757声 新湯は身の毒心の徳

2010年01月26日

1月26日の今日は、一番風呂の日。
と言うのは、私が今し方、思いつきで作った記念日。
「新湯は身の毒」と言う諺もあるくらいで、医学的見地から言えば、
一番風呂は体に悪い、良いう事になっている。
湯温も高く、塩素の刺激が強いので、体に悪いと言う訳だ。
人が入れば、その不純物で湯が馴染む。
なので、二番煎じの風呂の方が、適温、適質の湯になるのである。
しかし、路地裏の夕方。
銭湯の暖簾が掛かるのを、今や遅しと待ち構えている、常連さんの列。
そんな光景が、未だにある。
市井の家庭ではどうだろう。
「お父さんの後はヤダ」
なんて言う具合にごねて、一番風呂に入っている中・高校生が、
大勢いるのではなかろうか。
そんな時は、ごねるのでなく、この「新湯は身の毒」と言う諺をチラつかせてみる。
そうすれば、すんなりと、むしろ好意的に一番風呂が頂けるかもしれない。
私も、路地裏の一番風呂争奪戦に、幾度か参加した事がある。
誰もいない浴室を撮影する、と言う目的があったが、
やはり一番風呂にも入りたかったのである。
体に毒だろうが何だろうが、そこはかとなく心持が良いではないか、一番ってのは。
何だか、徳をした様な、徳がありそうな、縁起物の気配をそこに感じる。
もしも私が父親で、息子や娘に「新湯は身の毒」と言い包められそうになったら、
「良薬口に苦し」で、徹底抗戦の構えをとるつもりである。