本日は、書くことがまとまらない。俳句も一つも作れていない。別に体調が悪いとかでもなく、なんとなくである。そういう日もある。
2022年12月25日
最近、耳をふさがないイヤホンを購入した。
耳をふさがないイヤホンには、骨伝導式とそうでないものがあるらしいが、骨伝導でないほうにしてみた。
耳をふさがないので、まわりの音を遮らない。そのため、外でも比較的安心して使える。
野外で使ってみると、目の前の日常の風景に、音楽が聴こえるのが、ちょっと不思議な気がする。外で音楽を聴いている人、こんな感じだったのね。
耳をふさがないので、まわりの音も聞こえる。(もしかしたら、聴こえる?)そのため、聴いている音楽がまわりの人にも聞こえているのではないかと最初のうちは何度もイヤホンを外して確かめてしまった。
今でも時々不安になり、外して確かめてしまう。
これまで、寝るときにスマートスピーカーでしか聴いていなかった音楽が少し身近になった。
で、何を聴いているのかというと。
今は、あいみょんが一番のお気に入り入りだ。
2022年12月23日
群馬県民かどうかの判別につかわれる「上毛かるた」。その上毛かるたの「こ」の札は、内村鑑三だ。
内村鑑三研究の第一人者である鈴木範久先生は、大学の講義では、まず群馬出身者を探し、内村鑑三このとを尋ねたという。
【以下、イメージ。】
鈴木先生「この中に群馬出身の人はいますか?いたら挙手願います」
群馬出身の学生「はーい」
鈴木先生「内村鑑三は、上毛かるたではなんというか?」
群馬出身の学生「心の灯台内村鑑三」
鈴木先生「はい。よくできました〜」
内村鑑三生誕150年記念講演会のとき、「よく訓練されてますね〜」と範久先生に褒められた。
内村鑑三に興味を持った人が最初に読んだらいい本が、『後世への最大遺物』だ。
鑑三の講演をもとに本にしたものだ。講演したときの鑑三は、なんと34歳だった。若い!
鑑三の『後世への最大遺物』は、様々な人に影響を与えた。
3年前にアフガニスタンで銃撃されて亡くなった医師の中村哲氏もその一人で、何冊もの『後世への最大遺物』を手元に用意して、氏のもとに来る若者にわたしていたという。
最近は、佐藤優がやさしく解説したものも出版されている。『後世への最大遺物』内村鑑三入門としてどうぞ。
2022年12月22日
群馬交響楽団のマネージャーをしていた丸山勝廣氏の著書のどこかに「オーケストラを運営できれば大統領になれる」という趣旨のことがあったと記憶している。
わたしは「オーケストラ」を「山車の巡行」に置き換えてもいえるのではないかと密かにおもっている。別に密かにする必要もないのだが。
今日は、組織の運営について少し考えを整理したいとおもいオーケストラと山車巡行の話題から入ったのだが、まずは、「組織は虚構である」ということから確認したい。
ユヴァル・ノア・ハラリによるとサピエンス(ホモ・サピエンス=人間)が地球を支配できたのは虚構を信じることができるからだという。ハラリが「認知革命」と呼ぶ、この脳の使い方をマスターしたサピエンスは、虚構を信じる力によって、見ず知らずの人と協力することができ、やがて地球の支配者となった。
神話、宗教、官僚制、帝国などはみな虚構である。虚構を信じることが出来る能力の賜物である。そして、最強の虚構、征服者ともいえるのが、現代のほぼ誰もが信じる宗教ともいえる「貨幣」だという。(貨幣については改めて整理したいとおもう。)
それはそれとして、その虚構の一つに「法人」がある。わかりやすい例では、株式会社などの企業などがそれだろう。株式会社は、虚構である法人と貨幣が結びついたもっとも典型的な形だろう。一番わかりやすい「組織」ともいえる。
やっと組織の話になってきた。
日本は資本主義の国であるので、組織論も株式会社を中心としたものが多く、マネジメント(経営管理)、とかコーポレートガバナンス(企業統治)についての本もたくさん出ている。キャッシュフロー経営だとか、目標管理制度だとか、ビジョナリーだとか、成果主義だとか、ジョブ型人事だとか・・・・。ピーター・ドラッカーを筆頭にありすぎて読み切れない。
珍しいところでは『失敗の本質』のような、旧日本軍の失敗を組織論から論じたものもある。だが、わたしがみなさんにおすすめした組織論の本は『「世界征服」は可能か?』(岡田斗司夫)だ。
映画やアニメに出て来る悪の組織(まさに虚構)を例に挙げ、組織論を語る。
うろ覚えだが、ガッチャマンのギャラクターや仮面ライダーのショッカーなどが語られていたようにおもう。ガッチャマンのギャラクターは、その構成員だけでなく、構成員の家族まで作品のなかに登場していて、かなりしっかりした組織であることを感じるが、なぜか非合法のことに手を出している「悪の組織」だ。
また、仮面ライダーでは、悪の側はすごい科学技術と資金を持つ「組織」なのに、仮面ライダーはそこを裏切った個人(協力者が皆無とはいえないが、ほぼライダー頼み)だったりすることも面白い。
どちらの悪の組織も、高い技術と豊富な資金がありながら、非合法のことをして世界征服を目指すという、なぞの行動をとる。素晴らしい技術と資金を活用すれば、合法的に、もっと楽に稼いで、儲けて、楽しむことができるだろうに。なぜか、傍若無人な非合法の悪事を行い、ヒーローに見つかってしまい、それらと戦わなくてはいけなくなる。実にもったいない。
で、もうひとつ悪の組織に共通するのが、恐怖によるマネジメントだ。または、恐怖による組織支配とでもいおうか。だいたい絶対的な力をもった(文字通り腕力だったりする)権力者がいて、その下に凄腕の幹部たちがいる。さらにその下にそこそこの実力の小ボスがいて、物語の序盤では、それらの小ボスが雑魚を率いてヒーローと戦わされる。絶対権力者と恐怖。これが悪の組織にはつきものだ。
力のあるものが、その力を背景として恐怖によって統治している組織が悪の組織だ、ともいえる。
やっとマネジメントとガバナンスらしい話になってきた。
恐怖による支配とは、ようするに、悪の組織では失敗するとお仕置きが待っているのである。しかも、多くの場合そのお仕置きは死を意味する。仮面ライダーにやられなくても、組織のお仕置き、あるいは罰によって始末されてしまう怪人(改造人間?)は少なくなかったりする。
この本が書かれたころにはなかった作品『鬼滅の刃』の中でも鬼たちは恐怖によって支配されている。ヒーロー側である鬼殺隊にやられるのと負けないくらい多くの鬼が、ラスボスである鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)や幹部の鬼(「上弦の月」とか「下弦の月」)にやられてしまう。もっとも、鬼舞辻無惨の目的は、世界征服ではなかったが。
また、悪の組織では、そのときの目標がなんであれ、手段に非合法なものを選択するため、組織のなかに卑怯なことをよしとする文化が育まれる。悪の組織のなかに裏切りやだまし討ちがまん延するのはこのためだとおもう。
極論だが、悪の組織では、組織のマネジメントや統治に「法」が使えなくなるのである。「法」とは、法律というよりは「論理的なきまり」ぐらいに考えてもらえばいいとおもう。「法」ではなく、「力」と「「恐怖」で治める組織なのだ。
こういう組織では、力を持つ者の「都合」が優先される。権力者の都合が法にとってかわる。
そんな組織が成り立つのか?ともおもうが、北朝鮮やロシアの例もあるので、事実は小説よりも奇なりである。
2022年12月21日
本日は水曜日で、馴染みの蕎麦屋が定休ということで、ほど近くにある町中華の店へと足をのばす。
しかし、窓越しに見える店内は満席。
一度、中華のつもりになってしまったので、少し先の別の蕎麦屋を目指すも、頭の中では、ラーメンにしようかなあ、などと考えながら向かう。その蕎麦屋のラーメンは結構おいしいのだ。
しかし、その蕎麦屋も満席だった。残念。
それならば、最近オープンした話題の店をのぞいてみようとさらに足を運ぶ。昼どきは無理だよなーなどと考えながらも、淡い期待で向かった。
満席どころか、行列ができていた。
なので立ち食いのそばですませた。帰りに、ずっと閉まっていて気になっていた喫茶店の前を通るとOPENの看板が出ていた。客はいなそうだが、時間がないのと、硝子越しに見えた店主らしき人の影が、以前のママさんと違うので、機会を改めようと職場に戻った。
近いうちに訪れたい。
2022年12月20日
一昨日、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わった。今年の大河は、最後まで楽しませてくれた。終わってしまったのがさびしい。
そして、もう一つ面白いドラマが、テレビ東京の「警視庁考察一課」だ。「もし、警察の中に、実際に『考察課』なる部署があり、その部署に、かつて2時間ドラマで活躍した凄腕の刑事たちが集結していたとしたら、どのように考察するだろうか?」(wikipediaより)という考えをもとに企画されたドラマだ。
こちらは来週の月曜日、最終回となる。
録画予約した。
2022年12月19日
本日は、少し大きめの予定があったのだが、予定外のことがいくつか重なり、少しばたついた。
出席するべき人が来なかったのが原因だ。
先週末までわかっていた欠席者は一人だった。土曜日に、進行役が来れない連絡があったが、こちらも想定内で、今日の朝の対応で間に合うと踏んでいた。
二人の欠席だ。なんとかなるだろう。
でむかえた本日、代わりに進行していただく方と打ち合わせをして、やれやれと思っていると、さらに間に合わない人がいることが判明。しかも二人。
開始まであと3分。自分で進行できるものではないので、司会役の読み原稿を変更しなくてはならない。司会席まで走り、殴り書きで読み原稿に書き込みを入れた。読みにくかったとおもう。大変申し訳なかった。人名には念のため、フリガナも振る。会場を見渡すと、みな着席している。書き終えた原稿を司会していただく方に渡し、わたしも自分の席へ移動。
間もなく始まる。
おかげで、わたしは、自分の発言の原稿は直せないまま。そのことに気づいたのは、指名され、発言しはじめてからだ。なんとか、冷や汗をかきながら凌ぐ。
その後、会場を移しての本番。
なんと、いないはずの一人が席に座っている。
再度、司会席に行き、今度は原稿の修正を依頼。
なんて日だ!!(小峠風に)
まあ、結果的には平穏無事にすべて終わったのだが。
司会を代わっていただいた方には、大変申し訳ないことをしたとおもう。
一つひとつは、想定内でも、こう重ねて畳みかけられるとね。
2022年12月18日
本日は、町内会の廃品回収があった。
久しぶり過ぎて、あまり集まらなかった。あまりに少ないので、あっという間に終了した。回収業者の人の話によると、コロナ禍で中断されていた廃品回収を再開する町内が増えているとのことだが、どこも再開後はこんなものらしい。定着するには暫くかかるのだろう。再開できていない町内会もあるようで、もう以前のようにはならないのかもしれない。
世の中の変化に抗うことは難しい。変化し続ける社会のなかで、平穏を保つには、自らも変化し続けなくてはならない。
平穏でいるために変わり続ける。
現実は正解なのである。
2022年12月17日
歌舞伎に六方という、花道から退場するときの技法がある。天地に東西南北を足した六方向に手足を大きく振る、荒事の引き込み(退場)に欠かせない技法なのだが、なぜ「六」なのか。天地に東西南北だからなのだが、なんで六を選んだのか。
六のことが気になって、少し調べるといろいろ出てくる。読み方は「ろく」だったり「りく」だったりする。
六方、六法、六腑、六芸、六経、六然、六大、六界、六道、六識、六根、六義園、六字訣
六について、もっと調べたい。
2022年12月16日
江戸時代の俳人滝野瓢水(たきの・ひょうすい)の句。
手に取るなやはり野に置け蓮華草 滝野瓢水
瓢水の友人が遊女を本妻に迎えようとして、それをいさめて作った句らしい。
「やはり」というのは、日本国語大辞典によると「動かさないで、そのままにしておくさま、静かにじっとしているさまを表わす語」とのこと。
毎年変わる制度があるが、せめて数年は、やはり置いといてほしい。日本企業の国際競争力は、こういうところで削がれているとおもう。
2022年12月15日
本日、シンキチ醸造所の定期便が届く。この度は、梨之助、黒玉パンチ、立冬春菊、ストリッパーの4本。楽しみ。
ところで、私的「鬼城の一句」では、12月15日は、次の句となる。
何も彼も聞知つてゐる海鼠かな 村上鬼城
320年前の昨夜は、大石内蔵助をはじめとした赤穂浪士が吉良邸に討入った。海鼠(なまこ)は、そんなことまで聞き知っているのだろうか。それなら、殺された吉良義央が、本当は名君だったことも知っているのかもしれない。
富安風生に次のような句がある。
何もかも知つてをるなり竈猫 富安風生
そして、風生の句は、角川の歳時記に載っていたりする。「竈猫」という季題を造り出した本人のためだろう。
わたしは、鬼城の海鼠のほうが好みだ。
2022年12月14日
強風が吹き荒れた日だった。
高い建物の近くはとくにすごかった。マスクが吹き飛ばされそうなくらいだった。
そんな本日、年内の仕事にひと区切りがついた。新型コロナウイルス感染症の影響も受けたが、なんとか無事に終えることができた。まだ、小さな案件が残ってはいるが、令和4年の大きな予定はだいたい終了。職場にも、コロナに感染したり、濃厚接触者として自宅待機となっている人がいて心配ではあるが、とにかくひと区切りである。
このあと年内は、こまごまとした整理をしていくことになる。案外この整理が大事で、このこまごまとした整理の積重(つみかさね)があるから、大きな予定を平穏に行うことができる。少なくとも平穏に行っているように装うことができている。装う必要はまったくないのだが・・・。
まったく話は変わるが、討入の夜ですな~。歌舞伎座で歌舞伎がみたいな〜とおもう、この頃。
2022年12月13日
午前、時雨るる。昼過ぎ晴。中庭の濡れた石畳が、日に照らされ青緑色に美しく輝いていた。短日のせわしなく暮れていく、時雨心地の一日の、つかのまの輝きだ。中庭にある名もよく分からない草木たちも時雨の色の装いで、青緑に輝く石畳に寄り添う。職場の中庭にある草木で、かろうじて石蕗だけは名前がわかるのだが、そろそろ花もおわりの時期で、ついこの間まで十四五本も伸びていた石蕗の花たちはすっかり枯草の仲間と化している。
気がつけば12月も半ばで、令和4年も残り二週間余り。この時期は、手帳が新旧の二冊になる。新しい手帳に書き入れる予定もちらほら出てきた。
一年使い馴染んできた手帳もあと少しで古暦となる。しかし、新旧の手帳を同時に使っていると旧のほうはすでに古暦の貫禄。まだ使っている手帳だが、もう古暦の句詠んでもいい気がする。
2022年12月12日
昨日、レベルブックスで開催されていたZINPHONYで手に入れたZINE。カツテイクさんの『歴史の海』。正誤表がはさまれていて、面白そうなので購入した。
(正)「シャンデリア」
(誤)「シャングリラ」
しかも2箇所。
実に面白い。
2022年12月11日
今日は、ユヴァル・ノア・ハラリの最新作『人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった』を読みはじめた。
子どもに向けて書かれたものだが、それだけに読みやすい。
その一節。
《科学の世界では、「わからない」と言うことはとくに大切で、それがはじめの1歩だ。》
そのとおりなのかなとおもうが、東野圭吾の「ガリレオ」の科学者の台詞を思い出した。
「さっぱりわからない」(湯川学)
実に面白い共通点である。知らんけど。
2022年12月10日
今日は湯都里に行った。夕方から、高校時代の同級生が集まる予定があったのだが、その前にということで、時間のある者だけで温泉となった。
コロナ禍以後、初めての訪問となったが、システムが変わっていて少し戸惑った。自動精算機が導入されていた。待ち時間もなく、必然の変更だとおもう。
それにしてもたくさんの人が来ていた。高崎の温泉施設、温浴施設、足りていない気がする。
2022年12月09日
本日も、高崎から見える月は、なかなか良かった。十六夜でいいのかな?
ということで、今夜は内村鑑三のことを少し書こうとおもう。月とは関係ないが。
内村鑑三ほ、上毛かるたの「こ」の札の人物だ。群馬県内では、名前の認知度だけなら結構高い人物だろう。上毛かるたのおかげだ。
実は、先日、その内村鑑三に関する依頼が職場へのメールに入った。結果的には、担当が違ったため、担当部署につなぐとともに、その旨の返信をして終わったのだが、「内村鑑三」が趣味であるわたしにとって、少なからず発見のあるできごとだった。
これを書きながらおもったのだが、今後は、鶴のひとこえでも、少しずつ内村鑑三について触れていきたい。
メールの話に戻るが、実はメールを送ってきた団体のことは随分前から知っていた。しかし、団体の住所が覚えていたところと違うので、ちょっと検索してみると、どうやら移転したらしい。
鑑三の教えの一つを受け継いできている団体が、今なお、移転してまで存続していることに驚くとともに、嬉しくも感じた。
そしてもう一つの発見が、うちの職場の人は、内村鑑三のことを「『こ』の札の人」くらいしかしらないということ。ほとんどの群馬県人もいっしょかもしれないが、こちらは残念。なんとかしなくてはとおもう。