3551声 夏が来れば⑥

2016年07月29日

親父は、渋川の魚屋が経営不振でなくなったあと、中之条のゴルフ場の簡易宿泊所の用務員をやっていた。親父が亡くなった直後、一度も行ったことがなかったその仕事先へ挨拶をしに行った。皆さん口々に言うのは

 

「君のお父さんは優しい人だった。色々面倒みてもらったよ」

 

だった。それは、葬儀の際も変わらなかった。単に調子を合わせた挨拶ということでもなく、しみじみと言っている人が多かったように思うから、実際そういう人だったのだと思う。確かに、不機嫌そうな時はあっても怒る人ではなかった。

 

地域のために率先して何かをやるという事もなく、休日は丸1日でも自分の庭の手入れをやり続けられる人だった。結構早いけど、いい人生だったんじゃないかな、とも思う。

 

夏が来れば思い出す。