613声 缶詰生活 後編

2009年09月04日

昨日の続き
そしてまた、来る日も来る日も、缶詰漬けの生活。
主に夕食は、御飯とおかず缶詰、暇があれば蜜柑の缶詰めを食べている。
当然ながら、一月もすると、部屋の中は缶詰工場の如く、
はたまた、さながら燃えないゴミ置き場の様相になって来た。
それでも、自分はなんと良い効率かつ良い栄養バランスの、食生活を営んでいるのだろう。
と言う、能天気な思考回路を持って生活していた。
蜜柑の缶詰を食べていれば、万事、健康状態を維持できると、盲信的になっていた。
ここで一寸、主題から逸れる。
私は食に無頓着な性質で、同じ献立を毎日食べても、左程苦にならない。
むしろ、同じ物を食べ続けると言う様な、一種の癖がある。
現に、行きつけの食堂などでは、同じメニューを2年も3年も食べ続けている。
テレビドラマなどでは良く目にする、「大将、いつものやつね」なんて言う件。
居酒屋で一般化している、「どりあえず生中」と言う様な注文方法から見ても、
案外、日本人にはこう言う性質の人が多いのかも知れない。
さて、部屋を埋め尽くす缶詰である。
それでも、定期的におかず缶詰は捨てていた。
タレの容量が多いので、洗って置いても、数日で匂いが発生するからだ。
それと異なり、蜜柑の缶詰は、洗って置けば、左程匂いも無く清潔に保てる。
其れに甘んじて、部屋の中には、蜜柑の缶詰めピラミッドが構築されて行った。
その数たるや、20や30個では済まなく、50や60個はあったと思う。
心の隅に、「どこまで集められるか」と言う、収集癖も顔を出し始めていた。
その時期の或る日、家に遊びに来た友人は、その光景を見て絶句し、
踵を返して、そそくさと帰ってしまった。
後日談によると、どうも私の事を、「奇人」または「変人」、
つまりそう言う「異常者」の類だと思ったらしい。