この日は、先月長期に渡って撮影した「山形ビエンナーレ2024」で知り合った詩人の菅啓次郎さんとの約束の日。菅さんが活動を共にしている台湾のアーティスト・王虹凱さんが台湾や日本のダムをリサーチしており、その一環として長野原町の八ッ場ダムを菅さん、山形ビエン講座の受講生でもあった林さんと共に訪れるというので、その案内役をかって出た。
八ッ場ダムは、その完成時の4年前に長野原町の仕事として「ふるさと、八ッ場」という映像を作るために何度も通った場所である。今回、ダムを見るだけではなくそこに住む方たちの話を聞くのが良いだろうなと思い、過去の取材でお話を伺った大黒屋酒店の篠原ヒサさんと、川原湯温泉でやまた旅館を営む豊田拓司さんを事前に訪ね、話をしていただく手筈を整えていた。
ダム湖は、近年めっきり四万ブルーに近いような濃い青色になった。ダム内のエレベーターを下り、僕としてもはじめてダム南側の吾妻渓谷方面も見てみた(正直、完成したダムにはあまり興味が持てない)。ヒサさんは90歳も越えているのに記憶力がものすごくて、菅さんたちにダムによって移転する前の川原湯温泉のことを話してくれた。過去には芸者の駐在所もあったという話。僕は旧川原湯温泉が好きで人気がなくなった最後の頃によく露天風呂に入りに行っていたので、人の出入りも多く豊かだったころの旧川原湯温泉もなんとなくイメージできた。
拓司さんは、昔を語るではなく、宿の周囲を案内してくれた(ちなみに、風情がなく集客に苦労しているであろう現在の川原湯温泉地域において、拓司さんのやまた旅館は先まで予約が埋まっているそうだ。比較的安価な料金設定と、拓司さん自らが山に入り採ってくるきのこなどの料理が固定客を作るのだと推測できる)。お客さんが体験もできるという陶芸工房も良かったが、僕が強く印象に残ったのは、宿とそのちょっと先のダム湖(の先には八ッ場ダムも見える)の間にある草木の斜面で拓司さんが飼っているヤギが草をはむ光景であった。
聞けば、その斜面にある比較的若木は旧川原湯地区にあった木を移植したものだという。予定ではもっとたくさん移植するはずだったが政権が変わった際にそれも中断してしまったのだという。それでも、場所を移し成長していく木々はまぶしいものに思えた。何より、様々なことがあった巨大な人工物を前にして、ただヤギが生きている、その光景がとても良かった。
王さんは音を作るアーティストとのことで、その場においては映像ではなく、音声レコーダーでメエメエと鳴くヤギの声を録音していた。遠目にその様子を見ていて、そこからどう作品として立ち上がるのか、台湾まで見に行くのは大変だけど、見てみたいと思った。