644声 幸せ基準

2009年10月05日

先週末。
と言っても、一昨日と昨日。
両日共に、小さな宴で人と話す機会があった。
いずれも、酒が入っての話なので、終始、要領を得ない。
しかし、酔っ払いつつ周到な嘘をつく人も、そうは居ない。
つまり、本音がポロッと零れる。
世代も違えば性別も違う。
趣味も違えば嗜好も違う。
そう言う人等が、一つのテーマを持って話す時、話の糸は縺れる。
縺れた糸を解さずに、おかまいなし。
どんどん会話するから、話がこんがらがる。
その、こんがらがったダマを、箸で摘み、生ビールで呑み下す。
「一体、何が幸せか」
と言う問いを、皆(先日のその座に居た人たち)、考えているのだ。
と感じた。
考えてはいるが、答えを求めている。
とは感じなかった。
その曖昧模糊とした物に、基準を設けて安心する。
そう、安心したいのだ。
私なんかはもう、刺身の盛り合わせなんかあるでしょ。
あの、平たい大皿に、鮪に烏賊、有頭の甘海老やら旬の魚なんかが、
綺麗に盛り付けてある。
あれを前に、生ビールのジョッキを握りしめつつ、
「さて、どれから」
なんてやってる時が、幸せ。
うん、一番感じるよね。