何かを獲得する意識の強弱で格差が生まれて、獲得意識薄弱がそのまま経済的薄弱になってしまう、ということがある。
気づいてないかもしれないけれど獲得意識の薄弱、つまり成り行きが許されない雰囲気だけはあって、しかも当人はそれを意識はしてない上に空気だけは読んでいるから、獲得のために毎日を費やすようになる、ということになる。
人間の成り行き性が経済的薄弱への筋道になってしまうのは、これ、獲得意識格差社会です。
そんな社会で生きていると脳は、獲得意識の薄弱=経済的薄弱を勝手に人間的薄弱につなげる。
もう本当に勝手に。
経済的薄弱になったらそんな自分のまっとうさを誇ってもいい、というコンセンサスはない。
たぶんそんなことしたら、「は?」って言われちゃう。
知らず経済的獲得に文字通り絶対的価値があって、そのことで精一杯になると、ほんとに欲しかったものはぼやける。
ほんとに欲しいものがわからないからひとまず生きる、というのが人生でもあるかもしれないのに、ほんとに欲しいものを考える、が、経済的獲得と平行されて保持されないから、逆にいらないかもしれない獲得も簡単に増えてしまう。
それよりもっと見えにくいのは、結果的に経済的獲得もできずに、その上ほんとに欲しかったものを考えるという意識も消え去って、獲得欲だけが残るという状態で。
こうなるともはや社会は、獲得欲の格差だけはない社会、ということになる。
いつのまに獲得欲だけ煽ればいいということが前提化されてしまったの?社会、というか。
そう思い込んでいるからやっぱり煽られる側は獲得しようとして、その列の先で何を買えるかもわからないままスーパーのタイムセールの列に並ぶ、みたいなことになる。
いい年をした人が並ぶ。
そんな時である。
悲しくて泣きたいなんて言ってられないと心に誓うのは。
叱り飛ばすしかないと思うのは。

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