日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、抜井です。この5人が月替わりで担当しています。令和3年2月(坂)3月(抜)、令和4年度は4月(岡)5月(す)6月(堀)7月(坂)8月(抜)9月(岡)10月(す)11月(堀)12月(坂)1月(抜)2月(岡)3月(す)の順です。

5190声 夏氷

2022年07月25日

本日、7月25日は、(725 な・つ・ご)で「夏氷」、ということで「かき氷の日」だそうです。

 

 

匙なめて童たのしも夏氷  山口誓子

 

 

角川の歳時記には、「氷水)の傍題として、「かき氷」「夏氷」などが載っている。夏氷の句でも考えて、この暑さを乗り切りたい。

5189声 芥川龍之介と羊羹、シャリ系羊羹

2022年07月24日

先日、芥川賞が発表になりましたね。(おとといかな?)

 

 

芥川龍之介仏大暑かな  久保田万太郎

 

 

さて、昨日は、羊羹の歴史みたいなことを書いてたら、肝心の小城羊羹のについて書くことができなかった。

 

切ようかん、昔ようかん、断ちようかんと呼ばれる羊羹は、表面がシャリシャリしている。これは、羊羹に含まれる水分をなるべく少なくし、日持ちすることを狙っているため、表面が糖化するためだ。

 

わたしが密かに「シャリ系」と呼ぶこれらの羊羹は、全国に点在するが、なぜか小城にある羊羹屋にはほぼある。「小城羊羹」と検索すれば、上位には必ず、シャリ系がならぶ。

現在は、包装技術(パッケージ技術)の発達のおかげで、表面を糖化させなくても日持ちさせることができるようになった。すると、わざわざ表面を糖化させ、シャリシャリさせることなく日持ちがし、現代人の好みの柔らかさをもキープできる練羊羹のアルミパッケージが発明されていて、市場を席巻した。しかし、小城ではなぜか昔ながらの羊羹をつくり続けているところが多い。

 

 

シャリ系の羊羹は、つくるのが面倒くさい。しかもアルミパッケージに比べると日持ちがしないなどの弱点がある。しかしながら、羊羹通の間では、シャリ系こそ羊羹という、共通認識があり、シャリ系の羊羹をみると、笑顔なる人を何人か知っている。そんな羊羹だ。

 

このシャリ系の羊羹、小城羊羹は、実は酒のあてとしても優秀である。好みにもよるので、ゴリ押しはできないが、甘党兼左党の人は試してほしい。ナチュールのワインのさっぱりしたものやシンキチ醸造所のビールには合うものが多いとおもう。

 

 

ところで、芥川龍之介は、甘党でした。隅田川の流れを羊羹に例えるくらい、甘いものが好きでした。この羊羹は、時代的にシャリ系だろう推察される。

 

本日、7月24日は、芥川龍之介の命日、俳句の世界では河童忌ともいう。

 

冒頭の万太郎の句、大胆でいいですね。

芥川龍之介と久保田万太郎は句仲間(連衆)でした。

5188声 羊羹界のベルギー小城

2022年07月23日

昨日は、ほとんど羊羹のことを書いていないことに気づいた。小城は、羊羹界のベルギーである、ということしか言っていない。まあ、それが1番言いたかったことなのでいいんだけど。

 

「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざがある。羹は、野菜や肉を熱く煮たお吸い物だ。羊羹とは、もともと中国における羊の羹だった。日本には禅宗文化とともに渡来して、仏教の教えからだろうか、羊そのものではなく、小豆を羊の肝の形につくって蒸し、汁に入れて供された。後に、蒸し物のまま菓子として供されるようになったのが、蒸し羊羹の始まり。砂糖を加えた餡に寒天をまぜて煮詰めた練羊羹は、江戸時代につくられた。日持ちのしない蒸羊羹をなんとか日持ちするものにできないか、何代にもわたって研究されたらしい。

 

今では、真空パックなどの包装技術の発達により、かなり日持ちのいい羊羹であるが、練羊羹は日持ちさせるための工夫の結果であるので、これらの包装技術が発達する以前においても、かなり日持ちのする画期的なお菓子であった。

 

蒸し羊羹は製造過程で加水するのに対して、練羊羹は炊くことで水分を飛ばすことによるものらしい。ようするに水分のコントロールの話しらしいが、練羊羹は素晴らしい発明だった。

 

現在の日本は、様々なスイーツで溢れているので、羊羹は目立たない存在となってしまっているが、大抵の和菓子屋さんは羊羹を扱っているし、「スポーツようかん」なるものもあって、マラソンやサイクリング、登山をする人にも馴染みの食材となっている。

 

 

 

こんなことを言っておきながら、わたしはベルギーにも小城にも行ったことがないので、いつかは行きたいと考えている。

はやく、コロナに気をつかうことなく、旅が楽しめるようになることを願う。

5187声 ベルギーとビール、小城と羊羹

2022年07月22日

2月に鶴のひとこえを担当したとき、藤井聡太五冠やロコ・ソラーレ(カーリング女子日本代表)の吉田知那美選手にかこつけて羊羹(ようかん)のことをここに書いていたが、もう少し書きたいとおもう。

 

その前にちょっとだけ、ベルギービールについて書きたい。

ビール好きの世界においてベルギーは特別な国だ。

日本の九州ほどの国土に140もの醸造所が散らばり、800以上の銘柄があるという。

日本の面積にあてはめると、1600以上の醸造所があるような密度だ。

昨今のクラフトビールブームで、日本にも今では500を超える醸造所が、群馬にも13の醸造所があるというが、まだまだかなわない。伝統をも加味すると驚異的である。トラピスト系、ランビック系などその多彩さは、クラフトビールの先駆けといってもよいだろう。ビールごとにグラスがあるのもベルギービールの特色だ。

 

 

ビール好きが多いであろう「鶴のひとこえ」の読者?のために、ビールの話からはじめたが、実は、わたしが密かに、『羊羹界のベルギー』と呼んでいるのが、小城市(おぎし)だ。

 

 

小城市は、佐賀県にある人口5万人ほどの都市だ。そこに羊羹屋が20軒ほど存在する。人口37万人の高崎市に、140軒の羊羹屋があるような密度だ。

 

その数の多さは、ビール界におけるベルギーに似ている(と密かにおもっている)。

 

 

ビールではピルスナー、羊羹では「とらや」という圧倒シェアと知名度を誇る存在があるところも、似てる。井村屋もあるか。井村屋ととらやの売上げやシェアまで調べはついていないけど。よく考えれば、「とらや」とか「井村屋」は、キリンとかアサヒということなので、ちょっと違う気もする。でも、雰囲気は伝わるとおもうので、勘弁していただこう。

 

繰り返しになってしまうが、要するに

「小城は、羊羹界のベルギーである」ということが言いたいのだ。

5186声 盆栽と人生2

2022年07月21日

本日の東京は新規感染者が三万人超とのこと。第7波のようで、わさわさしはじめましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

 

わたしは、第7といわれると、金沢の第七ギョーザを懐かしく思い出してしまい、あぁ、第七ギョーザを食べて体力をつけ、第7派を無事に乗り切りたい、などと思考してしまう。なので、あまり「第7」と騒がないでほしい。第七ギョーザが食べたくなってしまうので。

 

 

さて、昨日の盆栽の話の続きです。

盆栽美術館に行ったのは、2017年だから平成29年の11月のことだった。

Googleフォトで、検索したら出てきた。すごいというか、すこし恐ろしい気もするが、まめに日記をつけるような人間ではないので、自分の行動記録を振り返るときには欠かせないツールになっている。

さて、当時の写真と記憶から、これは大宮において開かれた『東日本 美食が集う ガラディナー』にお誘いいただき大宮を訪ねた折のことだと判明した。

 

(ガラディナーには2度ほど出席させていただいたが、チャンスがあればまた参加したい。というか高崎でもガラディナーを開催したい。ガラディナーについてはまた機会があれば書きたい。)

 

 

大宮になぜ盆栽美術館ができたのか。それは、大宮盆栽村があるからで、一時期は30を超える盆栽園が存在していたらしい。

関東大震災において、東京で被災した盆栽業者が移住したのが、盆栽村の始まり。

1925年のこと。もうすぐ100年だ。

開村当時の盆栽村に住む者の規約というのがあって、それは、

一、盆栽を10鉢以上持つこと、

ニ、門戸を開放すること、

三、二階建ては建てないこと

四、垣は生け垣とすること

の4つ。この規約は、盆栽村の落ち着いた景観に生きているという。

 

社会人になりたてのころ、先輩の助言を聞いていたなら、今ごろ大宮盆栽村に住んでいたかもしれない。

5185声 盆栽と人生

2022年07月20日

ここに来て新型コロナウイルスの感染者が過去最高を更新している。芥川賞と直木賞の発表も、大谷翔平のオールスター出場も後回し。ウクライナのことはずっとあとになってしまった。戦争は終わっていないのだとおもうのだが・・・。

 

 

さて、今日気がついたのだが、春先にもらってきたタイムが枯れかかっている。せっかく根づいたとおもったのに。

雨のかかりにくいところに植えたのが良くなかったのか、猛暑にやられたのか、また毎日水をやらなくてはならない。

 

 

社会人になりたてのころ、同じ職場の同僚?に再雇用の人が4人いた。みな第一線を退いた気楽さからと、それなりの立場を経験してきた実績から、新人であるわたしに様々な助言をしてくれた。

 

 

そのなかで、今振り返ってみて、一つだけ後悔しているものがある。助言を素直に実践してしていれば、違う人生があったかもしれないな、とおもうものだ。

 

 

 

それは、「盆栽」である。(仕事のことじゃないんかい!!)

 

 

「今から盆栽をはじめれば、二十年後、いいぞー」というようなことをいわれた。何鉢かくれるともいわれた。

 

「いやいや、丈夫なタイムですら枯らしてしまうような者ですから」と今のわたしでも答えていまいそうだが、なんと答えたのか・・・。水やりの心配の話もした憶えがある。

 

 

しかし、彼らの一人はこうわたしにいった。

「20鉢もあれば、水やりを忘れることはない」

 

 

ごもっとも。

 

 

しかし、若かったというか、盆栽について無知であったわたしは、盆栽をはじめなかった。

 

 

それから二十年後、大宮にある盆栽美術館に行く機会があった。小さな盆の中に、大自然を閉じ込める、盛り付ける技に感嘆した。そして、盆栽の中でも、松柏と呼ばれるものは、年月がものをいう世界であることを知った。いや、年月の大切さは二十年前から知ってはいたのだが。

 

 

クールジャパンというと死語になりつつあるが、盆栽は、その中でもかなり優秀なコンテンツで、欧米では若者が夢中になっているのだそうだ。高崎市と姉妹都市であるチェコのプルゼニには、なんと3軒の盆栽屋があるそうだ。

 

 

盆栽美術館で聞いた話では、EUには検疫の関係で土が持ち込めないのだそうだけど、土を使わなくてもよい方法ーーたしか、水苔で根を覆うと言っていたーーでバンバン輸出しているとのこと。

 

 

二十年前、盆栽をはじめていたら、今ごろ、ヨーロッパのどこかで、盆栽を売っていたかもしれない。

5184声 高校野球からのウクライナ

2022年07月19日

最近、週に2回はランチで行く蕎麦屋には、テレビがあって、いつもワイドショーが流れている。

本日もいつものよう縄暖簾を分けてくぐるように店内入ると、ワイドショーではなくて、高校野球の中継が流れていた。夏の高校野球の群馬県予選で、城南球場からの中継だった。そんな季節だった。

高校野球から関心がなくなってからどのくらい経つだろうか。

新型コロナの感染も関係なく、かなり以前から、高校野球もプロ野球もほぼ関心がなくなってしまった。

そんな野球無関心人間にも、大谷翔平選手?投手?のニュースは入ってくる。二刀流としての活躍は驚異的だとおもう。

関心がないといえば、フィギュアスケートも同じで、羽生結弦選手の演技を追いかけて観ることはないが、五輪二連覇の滑りは目にしている。今日、競技を引退することを表明した情報も目に入ってきた。

大谷翔平選手や羽生結弦選手は、それぞれ野球界やフィギュア界といった一競技の世界にとどまらない物凄い選手、人物であるためなのだろう。

わたしのような無関心な人間にも響く、届くということが、どんなことなのかを分析してみると、低迷している選挙の投票率の向上のヒントが掴めるかもしれない。

 

一方で、このごろ、ロシアのウクライナ軍事侵攻のニュースが減ったようにおもう。わたしの関心がなくなったためそう感じるのか、実際のニュースの量が減っているのかまでは分析していないが、以前のような頻度では、ゼレンスキー大統領もプーチン大統領も見なくなった。軍事侵攻の影響による物価高は続いているのに、その原因への関心が薄くなるのはどうしてなのか。物価高は身に迫ってくるが、ミサイルや銃弾、避難民は、遠くの国の話だからなのか。

5183声 瓜番と瓜小屋と瓜盗人

2022年07月18日

瓜小屋や筵屏風に二タ間あり   村上鬼城

 

 

昨日に引き続いて、瓜小屋の句だ。

数ある季語、季題のなかには、死語になりつつあるものも少なくない。瓜番もその一つだ。瓜番や瓜守が詰める番小屋が瓜小屋。瓜盗人から瓜を守るのが瓜番の役目だ。

瓜番はもはや死語となりつつあるが、群馬の果樹園が桃や梨が盗難にあったというニュースを見聞するので、桃番や梨番が歳時記に載るかもしれない。山梨県では、18,000個もの桃が盗まれたらしい。群馬では、養豚場から豚が盗まれたというニュースもあった。そうすれば豚番も必要ということとなる。でも今どきは、監視カメラをはじめとする機械警備が「番」となりそうなので、季語として採用されるのは難しいかもしれない。そもそも豚の場合、いつの季語としてよいのか分からない。

 

 

さて、冒頭の鬼城による瓜小屋の句に戻ろう。

筵(むしろ)を屏風に見立て仕切とし、瓜小屋の空間を2つに分けて使っている様子を詠んだものだ。

 

 

決して広くない見張り小屋の中を二間(ふたま)に分けて使っている。

 

 

〈月さして一ト間の家てありにけり  鬼城〉

 

 

一間の家でも、月がさせばそこに趣を感じる鬼城にとって、もっと狭いであろう瓜小屋を二間にして使っている様子は、詩心をくすぐられるに充分だっただろう。

 

 

瓜番つながりであと一句紹介したい。

 

 

〈先生が瓜盗人でおはせしか  高浜虚子〉

 

 

なんだか悲しい場面だが、虚子の俳句では結構好きな俳句だ。一番好きかも。

5182声 瓜小屋と伊勢物語

2022年07月17日

瓜小屋に伊勢物語哀れかな   鬼城

 

一昨日から、村上鬼城の俳句を紹介している。

 

この「日刊鶴のひとこえ」は、めっかった群馬というサイトにあって、群馬にまつわるあらゆる物事を紹介してゆく、とあるので、群馬が誇る俳人である村上鬼城の俳句を紹介しようとおもった次第だ。

 

じつは、もうひとつ動機がある。

2月のここで、『365日入門シリーズ 万太郎の一句』から久保田万太郎の句を紹介したことがあるが、『鬼城の一句』が読みたくて探したけど見つからない。だれも書いていないのだ。

ならば、自分でつくるしかない、となった。

まず、365句選ばなくてはならない。

鬼城には佳句が多いので数のうえでは困ることはないのだが、一年365日のその日にふさわしい句を当てはめるとなると、結構しんどい。

例えば、元日。例えば立秋。

特定の日に佳句が、重なると、選に迷う。

 

さらに、その一句一句に、評をつけなくてはいけない。ちゃんと俳句をはじめて3年にならない身では、たいしたことが書けない。

 

ということで、少しずつ書きためようとおもい、機会があれば、ここでも紹介して、推敲をしていこうとおもいたった。

 

そして、7月17日に選んだ一句が、冒頭の句だ。

 

この句は、ホトトギスの巻頭を飾った中の一句なのだが、どのように解釈してよいものか。

 

まずは、哀れについて。

鬼城は、「哀れ」を含めて、「あはれ」を多用した。

〈美しきほど哀れなり離れ鴛〉

〈鷹のつらきびしく老いて哀れなり〉

〈痩馬のあはれ機嫌や秋高し〉

 

鬼城が、何にあわれを感じるか、どういったことにしみじみとした趣を感じるかは、この三句から伺えそうなのだが、冒頭の句からは難しい。

 

 

次は、瓜小屋。

瓜小屋は、瓜を見張る瓜番が使う小屋。

瓜は、今のようにスイーツの豊富ではなかった時代には、夏の人気の甘味であり、水分の補給源として貴重だった。スイカの祖先のようなものだ。

豊臣秀吉は、名護屋において開催した瓜畑遊びで、自ら瓜売に扮した。瓜は瓜売が活躍できるほど一般的な甘味、夏の味覚だった。

なので、瓜畑には、見張りが必要である。瓜盗人から瓜を守るために番をするのが、瓜番で、瓜番が詰めるのが、瓜小屋だ。

 

その瓜小屋に、伊勢物語の取り合わせが、難しい。

伊勢物語は、「むかし、をとこありけり」の伊勢物語だ。在原業平がモデルというくらいの情報しかない。

 

瓜番が、見張りの合間に読む伊勢物語が、瓜小屋にあったのだろうか。もう少し深読みが必要である。

5181声 ハエたたき

2022年07月16日

草の戸や二本さしたる蠅たゝき   村上鬼城

 

わたしが子どものころは、どこの家にもハエたたきがあった。わたしが育った家にも二本くらいはあったとおもう。

 

今どきはどうなのかちょっとググってみると、基本的なものから、伸縮するもの、天井に対応したもの、さらには電撃タイプのものまである。

 

鬼城が現代に生きていたら、どんなハエたたきを使っただろうか。

 

草の戸の家では、ハエたたきが欠かせなかった。

 

武家の末裔として生まれた鬼城だったが、時代が変わり、武士の世は終わり、自ら草庵とよぶような草の戸の家に暮らす身となった。

 

しかし、武士の魂、二本差の心持ち、気概は失われてはいない。

ただ、草の戸の家にあるのは、刀ではなく、ハエたたきなのだが。

5180声 夏の月

2022年07月15日

 

少し前、連句をやっていた時期がある。
連句をすることを『歌仙を巻く』というので、その言い方にならうと、七巻きほどした。

先日、一緒に巻いていた連衆のひとりKさんと、また巻きたいね、ということで、また少し連句熱が高まってきた。

 

連句には式目といわれる決まりがあって、わりとめんどくさい。その中に月の定座といわれる、必ず月を詠まなくては行けない箇所というのがある。

順番がまわってきた中で、その季節の月を詠む。ちなみに、連句の中では、季節も変わっていく。なのでその季節にあった月を詠むことになる。夏なら「夏の月」だ。

連句(歌仙)の話は、改めてするとして、夏の月でわたしが好きな俳句は、村上鬼城の次の句だ。

 

 

麦飯になにも申さじ夏の月   鬼城

 

 

麦飯が貧しさの象徴たり得たのはいつまでだったろうか。今では、健康に気をつかうセレブの食べ物だ。鬼城が現代を生きていたならどんな夏の月の句を詠んだだろうか。

 

麦とろになんも言えねえ夏の月

5179声 Evernoteと殿様ケンちゃん俳句手帳とツバメノート

2022年07月14日

平成25年の末に都々逸というもの知り、平成26年の1月にこっそりと都々逸をつくりはじめた。そして、2月から柳家紫文師匠を高崎に迎え、上州どどいつ部をはじめたのだが、その話は、いつかまとめたい。

 

都々逸をつくりはじめたとき、既にスマホを使っていた。なので、自然とスマホで都々逸をつくることとなる。アプリは、GooglekeepとEvernoteを試し、ほどなくEvernoteに落ち着き、気がつけば有料ユーザーとなり、今、この『鶴のひとこえ』の下書きもEvernoteで書いている。

 

俳句をそれなりにちゃんとはじめたのは、令和元年の10月、『若竹』の主宰加古宗也先生に誘われてからなので、当然俳句もEvernoteでつくった。

 

Evernoteは、その名の通り過去の記録がすべて検索できるので、ちょっと検索してみたら、平成27年くらいから、都々逸のあいまに俳句もつくっていたことがわかった。ただし、そのほとんどが自由律だった。なので、有季定型の俳句をつくりはじめたのは、やはり令和元年からだ。

 

 

その令和元年、俳句をはじめたとき、もうひとつの道具を導入した。紙のノートだ。俳句に便利なノートを探したところ、『殿様ケンちゃん俳句手帳』なるものを見つけ、購入。なかなか使いがってがよく気に入っていたのだが、表紙が黒のものが手に入らなくなり、11冊で終了。ツバメノートの縦罫線のA6判ノートに乗り換えた。

 

 

スマホだとどうしても横書きになってしまうので、縦書きしたくて、紙のノートを導入したのだが、投句の下書きとしても都合が良くて、このスタイルが定着している。今後、Evernoteが縦書きに対応したり、もっと画期的でサクサク縦書きできる俳句アプリなどができれば、句作のスタイルは変わるかもしれないが、しばらくは、Evernoteとツバメノートを道具として、俳句をつくっていきたいとおもう。

5178声 きれいな茶色

2022年07月13日

 

今朝、職場の玄関にゴキブリが潰れていた。

 

夏井いつきさんが紹介していた俳句を思い出した。

 

〈ゴキブリでなければ美しい茶色〉

 

ゴキブリであっても、きれいな茶色だとおもった。

 

ゴキブリであつても美しい茶色

 

 

先日、灯り屋のカウンターに置かれていた恵比寿麦酒の小瓶が、厨の灯を透かしてきれいな、明るい茶色だったのを思い出した。

5177声 今様とダンスミュージック

2022年07月12日

 

  • 歴史上の有名人で、権力者であるにもかかわらず、名言の少ない人物である源頼朝の唯一と言ってもいいと名言が、後白河法皇を評した「日本第一之大天狗」と言う言葉だ。

 

 

頼朝に大天狗呼ばわりされた後白河法皇だが、日本歌謡史に『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の編纂者として巨大な足跡を残したことは、昨日書いた。

 

梁塵秘抄は、当時の京都で大流行した今様を集めた歌集だ。今でいうオリコンの上位の曲の歌詞集をつくったみたいなものだ。残念ながら、歌いぶり、節回しといったリズムやメロディまでは記録されていない。だから、大河ドラマの今様のシーンは歌詞以外は想像のものだ。

 

義経の愛妾の静御前は、今様を舞う白拍子だった。

頼朝と義経が不和になり、捕らえられて、鎌倉に送られた後、鶴岡八幡宮において、頼朝夫妻の面前であるにもかかわらず、反逆者義経を恋い慕う歌を歌い、舞ったことは有名。『鎌倉殿の13人』でも、石橋静可が演じる静御前が毅然と舞う場面は印象的だった。

 

今様は、うたいながら舞う。これはまさに、ダンスミュージックということだ。最近流行る曲は、ほぼダンスミュージックだが、今様はその先駆的存在と言ってもいいとおもう。

 

 

そんな今様の記録である梁塵秘抄は、存在を知られながらも長いことう失われていて、発見されたのは明治44年、大正元年八月に編集刊行された。

 

 

仏の慈悲の光をうたった梁塵秘抄の詩篇は、当時の文芸芸術界に大きな影響を与えた。

 

 

北原白秋、斎藤茂吉、山村暮鳥、芥川龍之介・・・

このひとたち、ダンスまでしたのかは調べがついていないが。

 

 

最後に、昨日紹介した

「仏は常にいませども・・・

 

くらい有名で、わたしの好きな今様を紹介したい。

 

 

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんと生まれけん

遊ぶ子どもの声聞けば

わが身さへこそ揺るがるれ

5176声 まつりごと今むかし

2022年07月11日

昨日は、選挙のため、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映はなかったらしい。毎週録画予約してあるので、本日見ようとおもったら、選挙の特集の一部が録画されていた。現代の政治、まつりごとも大切だとはおもうが、鎌倉時代のまつりごとが気になる。

 

 

前回の『鎌倉殿の13人』では、ついに大泉洋演じる源頼朝が亡くなった。絶対的権力を振るってきた頼朝がいなくなったあとのまつりごとをいかにしてやっていくのか。

『鎌倉殿の13人』は、ここからがいよいよ本番だそうで、脚本の三谷幸喜氏は、総集編では、大泉洋全カットもあり得ると言っていた。楽しみだ。

 

 

大泉洋の源頼朝が全カットなら、西田敏行が演じた後白河法皇は、頼朝より先に亡くなっているのでこちらも全カットされてしまうことになってしまうだろう。

 

 

「乱世をかき乱すだけかき乱し、日本一の大天狗と言われた後白河法皇が、死んだ」

長澤まさみのナレーションもさっぱりしているというか、そんなんなん?という感じ。まあ、主人公じゃないから仕方ない。

 

 

そんな後白河法皇だが、日本の文学史というか、歌謡史?には『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の編纂者として巨大な足跡を残している。平安時代の末期、流行した「今様」を体系だててまとめたものだ。残念ながらほんの一部しか残っていないが、それでも500を超える歌の記録が現存している。

 

 

後白河法皇は陰謀、政略と同じくらい、今様に夢中になった。

 

 

「今様」とは、「今めかし」と同義で、現代的だ、当世風だ、目新しいといった意味。なので、「今様」は、当時の流行歌ということである。今様は歌だけでなく、歌にあわせて舞踊った。

 

 

 

仏は常にいませども

現(うつつ)ならぬぞあはれなる

人の音せぬ暁(あかつき)に

ほのかに夢に見えたまふ

 

 

 

これは、もっとも有名なもの のひとつだが、ちょっと長くなってしまったので、続きは明日書きたい。

5175声 選挙

2022年07月10日

本日は、参議院議員選挙だった。

 

投票所の事務は、なかなかの長丁場なのと、間違いがゆるされない仕事ということで、かなり気をつかうため、結構疲れる。

 

 

民主主義の根幹をなす選挙だがもう少し合理化できないものか。エストニアほどまででなくてもいいので、真剣に議論してほしいとおもう。

 

 

ちなみに、エストニアの選挙は、インターネット投票が可能である。しかも、自身の投票内容が確認でき、しかも、「何度でも」投票可能であり、再投票した内容で上書きされたりもする。

 

 

ここまでしなくても、できる合理化はいくつもおもいつくが、今の様子では、まあやらないか。

5174声 鷗外忌

2022年07月09日

今日の午前中は、明日の投票所事務の準備に行ってきた。みなの手際がいいので、予定よりかなりはやく、1時間ちょっとで終了。明日の長丁場に備え、本日はゆっくりしたい。

 

 

さて、ニュースは安倍元首相銃撃事件のことばかりだが、今なにも書けそうにないので、俳句のことでも。

 

 

7月9日は、鷗外忌。

今年は、森鷗外没からちょうど100年だ。

記念の催しも開かれているらしい。

 

わたしの持っている歳時記には鷗外忌は載っていないが、鷗外を詠んだ句が2つあった。

 

 

鷗外も茂吉も紙魚に食はれけり  藤田湘子

鷗外の生家北向き実南天     松崎鉄之介

 

紙魚(しみ)は、本の紙や服を食う虫で、夏の季語。

南天の実は、秋の季語。

 

鷗外のおかげで、紙魚という季語を知ることができた。

紙魚は夏の季語でもあるし、せっかくなので、本日は紙魚で句をつくろうとおもう。鷗外忌でも詠めるかなー?

5173声 民主主義と山車

2022年07月08日

安倍元首相が奈良において、参院選の応援演説中に銃撃され、帰らぬ人となった。明日には高崎にも来る予定があったらしい。民主主義の根幹ともいえる選挙の応援演説中の出来事ということもあり大変驚いた。

御冥福をお祈りしたいとおもう。

 

本日は、地元の山車保存会の役員会があった。

山車を動かすのには、最低でも50人くらいの人員が必要である。その運営は町内会を基本とした山車保存会が担う。多くの人が気持ちよく動くためには民主的な運営が不可欠だ。それが民主主義なのかはわからないが、皆がそれなりにでも納得して動かないと、山車は動かない。いつでも自由にやめられる組織とはそういうものだ。

いまはコロナ禍ということもあり、予定がたたないことばかりで、手探りの状態だが、みんなで力を合わせ乗り切りたいとおもう。


2 / 30912345...102030...最後 »