2529声 倒木の敗者復活戦

2015年12月20日

話をしていて、たまたまその話が深くなったとき、話は感覚的になる。
感覚が通じるとちょっと安心する。
感覚は、過去にあるいは現在に、同じような経験がまずないと共有できない。
その場合の経験は、ぜんたい違和感である。
同じことを経験しても、違和感を感じる人もいればそうでない人もいる。
同じような経験に対する違和感を言語化して、その表し方は違くとも、同じことを言っているときがある。
これは深さの共有である。
違和感は重い。
それを一人で持ち続けるのは大変なときがある。
こういう共有ができたとき、違和感は軽くなる。
最近たまに聞く言葉にディスるというのがあるが、それとはちょっと違う。
ディスるは他者否定で終了するが、違和感の共有は他者否定ではない。
あくまで違和感を違和感として尊重する作業である。
違和感を手放すわけではない。
手放さず、持っていて、持ったまま成仏させる、みたいなことかもしれない。
違和感の弔いなんだと思う。