日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5855声 また一難

2024年06月18日

段々と階層を上げながら当日の内容について説明。明日はいよいよ一番上まで説明する。
契約内容にどうしても修正しなければいけない事項が発生し、中央アジアの某国とメール
で調整。時差は5時間。こちらのお昼に向こうは動き出す。先方も一度合意した内容なので修正には難色を示しており調整は難航。来週には来日して調印なので早急に先方の理解を得ないと。

5854声 閉会

2024年06月17日

本日は議会の閉会日。議会との調整に大幅に時間のかかった人事案件が無事に可決された。ある種の安堵感に包まれたような雰囲気の中、代表の議員等に今月末の式について説明。全議員を招待することで了承を得る。その後は各種の資料作成。私の上には6階層の上司があり、各段階で資料の確認・修正作業をするのでかなりの労力と時間が必要となる。

5853声 急な土砂降り

2024年06月16日

今日は妻が副担当の展示会最終日。子供向けのワークショップもあるので、電車に乗って
娘とアーツに向かう。桐生から5才と7才の従姉弟も合流してくれた。3才の娘にとって
憧れのお姉さんお兄さん。いつも遊んで貰っている。アクリル板に白いボンドを垂らし、
その雲のようなボンドに水性絵の具で色を足していくというワークショップ。娘は大胆な
方なので大量のボンドを投入して雲と雲がつながり大きな島みたいになっていた。色も大
胆に入れていく。作品は前橋七夕祭りで飾られるそうだ。駅前の温泉で汗を流し、そのま
ま夕飯と晩酌。牛乳と生ビールで乾杯。帰りの電車で寝てしまい石のように重たくなった
娘。急な土砂降りの中、濡れぬよう傘を差しつつ、娘を抱いてやっとの思いで帰宅した。

5852声 久々

2024年06月15日

休日。今日は妻が娘を連れて遊びに行ってくれたので、マッサージを受けたり映画をみたりと久しぶりの自分だけの休日。明日から妻は展示会の撤収作業で帰りが遅くなる。

5851声 初サテライト

2024年06月14日

アクエル前橋にあるtsukurunの初めてのサテライト施設が桐生市にでき、そのオープニングイベントがあった。桐生駅を出て徒歩30秒ほどの素晴らしい立地である。設置・運営の主体は桐生市になるが、これまでコンセプトから運営ノウハウ、機材の選定など様々な伴奏支援をして、ようやくここまで来た。実際に運営が始まれば様々な課題も表出してくるだろうが、とりあえず最初のサテライトが出来て感慨深い。

5850声 翻弄

2024年06月13日

今日はメタバース関係のプロポ二次審査。アバター姿の審査員が二人も居るのは、我々の先進性の証明か。ちょっと最初の座組を工夫しないと時間を取られる感じの委託先に決定。我々のリソースは限られているので、なるべく手数を減らして事業を回したいところ。キックオフのミーティングが重要になる。ただ、この会社のネットワークが素晴らしいのでこれを契機に連携は深めたい。その他、某庁の内部理論に振り回されての徒労のような事務作業をこなす。やれやれ。

5849声 やっと閉会

2024年06月12日

今日も委員会。私は答弁する立場になりので上司が答えるためのポイントを作成して当日は基本メモを取るのみである。昨日のやりとりも少し効いて、それほど厳しい質問にもならず乗り切ることができた。これで議会もようやく終わり。調印式に向けリソースを大幅に割くことができる。

5848声 前哨戦

2024年06月11日

今日は生成AI関係のプロポ二次審査。正直、小粒な事業なので係員に任せている。明日の委員会にむけて議員に呼ばれ事業の説明。以前も表層だけ捉えて否定的な質問をしてきた議員である。我々も思いを込めてこの事業を進めていると、少しだけ凄んで来た。自分の事業は進めるだけでなく、守ってもいかなくてはならない。ここはもう魂魄の勝負。

5847声 稽古実見

2024年06月10日

ラジオから流れるニュースで、その双子山部屋が赤城で合宿をしているという情報をキャッチ。聞けば後援会が優先だが一般見学も可能という。朝7時半から稽古ということで、家族で6時半に出発。高鳴る気持ちを抑えて合宿所に行くと、YouTubeで見ていた力士達がみんな居る。唯一幕内の狼雅関から、先場所十両に昇進し部屋で二人目の関取となった生田目(なばため)関、料理上手な小滝山、成長著しい相馬の兄弟。中堅どころの出沼や延原、若手有望株の恵雅など名前も性格も覚えてしまった面々に感動。3列ほど用意された席には座らなかったが、そのすぐ後ろに陣取り、正に目の前で、泥だらけになって稽古をしている姿に興奮。双子山後援会に入会することを心に秘め帰宅。帰りの道中で娘が一言「おすもうちゃんたち、ごはんたべてなかったね」。確かに。YouTubeでの力士達はいつもちゃんこ食べてるもんね。

5846声 二子山部屋

2024年06月09日

最近YouTubeではまってみているのが、元大関の雅山が立ち上げた双子山部屋のチャンネルである。まだ、幕内以上の関取は一人しかいなく、20前後のまだ幕下の若者達がちゃんこを作って、ひたすら太り飯を食べているという動画だが、この子達が素直で可愛いのである。相撲部屋に想像する厳しい上下関係みたいなもの無く、良い意味で仲良く暮らしている。厳しい稽古や場所の成績による浮沈なども織り交ぜながら、飽きずに見ている。

5845声 休日

2024年06月08日

今日は家族3人でお弁当とビールを持って高崎公園に。しばらく妻が忙しく久しぶりに一緒だったので、娘はおおはしゃぎで妻と遊んでいる。昼酒でまどろみながら寝転がり、揺れる木々を眺めていたらいつの間にか寝ていた。通りがかりのおばあさんに教えられ、公園の池で泳ぐカルガモの親子を娘と観察。少しづつ、自然や生き物にも興味を持って欲しいと思っている。

5844声 委員会

2024年06月07日

今日は議会の委員会。事前に質問がでることが分かっていたので、膨大な質疑応答集を作って臨む。備えあれば憂いなし。特に問題無く乗り切る。

5843声 落としどころ

2024年06月06日

設計者と建築部門との打ち合わせ。ハード整備は必ず予算不足の進捗の遅れという2つの課題が表出する。これをいかにやりくりして、予算内・工期内に収めるかが、プロジェクトマネージャーとしての役割。タフで長いミーティングだったが、良い知恵もでてなんとか落としどころを見つける。

5842声 二次審査

2024年06月05日

今日はOMUTプロジェクトの広報に係るプロポーザルの二次審査。各社、なかなか練られた制度の高い企画書でプレゼン。非常に重要な委託先になるので、質疑応答にも熱が入る。厳正なる審査の結果、非常に期待のもてる企画案を採用することができた。これで4月から続いたプロポ祭りもようやく終盤。全ての協力会社が決まれば、民間リソースをフル活用して、このプロジェクトを進めていく。

5841声 取材依頼

2024年06月04日

今日は日本で一番有名なビジネス番組との打ち合わせ。国のツテなども利用してなんとか番組のデスクと担当記者にアポイントを取ることができた。今年度より、元アナウンサーで在京メディアとの連携を担当する職員と一緒に。この番組にだけは、どうしても取材して欲しいので、OMUTプロジェクトについて、熱のこもったプレゼンをする。この国のデジタル人材不足という課題に、地方から解決を試みる取組であるとか云々。先方の食いつきは上々で、周辺取材もして特集として放送してくる雰囲気。この番組で放送されれば、ビジネス界における当該プロジェクトの認知度は一気に上がるのは間違いない。

5840声 狂騒曲

2024年06月03日

この構想を考えた段階で、膨大な調整作業や事務量が発生することについてあまり正確には把握できていない。むしろどう成功させるかで頭がいっぱいである。(今から考えればおめでたい限り。)そして、ここから徐々に音量とテンポを増して、狂騒曲が流れ始める。

5839声 来日

2024年06月02日

昨年来担当している中央アジアの某国発のデジタル人材を育成するプログラムOMUT(仮称)のCEOが来県するという話が出たのが4月ぐらいだった。来日の理由は細かい条件闘争で膠着している契約交渉について、トップが来県することで一気に片を付けようというものだった。ただ、私はせっかく遠路遙々(トランジットいれて30時間)来るのだから、契約交渉ではなく契約の調印式を、マスコミを呼んで華々しくやってはどうかと考えた。流石にアルメニアからトップが来れば話題になるし、絵も撮れる。そして調印式だけでなく、契約締結の報告をデジタル大臣にするという事で、首都圏メディアにもPRし、一粒で二度美味しくしたいというのが、このOMUT来県にかかる構想のアウトラインである。

5838声 お詫び

2024年06月01日

岡安君に会った。寺尾紗穂さんのコンサートが北軽井沢であり、彼は撮影兼運営スタッフとして来ていた。吾妻地区のアートイベントには必ず彼が居る。そこで衝撃の話をされた。

「すーさん、今月のひとこえ担当ですよ。」

「え?俺??嘘?マジで忘れてた…今日って何日…」

「6月30日です…」
流石にキレイに1ヶ月忘れてたのは初めてである。夏休みの日記を8月31日に泣きながら書いたアレ以来である。とはいえ、6月はちょっと例をみないぐらい仕事が多忙を極め、節目的なイベントも終わったところである。備忘録的に、思い出しながらこの1ヶ月を振り返ることとする。(日刊つるのひとこえの精神には全く沿っていまんせが…)