今朝、車に乗って向かったのは、「群馬県立図書館」である。
目的は、群馬県の銭湯史に関する資料を、閲覧する為。
実は、県立図書館へ足を踏み入れるのは、
我が人生において、今日が初であった。
若干、緊張しつつも館内へ入り、検索端末で書籍を検索する。
まず、タイトル名の箇所に、「銭湯」と入れて検索してみた。
出て来たのは、350数件。
その一番最初の頁に、何やら見覚えのある、タイトル。
「群馬伝統銭湯大全」
って、まさか自分の本が出て来るとは、思ってもみなかった。
しかも、禁貸出。
いくつか資料を集めて、気になる個所を書き写してきた。
やはり、東京の公衆浴場の資料は容易に見つかるのだが、
こと地方、それも群馬県ともなると、資料自体があまり無い。
それでも、「公衆浴場史」なんてのは、中々、面白かった。
発行は、「全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会」。
お経と言うのは不謹慎かもしれないが、お経みたいな長い名前のこの団体は、
早い話、「全浴組合」である。
面白いところは、公衆浴場史の略年表にある。
その中で、一番古い、群馬県の公衆浴場に関する記述が、下記の様な内容。
・明治十二(1879)年十月
上州高崎前の風呂屋、東京と同じ湯銭とし、芸妓一銭五厘と張り出し、
その反対により元の八厘に復す。
つまり、高崎の銭湯が、或る日、「今日からうちは、東京と同じ湯銭でやりますよ。
したがって、ご常連の芸妓の方々は、一銭五厘になります」
と言う、告知を出したのであろう。
明治時代の高崎と言えば、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺の暖簾がひらひらと」
なんて詠われるくらいの活況が、未だ十分に残っていたのだろう。
したがって、花柳界も華やかで、芸妓の数も多い。
芸妓の方は、商売柄、銭湯とは切っても切れない縁である。
地方から高崎の花柳界に来た新人は、先輩からまず、銭湯の入り方を習ったらしい。
ってのを、何かで読んだ気がする。
芸妓の方々も、黙っちゃいない。
即日、徒党を組んで問題の湯屋へ、押しかけ、抗議に行ったのだろう。
まさに、上州の気質がうかがえる一幕だ。
では、この値上げの一銭五厘が、当時の貨幣価値でどの程度なのか。
この年に創刊した、「朝日新聞」の一部一銭、と言う値段と比較すれば、
200円から300円ってところではないだろうか。
因みに、東京と同じ湯銭ってのは、大人一銭で子供五厘。
芸妓の方々は、白粉を塗ったり髪が長い為か、随分と割高である。
静かな日曜日の朝の図書館。
三味線の音色に合わせ、芸妓と戯れている、私。
そんな光景を妄想していたら、「ガタン」と向かいの席のお嬢さん。
席を立ってどこかへ行ってしまった。
【天候】
朝から薄曇り。
正午過ぎには薄日射し、日の暮れる頃にはスッキリとした晴れ。