3613声 雨の朝

2016年10月01日

およそ三か月ぶりに、この稿を起こすことになる。
また、ひと月の間、深夜の酔眼をこすりつつ、
液晶モニターを眺める日々が続く。
三か月の間、ここに書こうと思うことは沢山あるのだが、
いざ、キーボードを叩こうとすると頭に思い浮かぶのは、
日常の些事ばかりである。
今月は、文通する乙女のような気持ちで過ごすことになるだろう。

昨日の回を読んで、前橋市の旧知の人から電話が来た。
句集の件であった。
一昨日には、高崎市の旧知の人からメールが来て、
こちらは銭湯の本の件であった。
なんでも、前橋にある銭湯の番台に座ることになったとの由。

今月の半ばには前橋に句会に行こうと思っているし、
年内に一度くらいはこの「めっかった群馬」の周辺でも、
句会ができぬものかと考えている。
そんなわけで、年内は心に群馬を置くことも、群馬に足を運ぶ回数も、
増える気がする。
晩秋から初冬の上毛三山を置く、高崎の郊外あたりのあの蕭条とした景には、
胸の苦しくなるほど痛切な叙情を味わえるということになる。

昨日の回を読むと、堀澤さんの暮らしている借家も古いようであるが、
私の暮らしているこの家も古く、古い家は何かと手がかかる。
例えば、障子である。
九月の長雨のせいもあって、障子紙のところどころが剥がれてしまった。
当然、張り替えねばならぬのだが、そのまま放ってある。
維持に手が焼けるが、住んでみて障子の機能を改めて実感した。
風通し良く、映り込む月影もオツなものである。
朝などは日が入り込むので、寝坊することも少ない。
逆に、今日のような雨の朝は、思いきり寝坊することになるが。