わかりにくさを経由して

2013年06月05日

ある会合で、「公共ってなんだ?」という話になった。
「公共」というのは「私」の反対にあるものだろうけれど、
誰にもわかるように簡潔に説明しようとすると言葉に窮する。
それはいまだ分かっていないことを説明する難しさというよりは、
そもそもそこにない思考回路を無理なく作り出す難しさ、なのだと思う。
「公共」と言って「私」の反対を考えようとしたときに「私にはあまり関係のない何か」を想像してしまいがちな思考回路、
というのがあるということ。
たぶん「私」に関係のあるのが「公共」で、だから説明はどうしても複雑になる。
この頃、わかりにくさを経由しないとわかれないことの多さにとても気づく。