3721声 基準について

2017年01月14日

幸せも酒がうまいかどうかも、どこを基準にするかで簡単に変わってくるという意味で、同じだと思う。
酒はまず最初に何を飲むかで、次に何を飲んだらうまいかが変わったりする。
濃いめの酒を飲めばそこに基準が設定されてしまい、いくら普段うまいと思っている酒を次に飲んだとしても、それがいつものようにうまいと感じるわけではない。
あるいはもっと単純に、酒は水分だから喉が渇いていればそれだけでうまく感じる。
例えば、貧しさがとても苦しかった時代に生まれた者が今の日本にタイムスリップしたとしたら、手放しで幸せと思うかもしれない。
基準はとても相対的だ。
ならばその基準の最低ラインはどこにあるのだろう?
腹が減ったら食べられることか。
住む家があることか。
普通に呼吸ができることか。
基準はあくまで相対的である限りにおいてだけ、適当に騙し騙し生きていられるもののような気がする。
もしその基準がわかってしまったら、その基準を満たしていない現実を発見してしまったとき、どうすればいいのか。
最低限の幸せは、到底受け入れることのできないどうしようもない悲しみとの境目にあるのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えていた一日だった。
大寒波が来ているらしい。
これも到底受け入れることのできない寒さなのかといえば、そんなことはない。
ならば幸せでいい。