512声 親父の新車 後編

2009年05月26日

垂れ落ちて来て、後編の始まり。

前橋ICから赤城ICまで、新車はそれまでのオンボロの車と違って、
力強く、猛々しく、夕暮れ色が溶けだした高速道路を疾駆した。
なんとも誇らしく、甘美なドライブの思い出として残っている。
同時に、早く大人になって、自分の車を運転してみたいと、何度も夢見たのものだ。
しかし、高校に進学する頃には、運転への情熱は次第に冷めて行き、
皆が教習所に通い出す卒業時には、運転願望はすっかり皆無になっていた。
大学に進学し、鉄道網が整備された首都圏に住む様になると、自動車は、
どこか自分とは縁の薄い乗り物、社会的な拘束感を余儀なくされる乗り物として、
避ける様になった。
出来れば、社会に出てからも「運転しないで済めば」、などと考えるまでになった。

ところが、地方社会へ帰郷する身としては、生活上やはり運転免許が必要で、
慌てて学生生活も後半に差し掛かってから、運転免許を取得した。
その後、就職し、初めて自分の、あれ程子供時分に焦がれた車を持った。
自分の車を自分で運転し、あの頃父と走った、前橋ICから赤城ICまで走った。
ささやかな夢を実現した事になり、確かに嬉しかったが、感慨は思ったよりも浅かった。

現代の子供は、この「プリウス」や「インサイト」などのエコカーに、
憧れるのだろうか。
自分の車を駆って、見慣れた風景を追い越したいと思うのだろうか。
それとも、悪化する地球環境と思い病んで、
出来れば自分の車は持ちたくない、などと思うのだろうか。
未だ親父になった事のない私は、容易に推測しかねる。

あの時、我が家に来た親父の新車は、トヨタのカルディナと言う車。
何の変哲も無い大衆ステーションワゴンだったが、誇張して言えば、
当初は新しい家族の様に感じていた。
その後12年、親父の荒っぽい運転に耐えて下取りに出された。
そしてまた、親父のピカピカの新車、言わば新しい家族、が納車された。
しかしどうも私の中での新車は、ボンネットの塗装が疎らに剥げ、
全体的に草臥れてくすんでいた、あのカルディナの方が、しっくり来る。
いや、正確に言うと、ピカピカの新車だった頃の、カルディナである。
どうやらあの頃より、親父の方も随分と草臥れて、安全運転になった様だ。