ちょうじょうのしゅび、と読むらしい。
例によって、Gemini(GoogleのAI)に聞いてみる。
すると、
「重畳の首尾」という言葉は、一般的な日本語の熟語としては見当たりません。
とな。
それに続いて、原因を文語的な表現のためと推測したり、具体的な文脈を教えてくれと述べたあと、「首尾」と「重畳」のそれぞれの意味をあげる。
Geminiのすごいところは、ここから「重畳の首尾」を解釈しようとするところだ。
以下のような感じだ。
《「重畳」と「首尾」を組み合わせると、「何度も繰り返される結果」や「重ねて行われたことの結果」といった意味合いが考えられます。》
さらに、データにないことなので、釘を刺すことも忘れない。
《しかし、前述の通り、「重畳の首尾」という言葉が一般的な日本語として定着しているわけではありませんので、文脈や状況に応じて、その意味は変化する可能性があります。》
そして、まとめを記して、最後に
《ご不明な点があれば、お気軽にご質問ください。》と述べて終わる。
なんとなく分かったような、分からないような。
重畳の首尾は、子母澤寛の「父子鷹」に出てくる言葉らしいのたが、Geminiは読んでいないようだ。もちろん、わたしも読んでいない。
わたしは、この言葉を談志のことを書いた本で知る。
晩年、病のために声のでなくなった立川談志が、声のでないなりに工夫をして、田能久を演じたときがあったという。
体力も回復し、自らの芸にも厳しい談志自身も納得のいく「落語」だったらしい。落語になっていたということか。
そのとき、立川流の顧問が、談志にかけた言葉が、
「重畳の首尾」。
いつか、使ってみたい。