3611声 関われる酒

2016年09月29日

午前中はビールの空き樽の整理。
午後は買い物。
天気は相変わらず湿り気味である。
たまにはスカッと晴れてほしい。
午後になると、集中力がガクンと落ちる。
買い物すらおぼつかないこともある。
ちょっとなにか疲れてると思うが、軌道修正ができない。
いい年をして困ったものである。
そういう時、決まって酒の世話になる。
背徳感を簡単に振り払い、酒に手を出す。
酒はおいしくないといけない。
酒はアルコールで酔うわけだが、ただ酔えればいいというものでもない。
おいしいということが満足感を与えてくれる。
つまりおいしさが、こちらの不足感をいっとき埋めてくれる。
ただビールをグラスにそそいで、あるいは日本酒をおちょこについで、飲んでそれで終わりではだめ。
ビールはグラスに、そのビールが最もおいしく飲めるそそぎ方で、真剣にそそぐ。
日本酒はその日本酒が最もおいしくなる温度になるように、真剣に燗をつける。
そうすることで、その酒に主体的に関われた自分を感じることができる。
目の前の酒との共同作業である。
そんなことが少し、こちらの不足感を埋めてくれる。
人間なんてそんなものである。
なのでそのとき飲む酒は、誰がどう注いでも変わりなくうまいような酒ではいけない。
その酒に、ちょっとこちらが関わる余地がないとならない。
例えば小説に例えるなら、東野圭吾のような酒か。
あるいは映画なら、是枝裕和か。

飲む側が主体的に関われるような酒は、いい酒だと思う。