ラジオで、ゴリラの研究家が言っていた。
ゴリラの挨拶は顔をものすごく近づけるのだと。
一方の人間は、適度な距離を保つ。
それは、無意識に白目の動きを見ているのだと。
白目の動きで、ホントか嘘か、真意を探るのだと。
つまりは、人間は無意識に微細な動きを感知している。
中之条町出身で身体表現(ダンス)をしている
masumi saitoさんがいる。イギリスを拠点としつつも
現在は一時中之条町に帰ってきていて、
今日は大泉町にて「さはりとあはひ」という
琵琶奏者・西原鶴真さんらとのコラボイベントに出演した。
masumiさんは中之条ビエンナーレでもパフォーマンスをし、
僕はそれを見られなかったので、大泉はぜひにと観に行った。
伝統と格式をベースに、絹の弦をノイジーにこする
西原さんの三味線も良かったが、数年ぶりに間近で見る
masumiさんのパフォーマンスにグッと惹きつけられた。
古民家のような狭い会場を時に大胆に駆けまわり、
時に手で顔を覆うなど、微細な動きで音とシンクロする。
そこに意味や物語を見いだすのは難しいが、
意味や物語を越えて、生身だからこそ伝わる多くがある。
アイルランドのカリスマ歌手、ビョークが
視力を失う母親を演じ、次から次へと苦難が起きる
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画がある。
目で周囲を認知できない彼女は、仕事も解雇され、
人との距離感も掴めず、その人の善意がホントか嘘かも
読み取ることができない。
ミュージカルというと、お姫様が恋焦がれて
愛のよろこびを急に歌で歌っちゃうイメージがあるが、
この映画の要所要所でミュージカル要素が入るのは、
普段くらやみで生きる母親が唯一、空想の世界では
歌を歌い駆けまわり、自由になれることを意味する。
問題作を未だ発表し続けるラース・フォン・トリアー監督の
強い作家性あってこそだが、この映画ではやはりビョークの
唯一無二の存在感が際立っている。アイルランドの民族音楽を
ベースに最先端の音楽を取り入れ、母性や人生を“厚み”
とした、彼女ならではの存在感が、この映画でも生きている。
「さはりとあはひ」。終わってふっと憑依が解けたような
普段のmasumiさんと雑談をしていた。パフォーマンスを観て
いたお花の先生らしき人が彼女に話しかけた。
「とても良かったわよ。ビョークみたいだった」
身体表現の世界で生きていくことは棘の道かもしれないが、
彼女には観客の視覚をとらえ無意識をノックする才能がある。
人生の歩みと共に厚みが増すであろう彼女の未来に期待したい。

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