昨日できなかったビールの仕込みをする。カカオマスを使ってスタウトの仕込み。前回は発酵中のビールにカカオを漬け込む方法だったが今回は熱い麦汁に溶かすことにした。簡単に溶けたのだがカカオの油が予想以上に浮いている。これが配管を通ると面倒なことになる。最後の30リットル位はバケツにとって一度冷やして油を固めて取り除いてからタンクに移すことにした。それにしてもカカオはこんなに油を含んでるのか。チョコレートがおいしい理由がわかった気がした。
2026年08月05日
昨日できなかったビールの仕込みをする。カカオマスを使ってスタウトの仕込み。前回は発酵中のビールにカカオを漬け込む方法だったが今回は熱い麦汁に溶かすことにした。簡単に溶けたのだがカカオの油が予想以上に浮いている。これが配管を通ると面倒なことになる。最後の30リットル位はバケツにとって一度冷やして油を固めて取り除いてからタンクに移すことにした。それにしてもカカオはこんなに油を含んでるのか。チョコレートがおいしい理由がわかった気がした。
2026年08月04日
数日前から腰に痛みがありだましながら過ごしたが朝になったら痛みが強くなっている。ビールの仕込みの予定だったが急きょ取りやめて安静にしていることにした。そう決め途端にぐっすり寝てしまい二度寝から覚めたのはもう昼近くだった。動けはするので親の様子を見に実家へ。今はほぼベッドで生活の父の部屋のエアコンが急に壊れたらしく大変だったらしい。5月下旬に父が転んで骨折してから実家の状況は一変した。
2026年08月03日
今日からシンコ、シンイカスタート。鮨屋の夏の風物詩。シンコもシンイカも幼魚である。シンコはコハダに、シンイカはスミイカになっていく。幼魚だからといって組成部位は成魚と変わらない。一つ一つが小さいからそれなりに数を仕入れて捌くことになる。時間と手間のかかるネタである。最近近くの焦点が合わなくなってきて困る。仕込みに老眼鏡が必要な年齢になった。老眼鏡はどこで買えばいいのだろうか?
2026年08月02日
午前中は仕込みをして午後から軽井沢へ。軽井沢はいつ以来だろうか。高崎は36℃の猛暑日だが軽井沢の最高気温は29℃だった。せせらぎの湯と軽井沢は裏切らない。軽井沢駅に新しくできた鮨屋で食事をし、電車とバスを乗り継ぎハルニレテラスのトンボの湯へ。緑の木立がそよ風に揺れ敷地内を流れる小川と苔むした足元に呼吸が深くなる。テラス内のワインバーでワインをいただく。おいしいワインだった。ワインがおいしくてまた呼吸が深くなった。
2026年08月01日
8時に目が覚めてベッドの上でぐうたらする。昨日までの税務調査が一段落してようやく少し休んでもいいと思える朝である。振り返れば5月からやることが多くギブアップ寸前だった。普段なら自己容量内で止められるやることリストがあふれ続けて脳神経がショートする瞬間を何度も味わった。きっと虚ろな顔だっただろう。おい、いい歳してもう少しどうにかならないのか!と亡霊のように自分に話しかけるもう一人の自分にも反応すらできなかった。ようやく休んでいい朝が来た。せせらぎの湯に行こうと思う。
2026年07月31日
ホテルをチェックアウトし、最後にもう一度NAVATでカザフ料理を味わう。スーパーでお土産を買い足し、アルマトイ空港から帰国の途についた。
「カザフ」という言葉には、「自由」や「放浪」という意味があるそうだ。その名のとおり、この国には今も遊牧民(Nomad)の気質が色濃く残っているように感じた。人との距離感が心地よく、変な圧がない。
世界的な観光地が次々とある国ではない。しかし、その分「今日は何もしなくてもいい」と思わせてくれる、おおらかな時間が流れている。夜11時を過ぎても公園では子どもたちが遊び、大人たちは思い思いにくつろいでいる。それを不安なく眺めていられるほど治安も良かった。
近未来都市アスタナ、天山山脈の麓に広がるアルマトイ、雄大な自然、そして穏やかな人々。日本ではまだあまり知られていない国だが、相性が良く心地よい国であった。また訪れたい。
2026年07月30日
午前中はホテルのプールでのんびり過ごし、午後からパンフィロフ公園、ゼンコフ大聖堂、ツェリニー現代文化センター、美術館を巡る。夕方はコクトベへ上り、天山山脈を背に広がるアルマトイの街並みと夜景を眺めながら、Abayレストランで夕食を楽しんだ。
ホテル前の公園を歩いていると、鳥の鳴き声を驚くほど上手に再現する笛を売るおばさんがいた。「これがあれば鳥と話せるかね」と笑いながらホテルへ戻ったものの、娘はどこか浮かない顔。どうやら、あの笛が欲しかったらしい。
時計は夜10時を過ぎていたが、もう一度公園へ戻ることにした。おばさんはまだ同じ場所で笛を吹いていた。娘が笛を買うと、おばさんと鳥の鳴き声を鳴らし合い、しばらく二人で楽しそうに”セッション”。最後には「プレゼント」と言って、鳥の形をしたかわいらしい笛をもう一つ持たせてくれた。旅の最後にお土産が一つ増えた。
2026年07月29日
朝のコルサイ湖は息をのむほど静かだった。深い緑色の湖面と山々を眺めながら、ガイドがカザフスタンについていろいろと教えてくれた。
アルマトイは「リンゴの街」という意味で、この地域はリンゴの原産地とされていること。イリ・アラタウやコクトベ、コクペクなど、何げなく聞いていた地名にも、それぞれカザフ語の意味があること。ソ連時代はロシア語が中心だったが、若い世代はカザフ語を大切にしていること。そしてロシアや中国という大国に囲まれながらも、どちらにも偏らず巧みに外交のバランスを保っていること。
歴史や文化だけでなく、自身の暮らしや家族の話も交えながら語ってくれた。その穏やかな人柄も含め、この旅で出会った一番の「観光資源」は彼だったのかもしれない。二日間、家族のように接してくれたガイドに感謝しながら別れを告げた。
2026年07月28日
今日から一泊二日のプライベートツアー。アルマトイを早朝に出発し、まずはチャリン渓谷へ向かう。長い年月をかけて大地が削られてできた奇岩群は、写真で見るよりはるかに雄大で、自然のスケールに圧倒された。
午後は山道を進み、湖の中から木々が伸びる神秘的なカインディ湖へ。透き通る湖面と立ち枯れた木々が織りなす景色は、まるで絵画のようだった。途中、川辺で昼食をとり、冷えたスイカを頬張る。娘も自然の中を駆け回り、街では見られない表情を見せていた。
夜はサティ村に宿泊。窓の外には静かな山々が広がり、久しぶりに時計を気にしない時間を過ごした
2026年07月27日
今回の旅の大きな目的の一つが、今年4月にアジアで2番目に開所したTUMO Astanaへの表敬訪問である。場所はアスタナ万博のシンボルでもある球体建築「Nur Alem」の中。14のワークショップルームを備え、近未来的な「Tumobile」も導入された、TUMOらしい遊び心あふれる空間だった。
スタッフの皆さんにも温かく迎えていただき、運営やプログラムについて有意義な意見交換を行う。開所から数か月とは思えないほどスムーズな運営に感心した。娘にも施設内のピアノを弾かせていただき、プレゼントまでいただいた。
群馬に続き、アスタナでも子どもたちが夢中になって学ぶ姿を見て、TUMOという教育モデルが世界へ広がっていることを実感した。
2026年07月26日
国立博物館、独立広場、カザフ・エリ記念碑、平和と和解の宮殿、そしてアスタナ・グランドモスクを巡る。どの建物も壮大で、この国が独立後に築いてきた歩みを象徴しているようだった。
しかし、博物館や記念碑を巡って、その印象は大きく変わった。
カザフスタンは1991年、ソ連崩壊とともに独立。そして1997年、それまで南部のアルマトイにあった首都を、ロシア国境に近いアスタナへ約1,000km遷都。
その狙いは、北部を含めた国土の一体化と、「ここがカザフスタンの国土であり、国家である」という意思を内外に示すことだった。
ガ首都がアルマトイからアスタナへ移された理由や、独立後の国家建設について話を聞く。単に新しい街を造ったのではなく、この国の未来そのものを設計した都市なのだということがよく分かった。観光地を巡るだけでは見えない背景を知ると、街の印象も大きく変わる。
2026年07月25日
朝、国内線で首都アスタナへ向かう。草原の中に突然現れる近未来感あふれる高層ビル群。黒川紀章がイチから街のデザインをしたらしい。ホテルに荷物を置き、バイテレクタワーやEXPO地区を散策。巨大な球体施設「Nur Alem」をはじめ、街全体が未来都市のようだ。オイルマネーによる巨大な社会実験か。
夕食はSAXAULというカザフ料理の有名店へ。馬肉をほろほろになるまで炊き上げたベシュバルマクが絶品。カザフ産の赤ワインが期待を裏切り美味しい。食後はレストラン前の公園へ。娘は遊具を見つけると夢中になって走り回り、帰ろうと言っても聞かない。未来都市でも、子どもの一番の目的地はやっぱり公園だった。
2026年07月24日
早朝に仁川空港へ到着。アルマトイ行きの便まで14時間近くあるため、空港近くのパラダイスシティへ向かった。韓国料理で昼食をとり、娘は大好きな「ティニピン」の企画展へ。長い待ち時間も、子どもにとっては遊び時間だ。
夕方、アシアナ航空でアルマトイへ。ようやく中央アジアの大地が見えてきた。乾いた空気と広い空、日本とはまったく違う景色に「遠くまで来たな」と実感する。ホテルへ着く頃にはすっかり夜。移動だけで一日が終わったが、旅の高揚感は十分だった。
2026年07月23日
いよいよ今晩、家族でカザフスタンへ向けて出発する。まずは深夜0時30分発の便で仁川へ向かい、そこからアルマトイへ。何か月も前から計画し、ようやく迎えた出発の日だ。
とはいえ、今日は朝から打ち合わせが続き、結局時間休も取れなかった。仕事を終えると娘を迎えに行き、そのままピアノ教室へ。帰宅後はお風呂に入れ、慌ただしく荷物を詰め込み、どこかで夕食を済ませて羽田空港へ向かう。出発当日になっても、まだスーツケースは開いたままだ。
この瞬間は旅情よりも「間に合うか」という気持ちの方が大きい。旅は飛行機が滑走路を離れた瞬間から始まるのだろう。
2026年07月22日
今日は朝から打ち合わせが続き、気づけば5本の会議を終えてようやく帰路へ。外に出ると40度近い猛暑で、吹いてくる風まで熱く、立っているだけで体力を奪われる。今年の暑さは、冗談抜きで危険なレベルだと感じる。
帰宅前に、今週末からのカザフスタン旅行に向けてTシャツやアメニティーを買い足した。最近は腰の痛みも気になり、長時間フライトに備えて簡易コルセットも購入。荷物は少しずつ整ってきたが、まずは腰が最後まで持ってくれることを願う。
2026年07月21日
今日は国内唯一の空飛ぶクルマメーカーと打ち合わせ。何年も前から注目していた会社だけに、聞きたいことが次々と浮かび、あっという間の1時間だった。最後には8月に山口県で行われるデモフライトイベントにも招待いただき、今から楽しみだ。
午後は来月開催するピッチイベントの事前説明会。オンラインにもかかわらず約50社が参加し、事業概要を説明した。夕方は娘を迎え、公文へ。その帰り道、突然バケツをひっくり返したような夕立に見舞われた。傘もささず、自転車の後ろに幼い子どもを乗せて懸命に走る若いお母さんが通り過ぎて行った。
2026年07月20日
いよいよピアノ発表会当日。午前中に何とか2回練習を終え、会場のある富岡へ向かった。一番乗りだったので、ピアノがよく見える最前列に座る。出演者は未就学児から高校生まで。娘は一番小さいくらいで、出番は2番目。会場が暗くなり、オープニングの音楽が流れ始めると、大人でも緊張するような空気に包まれた。
ところが、名前を呼ばれても娘は出てこない。いつもの人見知りと恥ずかしがり屋が始まったのだろうと、妻と顔を見合わせて肩をすくめる。進行が変更され、一人後の順番に。それでも出てこられるだろうかと心配していると、少し緊張した表情で、はにかむように娘が歩いてきた。
演奏は少し自信なさそうで、何度か弾き直す場面もあった。それでも最後まで2曲を弾き切り、大きな拍手を受けてステージを降りてきた。帰りの車では、安心したようにぐっすり眠っていた。よく頑張りました。おつかれさま。
2026年07月19日
今日は妻が仕事。明日のピアノ発表会に向けて練習をしてほしいが、娘は「練習したら何かいいことあるの?」と、さっそく交渉開始。結局、「練習したらテレビを一つ見ていい」という条件で、なんとか鍵盤に向かわせた。まだ間違えるところはいくつか残っているのに、本人は「早く明日にならないかな」といたって前向き。その自信はどこから来るのか。親のほうが落ち着かない前日だった。