「あっ」
と、気付いた方、そうなのです。
日刊「鶴のひとこえ」は、今日で、777回目。
ぞろ目。
賭博打ちの方々は、この数字を見ているだけで、落ち着かない事でしょう。
博打には縁の薄い私でも、何だか、眺めているだけで、
徐々に気分が高揚してくる感覚です。
この「高揚」ってのは、とても重要な働きをする。
と言う事実は、毎日こうやって、何らかの文章を書く様になってから、分かった。
万年筆を持って、白紙の原稿用紙を前に。
と言う状態なら、幾分味があるのだが、実際はそうではなく、PCのモニターの前で、
キーボードに手を置いて、思案に暮れている。
勿論、書くべき内容を、である。
しかし、その為にはまず、思考の底に落ちている「構想」を引き上げる作業が必要なのだ。
その作業が出来るだけの、モチベーション。
これを、どうやって捻出するか、それが問題なのである。
それを、荒々しくも、解決してくれるのが、この「高揚」なのである。
この「荒々しくも」ってのは、高揚の奴は、後先も考えずに、
人の背中を「ぽん」と押す感があるからなのだ。
例えば、滑り台。
階段を上って、台の上に座り、今まさに滑り下りようとしているのだが、
踏ん切りが付かない。
それは、文章を思案している状態に近い。
恐怖感とがっぷり四つに組み、安全性を考慮した滑り方を確認している。
その途中、不意に、背中を押す奴がいる。
意表を突かれ、滑り落ちて行く最中、振り返ると台の上に佇んでいのは、「高揚」。
背中を押された私は、気付けば無事に、滑り台を滑り降りている。
その状態は、文章を書き終えていると言う事なのだが、
「滑り下りた」と言うよりはむしろ、「転がり落ちた」と言える。
一応の所、着地はしたのだが、滑っている最中の経過、つまり文章構成は、
覚束ない。
その結果は、粗製濫造に結び付く。
それでも、粗製無造よりは良いではないか。
そう言う解釈を受容して、時に、高揚に背中を押されるのを、待っていたりもする。

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