3907声 倒れてみる

2017年07月19日

今朝、新聞代配中にバイクを倒した。スタンドの立て方が甘かった。朝の6時前だというのに野良着を着たおばあさんが心配して近くに来てくれた。

 

バイクを戻しながら
「お騒がせしました。早いですね」
「8時過ぎると暑いからさ、4時起きで畑行くんさ。新聞ご苦労さんだね」
「お互いご苦労さんですね」
とたわいも無い話をした。

 

なんだかそれが嬉しくて、そういえば面と向かって心配されることも少なくなったなと。それは僕がしっかりしてるわけじゃなくて、倒れまいと取り繕ったり、倒れたとこを人に隠したりしているな、と。つまりは、大人になると、無意識に失敗を人に見せなくなるのかな、と。

 

そんなことをぼんやり考えながら帰宅。朝忘れた線香に火をつけて手を合わせた。今日は父の命日だったのだ。

 

この時期、パンツ一丁の情けない格好で畳に横たわり巨人戦を見ていることはよくあったけど(巨人戦が映画になっただけで俺も変わらん)、僕の前で失敗やしんどい話はしない父だった。それで人の良さばかりが記憶にあったけど、

 

父から学ぶべきは、二十歳前から40年近く勤め上げた魚屋が倒産し解雇、その事の恨みつらみを言うわけではなく、ゴルフ場の管理人として黙々と仕事をした、そんな「倒れてからの立ち上がり方」なのかもしれないな、とふと。

 

まだまだ敵わん。取り繕わず、人前や自分の子供の前で思い切り倒れてみることも、大切かもしれないね。