2503声 みんなで謝る

2015年08月16日

安倍さんは謝りたくないんだな、きっと。
戦後70年の首相談話を読んでそう思った。
なんでだろうか。
自分が悪いことをした時に、そう思っても謝りたくない時ってどんな時か。
謝るにはまず、体力が必要だ。
謝った分の咎を自分で背負わなけいとならないから。
そういう意味では日本は体力がある。
もちろんそれは経済的体力だが、少なくも他の国々よりは謝り続けるだけの体力はある。
自己肯定感が少ない場合も謝るのは難しい。
肯定感が少ないと、謝れば謝るだけ自分が否定的な存在だと思ってしまいがちになる。
この理由は当てはまる気もする。
日本は戦後これだけ豊かになったのに、国民の自己肯定感は決して増しているとは思えない。
自己を正当化するのに躍起になる風潮はむしろ強くなっている感じがある。
あとはどうか。
謝っているのにいつまでも許してもらえない時なんて、もう謝りたくないと思うかもしれない。
これもあるか。
いつまで謝ればいいのさ、と思うというか。
日本人は特にすぐ許してしまう質でもあるから、自分が逆の立場に立つとその執拗さに辟易するということはあるかもしれない。
そんなところか。
そうだとしてもどうなのか。
悪いことをしたんだから、やっぱり、あっちが許してくれるまでは謝ったらよくないかと思ったりもする。
1人で謝るわけじゃないんだし。
1億人で分担すればいいわけだから。
みんなで分担して謝ると思えば謝れる、ということだってある。
業だと思って。
あの戦争はもう日本人がしでかしてしまった、背負ってしまった業だと思って、謝り続ける覚悟みたいなものを持ってしまった方が楽なんじゃないか。
自分を正当化することに力を注ぐんじゃなくて。
その方が国民が一つになる可能性も高いんじゃないかね。
子供に背負わせたくないと言うんだよね、安倍さんは。
でも背負わせたくないと思えば思うほど背負ってしまうのが親の業というものなんだし。
子供に「ごめんな」って言いながら、「でも体力だけはつけといたから、二度とこんなことしないように、世界の他の場所で同じことが起きないように謝り続けるのがお前たちの役目なんだよ」って教えてさ。
「卑屈になることないんだよ」って教え込んでだね。
その方が、安倍さんの本当に伝えたいことも伝わると思うんだよなぁ。
首相談話で言いたいことはすごく明快でわかりやすくて、とてもいいこと言っているし、だから余計に勿体無いなと思う。