717声 なっちゃいない男

2009年12月17日

昨日、私が車上狙いの盗人から、財布の銭を盗られた間抜けな話を書いた。
そして、その盗みの才能を、堅気な仕事へ活かした方が得策ではなかろうかと言う旨を、
犯人宛てに忠告した。
数少ない読者の方、数人から気遣いのメールを頂いた。
ともあれ、近しい知人たちなので、わたしに直でメールが来る。
心配性の人たちが読めば、私はなんて危機感の欠如した人間なのだと言う事になる。
車上狙いの犯人をして、盗みの才能ある人物と言わしめているのだから、私も暢気だが、
実際に現場に直面し、そう感じた。
色川武大さんのエッセイに、こんな話がある。
小学4年生の色川少年は、或る日、駅の改札口近くでスリに遭ってしまう。
結局、犯行は未遂で終わったのだが、その鮮やかな手口に感心してしまうのである。
芝居に寄席に野球や相撲。
芸事の好きな少年は、一連のその犯行を、「個人芸」と見なす。
そして、引っ込み思案な自分には、「合ってるかもしれない」と思うのである。
その日から、スリの名人になるべく、国電の車内でスリの練習を始めてしまう。
まるで、忍術にあこがれる少年の様にである。
ひと月以上経ち、他人の洋服や手提げの中の財布の在処に、
大体の見当が付くまでになった。
さぁ、目当ての物まで20cm、手を伸ばせば、と言う所へ来て、手が出ない。
其処を睨み付けているばかりで、駄目なのである。
とうとう、自分には才能が無いと思って、(めでたく)諦めてしまう。
やろうったって、容易に出来る事ではない。
無論、絶対にやってはいけない、卑劣な犯罪である。
曰く付きながら、やはりそれが出来るのは才能なのだ。
何にせよ、一つの道を求道する事は、大変難しい。
そして、「いっぱし」になるのは、もっと難しい。
私など、これならばいっぱしと言える様な事が、一つも無い。
趣味の一つである楽器を見ても、エレキにアコースティックにベースギター、
おまけに三味線にまで手を出して、まるで節操が無い。
書き始めてから、もうじき丸2年が経とうかと言う、
この「鶴のひとこえ」だって、やはりいっぱしとは言えない。
まるでなっちゃいないんだ、まったく。