垂れ落ちて来て、後編の始まり。
前橋ICから赤城ICまで、新車はそれまでのオンボロの車と違って、
力強く、猛々しく、夕暮れ色が溶けだした高速道路を疾駆した。
なんとも誇らしく、甘美なドライブの思い出として残っている。
同時に、早く大人になって、自分の車を運転してみたいと、何度も夢見たのものだ。
しかし、高校に進学する頃には、運転への情熱は次第に冷めて行き、
皆が教習所に通い出す卒業時には、運転願望はすっかり皆無になっていた。
大学に進学し、鉄道網が整備された首都圏に住む様になると、自動車は、
どこか自分とは縁の薄い乗り物、社会的な拘束感を余儀なくされる乗り物として、
避ける様になった。
出来れば、社会に出てからも「運転しないで済めば」、などと考えるまでになった。
ところが、地方社会へ帰郷する身としては、生活上やはり運転免許が必要で、
慌てて学生生活も後半に差し掛かってから、運転免許を取得した。
その後、就職し、初めて自分の、あれ程子供時分に焦がれた車を持った。
自分の車を自分で運転し、あの頃父と走った、前橋ICから赤城ICまで走った。
ささやかな夢を実現した事になり、確かに嬉しかったが、感慨は思ったよりも浅かった。
現代の子供は、この「プリウス」や「インサイト」などのエコカーに、
憧れるのだろうか。
自分の車を駆って、見慣れた風景を追い越したいと思うのだろうか。
それとも、悪化する地球環境と思い病んで、
出来れば自分の車は持ちたくない、などと思うのだろうか。
未だ親父になった事のない私は、容易に推測しかねる。
あの時、我が家に来た親父の新車は、トヨタのカルディナと言う車。
何の変哲も無い大衆ステーションワゴンだったが、誇張して言えば、
当初は新しい家族の様に感じていた。
その後12年、親父の荒っぽい運転に耐えて下取りに出された。
そしてまた、親父のピカピカの新車、言わば新しい家族、が納車された。
しかしどうも私の中での新車は、ボンネットの塗装が疎らに剥げ、
全体的に草臥れてくすんでいた、あのカルディナの方が、しっくり来る。
いや、正確に言うと、ピカピカの新車だった頃の、カルディナである。
どうやらあの頃より、親父の方も随分と草臥れて、安全運転になった様だ。