マラソンの開催日が、とうとう近づいて来ていると言うのに、
一向に体が仕上がっていない。
仕上がりは勿論、当日の10kmを完走できる体力を備える事だが、
現在の私の目測では、5,6kmが限界かと思われる。
当日は知人等数人と一緒に出場するのだが、その中の一人である肝臓女史などは、
仕事帰り、スポーツジムへ行ってトレーニングしているとの事だ。
話を聞いていると、なるほど、ジムには運動設備が整っていて、
トレーニングをする環境としては最適である。
しかし、エアコンで快適な室温に調節された室内で、
ルームランナーに乗っかってペタペタ走るのも良いが、それでは得られない事がある。
私は、ここでも頻繁に書いている様に、夜、自宅近所を走っている。
それは、毎日ではなく、距離も2,3kmと短いものだが、
社会人となって運動と縁遠くなった現在、非常に新鮮な体験をしていると実感している。
まず、真冬の寒風吹きすさぶ田圃の畦道を、よろよろと走ってると、
否が応でも体と対話する事になる。
「体が重い」
「何故重い」
「昨日の疲労が残っているのか」
「いや、夕食を食べ過ぎみたいだ」
「もう少しペースを抑えろ」
「分かった分かった」
「よし、体が温まって来たぞ」
「じゃ、ペースを少し上げるぞ」
「あと一周走れるか」
「いやいや、もう無理だ」
「おいおい、そこをなんとか」
最終的には、対話が口論になってくる。
それでも、対話によって、相手の機微を捉える事は、より良い連携に繋がる。
単にスポーツジムに行くお足が無い為に、裏の田圃を走る羽目になっている。
冬の夜空の下、寒風に煽られ、鼻水垂らして走っている最中、
温かいジムをひがみながら口論の日々を過す。