776声 吝嗇習慣

2010年02月14日

習慣。
ってのは、土地の文化に起因する場合が濃い。
と言う事を、出掛けた時につくづく感じる。
パスタ。
ってのを食べようと、何処かの街のイタリアンレストランへ入る。
注文して、テーブルの前へ配膳されたパスタに、若干の違和感。
原因は、その分量なのである。
私が住んでいる高崎市では、「パスタの街」なんて言って、
近年俄かに「高崎パスタ」なる名称で、土地の名物として認知され始めている。
その特徴を挙げれば、幾つかあるが、目立つ特徴の一つが、その分量の多さ、である。
日本列島津々浦々。
と言っても、それ程隈なく、土地のパスタを食べ比べた訳ではないので、
怪しい所はある。
それでも、その平均的な量が、高崎パスタでは「小盛」となり、
大盛量が「中盛」と言った具合に、段階的に、一つ多くなっている感がある。
なので、高崎以外の土地でパスタを注文すると、いささか少なく感じてしまう。
しかしこれも、土地に培われた習慣。
そう思慮分別して、フォークを手に取る。
けれど、似た様な状況下、どうにも思慮分別出来ない場合もある。
それは、「ちょいと小洒落た居酒屋」、と言う様な「テ」の店での事。
間接照明をふんだんに使った、所謂、凝った店内は、
便所に行くと容易に帰って来れない程、複雑加減が迷路的。
そう言う店で、注文する、生麦酒。
「生中」とメニューには書いてあるものの、女給さんが運んで来るのは、
タンブラーグラス。
つまりは、カクテルなどが入っているグラスである。
せめて、10オンス(300ml)ならば良いのだが、しまいには、
8オンス(240ml)なんて店もある。
店の雰囲気との調和。
なのだろう。
しかし、中ジョッキとまでは言わないが、せめて、350mlぐらいのタンブラーが欲しい。
それでなければ、「生中」の定義に、著しく反しているのではないか。
などと、胸中、思慮分別どころの騒ぎでは無くなって、私などは、
平静を保てなくなってしまう。
そこには、安居酒屋ばかりで飲んでいる、私の吝嗇な習慣が顔を出しておまけに、舌まで出している。