日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成30年前半は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

4128声 さびしさ

2019年03月04日

おじさんの葬儀の挨拶は、妻からの最後の挨拶を除いて、おじさんの娘(僕のいとこ)の旦那が務めた。僕はいとこの旦那さんとはきちんと話したことがないくらい疎遠なのだが、告別式での挨拶で彼は涙で言葉を詰まらせることもあった。彼にとっておじさんは「父」でもあるので、きっと親密な時間があったのだろう。

 

それに比べて、僕はおじさんのうちに顔を出すことは極端になかった。苦手意識はなくむしろ好きだったのに。おじさんの家は渋川だったので、高崎や前橋からの帰りに幾らでも寄れたのに。おじさんの趣味が釣りだということを知っていて「俺にも釣りを教えてくださいよ」と声かけしたいなと何度か思っていたのに。悔いても何も変わらない。

 

おばさんは終始気丈に見えた。帰りの車、「式が終わってからどっとくるのよ」と僕の母。「親父が死んだ時そうだったの?」と僕。昨日今日と、ずっと雨だった。

 

4127声 平成

2019年03月03日

僕が住んでいる地区では、となり組と呼ぶのだろうか。班内での助け合いは今も残っていて、昨夜は年に一度の総会と称した慰労会だった。昨年も使った小さな料理屋で、茶碗蒸しや刺身をつつく。

 

「うちの班は何世帯になったい?」「えーと、◯さんが亡くなったから12だいね」

 

僕はもうじき40歳の大台に乗るんだけど、このメンバーの中ではずっと最年少。親父が亡くなってからの参加なので、2回り3回り上の先輩方と席を囲む。それはそれで嫌いじゃない。けれどふと

 

「若者とまではいかなくても、僕の同年代たちはどこへ行ったんだ?」

 

と思う時がある。この班にも同級生や、集団登校をした子どもたちがいた。そんなことを言う僕だって、生まれ育った場所で生きていこうと決意をしたことはない。たまたまそうなっただけだ。酒がまわってくると、バブリーだった時代の話になり、あそこはあれくらい儲けていた、俺はあんだけ稼いだんだと、平成最後の昔話に花が咲いた。ん、そういえば、それらの話は全て昭和の出来事だ。

 

「おいおい、平成は、どこへ行ったんだ?」

 

4126声 COSMOS

2019年03月02日

群馬の春と言えば、高崎映画祭である。今年はもう33回目の開催。毎年観れても数回なのだけど、映画を観終わってそれを振り返りながらとぼとぼと歩き、高崎公園のまわりを流れる川に桜の花びらが落ちていることに気付く。ふと顔を上げると当然桜の樹が目に入り、「ああ、もう春なんだ」と気付く毎年である。

 

今年、最優秀主演女優賞には『生きているだけで、愛。』の趣里さんが選ばれていた。その映画は未見なのだけれど、彼女は山本政志監督『水の声を聞く』でも独自の凛とした存在感を放っていた。それを観たのもそうだ、高崎映画祭だった。

 

ここ数年、BGM代わりにyoutubeで好きなアーティストの曲を流すことがある。youtubeはおせっかいにも「その曲が好きなら、この曲きっと気に入るよ!」と関連づいたような曲を次々に流してくれる。おかげで僕は、CDこそほとんど買わないまでも、二十歳前後以降パッタリ止まっていた「音楽聴きたい欲」が強くなっている。

 

「おとぎ話」というアーティストのことも何も知らなったが、このプロモーションビデオには目が釘付けになった。監督は今強い注目を浴びる若手女性監督の山戸結希さんで、主演は趣里さん。「一番好きなPVは何?」と聞かれたら、これを挙げるくらい好き。その理由についてはここには書かないが、「日々の中に、ふと音楽が浮かぶ瞬間はあるのか?」ということを一ヶ月やってみようと思う。めっちゃ忙しい予感の3月なので、リンクだけで済ませられる気もするしさ。

 

4125声 桜 super love

2019年03月01日

「入院先で状況が芳しくない」という電話があったのが21時。自宅へ戻り母と姉を車に乗せて病院に向かった。おじさんは、奥さんと娘が見守るなか、酸素吸入器が上下するような大きな呼吸を繰り返し、けれど今は多少状況が落ち着いて眠っているんだよ、ということだった。

 

ベットそばの丸椅子に座り、声かけをするわけにもいかないのでおじさんの顔、薄い布団をまとった胸、細い足、そしてまた顔をまじまじと見つめた。しばらくそうしていた。奥さんに席を譲り、今日のところは僕らは帰ろうと母たちと病院の外へ出た時は0時を回っていた。

 

「君がいないことは 君がいることだな」

 

それは恋人でも、近しい人でも、遠い人でも、ただ離れたのでも、死別したのでも・・・いなくなった人のことは「無」にはならない。知ってしまった、会ってしまった、好意をもった、憎しんだ、からには、私の中にはなにかしらのあなたが残る。今夜のぼくは、何かに抵抗したいと思った。けれどできたことは、ただまじまじと見つめることだけだった。

 

4124声 二月尽

2019年02月28日

二月は終わるのが早い、というのは暦の上の話で、
今年の二月はなんだか長く感じた。
それには、今日の雨による陰鬱な天気も関係していよう。
東京駅構内などを歩いていると、卒業旅行に行くのか帰ってきたのか、
若者が自分よりも大きなチャリーケースの上に腰掛けている姿を良く見かける。
その横にいるのは、「入社前研修」のプラカードを持った人たち。
なんだか街は騒然として、三月になだれ込んでいく。

4123声 小さな救い

2019年02月27日

自律神経が乱れているためか、花粉症の症状が重い。
朦朧と一日を過ごす。
小さな感動に一日が救われることもある。
たとえば、昼飯の漬物がおいしかったとか。

4122声 春の匂い

2019年02月26日

毎年春になると、新しい自転車が欲しくなる。
いわゆるママチャリではなくて、軽くてスポーティな自転車である。
ずいぶん前に、友人から譲ってもらったクロスバイクを乗っていた時期があり、
その軽快な乗り心地やサイクリングロードの風の心地良さを、
桜の咲くころになると、思い出すのかもしれない。
気に入って乗っていたのだが、整備不良による故障が重なり、
引越しの際に手放してしまった。
思い返せば、学生時分も入学の際にはいつも自転車を新調していた。
その時のうれしい気持ち、新しい自転車で町を走る、大げさに言うと、
翼が生えたような、あの心持ち。
そんなことが、春の匂いに思い出される。

4121声 九十六年

2019年02月25日

昨日は、ずいぶん御無沙汰していた句会に参加した。
梅の香る寺や犬や子どもの走り回っている公園を吟行して、句会。
若干の二日酔いによる心の濁りか、なかなか句作に集中できなかった。
そのため、おぼろげな句ばかりできた。
句会の後は、酒席となった。
この句会の最高年齢は九十六歳の御仁である。
自分の足で来て、酒を飲んで、帰る。
もちろん、しっかりと吟行も句会もして。
恐れ入る、と同時に、五七五だけで通じ合えるのだと、
俳句の持つ力に改めて関心してしまう。
蛇足だが、この日の自分の特選はこの御仁の句であった。

4120声 最初で最後の特上

2019年02月24日

昨日は俳句の予選をして、午後から近所の小さな商店街にて買い物にでた。
その中に「小僧寿し」があるのだが、今月一杯で閉店してしまうとの張り紙があった。
麦酒とにぎり寿司で一杯やるという、小さな楽しみがひとつ減ってしまった。
10貫程度のにぎり寿司を買って帰った。
最終日には、まだ食べたことのない、特上のにぎり寿司を買うつもりである。
閉店時間に間に合うだろうか、間に合わせたい。

4119声 こころのかるさ

2019年02月23日

庭に仏の座などが生えてきた。
生えてきた、というよりも蔓延ってきたのほうが正確である。
このまま桜の時期を迎えると、この借家の狭庭が鬱蒼としてしまうので、
あらかた抜いてしまった。
椿の葉は艶めいてきたし、花菖蒲の葉もずいぶん背が高くなってきた。
春の野の花の色は、こころが軽くなる色である。

4118声 ほっこり選

2019年02月22日

よく晴れて、早春の風が心地よい気候であった。
昼に図書館に寄り、古い朝日俳壇の年鑑に目を通した。
星野立子選に、とてもほっこりとした。
選句は、その作家の一面が顕著に現れるので、面白い。

4117声 作者の自立

2019年02月21日

句稿を整理する。
他人の句をみるような心持ちで、ごく客観的に推敲及び取捨選択していく。
それでも、多く残したいので、自然と自選が甘くなる。
先日、「俳句愛好家と俳人の違いはどんなところでしょうか」と聞かれた。
的確に回答できたか、文章にすると恥ずかしいようなことを述べた。
その違いの一つに、やはり自選ができるかどうかがあると思う。
自身の慕う先生に○をつけてもらった句のみ残すという、
選句方法は否定はしないが、そればかりではあまりに自立していないのではないか。
俳人としても創作者としても。

4116声 午後の列車

2019年02月20日

晴れて暖かだった。
雨上がりのためか今期初めて花粉が多いなと、明確に感じた。
旅立ちの季節である。
こんな陽気に海沿いを走る、のんきな午後の列車に揺られていると、
乗り継ぎ乗り継ぎ、知らない町まで行ってみたくなる。
みたくはなるのだが、乗り継ぎ駅で列車を降りると、
ホームの海風はまだ肌寒く、乗り換えて目的地へと向かう。

4115声 再会再開

2019年02月19日

午後から雨。
先日、好きだったバンドの再結成が発表された。
17年ぶりの活動再開となる。
そんな情報をネットニュースで知ったのだが、
思えば、あのころのインターネット世界というのは今と比べて、
牧歌的というのが適当か分からないが、まぁゆったりとしていた。
SNSもミクシィなどが全盛で、無料のブログが流行しはじめていたころ。
音楽の世界も、配信やYOUTUBEはなく、セレブを持ち上げる文化も、
日本にそんなには入ってきていないころ。
そんな時代で止まっていたバンドの名前が、ものすごいスピードで、
今日もPCの向こう側を駆け巡っていた。

4114声 空想の花

2019年02月18日

朝晩はまだまだ寒いが、
日中の日差しはだいぶ暖かくなってきた。
ゆえに、都内の公園などでは昼時に食事している人が多くなってきた。
あとひと月も経てば、ここ等は花見の場所取りの、
ブルーシートで覆わていることであろう。
満開の桜を空想しながら、コンビニにおにぎりをかじっていた。
そんなことを考えつつ風に吹かれていると、鼻水がたらり。
毎年逃れられぬ花粉症の症状が、着実に出てきている。

4113声 辟易

2019年02月17日

昨夜は大部飲んだがどういうわけか、
二日酔いは回避していた。
しかし、重い倦怠感があった。
午前中に昨日の句をすこし推敲したが、
技巧に頼った句ばかりで辟易してしまった。
昼に食べたカップラーメン(「マルちゃん麺づくり担担麺」)が、
美味しくて若干驚く。

4112声 波止場の声

2019年02月16日

句会のため、横浜へ。
午前中に赤レンガ倉庫あたりを吟行した。
ふらふらと波止場に来て、沖に向かって何か叫んでいるおじいさんがいた。
叫んでいる内容は分からなかった。
ときおり聞こえる鴎の声も相まって、低い声に哀愁があった。
近くの会場で午後から句会。
横浜駅の居酒屋で打ち上げとなり、ふらふらと最寄り駅まで帰ってきた。
どうしても立ち飲み屋の紺暖簾に足が向いてしまい、また麦酒。
雑誌などの影響か、休日の立ち飲み屋はカップルが多い。
小学生くらいの女の子を連れている人もあった。
酒場の喧騒の中、ふと、あの沖に向かって叫んでいたおじいさんの声が、
耳に残っている気がした。

4111声 酒場の在りどころ

2019年02月15日

最寄り駅の前に、マクドナルドとケンタッキーフライドチキンがある。
マクドナルドは夜も深い時間というのに、
制服の高校生たちが道にまであふれている。
一方、ケンタッキーは制服の高校生どころか、若者がまばらである。
一番の要因は、後者では生麦酒が飲めるからであろう。
数年前に改装され、ビールの提供を始めたこのケンタッキーの店内はどこか、
暗めの色調で大人っぽい雰囲気。
そういえば、すぐ近くのたこ焼き屋も店内ではアルコールが飲めるので、
夕方以降はスーツの人たちが沢山いる。
そう考えると、アルコールの飲めない飲食店を探すほうが難しいくらい、
駅周辺はどこでも飲めるようになっているのだ。
良いのか悪いのか。
酒はしかるべきところ、すなわち、「酒場」で飲んだほうが良い気がする。


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