習慣。
ってのは、土地の文化に起因する場合が濃い。
と言う事を、出掛けた時につくづく感じる。
パスタ。
ってのを食べようと、何処かの街のイタリアンレストランへ入る。
注文して、テーブルの前へ配膳されたパスタに、若干の違和感。
原因は、その分量なのである。
私が住んでいる高崎市では、「パスタの街」なんて言って、
近年俄かに「高崎パスタ」なる名称で、土地の名物として認知され始めている。
その特徴を挙げれば、幾つかあるが、目立つ特徴の一つが、その分量の多さ、である。
日本列島津々浦々。
と言っても、それ程隈なく、土地のパスタを食べ比べた訳ではないので、
怪しい所はある。
それでも、その平均的な量が、高崎パスタでは「小盛」となり、
大盛量が「中盛」と言った具合に、段階的に、一つ多くなっている感がある。
なので、高崎以外の土地でパスタを注文すると、いささか少なく感じてしまう。
しかしこれも、土地に培われた習慣。
そう思慮分別して、フォークを手に取る。
けれど、似た様な状況下、どうにも思慮分別出来ない場合もある。
それは、「ちょいと小洒落た居酒屋」、と言う様な「テ」の店での事。
間接照明をふんだんに使った、所謂、凝った店内は、
便所に行くと容易に帰って来れない程、複雑加減が迷路的。
そう言う店で、注文する、生麦酒。
「生中」とメニューには書いてあるものの、女給さんが運んで来るのは、
タンブラーグラス。
つまりは、カクテルなどが入っているグラスである。
せめて、10オンス(300ml)ならば良いのだが、しまいには、
8オンス(240ml)なんて店もある。
店の雰囲気との調和。
なのだろう。
しかし、中ジョッキとまでは言わないが、せめて、350mlぐらいのタンブラーが欲しい。
それでなければ、「生中」の定義に、著しく反しているのではないか。
などと、胸中、思慮分別どころの騒ぎでは無くなって、私などは、
平静を保てなくなってしまう。
そこには、安居酒屋ばかりで飲んでいる、私の吝嗇な習慣が顔を出しておまけに、舌まで出している。

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