2569声 A2

2015年10月21日

今回も結果、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」
に行けなかった。次回開催は2年後だけど、
東京でも特集上映を組むことが多いので期待したい。

 

この映画祭に初めて足を運んだのは2001年。
僕はまだ映画学校の学生で、授業の一環として
ドキュメンタリーゼミの皆で行った。
ホテルを借りるお金はもったいないので、
安い一間を借りて、講師と共に自炊式の共同生活。
朝起きてドキュメンタリーを5~6本観て、
皆で夕食を食べながらあーだーこーだ言って寝る。
それを繰り返した数日は、忘れられない体験となった。

 

その年はちょうど、僕らの講師であった安岡卓治氏
がプロデュースし、「放送禁止歌」「職業欄はエスパー」
など特異なTVドキュメンタリーを作っていた森達也氏
が監督をしたオウム真理教に纏わるドキュメンタリー、
『A2』が、国際コンペ部門にノミネートしていた。
それも授業の一環だ、と僕らは、山形市内あちこちに出向き、
まっしろな背景にA2とだけ書かれたポスターを
貼ってもらうお願いをして回った。

 

オウム真理教のことは、今の若い人は知らないかもだが
僕らよりちょっと若い世代以降の人は忘れようがないはず。
95年の地下鉄サリン事件は、大きな悲劇として脳裏に焼き付いた。
『A2』はその後のオウムを追った森監督の2作目で、
日本各地で強烈なバッシングを浴びる団体の内部に入り、
限度を知らない外部からの圧力や、戸惑う信者の様子、
TVでは放送されない信者と地元住民との交流などを収めた。

 

その作風は「オウムに加担している」との指摘も受けたが、
オウム信者=すべて真っ黒、という世の意識に異議申し立てをし、
よく見もせずに白か黒かで人を判別し排除する世の中こそが
オウムを生んだのではないか?という問いかけを残した。
この作品はその年の山形で特別賞と市民賞を獲得した。
ポスター貼り程度だが、末端のスタッフとなった僕らは、
その受賞がちょっと誇らしかった。

 

―――人生は映画よりも奇なり。

 

あの時安い一間で飯を共にしドキュメンタリーを語った仲間。
幾人かはTV制作会社で今も身を削りながら番組を作り、
幾人かは映像をはなれ職につき子どもと共に暮らしており、
異端的なAV監督になったものもおり、学生時の未完成作品を
完成させ日本映画協会新人賞をとったものもおり、
もうすでに亡くなったものもおり、群馬に帰ってきた僕もいる。

 

今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭、今なお講師を勤める
安岡さんは、生徒を連れだって山形合宿をしたという。
瑞々しい学生たちは、きっと多くの事を学んだに違いない。