日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

6120声 想像する

2025年03月10日

 最近ずっと仕事のことと身の回りのことを考えていたので、外への想像力が欠乏していることに気付いた。気付いたのは、伊参スタジオ映画祭で映画『山歌(サンカ)』を監督した(その映画は、山々に実在した流浪の民・山窩(サンカ)を題材に六合で撮影された力作)笹谷遼平監督の1945年東京空襲体験記 東京空襲「せめて名前だけでも」公開プロジェクトの映像を見たからだ。8分弱の映像なので、ぜひご覧いただきたい。
1945年東京空襲体験記 東京空襲「せめて名前だけでも」公開プロジェクト

 歴史を、外を想像するということは、自分以外について考えると思いがちだが、どこか自分に絡めないとすぐに忘れたり、他人事であり続けたりしてしまう。だから身に体験のない空襲であっても、すでに多くを忘れてしまった震災であっても、それ以外であっても、自分を通してもう一度考える。

自分は何をしたいのか
自分は誰を救いたいのか

6119声 登る

2025年03月09日

 群馬県の仕事で猟友会に密着し、高度銃猟技術研修用動画を制作する仕事が長く続いた。納品も終わり(昨日、その動画を用いて初めての狩猟実習会が開催されたはず(参加はできず)/実習会向け映像なので一般公開はないと思います)良い仕事ができたという実感がある。

 猟友会の取材は、過去にも2回行っていたが(群馬県のyoutubeチャンネルで狩猟と検索すると2つ動画が出ます)、今回は毎週日曜日に吉井町に通い密着する仕事。カメラマンが山の中までついていけない、は本末転倒なので、昨年11月あたりからだったろうか、主に夜ウォーキング(徘徊?)をして、体を慣らせていった。その後も体を動かしたくなる状況が重なり、3日坊主で終わると思われたそれは今も続いている。それ以前の僕からしたら、驚きだ。

 とはいえ、密着は終わってしまった。平地も好きだが、山に身を置きたい気持ちが残っており今日は仕事合間に地元嵩山に登った。大天狗側から山頂付近の広場まで登り、すぐに下山して46分。息は切れるし、ちょっと辛いなと思ったがその程度で登れるようになった。うちから車で5分で行けるのだ、これからもホームマウンテンとして登っていきたい。

6118声 方々へ行く

2025年03月08日

 このところずっと仕事ばかりしてきたので、まだ色々立て込んではいるが今日は休みと決めた。話したいこともあったので、長野原町在住のアーティスト・木工職人である中川浩佑くんを誘い、彼が全然知らないという群馬県のアートシンを訪ね回る一日にした。

 道の駅まえばし赤城の「SHOP CAFE Qu」で行われている若き自由画家ぽんちゃんによる「描きたいんだ!」展、展示されている映像を担当した太田市美術館・図書館の「原田郁・衣真一郎 リポジトリ:内と外で出会う」展、たまたまタイミングが合った中之条ビエンナーレ関連作家の「SUBARU × ART OTA CITY EXHIBITION」展、こちらも太田同様に映像で関わっているアーツ前橋の「はじまりの感覚」展。ほんとうはあと2ヶ所くらい行きたかったのだがそれでもう夕方だったので、岡本太郎の鐘やギャラリー・ヤーギンズ前、白井屋ホテルなど、活気を取り戻した前橋中心地を散歩して一日を終えた。途中と最後、めっちゃ美味しいパキスタン料理の伊勢崎「サラームカレー」と知ってて損しない渋川市の「たか幸食堂」(もつ煮定食を激押しした)にも立ち寄りながら。

 中川くんの作る作品は独自で、ジャンルで言ったら造形×音。エアリアンハープと呼ばれる「作品に貼られた弦が風によって振動し音を発する」作品を作っている。最新作は、彼が勤める会社・きたもっくが北軽井沢スウィートグラスに建てためちゃくちゃ高い位置に作ったツリーハウス(そのハウスは稲垣豊さんの手によるもの)。エアリアンハープが設置されており、浅間山から吹き下された風が音を奏でる(僕はまだちゃんと聞いていない)。

 中川くんから、彼が若い頃にイギリスを中心にヨーロッパ各地を巡った旅の話を聞いた。一方の僕は今の気分として「大事なものは足元にある気がしてるんだよね」と話した。

6117声 納品する

2025年03月07日

 長い間動画を生業としてきたが、数年前まで写真については素人を決め込んできた。実際、細かくは書かないが同じ人や物事を記録する時も映像と写真とは別物と思っている。映像は流れを見せるもの、経過を伝える必要がある。一方の写真は瞬間の切り取り。そういった違いがある程度わかったので、必要となれば写真も撮るようになった。まだまだとは思うが、仕事でも高崎市の工場のホームページ用写真を撮影したり、記録にあまり人をさけない現場で映像を撮影しながら写真も同時に撮影したりもしている。

 昨年の今頃からずっと、東吾妻町の「岩島麻保存会」の活動を記録してきた。日本では縄文時代から縄作りに使われていたという麻。明治以降は綿や輸入繊維の台頭、戦後は大麻取締法の影響や安価な麻素材の輸入などで麻の栽培自体は珍しいものとなったが、ぼくの家のそこそこ近所でもある岩島地区では今もメンバー10人ほどの保存会の方たちが種まきから繊維にするまで一貫した仕事を続けており、丁寧に作られた麻は、宮内庁や神社庁にも送られている。

 保存会も極端な高齢化となったことで「その技を後輩に継ぐために記録したい」という仕事をいただいた。近いことも利点となり何度も足を運んだ。はじめは映像で記録するだけだったが、1つ1つの作業は長く、写真でも記録するようになった。そして、アーカイブとしての映像とは別に写真集を制作することになった。僕にとってはもちろん、自分の写真がメインで本ができるというのははじめての体験である。

 今日は印刷所へ、その写真集を受け取りに行った。非売品となる可能性があり500冊と全く多くはないが、保存会の方たち同様に、もしかしたらそれ以上に嬉しいものがある。そのまま吾妻へ直帰し、会の方にお届けした。ぼくは基本的に「何かを記録して残す」仕事をしている。目先の作るものに忙しくて、過去作ったそれがその後どんな影響を与えたかまでは追い切れていない。けれどふと何かの時に「この動画こんなに再生されていたんだ」とか「あの仕事があのアーティストのその後にも影響したんだ」とか過去からのギフトのようなものを受け取る瞬間ある。この写真集「黄金の一 岩島麻」が、この先貴重な資料・表現として残ってくれたなら、さらにさらに嬉しいのである。

6116声 食べる

2025年03月06日

 朝飯は変わらず母親の手料理を食べさせてもらっているのだが(ありがたや)、昼夜は最近はもっぱら、必要最低限のものをスーパーで買って会社の小さな台所で簡単に調理をして食べる。夜は炭水化物をとらない感じなので、野菜や肉をただ焼いたりすることが多い。

 今日はずっと籠っていたので昼に食べに出た。中之条駅前に昨年くらいかな、できた「ママン食堂」。居抜きで入って以前は刺身定食も食べられる定食屋だったが、ママンは肉中心の定食屋。チキンカツ定食を頼んだ後に、やっぱり唐揚げ定食に変えてもらって良いですか?と聞いたら「両方が半分ずつ乗ったブラザー定食はどうですかとのこと」。それにすると、モモ肉の唐揚げとムネ肉のチキンカツが皿に乗った定食がでてきた。これがブラザーか。ご飯は特盛まで無料だったが、普通盛りとする。美味しかった。

 会計を済ませ「美味しかったです。なんでこんなに唐揚げが柔らかいんですか?」と尋ねると、その答えは返らず「甘酒作られるんですか?」と店員さん。今日たまたま、家の本棚から引っ張り出してきた書籍「麹でつくる甘酒のレシピ」(堀澤宏之著/池田書店)を持って読んでいたのでそう聞かれたのだった。「そうなんですよ、そこのこうじやで麹を買って行こうと思って」と僕。

 店を出て、3分ほど歩いて「こうじや德茂醸造舗」へ。德茂さんに聞いたら乾燥麹は売っていなくて生麹しかないと言う。良いではないか。それでも大丈夫だろう、多分。500グラムほど買って店を出た。

6115声 協働する

2025年03月05日

 不思議な仕事がある。群馬県高山村の仕事だ。僕が住む町の隣ながら、仕事で関わるまで「沼田市へと通過するだけの村」だった。せいぜい、ロックハート城が目立つ(その城では3回ほど結婚式の撮影もした)くらい。ふとした縁で、この村の広報物を作るようになった。ポスター、登山マップ、そして今行っているのが観光マップ。僕の役割としてはデザイン部分を担っているが、チームみんなで「村のブランディング」を行っている、という気概がある。

 たからのやまたかやま

 移住コーディネーターであり、村のすてきな雑貨店「カエルトープ」の飯塚咲季さんが言いだした言葉のような気がする(もとは村の農家さんかな・・誰かが言っていた言葉らしい)。少し長いがそれに続く彼女の言葉を引用すると「自然と人の手が紡ぐ 穏やかな風景広がるこの村で 人のあたたかさ 豊かな里山資源 こころから受けとれたなら ここはたからのやま」 実際に村を歩くようになると、その言葉通り、なんて素晴らしいところなんだろう、と思うようになった。

 不思議な仕事、というのは、僕や咲季さん、時には高山村ラブなフォトグラファーの丸山えりさん、高山村に住んだこともありメキメキとその腕を上げているイラストレーターの根井美智さん、役場担当者の廣田亜美さん、初期にはロゴマークを作ってくれたちぎらまりこさんと(なんと僕以外全て女性ではないか)仕事を行う時に少なくとも僕は「急がない、自分で見たもの聞いたことを重視する、否定ではなく良いものを探しそれを持ち寄る」ということを心掛ける・・というか、そのメンバーとの協働だと自然とそうなるのだ。これほどまでに穏やかな気持ちで進められる仕事は他にない。

 そして毎回、広報の仕事であるにも関わらず「誇張しない、嘘をつかない」の優先が認められる。村にある良いものを見つけ、整理し、そっと提示する、それで村の魅力を伝えたい。今日の地図ミーティングでも、そんなことを話した。地図は月内納品(そういう部分は急がない・・わけにはいかない)。道の駅などに置かれると思うので、ぜひ手にとっていただきたい。

6114声 働く

2025年03月04日

 今期は例年に比べ「長期取材による年度末納品」の映像やらデザインやらが多い年となった。おかげで12月あたりからずっと仕事をしている気がする。それぞれの仕事で関係してくださった方たちは皆素晴らしく、先月後半あたりから終わりが見えたもの、納品できたものも出てきて、めちゃくちゃ良い仕事ができている実感も出てきた。けれど、働きすぎだ。

 今月から、合同会社岡安映像デザイン初の試みとして、中之条在住のクリエイター、長塚菜摘さんと業務提携を結び、僕がリスのほっぺばりに一人で抱えまくっている仕事の幾つかを都度ではなく1年契約で手伝っていただくことにした。長塚さんは伊参スタジオ映画祭の若手スタッフでもあり、年はうんと離れているが映像について対等に話ができる人だと思っている。ありがたい。

 今夜は、元旦から自分の足で歩いて構想を進めてきた高山村の地図をかなりの状態まで進めた。午前0時を過ぎたところで、年に1~2回連絡があるKさん&Kさんから「何してるの~」と電話。新前橋で飲んでいることは電話に出る前からわかった。「仕事してるんすよ~」と返事して2、3会話を交わして電話を切る。あと数日はこんな生活が続くが、土曜日は酒を飲みたいと思う(予告)。

6113声 書く

2025年03月03日

 原稿用紙は一枚400文字。小学校の頃の作文は苦手で一枚書き切るのも大変だった記憶がある。先月末から、取材した音声を聞きながら原稿用紙にして30枚、12,000文字をひたすらに書きまくっている。

 普段は映像の撮影編集や紙もののデザインが多いが、このような物書き仕事も年々増えてきた。今回は特に、頭を対言葉に切り替えるまでに時間がかかった。切り替わってからは、ただ言葉の中に潜ったり浮かんだりするだけ。

 書いているのは、中之条町に移住したアーティストたちの生き様。実は、数年前にそれを本にしたいと思ったこともある。不思議な巡り合わせだ。春には「nakabito」という冊子となり皆さんの目に触れると思う。

 物書きの筋肉は、明らかにこの「めっかった群馬」で鍛えられた。ありがたいやら、よく今まで続けてこれたなと思うやら(抜井さん堀澤さんに比べれば全然途中乗車ですが)。

6112声 演じる

2025年03月02日

 中之条町で撮影されている映画のエキストラに参加した。僕が実行委員長を務める伊参スタジオ映画祭とは関係がない商業映画なのだが、近しい人もスタッフで加わっており、小学生エキストラの募集をお手伝いしたことから、今夜の撮影にも1度ならと協力をした。映画祭スタッフも何人か集まってくれたことが嬉しかった。

 エキストラは、主に演じる俳優さんの背後で、通行人だったり喫茶店の客だったりを演じる。そんなの簡単だと思われる方もいるかもしれないが、いざ「本番!」と声がかかりカメラが回ると右手右足を上げて歩いてしまったりもする。僕も映像畑ながら映画の現場はあまり経験をしていないので得意ではないが、年齢を重ねて羞恥心がなくなったのか、わりと楽しく演じることができる。

 席を隣になったのは23歳だという町の若者。つい、お父さんは幾つ?と聞くと僕より2歳年上なだけだった。自分で聞いておいて、それを聞くと、自分も何か違えばこのくらいの息子がいたんだろうか、と深く考えているようであまり考えていない安易な考えが浮かぶのだが、待ち時間3時間の僕らの出番はあっと言う間に終わった。今、こうして筆を走らせていて思う事は、僕はもうちょっとしっかり岡安賢一を演じてみようということだ。まだやれる。

6111声 歩く

2025年03月01日

 年末年始から個人的なことで色々があって、それまでと景色が違って見える。45歳にもなってそういう心境になるとは思っていなかったが、外から見れば今までと変わらないくせ毛の髭中年であるし(体重は5キロくらい落とせた)景色が違って見えるほどの心境の変化は、すぐに元に戻ってしまうのかもしれない。けれど、この広い視界のまましばらく歩けたら良いなと思っている。

 高山村の観光地図を新しくする仕事に関わっている。過去のものをトレースしても地図は作れるが、車で通り抜けたら里山の景色とロックハート城しか記憶に残らない小さな村。国道145号線を離れ自分の足で北へ南へ歩いてみると、たくさんの道祖神やきれいな小川、効率的ではないが人の営みが見える田んぼなどが現れる。それがどれだけ紙に落とせるかはわからないが、歩いている。良い天気だった。
(岡安賢一)

6110声 幸あれ

2025年02月28日

晴れてあたたか、花粉症は悪化。明日に参加を予定している句会があるのだが、このウサギ目では参加者に恐怖感を与えてしまうので、休むことにする。良くなってきてはいるものの、まだ充血がはなはだしい。治りが遅く、寄る年波を実感している。鼎談の校正に赤を入れ、兼題句の選句、カレンダー掲載用の句の自選など済ませる。句集刊行時から世話になっていた若手編集者より、本日で退職とのメールが届く。残念だが、幸あらんことを心から祈る。冷たい麦酒をグラスに注ぎ、二月を終える。

6109声 春の重なり

2025年02月27日

晴れて暖か。明日で早くも二月尽。今年は桜の時期に句会の予定があるため、開花状況が気になっている。できれば早めに咲いてほしい。俳句総合誌の校正を済ませて、ひと段落する。句の掲載が二つの総合誌で重なってしまったが、致し方ない。発表できるクオリティの春の句のストックが、ほぼなくなってしまった。そして、来月の句会後の飲み会の店がなかなか決められない。

6108声 亀の歩み

2025年02月26日

曇り。体調不良によってキャンセルしたホテルから請求書が届き、目を見張る。己の都合により、致し方なし。句集から鼎談用の十句を絞り込む。ある程度、句の鑑賞をすすめて今月中には手放したい。群馬部会の選句を終え、郵送する。亀の歩みで目も回復している。

6107声 梅の盛り

2025年02月25日

晴れ。依然として目の調子悪し。三連休明けで、駅や通勤列車が大混雑していた。帰宅後WEB句会の投句をひとつ済ませる。東京の方では梅の盛りも今週までだろう。上州の方はこれからであろうか。

6106声 深川の蕎麦

2025年02月24日

晴れ。句会のため、富岡八幡宮へ。目の調子が悪くいまいち調子が出ず。物がまぶしくぼやけて見える。深川めしも食べず、粗末なそばをすすっているあたり、いつものことながら風雅におぼつかなし。その後は門前仲町でたいぶ嗜んで、なんとか帰路につく。

6105声 沼のほとり

2025年02月23日

晴れ。引き続き、静養日として、午後は気になっていた手賀沼観光リゾート 天然温泉 満天の湯に出かけた。その名の通り、柏市手賀沼のほとりにある日帰り温泉で、休憩所からの眺望は郷愁を誘うものがあった。風呂からの眺望がなく、三連休の中日ということで芋洗い状態だったことがいささか残念であったが、じっくり温まって帰路についた。

6104声 余寒

2025年02月22日

晴れてはいるが風が強く余寒の一日であった。午前中はこまごまとした原稿を仕上げ、午後は静養するつもりが、結局、飲んでしまって静養にならず。目の状況は悪化の一途をたどっている。

6103声 冷えた弁当と缶麦酒

2025年02月21日

快晴。心配していた大雪の影響はほぼなく、東海道新幹線は予定時刻で運行し名古屋まで行けた。あれこれ仕事を済ませ、予定通りその日に内に帰ってこれた。食べたものと言えば冷えた弁当くらいで、名物は何も食べれなかったが、缶麦酒を楽しみつつ、無事に帰ってこれたのでよしとする。