1049声 高崎湯銭値上騒動

2010年11月14日

今朝、車に乗って向かったのは、「群馬県立図書館」である。
目的は、群馬県の銭湯史に関する資料を、閲覧する為。

実は、県立図書館へ足を踏み入れるのは、
我が人生において、今日が初であった。
若干、緊張しつつも館内へ入り、検索端末で書籍を検索する。

まず、タイトル名の箇所に、「銭湯」と入れて検索してみた。
出て来たのは、350数件。
その一番最初の頁に、何やら見覚えのある、タイトル。
「群馬伝統銭湯大全」
って、まさか自分の本が出て来るとは、思ってもみなかった。
しかも、禁貸出。

いくつか資料を集めて、気になる個所を書き写してきた。
やはり、東京の公衆浴場の資料は容易に見つかるのだが、
こと地方、それも群馬県ともなると、資料自体があまり無い。
それでも、「公衆浴場史」なんてのは、中々、面白かった。
発行は、「全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会」。
お経と言うのは不謹慎かもしれないが、お経みたいな長い名前のこの団体は、
早い話、「全浴組合」である。

面白いところは、公衆浴場史の略年表にある。
その中で、一番古い、群馬県の公衆浴場に関する記述が、下記の様な内容。

・明治十二(1879)年十月
上州高崎前の風呂屋、東京と同じ湯銭とし、芸妓一銭五厘と張り出し、
その反対により元の八厘に復す。

つまり、高崎の銭湯が、或る日、「今日からうちは、東京と同じ湯銭でやりますよ。
したがって、ご常連の芸妓の方々は、一銭五厘になります」
と言う、告知を出したのであろう。
明治時代の高崎と言えば、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺の暖簾がひらひらと」
なんて詠われるくらいの活況が、未だ十分に残っていたのだろう。
したがって、花柳界も華やかで、芸妓の数も多い。
芸妓の方は、商売柄、銭湯とは切っても切れない縁である。
地方から高崎の花柳界に来た新人は、先輩からまず、銭湯の入り方を習ったらしい。
ってのを、何かで読んだ気がする。
芸妓の方々も、黙っちゃいない。
即日、徒党を組んで問題の湯屋へ、押しかけ、抗議に行ったのだろう。
まさに、上州の気質がうかがえる一幕だ。

では、この値上げの一銭五厘が、当時の貨幣価値でどの程度なのか。
この年に創刊した、「朝日新聞」の一部一銭、と言う値段と比較すれば、
200円から300円ってところではないだろうか。
因みに、東京と同じ湯銭ってのは、大人一銭で子供五厘。
芸妓の方々は、白粉を塗ったり髪が長い為か、随分と割高である。

静かな日曜日の朝の図書館。
三味線の音色に合わせ、芸妓と戯れている、私。
そんな光景を妄想していたら、「ガタン」と向かいの席のお嬢さん。
席を立ってどこかへ行ってしまった。

【天候】
朝から薄曇り。
正午過ぎには薄日射し、日の暮れる頃にはスッキリとした晴れ。