PCモニターを睨みつつ、腕組みする事、45分。
一向に、更新に値する内容を着想しない。
随筆家が、創造に窮して回想から着想を得ようとする時は、
こんな気持ちではなかろうか。
なので、昨日を引きずる。
方言、つまり上州弁以外にも、共感を得ない地域文化がある。
まず、食に関してその最たる物が、「焼きまんじゅう」だと思う。
露店などで焼きまんじゅうを焼いていると、漂ってくる煙に、
私などは懐かしい匂いだと感じるが、東京人に言わせれば、得体の知れぬ匂い。
「味噌だれが焼ける香ばしい匂い」と言う意識が無いから、尚更である。
そして、大抵の人が、餡子の入った饅頭が串に刺してあると思うらしい。
中には餡子の入っている焼きまんじゅうもあるが、基本形は餡子無しである。
しかも、まんじゅうと言っても、焼きまんじゅう特有である、
中身ふかふかの素まんじゅうである。
それに、甘い味噌だれをたっぷり付けて、焦げ目が付くまで焼く。
見た目にも、食感にも、さぞ面妖な食べ物だと感じるのだろう。
焼きまんじゅうの本場は、前橋市以南の東毛地区だとされる。
私の住んでいる高崎市は、西毛地区。
焼きまんじゅう文化の熱にも、若干の差異がある。
地域に焦点を当てれば、パスタかと思う。
高崎市は、パスタの店、消費量共に多く、全国でも屈指だと言う。
特筆すべきはその量で、多くのパスタが、通常メニューで山盛り。
これらのパスタは、近年、「高崎パスタ」として括られ、
新たな郷土名物として、名乗りを挙げている。
私も、子供時分からこの高崎パスタを食べて来た。
其れは未だ、パスタなんて洒落た呼び方で無く、
スパゲッティと呼ぶのが主流だった頃。
他の地域で外食した際、注文したパスタの量が少ないと感じていた。
そして、高崎のパスタは味が濃いとも、高崎外パスタとの比較で感じた。
思えばこれも、軽いカルチャーショックである。
現在でも偶に、首都圏に展開するパスタチェーン店などで注文すると、
この差異を感じ事がある。
さしずめ、東京のパスタは、洗練された都会美人。
群馬のパスタは、心優しい田舎美人。
どちらも魅力的で、末永くお付き合いしたい。