先に書いたぐんまちゃん家での審査会のあと
近くの飲み屋で懇親会となった。
第一線で活躍する映画関係者と、町民主体の映画祭スタッフ、
その垣根をこえて交流ができるのも、映画祭の魅力。
面白い話が多々あったが、どんな話の流れだったか、
小説家の横山秀夫さんと脚本家の龍居由佳里さんとが
「犯罪を描く時に、無意識での犯行は書かない」
という話しをしていた。とても興味深かった。
人を殺したのは太陽のせい。
ぼんやりと嫌になって人を差しました。
「加害者の闇」で片づけられてしまう事件も多い昨今。
物語を紡ぐ小説家や脚本家は、それが人に影響を及ぼす以上、
犯罪に至るまでを書く責任がある、
というような話しだった。それがされない話が多いと。
その話でまず浮かんだのがガス・ヴァン・サント監督の
『エレファント』。コロンバイン高校の銃乱射事件をベースに
少年たちが強行におよぶ1日が淡々と描かれる。
コンピューターで虚無的に戦争ゲームをするシーンなどはあるが
「少年たちはなぜそれをしたのか?」は特に描かれない。
それが作家性であり、ありと思っていたが、横山さんらの話を
小耳に聞き、間違っていると言ってもいい気がしてきた。
一方、忘れらない映画に青山真治監督の『ユリイカ』がある。
バスジャック事件の生き残りである幼い兄妹と、バス運転手が
疑似家族となり、あてのないバスの旅に出るという物語だ。
バスジャック犯のそれまでは描かれない。
得体の知れない闇として、前触れなくふりかかる闇として、
冒頭、事件は描かれる。使われる尺(時間)も短い。
その後、事件により社会と隔離された兄妹とバス運転手との旅は
ちょっと長すぎるんじゃないの、というほど淡々長々と描かれる。
「生きろとはいわん、死なんでくれ」というセリフが表すように、
そこに道徳的、劇的な飾りはない。ただ共有する時間がある。
でもそれは、彼らにとっても映画にとっても、必要な時間だと気づく。
理不尽な犯行による闇は、その意味を問い返しても答えがないので
癒えることがない。その闇に対抗する手段は、格言ではなく、
愛情にもとづく行為を繰り返すこと、日々を過ごすこと。
この映画はそれを描いていた。つまり、
『ユリイカ』とは、言語化できない時間、戦いを描いた映画だった。
この映画を観たのは二十歳過ぎ。それから10年以上経って、
ある懇親会での話しをもとに、違った見方でその映画を思い出す。
そんな偶然があるからこそ、映画ってやつは観ておいた方がいい。

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