。20代後半までは「そこから足を洗ったら負け」と思っていたし、30代の後半にはむしろ続けている友人の方が少なく、続ける人を見ては「まだそこにいるのか」と思ってしまったりもした。僕は今でも表現者ではない気がするし、演劇や映画や歌や俳句や都々逸やアートでなくても、農業も商業も接客業も表現だと思ったりするし、表現の場にいようがいまいが、それでいいと思っている。そして今後はむしろ、若い人たちの表現を応援するケースが増えてくるようにも思う。そういう年代である。でも、未だあきらめきれない何かもある。

 

次月はすーさん。彼こそ実は、デジタルの荒波をゆく若者たちを応援する第一線の人である。

5103声 独立

2022年04月29日

今年の8月に独立することを決めた。

 

会社員だったの?と言われること多数。映画学校を卒業しちょっとだけ制作会社に務め、二十歳過ぎに早々に地元に戻ってきて、映像を仕事にできるはずもなく、伊参スタジオ映画祭のスタッフになると、そこにいた新聞販売店社長と新事業を立てることになった、衣類のクリーニング、魚の宅配、中之条町つむじでのジェラートショップ、そのどれもが上手くいかなかった。そして気づけば、友人の結婚式撮影からはじめた映像制作が仕事の主になった。独立は4年くらい前から考えていたが、社長とも決別ではない話ができ、今年の夏というタイミングとなった。

 

今している仕事を引き続き行っていくつもりなので、まだあまり自覚がない。それで良いのかと自分でツッコミながら、次回このめっかった群馬を担当する頃には事後となっているので、達者で生きていることを願っていただけると幸いです。

5102声 ジーパン

2022年04月28日

先日、8年ぶりくらいにジーパンを買った。急いで買ったら、どうにも裾上げしてもらった裾が長い。

 

裾直しはいつでもしますよ!と言ってくれたのを思い出し、申し訳ない気持ちもありつつ再来店。店員さんに

 

思っていたよりも、足が短くて

 

とジーパンを差し出すと、笑ってくれたので良かった。色々と迷惑なおっさんである。

 

足が長く見える気がして、股上が短いズボンが好きなのだが、急いで買ったこのジーパンは股上が長いやつだった。それは直せぬがしかし、映画祭スタッフからは

 

岡安さん、作業で屈んだ時とかパンツ見えてるんでどうにかしてください

 

と度々注意されていたので、正しい選択だったのかもしれない。長く履きたいと思う。

5101声 あの岡安賢一さん

2022年04月27日

中之条ガーデンズではこの時期に「来場者に花苗をプレゼント」する企画をする。今年も、数日前から母と姉のそわそわした様子が伝わってきた。もらう気満々なのだ。そうなると唯一車の運転ができる僕が連れて行くほかない。花苗は1人あたり幾つ、という割り当てでもらえる。賢一は町民パスポートを持っているのか(中之条町民は、そのパスを提示すると中之条ガーデンズの入場料が通年無料なのだ)と聞かれた無くしたと答えた。

 

するとその日のうちに母親が役場まで行って再発行をしてくれたという。そこまでしてもらう花苗の数を増やしたいのかと思いつつ、ありがたい。本人の再発行でないので岡安賢一と書いたところ、対応した職員の方が「あの岡安賢一さんですね!」と言ったらしい。伊参スタジオ映画祭実行委員長歴も長いものになったし、顔がでかいし(?)覚えていただいているのだろう。それもありがたい。

 

あの岡安賢一さんは、町民パスポートを無くし、年老いた母にわざわざ再発行をさせに行った

 

と噂されるほど有名人ではないが、字面にするとなんだかむずむずするな・・うん、でもまさにその通りなので何の弁解もない。

5100声 5100声

2022年04月26日

5100回目の投稿ってすごいな。僕は一通りは読みつつ熱心な読者ではないので(おいおい)5000回目の投稿は誰かと思ったら堀澤さんだった。

 

『ひとこえが5000声となった。2007年夏に始まって足掛け15年、最初は私堀澤が書いていてある時から抜井に変わり、抜井が一人で書いている時期が長くあった。最近になってすーさんと岡安さんが加わり、来月からは坂口さんも新たな書き手として加わることになった。鶴のひとこえはこれから5人で続けていくことになる。15年は長いのか長くはないのか』

 

いつも良いことを書くなと思いつつ、すーさんや僕が加わったのは「最近」ではないと思う。堀澤さん大丈夫か?・・・と心配したが、なるほど日頃醸造を行っている彼の中で流れる時間は、僕らと違うのかもしれない。

 

で、せっかくなので僕がいつから加わったのか頑張って探してみた。なんと2014年5月、つまり8年前の今頃だった(全然最近じゃないですよねー)。おそるおそる読み返す。

 

『外から見ると、この「日刊鶴のひとこえ」は、SNS最盛期において時代遅れに思える。けれど、日刊でここまで続けてきたことは驚きであるし、関心を持たなければ僕も引き受けていない。例えば、人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里氏のコラムとの共通点である「言葉のみ」という事に、僕は感心をもっている。写真の添付もない。「めんどくさいから」というのが立派な理由な気がするが、それはあの二人が「言葉だけで何ができるか?」について地道に思考してきた過程、ととれなくもない。』

 

なんだか恥ずかしい。

 

『唯一心配なのは、僕はあの二人に比べて圧倒的に酒量が少ない。のんべでなくても書いていいのか?「日刊鶴のひとこえ」。』

 

その後加わったすーさんや坂口さんを加えても、僕が一番酒量が少ないと思う。でも8年も続けてはこれたのだ。日刊鶴のひとこえおよびめっかった群馬存続の危機が今までに何度あったかは知らないが、多分このまま「良い惰性」で続いていくのだと思う。もちろん、読んでくださっているみなさまあってのものです。

 

コロナ禍が落ち着いたら「数多なメディアがある令和の今、わざわざ日刊鶴のひとこえを読んでくださっている人」を集めた飲み会をしてみたい。呼びかけをして誰も来・・

5099声 行き届く範囲/余白

2022年04月25日

東吾妻町「Serenite」の進撃が止まらない。といっても、飲食店としてお客さんが列を成して爆売れして早くも2店舗目か?ということではない。店のリーフレットを担当しているのでそれを口実にたまに行ってご飯を食べるのだが、お客さんがいない時もある。そもそも席数も全然多くない。

 

けれど、1度行った人が「特別な場所」として度々通っているのを、話やSNSを通じて知っている。こんなところに店が?という吾妻谷の途中、車を止めて小さな坂を上がると古くきれいな小屋がある。緑の木戸を開くと店主の安田さんがこんにちは、と出迎える。店の中はアンティークで統一されておりどこを見ても落ち着く。提供される食事は地野菜を中心にし毎回内容が少しずつ変わり、それぞれの食材が最も美味しい調理・組み合わせを味わうことができる。ゆっくり食べて、窓の外の山並みをぼんやりと眺める。ヴィーガンレストラン、ということではなく、ドリップコーヒーと手作りスイーツが食べられるのも良い。

 

飲食店には色々な種類があるが、Sereniteは安田さんの気配りが全ての場所に行き届いている。けれどそこに、アンティークな建物や家具がもっている時間、周囲の自然、人工ではない有機が混ざることにより、静かな余白が常にある。それはもしかすると料亭という形式が持ち合わせていた性質なのかもしれないが、もーっとずっとラフ。行き届いた気配りと豊かな余白を持ち合わせている店は、とても少ない。

 

「Sereniteは店じゃなくて場所なの」と安田さんが言ったと聞いた。その断片くらいは伝えられるリーフレットが作れたとも思っている。今後のむふふな計画も聞いてしまったので、また仕事と称してあの場所へ行くことにする。

5098声 温泉郷クラフトシアター

2022年04月24日

今日の四万温泉は寒が戻ったかのような肌寒さ。そんな中「温泉郷クラフトシアター」というイベントの各会場の下見に同行した。

 

「温泉郷クラフトシアター」は、すでに5回目の開催だそうで、ビエンナーレのない年に中之条町と四万温泉協会の主催で行われるイベント。初期は同町で行われる「秋、酒蔵にて」のクラフト作家が中心となり、展示だけではなくお客さんと共にものづくりをする催しであったが、2018からはいわゆるアート畑のアーティストも加わり、ものづくりの幅が拡大。2022はコロナ禍で中止となったが、今年4年ぶりの開催となる。

 

僕は、秋酒からの流れで2018は映像記録として参加。今回は、予想外なことに、今まで山重徹夫さん(中之条ビエンナーレディレクター)が行っていたポスターなどのデザインとして関わることになった。それはそうとして、20人以上の参加作家のほとんどが顔見知りという状況でもあるので、なかなか楽しみなイベントなのである。

 

今日も、各作家の展示場所決めをするために、元飲食店・味がありすぎる旅館・ピッカピカの新装店舗・複数の作家が入れる広間など・・温泉口から日向見まで、四万温泉を横断した。地元ながら、初めて足を踏み入れる新しい場所が多い。どんな場所にどんな作家がいて、どんな展示をするのか、何が作れるのか・・期待も膨らむ。

 

「温泉郷クラフトシアター」の開催は7/23~31の9日間。みなさんぜひとも、何かをつくりに来てください!

 

HP

5097声 ハレとケが馴染んだ町

2022年04月23日

月末からGWにかけて、中之条町とおとなり東吾妻地の3箇所で、在住アーティストによる展示が行われている。

 

朝陽堂「西島雄志個展−神気‐」

 

うた種「「GOMIIKEBANA/clemomo」

 

ギャラリーnewroll「imimimimi awazawa り/飯沢康輔×巳巳」

 

それぞれは勝手に事を進めているわけではなく、3箇所の横の連隊も強い。全てが中之条ビエンナーレ出展作家だというだけではなく、お店やギャラリー同士の仲も良いのだ。そのおかげで、場所3つをはしごするというお客さんも少なくない。

 

そんな様子を見た時に、中之条ビエンナーレの開催時のみ、2年に一度の数ヶ月にしかなかった出現しなかったアートの町は、2022年ついに「日常的にアートがある町」になったのだと確信をした(中之条だ東吾妻だという仕分けは必要ない)。ハレとケの境界が薄くなってきたとも言えるし、それは日頃からアートや作家に触れたい人にとっては嬉しい変化だ。

 

以前にも書いたが、事はアートだけに留まらず、チョコレートを作り販売を広げているアーティストもいるし、レジデンスのためにと改装されたおしゃれな建物もあったりして、アートをきっかけにした町づくりが進みつつある。それは一朝一夕で真似られるものではない。

 

ここにはまだ書けないが、今年は他にもあんなことやこんなことが中之条町で行われる。新しくあんな店やこんな店もオープンする。一体どうなっているんだ・・

 

なかなか咲かないなーと思っていた花ほど、咲く時はパッと一斉に咲き、そして散っていく。願わくば、その開花時期が末長いものであるように。その周辺にいながら変化を見ていきたいと思っている。

5096声 おおぎやらーめん

2022年04月22日

男3人で22時過ぎのおおぎやらーめんに入る。

 

生ビール3つ
ホルモン焼き
もやし炒め
生ビール1つ
ハイボール2つ
味噌ダレ餃子2枚
生ビール1つ
ハイボール2つ
節味噌らーめん
味噌らーめん
担々麺
生ビール1つ
ハイボール2つ

 

こんなことが出来ない時期があったんだよなぁ。
歩いて帰る。

5095声 浅蜊

2022年04月21日

小学生の頃、ふと夜中に目が覚め、あートイレトイレと台所を通ると流し脇にボウルが置いてある。暗い台所、覗き込むと、水が張られたボウルにはあさりが多数。貝を開き、ぬおーっと目を伸ばし、ピューっと水を吹いているやつもいる。その頃の僕はその見た目もあのくにゃっとした食感も好きではなかったから「あー明日の朝はあさりの味噌汁か、大根と油揚げとかの方がいいのにな」と思っていた。

 

この前、閉店間際のスーパーに駆け込むと諸々が半額。あさりも、粒は小さいようだが半額のものが多数残っていた。今はもうあさりも普通に好きだし、これはあさりの救済であると独り言を呟いて2パック購入した。その夜、ボウルに塩水を作って、洗ったあさりを放ち、翌朝は検索して出てきた作り方そのままに、強火ではなく弱火〜中火でじっくり旨味を出す、口が開いたら加熱は終わり、あさりの塩があるので味噌は少なめに、を守ってあさりの味噌汁を作った。

 

それはそれなりに美味しかったが、今になって思うと魚屋であった亡き親父が作ったあさりの味噌汁はものすごく出汁が出ていた気がする。それが単に使うあさりの新鮮さだったのか、火を入れるコツがもっとあるのか、酒でも少量入れていたのか、そのあたりはわからないのだが・・・まあそういうものなんだろうなと思っている。

5094声 鰆さん、鮭さん

2022年04月20日

映像制作について、学生時代の一人ドキュメンタリー取材にはじまり、仕事として映像に関わるようになってからも1人で撮影・編集して納品までしてしまうスタイルが染み付いてしまった。それはつまり予算的にも自分の気持ち的にも良いこともあるのだが、そればかりでも良くないなという思いと、実際1人ではやりきれない仕事も出て来たことで、僕以外の撮影者を立てたり、編集をお願いする機会も増えつつある。

 

中でも、昨年知り合ったばかりの、地元で映像編集ができるYさんは、映像編集ができる人種自体が地方においてはなおさらレアなため、とても助かっている。そんなYさんの活動名(?)は、「鰆さん」であった。

 

で、振り返ると、だいたい同時期に僕は本に精通した通称(?)「鮭さん」なる人物とも出会っている。映像の鰆さんと、本の鮭さん。やれやれ、人生40を過ぎてもふわふわしている僕は、村上春樹的な異相に移ってきてしまったようだ。

5093声 喜びの名残の中で

2022年04月19日

5/8(日)まで開催されている前橋文学館「生きて在ることの静かな明るさ-第29回萩原朔太郎賞受賞者 岸田将幸展」に合わせて、配信のみで行われた岸田将幸の詩の朗読会の別映像の撮影・編集を担当した。

 

もう29回を数える萩原朔太郎賞は、前橋の詩人・萩原朔太郎の業績を伝え、その年の最も優れた現代詩作品に送られる賞。第一回の谷川俊太郎氏からはじまり、前回は新進気鋭の若手、マーサ・ナカムラさんが受賞。マーサさんの詩は現実と異世界を自由に横断するような詩でとても印象に残った。そして今回は岸田将幸さん。お会いはしなかったが僕と同い年だという。詩との出会いが尾崎豊やブルーハーツだったと語るあたりは世代的に僕とドンピシャ。新聞記者から転身し農家へ。それら仕事に就きながら詩作を続けてきた、骨太感のある詩人である。

 

農家である、ということが彼の詩に大きな影響を与えていることは疑いようもない。

 

「ごらん、これがほんとうの正午の火照り。きみに影をつくる、生きて在ることの静かな明るさ」(「月あかり」)

 

というくだりなどは、畑で見つけた言葉がそのまま人の生き様を表すまでに昇華されている。(僕の理解では)なかなか難解な詩が多い中で、読書ではなくリーディングという形で詩に触れると、入ってくる言葉もある。個人的には同詩の中にある

 

「生まれてきた驚きが喜びのことであるように。そして、喜びの名残の中で君が年老いていけるように」

 

というくだりが、撮影時の僕にはぐっと刺さった。全くの個人解釈だが、1つの確かな喜びがあればその名残で人は死ぬまで生きていけるのだという温かさと、生まれてきた時の(自分者や周囲の)喜びこそが1番で、人生のその後の喜びなんてものはたいしたものではないのだという冷たさまで感じたのだ。もちろんそれは解釈違いな気がするし、詩はそもそもそういうもの(個人解釈)で良いのではないかとも思う。

 

詩からは遠くても田畑に気持ちが向いている方や、今時代の真っ当さを求める人にはぜひとも見て欲しい動画であり、会期終了間際ではあるが、ぜひとも前橋文学館へ足を運んでいただきたいと思う。

 

岸田将幸『風の領分』を読む

5092声 これから森を作ることだってできるのだ

2022年04月18日

きたもっく社長の福島誠さんらとご飯を食べた。とても美味しいご飯だった。きたもっくは今でこそ大きな会社だが、誠さんが起業当時に始めたことは親の反対をおしきって親の土地に木を植えるという行為だった。キャンプ場の立ち上げである。まだキャンプという概念も浸透していなかったのであろう、親には「地べたに人を寝かせて金取るんか、草津行って宿泊業を学んでこい!」と怒られたそうだ。だが、志ある同士と共に木を植え続けて、今にいたった。

 

それは40歳を過ぎてからのことだったと聞いて驚いた。僕はすでに、消化が悪くなったとか、以前のように働けないとか、40代というものを山を越えた後の年のように思っている感がある。本当は、これからが山登りだということもわかっているのでその大きい方の山を見て見ぬ振りをしているだけかもしれないが。とかく、誠さんのその人生は、僕にとっては励まし(叱咤?)であった。さあ、木を植えねば。

5091声 きたもっく=生き方を問う会社

2022年04月17日

群馬県長野原町北軽井沢に「きたもっく」という会社があります。手がける「スウィートグラス」は年間10万人が利用する日本屈指の人気キャンプ場。そのような三次産業をベースとしながら、近年力を入れてきた自伐型林業や養蜂、建築や製材加工などの一次・二次産業による「浅間山麓の資源をまるごと価値化する」取り組みが評価され、2021年のグッドデザイン賞金賞も受賞しました。

 

2020年に関わった八ッ場ダム映像(「ふるさと、八ッ場」)をきっかけに、この一年間きたもっくに通い映像を撮り続けてきました。その一つは、北軽井沢・森の写真館の田淵章三さんと共にブランディング動画として形とし、当初予定だった事業動画を進める中で、もう一つ派生的に生まれた動画があります。それが「きたもっくの人_有限会社きたもっくスタッフインタビュー」です。

 

 

冒頭にきたもっくの華やかな実績を書きましたが、一年間きたもっくの仕事を撮影し続け、一番凄いと思ったのはそのような数字や実績ではなく、個性豊かなスタッフが揃っていることでした。もう少し説明すると、自分の生き方を問い続けてきてその延長上にこの会社があった、と語るスタッフが多いことと、彼らスタッフが語ること・実感することがそのまま会社の道筋になっている、ということ。

 

上っ面な理想を掲げるでもなく、SDGs的な流行りに乗るでもなく、日々の実践の先に未来があることを、多くのスタッフが体現している会社であるということ。そんな会社を僕は他に知りませんでした。

 

 

コロナ禍の影響や時代性もあり、自然と触れ合うことの大切さについてよく耳にします。けれど都市的な暮らしの中では自然との向き合い方を考えるのは容易ではなく、また、利便性や利益のために自然をどうにかしようという考え方自体にもすでに限界がきている事は、多くの有識者が語っています。

 

そんな中で、きたもっくが掲げる「ルオム=自然に従う生き方」という理念には、ハッとさせられるものがあり、それがただの理念に留まらず、スタッフの口から個々の人生の地続きの言葉として語られた時に「あ、インタビューだけでも一つの動画が編める」と確信しました。

 

20分と短くはないですが、一本のインタビュードキュメントとして、ぜひご覧ください。

 

きたもっくの人

5090声 夜の風景

2022年04月16日

夜の中之条町商店街を歩く。運動のつもりだが、2回歩いて1週間間が空いて、今日また歩いた。こんな様子では続けられる自信はない。

 

コロナ禍前はもっと歩いているおばさんやおじさんが多かった気がする。まだ気が引けるのだろうか。高崎前橋では多分、夜の人出はある程度戻ってきていると思うが、19時を過ぎれば中之条町商店街は閉店ガラガラの雰囲気、車こそある程度通るものの人の気配はない。散歩コースには3つくらいスナックがあるが、前回たまたま出入りする車と代行を見た。乗っている人の顔はわからなかったが、よろよろと出て行く車を見て、今の時期の飲み歩きも肩身が狭いのかなと勝手なことを思う。

 

今夜は駅前を過ぎたあたりでわいわいと固まってあるく集団とすれ違った。5人、ついで3人、ついで4人くらいのまとまり。ある程度近づいた時点で、日本語を話していないことがわかる。この町や隣町には工場もあるから、働きに来ているベトナムあたりの若者たちなのだろう。日本人は1人もいないようで、なんとなく町の夜の風景が変わっていることを感じた。

 

先日、保護者会会長もつとめたSさんより「10年後には町の出生者は半分になり、その後さらに倍速で下がっていく」という話を聞いた。未婚の42歳の私も少子化に加担はしているのだが、普段の生活には見えない部分で、町というか、日本というか、我々の営みそのものが変わってきている。