713声 人生の水溜り

2009年12月13日

今日は日曜日。
穏やかな昼下がり。
窓から見える電線には、鳩が一匹。
師走も半ばに差し掛かり、巷では忘年会も後半戦であろう。
昨今、不景気の折、温泉地へ出掛けての忘年会は随分と減った。
なんて話を頻繁に聞く。
また、温泉旅館でやっても、大半の人が飲まずに日帰りで帰ってきてしまうそうだ。
これはどちらかと言うと、景気は関係なく、人の付き合い方が問題だろう。
「協調性が無い」
と言うのは、社会人としての新参者である若年層が、十把一絡げに言われる批評である。
先の忘年会を見ても、まず若者は参加しない。
そして、参加しても二次会に来ない。
個人差はあるが、飲まない。
細かい箇所に話が及ぶと、乾杯からビールでは無く、好みのカクテル類を注文する。
料理に好き嫌い、選り好みが極度にある。
そして、話を合わせない、もしくは話さない。
これは、今に始まった事ではなく、いつの時代もそうではなかったかと思う。
50年や100年で、社会での若者の在り方、つまりは人生の本流は変わらないと思うのだ。
変わったとすれば、それは社会の方である。
時々の社会が、人生の本流に様々な支流を作って行く。
ここで、電線に止まっていた鳩の下りを効かせて、政治批判をするつもりは毛頭ない。
もとい、わたしにそんな見識はない。
ただ、鳩が一匹、電線に止まっていたと言うだけだ。
北風に煽られつつも、首を竦めて必死にしがみ付いている。
クレインダンスの忘年会などは、赤提灯を2、3軒梯子して終わりである。
本流や支流からも外れて、どっかの水溜りにはまっている様な気がする。